⑱ 恋のリトマス紙は危険つき ~夢未とせいらの語り~

 キャサリンさん、せいらちゃんをどうするつもりだろう……。

 なにか、なにか手助けする方法は……!

 わたしとももちゃんが、どうすることもできずに見守っていると。

「夢未……。もも叶……」

 かすかに声がした。

 声は黄色い光になって、わたしとももちゃんの真ん中に現れたの。

 光は徐々に、女の人の形になっていく。

 まとめ髪に、ふちなし眼鏡。

「モンゴメリさん……!」

 急いできてくれたんだね。

 おしゃれな若草色のワンピースの裾を今はたくしあげてる。

「あなたたちがリトルプリンセスへ向かったと庭師のチトに訊いて、急いで来たの。メリーポピンズから、一瞬で目的地に辿りつける方位磁石を借りて。オルコットに物語占いをしてもらったから、なにが起きたかはだいたい把握してるわ」

「モンゴメリさん、せいらは大丈夫かなっ……。あのキャサリン、悲劇を起こすとか言ってるけど」

 すがるように言うももちゃんに、モンゴメリさんは深刻そうに頷いた。

「『秘密の花園』から、恋のリトマス紙が一枚なくなっていたの。懲りない海の魔女がまた盗みに入ったらしいわ。それも、あるお金持ちの誰かさんに頼まれて」

 言いながらモンゴメリさんは眼鏡の奥からきつく、キャサリンさんを睨んだ。

 睨まれたキャサリンさんはからからと笑う。

「そうよ、モンゴメリ嬢。海の魔女にお金を渡して『恋のリトマス紙』を盗ませ、ついでにお姫様にプレゼントしてあげてってお願いしたのはこのあたし」

 せいらちゃんが叫ぶ。

「あのときの海の魔女、怪しいとは思ったけど、あなたが仕組んだことなら、やっぱり罠だったのね?! くっ。あたしとしたことが。ついかみやんのファイルに挟んじゃったわ……!」

 モンゴメリさんの額にうっすら汗が浮かぶ。

「まずいわ。恋する相手の持ち物に挟んで、気持ちを診断するリトマス紙には危険がついてくるの」

 わたしとももちゃんは顔を見合わせる。

「リトマス紙の色によって危険度の段階があって、大きな危険ほど相手の気持ちがはっきりわかる。店から盗まれていたのは、『青い城』のリトマス紙。ついてくる危機は……最上級」

 使いようによっては危険な商品だから、戸棚の一番奥に厳重にしまっておいたのに、とモンゴメリさんは顔を覆う。

「なに、それを使ったせいらに、なにが起きるのっ」

 ももちゃんが必死で訊いてる。わたしにはわかったけど、恐ろしくてとても……口に出せない。

 『青い城』はモンゴメリさんのロマンス小説。

 その後半で、ヒロインの好きな男の人が、ヒロインをどう思ってるか、はっきりとわかるシーンがある。

 それは、二人が線路の上を歩いているとき――。

「モンゴメリ嬢、一足遅かったようね。リトマス紙を使ってしまったらその代償は絶対なの。危機は必ず訪れるわ」

 キャサリンさんが勝ち誇る。

「そんな……」

 たまらなくなったせいらちゃんが声をあげた。

「あたしのせいで、かみやんを危険な目に遭わせるなんて、だめ。今、行くわ」

「来るな、せいら」

 神谷先生の静止もきかずに、せいらちゃんは駈け出して――。

 止まった。

 わたしはあんまり怖くて、悲鳴も出なかった。

 『青い城』と同じ展開が、起きようとしてるんだ――。



 かみやんに向かって走り出した第一歩目で動けなくなって、あたしは心で叫んだ。

 なんで?

 どうして、この肝心な時に足が動かないの?!

 あたしは足元を見た。

 線路と線路の切り替えしのところにミュールが挟まってる!

 もう、抜けて、足!

 ありったけの力を込めて足を引き抜こうとする。

 そのとき。

 嵐みたいな轟音がした。

 そっと、音のする方を見る。

 あたしが立ってる線路の向こうにある、もう廃車になってるはずの黒い汽車が、ものすごい汽笛を上げたの。

 汽車はそのまま走ってくる。

 どんどん、ものすごいスピードになって、こっちに来る――。

 頭が真っ白になって、何も考えられなくなる。

 そこから先は、スローモーションみたいだった。

 目の端で、両手を縛られている縄をかみ切って、こっちに走ってくる人が見える。

 その人はあたしの目の前まできてしゃがみこむと、線路から足を引き抜こうとした。

 自分がなにを言ってるのか、わからないまま、あたしは叫んでいた。

「汽車が来るっ、だめ、向こうへ行ってっ」

 彼はあたしの足をどうにかしようとするのをやめないまま。

「断る。……行って、たまるかよ」

 情けない声であたしは叫んだ。

「行って! 死んじゃうよ。かみやん……!」

 がたがた、大きく震えるあたしの手から、なにかが落ちる。

 かみやんはそれを拾い上げた。

 銀のタイピン――。

 彼は迷わずその先で、あたしのミュールの紐を絶ち切った――。



 神谷先生が線路に挟まったミュールからせいらちゃんの足を引き抜いて、そのまま二人は線路の外に倒れこんだんだ。

 汽車は二人がいなくなった線路をものすごい勢いで走って行っちゃった。

 キャサリンさんは茫然としてる。

「どうして。あのリトマス紙の起こす危険は最上級な、はず」

 その前に立ったのは、モンゴメリさんだった。

「その通り。命を落とすこともあるわ。ただしそれは、リトマス紙で測った相手の想いが、使い手を救うほどには大きくなかった場合」

 キャサリンさんはその場に座り込んだ。

 力なく笑ってる。

「どうやら、悲劇の創作は失敗ね」

「キャサリン」

 彼女の視線を追ってモンゴメリさんはしゃがみ込んだ。

「あなたが望んだのは、ほんとうにほかの女性を悲劇に道連れにすることだったのかしら」

 地下室に、凛とした声が響く。

「愛してはいないお金持ちの人か、愛しているけれど地位のない人か。その選択で迷い、好きでない人と結婚してしまったあなたの気持ちは、わたくしにはよくわかるわ」

 優しくモンゴメリさんは微笑んだ。

「地位の低い者だと蔑まれることは誰だって怖いものね」

 キャサリンさんが顔をうつむけた。泣いてるみたいだった。

「けれど、そのために苦しみ、命を落とすことになったあなたの生涯は、決して無駄なものではないわ。愛に背く生涯の悲惨さを、そしてそれを女性に強いる世間の悲惨さを、後に生きる人たちに伝えているの」

 キャサリンさんは顔を上げた。

「あたしの、身を引き裂かれたこの悲しみに、意味が……あるの?」

 モンゴメリさんは静かに頷いた。

「もう土にお帰りなさい。そして、愛する人と一緒になるのよ」

 キャサリンさんの身体が透き通ってく。

 歪んでたその顔は、もとのように無邪気な美人さんに戻ってる。

「今行くわ。あたしの愛する人……。やっと側にきてくれたのね」

 キャサリンさんはわたしたちには見えない、遠くにあるなにかを見てる。

 そんな気がした。

「思い出した。あたし、『嵐が丘』の物語が終わるとき、思っていたの。静かで、満たされていて。こんな気持ちを、他の女の人にも持ってもらいたいって。できれば、そう、生きているうちにね……」

 そっと一筋の涙を残して、キャサリンさんの姿は空へ消えて行った――。

「さて。それでは」

 モンゴメリさんはあたしたちに向き直る。

「危機を乗り越えた二人を、本の外の世界へ届けてあげましょうか」

「モンゴメリさんっ」

「せいらと神谷先生は」

 わたしとももちゃんはそれぞれ、二人に駆け寄りながら恐る恐る訊く。

 そう。

 線路の外に倒れてから、ずっと、二人とも動かないの。

「気を失っているだけよ。恋のリトマス紙の危険が与える恐怖はとてつもないから」

 ……なんだ。

 よかった。

「それだけに、すばらしい判定結果だったのは否めないけれど」

 モンゴメリさんはそう呟いて、メリー・ポピンズの方位磁石を取り出して、針を回した――。

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