⑩ 夢未の反発とそのさき

 次の日、学校から帰ったわたしは、そのまま、とあるレストランに直行していた。

 昨日お父さんが電話で言っていた場所。

 身体が重く、こわばっている。

 でも、今回は引き返す気はなかった。

 時計は午後4時をさしてる。

 やっぱり来ないか。

 星崎さんに、あれだけはっきり断られたんだもんね。

 そう思ったとき、テーブルにかげがさした。

「夢未。きて、くれたんだな」

 その人の顔を見て、身体がぞくりとすくんだ。

 ゆがみ切ってしまった口元に、おぼつかない目つき。

 一目で、わかった。

 お父さんが病気だっていうことが。

 心の病気というものの怖さも。

 そしてわたしも、胸のなかにもっているそれの調子を崩していることを、はっきり悟ったんだ。

「なんで」

 こみあげてくるものをおさえることはできなかった。

「お父さん、なんでわたしたちこうなっちゃったんだろう」

 小さい頃はよくいっしょに遊んでた。

 本が好きなわたしの理解者がお父さんだった。

 そこに悲しいことが入るすきまなんかなかったはずなのに。

 お父さんはゆがんだ口元でそれでも笑った。

 ゆがんではいても、優しい笑顔だった。

「なにを言ってるんだ、夢未。またこうして会えた。わたしたちは幸せ者の親子だよ」

 涙があふれてくる。

「昔から心配症で泣き虫だったからな。夢未は」

 その顔つきはもう、前のものじゃないけど。

 しゃべり方のくせや、笑い方。ところどころにやっぱり、お父さんが生きている。

「じつは、夢未に、手伝ってほしいことがあるんだ」

 目じりをぬぐって、わたしは訊き返した。

「出版のお仕事の関係? わたしまだ学生だけど、できることなら」

「あぁ、それでも大丈夫な仕事だ」

 にっこり笑う顔は、やっぱりどこかアンバランスで、笑い切れていない。

 それでも、うれしかった。

 お父さんの役に立てるなんて、思いもしなかったから。

「考えてみる。もし、力になれたら嬉しいし」

「頼むよ」

 それから、本のことや昔のことを、楽しく話して、あっという間に遅い時間になってしまって、あわててさよならしたくらい。

 幻のように幸せな時だった。

 レストランを出ると、三日月が出ていて、さすがにあせった。

 星崎さん、ぜったいに心配してる。

 今日勝手にお父さんに会ったのは、正直、ささやかな反抗のつもりもあったかもしれない。

 でも今は、ちゃんと正直に話してあやまろうっていう気持ちになっていた。

 すごく怒られるのは確定だけど、きっと彼も今までよりは、お父さんにたいして、安心してくれる んじゃないかなって思う。 

 きてよかった。

 そう思って、歩き出した。

 するとそのとき、右腕をつかまれた。

「ねぇきみ」

 ジーンズにサングラスをかけた、派手な感じの男の人が、見降ろしている。

 ふと気づくと、同じような格好の人たちに囲まれていることに気づく。

「かわいいね」

 ほめられたのに、ぞくぞくっと、いやな寒気が背中を走る。

「お兄さんたちと一緒にきてくれない? すぐ済むから」

 こんなこと、はじめてだったけど、それでもわかる。

 ぜったいついて行っちゃだめだ。

「わたし、もう帰らないといけなくて」

 声を絞り出すけど、男の人たちはじりじりとわたしにせまってくる。

「きみ、働きたいんでしょ? お父さんから聞いてるよ」

 その言葉をきいたとき、心の中で、なにかがぱきりと壊れる音がした。

「お金がほしいんだよね。それならおいで」

 三人がかりで、腕をつかまれる。

 やめて。

 抵抗しようとしても、圧倒的な力で押さえつけられて、動けない。

 ちっと鋭い舌打ちが聞こえた。

「お父さんのためになるっていえば言うことをきく、いい子だって話だったが」

 耳をふさいで。

 ううん、頭を壁に打ち付けて、血まみれになって倒れてしまってでも、聴きたくなかった。

 やっぱり、星崎さんの言ったとおりだった。

 そう、うまくいくわけ、ない。

 頭に浮かぶお父さんの笑顔が、涙でにじむ。

 あの顔は、弱った心でそれでもせいいっぱい笑っていた顔じゃなかったの?

 心の中では、違う顔をしていたの、お父さん。

 それなら。

 わたしを壊して――。

 じっと身を硬直させる。でも、男の人の言葉はそれ以上つづかなかった。

 激しい打撃音がして、身を震わせる。

 金髪のその人が、そこに倒れていた。

 痛そうに頭をこすりながら、立ち上がる。

 こっちにとびかかってくるけど、今度は足もとをからめとられて転んでしまう。

 わたしのすぐそばに現れた彼が、技をかけたみたいだった。

「てめぇ、なにしやがる」

 彼は淡々と言った。

「怒りのままに動いている。この子に触れることはおろか、語ることも許可した覚えはない」

「野郎っ」

 走ってくるもう一人の男の人を投げ飛ばして、残る最後の一人のみぞおちにこぶしをくいこませる。

 一瞬のできごとだった。

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