番外編 夢ちゃんの風邪の日日誌

① たまごと恋心、とろけて

 これは、わたしが星崎さんとマンションで暮らしはしめたころのおはなしです。

 うさちゃんの掛布団をひざにひいて、わたしは上半身を起こしていました。

 ぴぴぴぴって音がして、腕にはさんでいた体温計をとりだして、星崎さんに渡します。

 ちらと見て、彼はわたしに真剣な顔を向けました。

「随分、頻繁だよね。風邪」

「あい……」

 くしゅん!

 あわてて部屋を見渡してティッシュをさがしていると、星崎さんが差し出してくれました。

「でも、熱もちょっとだし、そのうちすぐ治ぶからだいじょうぶれす」

 なんとなく、天井がぐるぐるまわってるような。

 その景色を認めたくなくて、わたしはあわててぎゅっと目をつぶりました。

同じ時に、背中に彼の手の感触がします。

「今日は学校休もう」

「いえ、わたし行けまふ」

「夢ちゃん」

 目を開けると、ベッドのわきにしゃがみこんで、こっちを見上げる彼の目がある。

「風邪をひくたびにそう言うけど、どうして? ももちゃんたちと会えないのが寂しいからかな」

 うん、それももちろんあるけど。

 なんとなく……いけない気がして。

「お父さんとお母さんは、ちょっとのことで休んでたらくせになるからって、こういうとき休むの反対だったんれす」

 星崎さんは、ちょっとむずかしい顔をして、何か考えているみたいでした。

 でもすぐに笑顔になって、言いました。

「夢ちゃんがいてくれないと寂しいから、今日は一日家にいて、オレにつきあってくれる?」

 部屋から持ってきた毛布に全身くるまれながら、リビングのソファに座って、わたしはぼーっと、目の前のテレビを見ていました。

 大きな画面には、栞町付近のお天気情報が流れているけど、頭にはぜんぜん入ってきません。

 朝ごはん、食べようか?

 少しだけ起きれる?

 星崎さんに優しい言葉をかけられると、いつもこうなんです。

 その言葉がずっと身体の中に残って、包まれるかんじ。

 言葉のお布団にずっとくるまっていたくなるんです。

「お母さんと二人で暮らしてた時は、どんなもの食べてたの」

キッチンから聞こえた彼の声にちょっとだけ心が目を覚まします。

「うーみゅ。コンビニのお弁当とか、買えないときはおにぎりとか」

ちょっと驚いたように息をのむ彼の様子にも、気が付きませんでした。

「おかゆは作るけど、ほかに食べたいものある?」

 うーん。

 ぽーっとする頭で考えても、なかなか浮かびません。

 だって今わたしの頭の中はぽかぽかして、まるでおひさまが照ってるみたい。

 そう考えたとき、食べたいものが、浮かびました。

「たまご」

 星崎さんが、こっちを見るのがわかります。

「おかゆにたまごを入れて豪華にするの、夢だったんです」

「……きみはいったいどんな暮らしをしてたんだ」

 星崎さん、どうして泣きそうになってるの。

でも、お鍋を見つめてお箸をかかげたちょっとシリアスな顔も、やっぱりすてきです。

 そう考えて、ふと気づきました。

星崎さん、なんで静止してるんだろう?

やっと菜箸をもった手が動いたと思ったら、額にもっていかれました。

「……オレ、今なにしようとしたんだっけ」

……ぷっ。

星崎さんでも、こんなことあるんだ。

「火……はもう弱めてあるし、塩も、うん、さっきいれた」

 わたしは冷蔵庫まで行って、おめあてものをとって、星崎さんに差し出しました。

「忘れないでください、大切なしあげです」

真っ白でまんまるのたまご一個。

わたしの両掌から、彼はそれをすっと拾い上げていたずらっぽく笑います。

「あやうく夢ちゃんの夢を叶えるチャンスをふいにするところだった」


 ふわふわ卵のおかゆはとってもおいしそう。

 食欲はあんまりないけど、これなら、お皿の半分くらいは食べられそうです。

 ……食べられそう、なんですけど。

「どうしたの?」

 目の前のレンゲの上に、一杯分のご飯とたまごがのっています。

 それをさしだしてくれているのは、もちろん。

「ほら、口開けて」

 星崎さん……。

「わたし自分でできま――」

 口の中いっぱいに、あまじょっぱいおかゆの味が広がりました。

「弱ったときに甘えることも覚えなきゃ」

 ふいに、身体がふわっとして。

 あまりの気持ちよさに目を閉じました。

 毛布に包まれた身体が、さらに、大好きな人の腕に抱かれているんです。

「ほかに、なにかしてほしいことはある?」

 体は重くてだるいけど。

 なんて幸せなんだろう。

 いつも思ってたあのこと。

 これは、言えるかな。

 うん、言ってみちゃっても、いいかもです。

「じゃ、じゃぁ、その。呼び方のことなんですけど」

 斜め上からのぞいてる星崎さんの目が、ちょっぴり意外そうに開かれました。

「星崎さん、わたしのこと夢ちゃんっていつも。そう呼ばれるのもすごく好きなんですけど」

 ふとほほ笑んで、彼が真剣な目で言いました。

「ハニーって呼んだほうがいい?」

 !

じゃ、わたしはダーリンなんて……。

「そ、そう言われると、それもいいかもっていう気もしまふ」

「夢ちゃん、ここはつっこむところだと思うんだけど」

 え。ということは。

「……ぼけ、だったんですか」

「わかりづらかったかな」

「星崎さんの冗談と本気の違いは……いつもすごく、むずかしいでふ」

「じゃぁ、まじめに聞くけど。夢ちゃんを夢ちゃんって言う以外に、なんて呼べばいいのかな」

わたしはちょっとつまって、うつむきました。

 やっぱり、恥ずかしいな。

 ええい! 勇気を出して。

「できたら、呼び捨てにしてほしいんでふ」

 きゃっ。言っちゃった。

 恋人同士でもないのに、ずうずうしいって思われたでしょうか。

「夢ちゃんを?」

「はい」

 恥ずかしくて、彼のまっすぐな目を、見ていられませんでした。

「ほほ、星崎さん、わたしのこと家族だって言ってくれたから。だからもっと、ほんとの家族みたくなりたくて」

 言い訳みたく言ってしまった言葉はうそではないけど。

 ほんとはただ、彼に一度だけ『夢未』って呼ばれたとき、胸がきゅんと狭くなって、そのあと、とっても幸せな気持ちになったからなんです。

 星崎さんはわたしを抱えたまま立ち上がりました。

「考えとくよ」

 部屋のベッドに運ばれながら、いつもより重いあたまでわたしは考えていました。

 保留かぁ~。

 ちょっと残念。

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