⑭ 現れた怪盗ルパン ~夢未の語り~
大丈夫かな、せいらちゃん。
坂本さんにせいらちゃんを持って行かれちゃって、今は星崎さんのところに戻る 途中。突然声をかけられたの。
「また会ったね、マドモワゼル」
そこにいたのは、黒いスーツにウェーブの髪の――。
「榛原さん。どうして」
ワイングラスを持った榛原さんは微笑んだ。
「この船は僕の所有でね」
「そうだったんですか! すっごい。榛原さんて、お金持ちなんですね」
「世界中の富を盗んで回っていれば、まぁそれなりにね」
ふふふ、また冗談。
笑っていると、いきなりぐっと顔を近づけられて――。
「相変わらずいい笑顔だ。だが、心の涙の方は乾いたかな」
「……」
心配してくれてるんだ。
「榛原さんが見せてくれたせいらちゃんの手紙。あれのおかげで、なんとかがんばる作戦が見つかって実行中なんです。うまくいくって信じてるんですけど。なにか、心にぽっかり穴があいてる感じなんです。なにか大事なものを……忘れてるような」
それがなんなのか、ずっとわからないんだ。
それなのにあっさり、榛原さんは言ったの。
「君自身のことじゃないのかい」
「わたしの……?」
「君のご友人と同じく君もまた、自分のことを忘れがちだ。恋はうまくいっているのかな」
すっと、言葉が出た。
今まで、ももちゃんやせいらちゃんにさえ言ってなかった言葉。
「今までは、大好きな人と、大人になってデートできたらとか、かわいいって思ってもらいたいとか、いつかお嫁さんになりたいとか、そんなこと考えて、それを友達と話すのも楽しくて。幸せだったんだけど」
たぶんこれは、今まで自分でも気づいてなかった、想い。
「でも最近、彼が笑ってるのを見てると、それだけですごく静かな気持ちになって。この人が毎日、不安なことがなくて幸せだったら、それがいちばんいいやって思うんです。星崎さんの心を、なにがあっても、守りたい。彼が幸せなそのとき、となりに、わたしがいなくても」
「でも、それでは」
どこか憤慨するような、榛原さんの声が響く。
「愛しい彼のもとからいなくなるとしたら、君はどうなってしまうというんだい」
「どうだろう。たぶん、どこかで一人で暮らしていくと思います」
「それは……あまりに、切なくないかい」
「切ない? どうして? わたしの一部は、星崎さんの支えになれるのに」
力なく、榛原さんが言った。どうしてか、途方にくれてるみたいだった。
「そんなに、大事な気持ちなのかい?」
「……はい」
「そうか」
一度うつむいてあげた、榛原さんのその顔は、笑顔に変わってた。
「それじゃ、このあいだのハロウィンではその大切な恋心なんか狙われてしまって、大変だったね。大健闘だったそうじゃないか」
――え?
「まぁ、あのような無粋な魔族相手だったら君ならば当然かな。もし僕なら、心の中のブーフシュテルンなど狙いはしない。どんなに美しくとも、きらきら光るだけの単なる象徴に用はない。美しい心の持ち主そのものを狙うね。君もそう思わないかい? 本野夢未嬢」
榛原さんのその瞳が、紫の宝石みたく光ってる。
そのスーツが一瞬、翻るマントとシルクハットに見えた。
これは、あの本を読んでいたとき、わたしが心に描いた姿。
「あなたは……!」
狙った獲物は逃さない、それなのに女性や貧しい人に優しい、不思議な泥棒。
「怪盗ルパン……!」
「さすがだ」
榛原さん、ううん、ルパンはゆっくり囁いた。
「どうだい。夢未ちゃん。その美しい恋心の向かう先を、少し変えてみないかい。 僕なら、純真な心にそんな悲壮な決意など抱かせはしない」
「それは、できません」
きっぱりとわたしは言った。
「予告しておこう。君はいつか、必ずその美しい感情の行方を変える。そのとき、君をいただきにいくよ」
夜空みたいな黒いマントが広がったのが見えた気がして、あわてて目を擦ったら。もうそこに彼の姿はなかった。
――ルパンは、榛原さんだった……!
となると、坂本さんはルパンの変装じゃない……?
一人、じっと考えていると、後ろからちょっと怒ったような声がした。
「随分と楽しそうだったね、夢ちゃん」
「星崎さん!」
「夢ちゃんのタイプが怪盗ルパンとは知らなかったよ」
いつになく胡乱な感じでいちごジュースを差し出してくれると、ちら、と彼は夜景を見やる。
なんか、寂しそう。
温泉のときと違って、今度はほんとみたい。
「あの、星崎さん、どうかしましたか」
一瞬こっちを見て、彼はぼそり。
「……たいしたことじゃ、ないんだ」
余計気になるっ。
「星崎さん、話してください。わたしと星崎さんは、家族なんですよね。それなら、隠し事は、なしです」
「ありがとう、夢ちゃん」
ちょっとだけ視線をそらして。
彼は言ってくれた。
「……一応今日、誕生日なんだよね」
目から鱗、どころか、星が飛び出た感じ。
そっか。
な~んか忘れてると思ってた!
心に穴が空いた感じは、これだったんだ!
って、納得してる場合じゃない!
「ごごご、ごめんなさい星崎さんっ! わたしってば、せいらちゃんのことに夢中で!
完全にノーマークでしたっ」
好きな人の誕生日を逃すなんて。
うわー、文学乙女失格だ。
「あの、遅れちゃったけど、今からでもプレゼント、用意していいですか。なにがいいか、わたし一生懸命考えて、悩みぬいて、選ぶので――」
どこかぶすっとして、彼は言った。
「遠慮しておくよ。夢ちゃんを悩ませるのは本意じゃないからね」
星崎さん。
ひょっとしていじけてる?
「悩むくらいなら、いっそのこと頭をからっぽにして、一つのものだけオレにくれるっていうのはどうかな」
「もちろんです。なにがいいですか?」
そう言った途端、ひっ。
ぐっと背中を引き寄せられて。
「君の唇がほしい」
……空耳?
「怪盗ルパンがどうしたって。君をそう簡単に渡してたまるか。オレが許さない」
きっと、わたしの妄想だ。
「だから、今夜はオレだけを見てろ、夢未」
でも、妄想にしては背中に回された腕の感触が確かで。
動けない……!
どうしようって思ったそのとき、ぱっと身体が自由になる。
「なんてね。そろそろディナーでも食べに行こうか」
彼は何事もなかったように微笑んで、歩いて行っちゃう。
わたしは急いで追いついて、飛び上がって――星崎さんの肩にしがみついた。
「星崎、さん」
なにも言わないまま、その背中が止まる。
「ミステリアスな怪盗さんもいいけど、わたしはやっぱり、普段優しくて、たまにどきっとさせてくれる王子様のほうが、いい……」
渾身の勇気を出して――後ろから、彼の頬に、軽く口を触れさせる。
「夢ちゃん」
振り返らないまま、彼が言う。
「誰が聴いているかわからないところで、あまり、かわいいことを言わないでくれる」
彼に飛びついて、宙に浮いてる足が支えられる。
え? これって?
星崎さんにおんぶされてるっ。
恥ずかしいっ。
「降ろしてください。わたしもう六年生――」
平然と歩いて行きながら、星崎さんは言ったんだ。
「今はだめ。ディナーの席までこうさせて。誰かにさらわれてしまいそうで、本気で心配になってきたから」
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