⑤ 痛みと優しさと時間切れ
ギムナジウムの一室で、眠ってるカレ、ジョニーを見つめている。
優しくて紳士で。
でもちょっと大胆で。
あたしの自慢のカレシだ。
今日も最高にロマンチックなデートをして。
でも、なんでだろう。
どこか心にぽっかり穴があいて。
隙間風が吹く気がする。
満たされてるはずの今、たまらなく寂しい気がするのは。
なんで?
ふいに、ラインの着信音がなる。
メッセージは一文。
“部屋の外で待ってる”
ジョニーのものとはだいぶちがう、飾り気も素っ気もない事務的な文章。
ただの、知っている子からの、メッセージが、どこか懐かしくて。
焦がれるような痛みすら感じて。
気が付いたらヘッドから立ち上がって、部屋を出ていた。
♡
メッセージの主は会うなり、紫のバラのヘアピンを差し出した。
「忘れ物だ。このあいだギムナジウムにきたときの」
うけとって笑顔を返す。
「探してたの! ありがと、マーティン」
「カレシにもらったものなら、もうなくしたりするな」
受け取るとき――その言葉にふと違和感がよぎる。
そう、これは、カレシにもらったものだ。
ジョニーに、どういう場所で、もらったんだっけ……?
また、心に冷たい風がふいた。
やだ。
大事な想い出を忘れるなんて。
あたしって最低だ。
「どうかしたか?」
「ううん」
思考を現実に戻さなくちゃ。
「それより、マーティン、夏休みは実家に帰るんじゃなかったの?」
なんでもないように、彼は言った。
「汽車を一本遅らせることくらい、わけない」
でも、その目が、泳いでる。
相変わらず、嘘に慣れてない。
「ううん。家族思いのマーティンのことだもん。一刻も早く帰りたいはず。ヘアピンを返してくれるのだけが目的だったら、ジョニーに託したっていい」
まっすぐに、あたしはカレの目を見た。
「なにか、あたしに用事があるんじゃないの?」
かんねんしたように、マーティンはあたしを見た。
「もも叶の言う通りだ。たしかに、用があって来た。……でも、もういいんだ」
「なにそれ。話があるそぶりを見せて寸止めとかやめて。優柔不断な男子ってイチバンモテないの知ってる?」
ぴくりとマーティンの頬がひくついた。
「きみと違って考え深くて悪かったな。熟考を重ねた結果、話を持ち出さないという選択が最善だという結論に至ったんだ。時間をかけて考える能力は算数や国語にも基本だ。もも叶も今から身に着けたほうがいいと思う」
すらすらと言われる言葉がちょっとむかつく。
なんでそこで算数国語がでてくるの?!
「悪ござんしたね。たしかに算数はからきしだけど、こないだの読解はまぁまぁだったんだから!」
「だから、そうやってすぐ怒る短絡的なところが――!」
「怒ってるのは、マーティンもいっしょでしょ!」
たたみかけるような会話のあと、きっとにらみあって。
「――ぷっ」
「あはは」
どちらからともなく、笑い出した。
ヘンなの。
腹が立つのに、楽しい。
何度もしたような気がするの。
こういうやりとりを。
「僕もだ。きみのことは、ずっと前から知ってる気がして」
それからこの優しくて、まっすぐなしゃべり方も。
「ジョニーとつきあってることは知ってても、それでも。僕は」
どきり。
心臓が、懐かしい音を立てる。
これは、ジョニーとのデートでも聞いたことのない音。
続きを聴きたくて、甘い電撃を浴びたように、全身がしびれてる。
それなのに、彼はふっと自嘲して、
「なんでもない。――伝えないことを、選んだんだった」
くるりと向けられた背中までもが、やっぱり見覚えがあって。
「もう僕たちは、会わないほうがいい。きみの幸せを、祈ってる」
待って。
「待って!」
まるで、引力の強い星にそうされるように、あたしはカレの手をつかんでいた。
「いかないで……」
ひきよせられるようにその背中にもたれる。
「マーティン、苦しそうだよ。そんな顔のまま、いったり、しないで」
肩に置いた手に、カレの手が、重なる――。
「苦しんだら、いい」
その声に、全身のちからが抜けて、振り返る。
蒼白な顔をしたジョニーが立っていた。
「僕の今までの痛みを、少しは知ってくれても、バチは当たらないと思う」
その言葉は刃物のようにあたしの心を突き刺した。
「ジョニー。どうしちゃったの。優しいジョニーが、そんなこと」
マーティンがなだめるように言う。
「もも叶。いいんだ。隠れてきみを呼び出した、悪いのは僕だ」
「よくない!」
「きみもだよ、もも叶ちゃん」
やっぱりぞっとするほど冷たい声に、彼を見上げる。
目の前にいるのはほんとうにジョニーなの?
「意地悪だと言われても振り向かせたい。そんな子に、優しくていい人だと言われ続ける苦しみが、きみにはわかるかい?」
その顔は、泣いているようだった。
「ただ、きみに笑ってほしいだけなのに。心から笑わせられるのは僕じゃないんだと、何度も何度も、ひっかき傷をなぞられる痛みが」
あたしが、ジョニーを傷つけてる……?
かすかにわかる事実に胸は痛むけど、それでも、でてくる言葉は一つだった。
「こんなの、ジョニーじゃない。自分の苦しみを人には味わわせたくない。ジョニーはそういう人だよ」
はっとしたように、ジョニーが顔をあげた。
「ごめん。傷つくって言われても、あたしは、ジョニーのことを誰より優しいって想うのは変えられない」
彼の手を、そっと握る。
「だからお願い。そんなひどいこと言わないで。マーティンを悪く言われると、すごく悲しくなるの」
「まいったな」
その身体ごと、抱きしめられる。
「結局いつもこうだ。手ひどくふられてもどうしても嫌いになれない」
ジョニーがあたしの首筋を、そっとハンカチでぬぐうのがわかる。
そういえば、そこにけがをしてた気がする。
やわらかな布につつまれる、優しい感覚。
彼らしい、紳士的なしぐさ。
「アリス。残念ながら、お目覚めの時間のようだ」
その心地よさに、そっと、瞳を閉じた。
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