㉔ カレのひみつの望み
中央公園の柱時計が五時を刻んだ。
でも帰りたくなくて、あたしはベンチにすわってむっつりしていた。
考えるのはマーティンのこと。
別れ話切り出されたときは、心の中で彼の胸を何度も殴った。
けど。
あたしのために、なにかを隠してるってほんとうなのかな……。
今、いったいどこにいるの?
『僕たち、これからも会ってていいのかな』
彼の苦しげな顔が頭から離れない。
あたしは立ち上がった。
帰ろう。
まさにそのとき、公園の入り口に足をひきずるような音が聞こえたんだ。
横目にだってわかる。
その紺のブレザー。濃い茶色の髪。
ずっとずっと会いたかった人。
なのに。
「なに。もうあたしとは会いたくないんじゃないの」
うわー。
あたしのバカ。
つい、いじわるな言葉が出る。
「なにか言ってよ、マーティ……」
目を向けて、あたしは息を飲みこんだ。
マーティンはぼろぼろだった。
服もはちきれて、顔もすりきれて、腕や足、口からも血を流してる。
「どうしたの!?」
まさか。
あたしが心で殴ったから?
って、なわけあるか!
「わかった。けんかしたんでしょ。もう、意外とかっとなりやすいんだから。自分の主義のためっていうのもいいけどさ、もうちょっと後先考えて」
ベンチに座って膝に彼の頭を横たえると、水飲み場で濡らしてきたハンカチで顔を拭く。
「マーティンってさ、そういうとこあるよね。普段冷静にみんなをまとめるくせに、キレると周り見えないじゃん」
そう言うと、マーティンは絶え絶えの息で言い返してきた。
「……もも叶だって。強引だし、気が強いじゃないか。暴漢に向かって行ったり、女の子としてはどうかと、思うことだって、平気でする」
それはわるうござんしたね。
いくらあたしだって、こんなになるまで戦ったりしないっつーの。
どこの誰とどういう事情でやりあったのか知らないけど、ちょっとは反省しなさいよ。
そう言ってやろうと口を開いた時、弱った声で彼は言ったの。
「そういうもも叶に、どうしても、会いたかった」
どきっと胸が音を立てる。
傷らだけの顔で彼は微笑んでた。
「会って伝えておきたかったんだ。君に」
うっすらとマーティンは目を開いた。
「好きだよ」
――。
「君のことが好きだ」
かっと顔が熱くなる。
「一緒にいたいって思ってる。故郷を、全部を捨ててでも」
マーティン……。
どこかからか声がした。
キスして。
早く。
夢の声に、似てたかな。
あたしは彼の少し弱った、まっすぐな目に誘われるままに顔をかがめた。
彼の口元に、近づいて行く。
マーティンは驚いた顔をしたけど、すぐに、もう一度微笑んで目を閉じた。
そのとき、五時の鐘が鳴った――。
それと一緒にカラスみたいな甲高い笑い声が聞こえて来たの。
「惜しかったね、坊や。あたしの勝ちだ」
マーティンの身体の周りにいくつもの頭を持つ緑の蛇が束になった蔦が現れて、あっと言う間にきつく巻きついた。
蔦の先を持ってるのは深緑のドレスを着た、海の魔女。
あっと思う間にあたしの膝からその手元にマーティンが引き寄せられる。
「さぁ、本の中に帰るんだよ。そしてあたしの奴隷におなり。永遠にね。メルヒェンガルテンに戻ったら、さっそく仕事を与えてやるからね」
マーティンは返事しない。
不気味な蔦に絡まれて、女の人の側でぐったりしてる。
微かに汗をかいてて顔も赤い。
あたしはやっと気づいたんだ。
彼、熱があるんだ。
ばかっ。
なんで早く言わないの。
女の人に向かってあたしは鋭く言った。
「おばさん、マーティンを返して! なんか知らないけど空気読んでよ。今は割って入っちゃいけないとこだったよ、絶対!」
あははと女の人はおかしそうに笑った。
「おやおや、あたしはむしろ完璧に空気を読んだつもりだけどね。愛し合う二人を突然引き裂く影! ドラマティックな展開の王道じゃないか」
「うっ。そう言われると」
って、納得してどうするあたし!
「そして、今時ハッピーエンディングは流行らない。これからのトレンドは悲劇なのさ。それじゃ失礼するよ。ごめんねお嬢ちゃん。これも契約だから」
魔女は黒く長い爪を振ると、マーティンと一緒に消えてしまった。
「マーティン!」
あたしは茫然と立ち尽くした。
でも、すぐに我に返る。
しっかりしなきゃ。
彼は、あたしといたいって、言ってくれたんだ。
あたしは、ポケットからスマホを取り出して、応援を呼んだ。
❤
まず、公園にきてくれたのはせいらだった。
「ももぽん、大丈夫!? ごめんなさい、塾の学期末試験が終わった直後でちょっと手間取ったの」
それってせいらにとっては、神谷先生とのデートがかかってる大事な試験。
終わったあとでよかった。
せいら、ごめんね……!
段取りのいいせいらはさっそく本題に入ってくれる。
「それで、マーティンくんが誘拐されたってどういうこと?」
あたしは今起きたことをなるべく手短に話す。
「『人魚姫』に出てくる魔女に捕われの身になってる……!?」
せいらは状況を整理しようとしてるみたい。
そりゃそうだよね。ふつうに生きてたらこんなことあり得ないもん。
整明晰な頭脳で整理を一瞬で終わらせたのか、せいらはすぐに語り出した。
「実はさっき夢っちがメールをくれたの。マーティンくんが、海の魔女と危険な契約をしてるって」
そういえば! あのおばさんも、契約がどうのって言ってた!
「おそらくマーティンくんがさらわれたのも、その契約のせいね。いったいどんな内容なのかしら。それさえわかれば、それを白紙に戻す方法も見つかりそうだけど……」
せいらが額に手を当てて考えてくれる。
「ももちゃん、お待たせっ」
夢!
「遅くなってごめん」
はぁはぁと息を整えると、夢は一気に言った。
「マーティンと魔女さんの契約内容を知るのに、いい方法があるよ。来る途中、星降る書店からメルヒェンガルテンによって、モンゴメリさんにもらってきたんだ。はい、これ」
夢は金の取っ手のついたベルをあたしに渡してくれた。
『秘密の花園』の便利グッズ、ディナーベルだ!
「なに、それ? レストランで、ボーイさんを呼ぶベル?」
一人きょとんとしているせいらに、夢が説明する。
「これは、ピンチのとき、本の中の登場人物を呼び出して力を貸してもらえるベルなんだ」
「ええっ。すごいわ」
「ももちゃん、もう一度、『クリスマスキャロル』の過去の幽霊さんを呼ぼうよ!」
えっ。
うーん……。それはちょっと考えるな。
実は前、過去に行きたいときに、『クリスマスキャロル』っていうイギリスの本に出てきて、主人公に過去の世界を見せたっていう幽霊を呼び出したことがある。
でもやってきたのはその弟子の、まぬけな幽霊だった。
年単位じゃ過去に遡れないって言われて、数時間前に戻ったんだっけ。
あの時はマーティンのアイディアでうまくいったからよかったけど。
「大丈夫。マーティンが魔女さんと契約したのは、昨日なんだよ!」
あたしは身を乗り出した。
「夢、それほんと?!」
「うん! 昨日メルヒェンガルテンで、海の魔女さんのところに向かう彼を見たんだ。ほんとは追いかけたかったんだけど、魔女さんの魔法の波に邪魔されてできなかったの。ごめんね……」
夢……。
自分だって危険なことになるかもしれないのに、あたしのために、そこまで。
「時間を少ししか遡れないなら、すぐにでもその幽霊とやらを呼んだほうがいいわ。こうしているうちにもどんどん契約が過去のことになっちゃう」
せいらも、この状況でちゃんと話についてきてくれてるにとどまらず、リードまでしてくれてるよ。
二人とも……。
って、今は感動してる場合じゃない。
あたしは夢からベルを受け取って、一番星が顔を出した空に向かって振りあげた。
――リン。
呼び出しの音が、鳴る。
「アロ~ハ。今回もまた僕に用かい~?」
その幽霊は、アロハシャツを着てハンモックに横たわって登場した。
イギリスの幽霊なんじゃなかったんかい。
「ロンドンの冬ってそりゃ陰気で辛くてね。ハワイでバカンス中だったのさ~」
「なんだか、気が抜けるわね……」
でしょ? せいら。
「頼むから、気合入れてよね。今から昨夜のメルヒェンガルテンの海に連れてってもらうから」
あたしはてきぱき指示を出す。
「えぇ~? 一日前でいいの? せっかく休みに入る前に修行して、かなり前まで遡れるようになったのに」
あそう。じゃ次はあたし達の生まれる前の栞町でもリクエストしてあげるから。そう言おうとしたら、
「頑張って、一週間までも遡れるようになったんだよ! 僕ってすごくな~い?」
ゆらゆら、幽霊の寝ているハンモックが揺れる。
「わかったすごいすごい。だから早く昨夜に」
「このぶんだと、お師匠様を超える、超有名幽霊になっちゃうかもなー」
「うんきっとそうだね。でさ、早く過去に」
「そうなったら、ソーセージどころじゃないぞ。毎日ステーキが食べられる」
幽霊は気持ちよさそうにハンモックにゆられて、ぜんぜん話を訊くそぶりを見せない。
やっと揺れが収まったと思ったら、
「あのさ、用があるなら早くしてくんない? 僕、本来今労働時間外なんだけど」
ぷっちん!
「だからさっきから頼んでるでしょっ! こっちは緊急事態なんだよ、この呑気幽霊!」
「ももちゃん、抑えてっ」
「そうよ。この幽霊の機嫌損ねたら、戻れる過去にも戻れなくなるわ!」
夢とせいらがあたしを押さえるけど、そんな心配はないと思う。
幽霊は気を悪くするどころかのほほんと、声を伸ばした。
「それじゃ、昨夜のメルヒェンガルテンの海へ、いってらっしゃ~い」
あたしたち三人はようやく、白い光に包まれた。
❤
「なんか、どっと疲れちゃったね」
確かに。
げんなりしてる夢の言うとおり、すごく労力浪費した感じ。
一方でせいらは、初めて見るメルヒェンガルテンの海に見入ってる。
でもすぐにはっとして、
「急ぎましょ。海の魔女を探すのよ」
号令をかけてくれる。
辺り一面紫色。
きれいな海藻やクラゲが泳いでる。
でもそこはメルヒェンの世界のことだから。
水の中なのに全然苦しくないんだ。
磐の砦を進んで行くと、奥まったところに魔女のおばさんはいた。
たくさんの魚の骨で作った大きな椅子に黒い尾ひれをもたせかけて、貝殻のコンパクトを見ながら緑の髪を手櫛でとかしてる。
「この岩陰に隠れて、様子を見ましょう」
せいらが言ったけど、あたしは隠れるどころじゃなかった。
「お客さんかい」
おばさんがコンパクトごしににやりと笑いかけたその先には、傷だらけで足をひきずってくるマーティンの姿があったんだ!
「おや、マーティン坊や。とうとう最後のご来店かい」
振り返ったおばさんの緑の目が妖しく光る。
「それにしても、その年で恋の悩みとはねぇ。安心おし。何度も話したように、このあたしが片をつけてあげるさね」
マーティンの表情は少しも変わらなかった。
「同情の演技は必要ない。お前と契約を交わすことは、悪魔に身を売り渡すも同じだってことは知ってる」
悪魔に身を売るっ?
思わず叫びそうになってせいらと夢に口を押えられる。
おばさんはかたっと貝殻のコンパクトを閉じた。
「ふん、可愛げのない坊やだこと。だがその様子じゃ、決心はついたんだろうね?」
「あぁ」
マーティンは頷いた。
そして、言ったの――。
「本の外の世界の人間にしてほしい」
それからほんのしばらくの間、あたしの周りからなにもかもが消えた。
胸の奥から、痛くて熱いなにかがこみ上げてくる。
これが、彼の秘密の望み……!
「ただでってわけにはいかないねぇ。見返りを差し出す覚悟はあるのかい?」
意地悪く笑うおばさんに、マーティンは間髪入れずに答えた。
「なんでも」
魔女さんは棚に乗っている怪しげな色の薬瓶を物色しはじめる。
「代償が大きい契約ほど効用も大きいんだ。やってみるかね」
「頼めるか」
一つの、グロテスクな赤に濁った瓶を選び取って、おばさんは歌うように言った。
「この薬を飲んで明日、彼女に想いをお告げ。夕方五時の時が告げられる前に彼女からキスされたら、あんたは永久に物語の外の住人になれる」
おばさんが、黒くて長い爪のついた人差し指を立てる。
「ただし、その愛しい女の子のキスをもらえなかったら、あんたの命はあたしのものだ。一生奴隷として働いてもらうよ。それでいいかね」
マーティンはあっさりと頷いた。
「契約成立だ」
「それじゃ、ここにサインしな」
マーティンが先に貝殻のついたペンを持って、サインした。
魔女が、赤い瓶を差し出す。
それを一気に飲み干して、マーティンは苦しそうに呻いた。
助けなきゃ。
今が過去だってことも忘れて、あたしは駆け寄ろうとしたけど。
すぐに、もう一度白い光が、あたしたちを包んで。
気がついたらそこは、『秘密の花園』のカフェスペースだったんだ。
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