⑬ 彼の宝物になりたい

 前方より、激しい海風が、全身をなでてきます。

 ただ今、船の外側にしがみついて、用心しながら登っている最中です。

 目的は一路、パーティー会場のてっぺんです。

 どうも、こんにちは。

 豪華客船編クライマックスシーンまっただなかのレポーター夢未です。

 さっき、神谷先生の手際により幸運にも船内地下牢を脱出後、一階デッキより壁をつたって、今にいたります。

 レポーター口調にしてみたのは、そうでもしないと怖くて死んでしまいそうだからです。

 おっ。そうこうしているうちにマストの真上へとやってきました!

 というわけで、いったん現場に返します。

 現場の星崎さん~!

 わたしは息をついて、眼下にくりひろげられる景色を見やった。

 剣を手にした星崎さんとジャックさんが舞うように死闘を繰り広げているのを、ほかの乗客のみなさんは四隅に避難して見守っている。

 どうも、戦況はやや星崎さんに有利みたいだ。

 ふられる剣は力強くジャックさんを船尾すれすれに追い詰めていく。

 このぶんだと、わたしの出番はなさそう。

 ほっと胸をなでおろしたそのとき。

 ジャックさんの緑の目がきらりと、光った。

 一本剣が宙を舞う。

 まだたきするほどの一瞬だった。

 デッキの中央、ちょうど真下で、さっきまでジャックさんを追い詰めていたはずの星崎さんが、床に肩ひじをついて倒れている。その胸のさきには――ジャックさんがつきつける刃が。

 彼の暗い微笑みが、星崎さんの鋭い視線とぶつかり合う。

「疲れさせて、最後に追い込む算段だったとはいえ、すこしあせりました」

 えっ。

 今までのは、作戦だったの?

「僕をここまでてこずらせた相手は久しぶりです。さすがですよ」

 まるで獲物をいたぶるハイエナのような笑顔にぞくぞくと寒気がかけぬける。

 星崎さん……!

 彼を見ると、素早く視線をあちこちに配っている。

 まだあきらめてない。

 形勢を取り戻すチャンスをうかがってるんだ。

 でも、むりだよ。

 いくら彼でも、プロの元海賊さんに追い詰められてしまったんだもの――。

 彼の胸につきつけられた剣はあと数センチでその肌をかすめる。

 ふっとジャックさんが優し気に笑った。

「私怨はないが、宝物のため、あなたには消えてもらいます」

 ――今だ。

 ポケットから取り出した小瓶を両手で包むと――わたしはぱっと、つかまっていたマストの柱を離した。

 ひらりと身体が落下していく。

 そのあいだに、祈った。

 無敵の戦士、アレキウスの、あの立派な盾になることを。

 瓶の悪魔さん。

 わたしの姿を、星崎さんの宝物に変えてください。

 声も出ないほどの鋭い痛みが、全身を貫いた――。

 背中の後ろに、あたたかい感触がする。

 ゆっくりと、目を開けた。

 そこには、大好きな人。

 蒼白なその顔で、彼は、わたしの名前を呼んだ。

「夢、ちゃん……」

「……あ、れ」

 彼に支えられている背中のあたたかさとは違う、どこか不気味ななまぬるい温度を、胸や腕に感じていることに気が付く。

 そう。わたしは血だらけだった。

 目の前の彼の顔も、一秒ごとにかすんでいく。

 わたし……アレキウスの、盾になってるはず、なのに。なんで……?

 ごまかすように、ちょっとだけ甘えて、わたしは笑った。

「星崎、さん。ごめんなさいの、報告です。瓶の悪魔さんに、頼んで。無敵の盾になろうとしたんだけど……失敗、しちゃいました」

「瓶の……悪魔?」

「はい……星崎さんがくれた、本の中の、あれです」

 なんでだろう……? 魔法が利かなかったのかなぁ?

 まわらない頭でただただくりかえすわたしに、震えながら彼が言った。

「報告はもういい。黙って」

 胸元から、小さな光るなにかを取り出す。

 月の光を浴びて輝く銀のそれは、外国のお金。

 彼がそれを、わたしの手をひらいて、握らせる。

「星崎さん……?」

 ふいにいやな予感がして、身体が震えだす。

 しょうがないなというように笑って、彼がわたしを見た。

「オレが祈ってあげよう。夢ちゃんの致命傷が、あっという間に、消えてしまうように」

 星崎さんは、瓶をわたしから買ったんだ。

 一円より安い、一セントで。

「やっ。だめ、星崎さん――」

 必死に身体をよじって抵抗しようとするけど、力が入らない。

 圧倒的な力で引き寄せられてしまう。

彼の唇が、わたしの唇に重なった――。

 優しい海風が全身をなでていく。

 気づいた時には、身体を貫いていた鋭い痛みは、あとかたもなく消えていた。

 かわりに心がとても、痛い。

「よかった」

 肩に顔をうずめてくる彼に、必死に言う。

「でも、でも。これを買った星崎さんは――」

 泣きそうだった彼の目がちょっぴり起こったような光を宿す。

「いい加減に、口答えしないで大人しく守られなさい」

 ぴしゃりと言われて、一瞬言われた通り黙ってしまう。

「地獄なんて、子どもが大人を差し置いて、生意気に背負うものじゃない」

「……でも、でも……っ」

 こんなはずじゃなかったの。

 大粒の涙がほほを伝っては甲板の板に消えていく。

 星崎さんが困ったように笑った。

 そのとき、声がした。

「泣かないで、レディ」

 ジャックさんが、ひどく弱った様子で、立っていた。

「これでさすがにわかったね。僕はきみを刺した。とんでもなく悪い人だった。……がっかりしたかい?」

 まだ崩れない強気な態度。

 でもわたしには見えた。

 たくましいその肩が、かすかにふるえていることを。

「いいえ。ジャックさんは、悪い人じゃ、ない……。生きるために、そこに属さなきゃならなかったって。自由になりたかったって言ってました」

 ずっと思っていたことが口をついて出る。

「争いにまぎれて、海賊団から、逃げ出したんですよね……? 自分の力で生きたかった。それだけだったんですよね」

 ジャックさんの口元から笑みが消えた。

 ほほをなででいた手が離れて、傍らの壁にはめ込まれた高価な鏡に勢いよくたたきつけられる。

 ガラスの割れる音が響いた。

「くそっ。どうしてだ……っ」

 くいしばった歯の隙間からうめくような低い声が、漏れる。

「なぜきみはいつも肝心なところで核心をついてくる。この心を隠し通すことができない……!」

「同じなんです」

 わたしの声だけが、船内にひびいた。

「わたしも、星崎さんも。生まれた家族から、自由になりたくて――」

 両手の指の隙間から、かすかに開いた緑の光が漏れる。

「……そうか。そうだったのか」

 四隅に避難していた乗客のみなさんの中から、一人、派手な赤いお花のついたハットをかぶったおじさんが、進み出た。

「そう気を落とすんじゃないよ、海賊くん。――おや」

 そして、胸ポケットから、光るなにかを取り出す。

「こんなところに、銅貨がある。そうか、ハワイで下船してレストランに入ったときのおつりか。忘れていたよ」

 いたずらっぽくウインクして、ジャックさんの手に握らせる。

「きみに幸運があるように」

 ジャックさんはその銅貨をつまんでまじまじと眺めた。

 水辺船の向こうから明け方のお日様が現れて、一筋の光を放ち、そのコインを照らしだす。

 ふっと皮肉に笑うと、彼はそれを投げた。

 ピン、と小気味のいい音がして、それは星崎さんの前に飛んでくる。

 彼は反射的に、それをキャッチする。

「受け取りたまえ。姫君に守られる、情けない王子め」

 星崎さんは戸惑ったように、コインを見て――呆然とつぶやいた。

「1サンチーム……」

「わかっていると思うが、断じてきみのためじゃない」

 そう言うと、大海原を仰ぐように見た。

「元海賊には、地獄付きの自由がふさわしい」

そしてふっとほほ笑んで、わたしを振り返る。ゆっくりと近づいて――さっと、転がっていた悪魔の小瓶を拾うと、

「さようなら。こりすちゃん」

 海に向かってかけだした彼。

「待って」

 わたしは知らず、呼び止めていた。

「約束してください。必ず自由になるって。地獄からもぜったい逃げ切るって」

 彼はふっとまた皮肉に微笑むと――舞った。

 朝焼けのルビー色の海の中へと。

 あわてて船のへりにかけよって、海原が広がる景色を見渡してみたけれど。

 そこにはもう、人のかげすらもなくて。

 自由な海の波と水平線だけが、どこまでも広がっていた――。

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