⑧ 「好きすぎてくるしい」をくるむ調べ ~夢未の語り~

 居酒屋さんの中を、ただ、ショックに走らされて、走って走って、ここお店の中のどこだろう? とふと思う。

 でも、もういいや、そんなこと。

 心で呟いて、顔を覆う。

 大人になっても彼に見てもらえないわたしなんて。

 このまま十二時になって、消えてしまえばいいんだ。

 わたしは彼にふさわしくなんかない。

 不器用で、なにをやってもだめなわたし。

 それにひきかえ、彼はなにをしても完璧で。

 わかってたじゃない。

 さいしょから。

 激しく自分自身を罵る声を、消す声がした。


「夢ちゃん」


 それはよく、知った声。

 後ろから、その声はなおも心の深いところで響く。

「今きみを悲しませているのは、またお父さんのこと?」

 お酒のせいか、頭がぼやっとして今自分が夢の中にいるのか現実にいるのかよくわからない。

 自分が今大人なのか、子どもなのか、それさえも。

「いえ。そうじゃないんで、す。今はっ」

 彼の顔を見ないまま、その胸に寄りそう。

 いっぱいの切なさと、すこしだけ意地悪な気持ちをこめて、そのシャツの胸の部分をぎゅっとつかむ。

 こんな気持ちにさせて。

 なのに憎めない。

 ひどいよ……。

「苦しいの。……星崎さんのことが、好きすぎて苦しい」

 星崎さんはちょっとだけ困ったように、笑って。

「大分、酔わせてしまったみたいだね」

 わたしを抱えて横たわらせてくれる。

 まだ、彼のシャツの胸は、握っていた。

「ほしざき、さん」

 わたしったら。

 好きって伝えたら喜んでくれるとばかり思って。

 何度も気持ちを伝えてきた。

 まだ何も知らない、子どものくせに。

 彼の周りにはすてきな女の人だってたくさんいることだって。

「ごめんなさい。好きになって、ごめんなさい……」

 そしてあと一言だけ。

「成瀬さんのことが、好きなんですか……?」

 コップから水を飲ませてくれながら、彼は呟いた。

「そうか。――オレが、泣かせているのか」

 あやすように、彼はわたしの頬と頭を包み込んで。

 その上体をこの身体の上に横たえた。

「頼むからもうしゃべるのをやめてくれ。そう言うことだと知ったらもっと……もっと泣かせたくなってしまう」

 甘い言葉に期待しないように、必死で心に封をしようとする。

「うそ。うそ。――星崎さん、酔ってるんです」

「酔う?」

 でもそれは、うまくいかなかった。

 いつものように、この心のページは。

 身体を起こして微笑む彼の笑顔を前に、あっけなく開いてしまう。

「一滴も飲んでないよ。きみの前ではいつもそうしてるじゃないか」

 誰より大事なきみの前では、と彼は繰り返す。

「成瀬さんには旦那さんがいて、赤ちゃんができたから、今後の仕事をどうするか、いろいろと相談にのっていたんだよ」

「え?……あ」

「さっき、福本と二人でお祝いを渡したら。喜びに感極まって、泣いてしまったんだって」

 ってことはぜんぶ、わたしの勘違い……?

 うすれいく意識の中で、誤解させてごめんねと言う彼に。

 わたしはたった一言、つぶやいた。

 わたしを抱きしめる。

 夢ちゃんと呼んだ、あなたは。

「星崎さん……知ってたの、ぜんぶ……?」

 答えをきく前に、十二時を告げる時計の音楽が鳴って。

 わたしの意識ははるかかなたに落ちて行った。

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