② 念願デート始動

 栞町駅から電車に乗って、あたしは奥付っていう駅のロータリーにいた。

 悩みぬいたすえ、本日のファッションは白地に水色のチューリップ柄のワンピースと、頭に青いバンダナカチューシャ。

 いつも塾に行く途中に見慣れた風景が、輝いてみえる。

 ここに彼が迎えにきてくれるの~。

 まだかしら。

 後ろからぽんぽんと肩をたたかれる。

 あたしはぱっと振り返った。

「おそーい! でも許してあげる。今日はそういう気分だから」

 そこには、真っ白い髪に、腰を曲げたしわしわの……彼?

「お嬢さんや、すみませんが、奥付老人ホームへの道は、どっちでしたかのう?」

 心で泣いて、顔では笑って、あたしはおじいさんに道を教える。

「やぁぁ助かったよ。ありがとさん」

「いいえ、お気をつけて」

 ……。

 さらに待つこと五分。

 日差しが眩しいわ。

 あたしは軽くうつむいた。

 あたしの影がアスファルトに落ちてる。

 するとそれが背の高い影に隠れた。

 あたしはすぐに顔を上げた。

「かみやん。いいの。ちょっと待ったけど、気にしないで」

 彼が日陰になってくれて、涼しい。

 大きな陰って便利ね。

 って、彼ってこんなに巨体だった?

「うっす! あいすみません、ちょっとお尋ねしたいっす! 奥付空手道場はどちらでしょうか」

 あたしは、白い道場着のお兄さんに、丁寧に、道を教える。

「どうもっす! 自分、今日大事な試合なんで、助かりました! それでは、おすっ」

 ……。

 こんなとき、お人よしお嬢さんに見える自分の外見が恨めしいわ。

 さらに、五分くらい経ったとき。

 黒のラインの入った白い車が、あたしの前で止まった。

 運転席の窓が開いて、黒いサングラスをかけた中の人がこっちを見る。

「すみません、僕の待ち人はどちらですか」

 今度はヘンなやつ。……勘弁してよ。

 ぴきっときたあたしは叫んだ。

「そんなのあたしが知るか! あんたがもたもたちゃらちゃらしてるから、とっくに帰ったんじゃないの?! 出直してきなさい!」

「悪かったって。そんなに怒んなよ。今朝いきなり塾に呼び出しくらってなんとか一仕事片付けてきたんだ」

 ……え。

 この声。

 彼が、サングラスをとった。

「よ、せいら。待たせたな」

 さっきもちょっと言ったけど、彼は塾の神谷先生。あだ名はかみやん。

 口調はいつもと変わらないけど、いつものスーツじゃなくて、白いシャツに、ジャケットを羽織ってる。

 つい、どきっとしちゃう。

 でも、そんなことは表に出さない。

「きょっ、今日はよろしくお願いします」

「おう」

 わたしはお辞儀すると、かみやんが車のドアを開けてくれる。どきどきしながら、となりの助手席に失礼する。

 走り出した車は街を抜けて、あっという間に海岸沿いの道路を走ってる。

 心の中では悲鳴も悲鳴。

 やだーっ。

 プチ切れたところ見られたー(泣)

「かみやん、さっきのはね」

 違うの、と言おうとすると、彼が先に口を開いた。

「ごめんな。駅のロータリー、暑かったろ。家まで迎えに行かなくてよかったのか」

 と、とりあえず、あたしのさっきの醜態は気にしてないみたい。ほっ。

「う、うん。いいの」

 ほんとはおうちまで好きな人がお迎えって憧れだったけど。

 これは秘密の恋なのよ。

 ちら、と横で運転してる彼を見る。

 片手でハンドルを握るその姿の似合うこと。

 普段黒板の前にいるのとはまた別人だわ。

 悔しいけど、かっこいい。

 ふいに目が合って、あわてて反らす。

「どうした。ぼけっとして。らしくねーな」

 むむっ。

「ぼけっとなんか、してないわっ」

 見惚れてたのよ。

 とか、言えるはずもなく。

「なに、緊張してんの」

「緊張してなんか……っ」

 うっ。

 どうしよう。

 力み過ぎて気持ち悪い。

 あたしは下を向いた。

 風にあたれよって、かみやんが窓を開けてくれる。

 あたしは窓から大きく息を吸って、吐き出した。

 ふぅ。なんとか回復。

 もう、開き直るっきゃないわ。

「そうよ、してるわよ。心臓ばくばくよ。悪いっ?」

 かみやんは前を見たまま、ふっと吹き出す。

「今からそんなんじゃ一日もたねーぞ」

 ……っ。

 彼が運転する車はあたしを乗せて、海に向かって一直線に走って行く。



 車が止まったのは、『青い花公園』の駐車場。

 海辺のある大きな公園なのよ。

 目の前に広がる、ダイヤモンドみたいにきらきら光る海に感動して、あたしはさっそく浜へダッシュ。

 海風に吹かれて、深呼吸してたら。

 顔の横に、何かが差し出される。

 チョコとバニラのミックスのチョコレートだわ。

「ありがとう、かみやん。でもあたしの好みはチョコミントね」

 彼はもう片方の手に持った自分用のミックス・ソフトをなめながら、

「ミントもミックスもたいして変わらんだろーが」

 なんて言うから。

「あら、大違いよ。かみやん、そういうとこ意外と大雑把よね」

「そうか?」

「塾でいつも使ってるファイルに挟んである書類だって、方向が揃ってないし」

「……よく見てんな」

 当然よ。

 彼に関する観察眼にかけては自信あるわ。

「それだけじゃない。お調子者でしかも、情に流されるとこもあるわ。授業中集中がとぎれた男子たちに、『おもしろいこと言ってー』ってリクエストされると、ついついのせられちゃうでしょ」

「う」

 ふふふ。彼のギクッとした顔、もっと見たい気がする。

 かみやんはソフトクリームのコーンについてた紙をくしゃっとやって立ち上がると、すたすたと浜辺を歩いて行った。

「もう怒った。せいら、一発勝負だ。行くぞ」

 勝気に笑うその手には、赤白青の三色が入ったビーチボールが握られてる。

「望むところよ!」

 すたたっと走って、かみやんと相対する。

「くらだないもんばっか見つけてるひまあったら、かっこいい彼氏でも、見つけろっ」

 カラフルなビーチボールが回転しながらこっちに飛んでくる。

 あたしは、それを受け止めた。

「それは無理」

 そして、もう一度、トス。

「かみやんよりかっこいい人なんて、いるわけないじゃないーーっ」

 ざざーっと波の音がして、かみやんは音もなく、片手でボールを受け止める。

 ふっと肩を上下させて、彼は呟いた。

「……ばーか」

 彼の手を離れたボールが大きな半円を描いて飛ぶ。

 それは青い空の彼方、どこまでも、どこまでも飛んでいった。

 もう戻ってこないんじゃないかって思ったけど、ボールはちゃんと落ちてきた。

 あたしが今いる場所より、ずっと後ろに。

 受けなきゃ。

 あたしは砂浜を後ろに下がる、下がる……。

 あ……。

 サンダルが砂にとられて、後ろにそのまま転ぶ――っ。

 と思った瞬間、ふわりと身体が起こされた。

 背中を、支えられたんだ。

 視界は空の青と、斜めから覗いてる、彼の顔。

「かみやん」

 幸せなのに。

 悲しくなる。

 いつもそうなの。

 彼のことで幸せなとき、もっと幸せがほしくなって、それで、それが絶対に手に入らないってことを思い知る。

「泉先生と、婚約してるのね」

 急に空が雲に覆われて、日の光が遮られる。

 彼から表情が消えた。

 今日で最後。それもこの一言。

 あとはもう訊かないって、決めてきたの。

 困らせるのは、おしまいにする。

 彼がじっとこっちを見て。

 静かに、頷いた。

 どこかで、わかってた。

 どうして、もっと早くあたしの前にきてくれなかったの。

 そしたら、あなたのことたくさん楽しませる用意があったのに。

 彼女よりも、きっと。

「泣くなよ」

 目の前が曇って、そう言う彼の表情は、見えない。

「……そういう顔させたいわけじゃねーんだよ」

 なんでそんなに苦しそうに言うの?

 あたしが悲しいから、一緒に悲しんでくれてるの?

 やめてよ。

 そういうことするから、この気持ち、また大きくなる。

 急に、海が真っ二つに割れたかと思うほどすごい音がして。

 雨が降って来た。

 土砂降り。

 彼があわてて辺りを見回す。

「夏の嵐ってやつか。せいら、車まで走るぞ。……せいら?」

 あ……いけない。

 雨に叩かれる身体は寒いのに、すごく暑くも感じて。

「お前、震えてるじゃねーか」

 ちっと、かみやんがあたしを抱きかかえた。

「調子悪かったの、最初からだな。子どものくせに無理しやがって」

 彼に抱えられて車に運ばれながら、あたしは呟いていた。

「だめ……」

「どうした、苦しいか」

 彼の襟をつかんで、必死に訴える。訴えてるうちに、咳がでてきて、余計に焦る。

 どうしよう……。

「今日……こほっ、海に連れてきてもらったら、ふつうの先生と生徒に戻るって……こほっ、決めてたの。だから、ここでさよならしな……きゃ……」

 あたしが声を出せたのはそこまでだった。

 急に頭がぼうっとして、意識を保っていられなくなったの――。


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