⑧ ホームズ事務所の小さな訪問者 ~ワトソンの語り~
イギリス文学地方ロンドン、ベーカー街221B。
その一室でこの朝、僕は風変わりなものを目にした。
「やぁワトソン。おはよう」
我が盟友が、コーヒーを片手に、首をかたむけて微笑んでいるのだ。
「珍しく機嫌がいいようだなぁ」
「まぁね。じつは、おもしろいゲームをしている最中なんだ」
そう言って、ソファに身を投げ出した、白いシャツのボタンを開けている彼の名は、シャーロック・ホームズ。我が盟友にして世界的に有名な名探偵だ。
コーヒーの香りを楽しむように息を吸い込むと、彼は言った。
「昨日ある依頼人が、ここシャーロック・ホームズ事務所をたずねてきた。極秘裏にね」
自分の目が好奇のきらめきを帯びるのを僕は感じた。
「ほう。興味深い話だな」
「それどころじゃないよ」
ことりとコーヒーを目の前のテーブルに置き、ホームズはおかしくてしかたないというように片手で腹部を支えると、
「依頼内容が、一日だけ僕になる権利をくれっていうんだから、傑作じゃないか!」
僕は顎に右手を当てつつ、考える。
「ふむ。いつにもまして奇妙な依頼だなぁ。いったいどういうことなんだい?」
「まぁかけたまえ」
うながされるまま、彼の正面に腰を落ち着ければ、いつもながら鋭い眼光がこちらを射抜くように見据えてくる。
「さいしょは頭のおかしな輩か、酒に酔った連中かと推測したが、すぐに真面目な依頼だとわかった。彼の事情をきいた直後、一も二もなく許可したってわけさ。もちろん、条件をつけてね。我が宿敵なる怪盗をきっと打ち負かすと――」
「ま、待ってくれ、ホームズ」
いささかあせりつつ、僕は彼の言葉を遮る。
「まったく話が見えてこないな。さいしょから説明してくれないかい?」
ふっと、ホームズは深い笑みを見せた。
「すまない。いささか興奮していてね。今夜、新たな変わった客が訪ねてくるはずなんだ――」
彼がそこまで口にしたまさにそのとき、はかったように、ノックの音が響いた。
「さっそくだ。ワトソン、出てくれないか」
うなずいて、事務所の扉を開け、僕はまぬけにもぽかんと口を開いた。
やってきたのは、少女だったのだ。
年はまだ十三か四といったところだろうが、その大きな藍の瞳は少女らしからぬ知性の精彩に彩られている。
長い藍色の髪に、紺のワンピースにブラウスを着ているのは正装のつもりだろうか。
「こちらは、シャーロック・ホームズさんの事務所で相違ありませんか?」
彼女は見かけの年齢よりだいぶ大人びた口調で言った。
高く耳に心地よい声だ。
「はい、わたしがホームズです」
ホームズが立ち上がり、傍らの椅子を指し示す。
「お願いがあってまいりました。……お手紙でももうしあげたとおり、もとブラックブックスのメンバーであり、あなたのライバルともいえる女性――アイリーン・アドラーさんのもとに、同行してほしいのです」
「もちろん、おひきうけします。お手紙ありがとうございました」
少女を椅子にエスコートするホームズの気配からは、まるで貴族の夫人を扱うような低調さが見受けられる。
「ですがその前に、ご依頼人であるあなたのお名前を確認しておきたいのですが」
ホームズと少女の互いに鋭い眼光がぶつかりあう。
ふいに、少女はその表情をやわらげた。
「申し遅れました。チーム文学乙女の一員、露木せいらですわ」
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