㉒ カレを捜しにに本の中へ

『名作の部屋』に一度入って、もう一度扉を開けたらそこはメルヒェンガルテンだった。パレ駅から電車に乗って、キルヒベルクっていう街で降りる。『飛ぶ教室』に出てくる街の名前なんだ。ここが、マーティンの住んでる街。

 オレンジっぽい茶色の屋根屋根に雪がかかって、かわいい感じ。

 おいしそうな香りのするパン屋さんやレストランを通り過ぎて、まっすぐに、マーティンの通っている学校の寄宿舎に行かなくちゃ。

 ふっと、お店のショーウインドーに映る自分が泣き出しそうな顔をしてるのを見つける。その目はこう言ってる。

 ……マーティンが、別れ話を切り出したのは、あたしのほかに、好きな子ができたからなの?

 ぱちんと顔をたたいた。

 だめだめ。

 真実を確かめるまでは、落ち込まない。

 『飛ぶ教室』の中でも、ケストナー先生が言ってる。

 人生と言うやつは、時折とんでもないパンチをくりだす。

 でも、へこたれてはいけない!

 打たれ強くあれ!

 元気を出すんだ!

 よし。

 あたしは、寄宿舎に向かって進んだ。

 そして、重大なことに気付いた。

 勢いこんで進んでるけどあたし。

 寄宿舎がどこにあるか知らない。

 ドイツのキルヒベルクの、それもこの時代の地図なんて持ってるはずもなく。

 ケストナー先生っ。

 元気だけじゃどうにもなりませんっ。

 思わず叫びそうになったそのとき、少し行ったところのベンチに見知った顔を見つけた。

 薄茶色の髪と優しそうな目。相変わらず小鳥と会話してた彼は、すぐにあたしに気が付いてくれたの。

「もも叶ちゃん。どうしたの、こんなところで」

 ほっとして泣きそう。

「ジョニーっ」

 事情を話すと、ジョニーは深刻な顔をした。

「そうか。マーティンに会いに……」

 そう言ったっきり黙りこんじゃった。

 悲しそうな顔してるけど、どうしてだろう。

「ジョニーは寄宿舎でもマーティンと同じ部屋だよね。彼のいるところまで案内してくれない?」

 ジョニーは言いづらそうに言った。

「ごめん。今マーティンは、その、ちょっと遠いところまで出かけてて、キルヒベルクにはいないんだ」

 そうなんだ……。

 かなり、がっくり。

「でも、せっかく僕らの街にきてくれたんだし、案内するよ」

 あたしを元気づけようとしてくれてるジョニーの優しさがしみる。

 でも、ごめんね。

「あたし、どうしても彼と会わなきゃ。今マーティンがどこにいるか、教えて」

 ジョニーはかすかに溜息をついた。

「わかった。連れて行くよ」

「ほんと? ありがとう」

「でも遠い道のりになる。それまで寄り道しながら行こう」

 ええっ。寄り道?

「ジョニー、あたし一刻も早く」

「そんな顔で、マーティンに会うの?」

 あ……。

「ほら、決まりだね」

 一瞬固まったすきにジョニーに手をとられてしまう。

 そのままひっぱられるのかと思ったら、ジョニーはじっと、あたしの手を見ていたんだ。

「どうしたの?」

 はっとしたように、彼はこっちを見た。

「ごめん。綺麗な指だなって、見惚れてたんだ」

 えっ。

 そんなの言われたのはじめて。

 なんかすっかり、ジョニーのペースにはまってる……。

 キルヒベルクを出てしばらく行くと、海が見えてきた。

 ビーチの前の道に、お土産屋さんが並んでる。

 冬だから、みんな閉まってる。

 その中で一つだけ、呼び込みをしてるお店があった。

 紫の水晶や、苔のたくさんついた貝殻が置いてある。

「らっしゃいらっしゃい、海の魔女の店だよ~。超高級品が今なら8割引きだ!」

 あれは、海の魔女!

 顔を見るとやっぱり、緑の髪に、大きな巻貝のイアリング。

 前にも会った、マーティンが通い詰めてるっていう、あのおばさんだ!

 ここでもいんちき商売してるんだ。

 それがわかるなり、あたしはダッシュでその店の前に駆けつけた。

「もも叶ちゃん!」

 ジョニーが止めようとするけど、今度ばっかりは待っちゃいられない。

「おばさん!」

 あたしが顔を見せると、おばさんはうるさそうに目を細めて、追い払う仕草。

「なんだ、またあんたかい。商売の邪魔はしないでおくれ。しっし」

 むかつくけど、今はそれどころじゃない。

「ジョニーから聞いたの。マーティンが悪い女の子に夢中ってほんと?」

「へぇぇ?」

 おばさんは一瞬なんのことかって顔をしたけど、すぐに意地悪くにやっと笑った。

「あ、あぁ。ほんとうだとも。悪い女ほど男を惹きつけるのさ。あんたもかわいそうにねぇ。捨てられたってわけかい。惨めなことこのうえないねぇ」

 ぎゅっと唇を噛む。

 ぜんぜん、かわいそうだと思ってる言い方じゃない。

 そこへ、ジョニーが会話に入ってきた。

「魔女さん。それより、ほしいものがあるんです」

 うってかわって、猫なで声を出すおばさん。

「おやジョニー。元気をお出しよ。女に狂っちまったマーティン坊やなんて放っておおき。友情に篤いあんたには大サービスで、どうだい、この時計25万で売ってあげるよ」

 ジョニーは穏やかに笑って言った。

「メリーポピンズの体温計はありますか」

 おばさんがにやりとする。

「ないこともないけどね。ちと高いよ。なにせうちで扱ってる中で唯一まっとうな品……おっと」

 おばさん、口抑えたってもう遅いよ。

「おかしいな」

 ジョニーは不思議そうに言った。

「あの体温計は確か、メルヒェンガルテンでも、『秘密の花園』にしか売ってないはずなんだけどな。気難し屋のメリーさんはめったに自分の持ち物を商品として提供しないんです」

 とたんに、おばさんの目が吊り上る。

「うぬっ。それを知ってたのかい!」

 穏やかな笑みを少しも崩さずに、ジョニーはおばさんに迫った。

「今僕に渡してくれれば、あなたがそれをモンゴメリさんの店から盗んだってことを黙ってるんだけどな。商売にとって、評判は命なんでしょう」

 きーっとおばさんはかなりき声。

「こしゃくな。親友のことで悩んでるあんたをかわいそうに想って、親切にマーティン坊やのことを教えてやったってのに、この恩知らずめ」

 勢いよく投げてよこされた温度計を、ジョニーはナイスキャッチ。

「ありがとう。麗しの魔女さん」

「覚えておおき!」

 おばさんの罵りにもかまわず、丁寧にお辞儀してる。

 ジョニーって、すごいかも……。

 海岸沿いをジョニーに続いて延々と歩く。

 夕暮れ時の海はなんだか切なくて、ちょっとセンチメンタルになる。

「あたしがもし夢みたいに大人しくて、おしとやかで女の子らしかったら。せいらみたいに勉強できるスーパー女子だったら、マーティンは他の子を好きになっちゃったりしなかったのかな」

 ジョニーは黙って歩いて行く。

「やっぱいざとなると怖いな。あたし、ほんとは自分に自信ないの」

 最近は、夢やせいらといるのが楽しくて、思ったことがそのまま言えて、こういうことあんまり考えなくなったけど。

 いつも、ほかの人があたしをどう思ってるか、それが怖いんだ。

 怖いから明るく振る舞って好きになってもらおうとしてる。

「彼が好きになってくれなくても、仕方ないほへっ」

 ジョニーが急に振り向いて、あたしの口の中に何かさしこんだ。

「言わせないよ、そんなこと」

 さっきのきれいな微笑は健在だった。

 あたしの口に挟まれたのは、さっきジョニーがおばさんからもらった(奪った?)メリー・ポピンズの体温計だった。

『メリー・ポピンズ』は、夢の大好きなお話の一つで、有名な映画にもなってる。あたしはまだ読んだことないけど、『十二星座のケーキ』をつくってからというもの、夢に熱く語られて、結構知ってるんだ。

 風に乗ってやってきた不思議な家庭教師のメリーが、体温計で子どもたちの体温をはかると、そこには甘えん坊とかわがままとか書いてあるんだよね。

 あたしの口から体温計を取り出すと、ジョニーは流暢にそこに浮かび上がった文字を読み上げた。


 強がりな女の子

 ほんとはとっても寂しがり屋で天使のように友達想い


 そして、いたずらっぽくあたしを見る。

「これでも、まだそんなこと言う?」

 あたしは笑った。

「ありがと。ちょっと元気出た」

 そして、歩きを止めた。

「この先に行けば、マーティンに会えるんだよね。もう、一人で大丈夫だから」

 ぺこりと頭を下げて歩き出した、その腕を取られる。

 そのまま引き寄せられて……えぇっ。

 息がかかるほど、ジョニーが近くにいる。

「よしなよ」

 いつにない、余裕のない声でジョニーが囁く。

「君が苦しむのを見るの、僕はいやだな」

 ジョニーはやっぱり心配してくれてるんだ。

 もしマーティンがほかの子を好きだったらって。

 やっぱり、その可能性は高いんだ。

 震える声であたしは言った。

「もしもマーティンがほかの誰かを好きなら、ちゃんとお別れ言って、今までありがとうって言うって決めてきたんだ。それでもやっぱり、好きなんだもん」

「苦しいんだ」

 吐き捨てるような、声がする。

「そうやって一生懸命な君を見るのが」

 ジョニー?

 なんか、様子が変。

 とられた左手の薬指の先に、なにか硬い感触を感じる。

 なにかが、はめられようとしてる?

 見てみようとしたけど、その前にジョニーがぱっとあたしの手を放した。

「……わかった。ちゃんと案内するよ。マーティンがいるところまで」

 ジョニーに連れられてきたのは、海辺に立つきれいな白いホテルの一室だった。

 螺旋階段を登りながら、考える。

 マーティン、なんでこんなところにいるんだろ。

 あたしの心を読んだようにジョニーが口を開いた。

「僕が連れ出したんだ。気分転換にって言ってね。ほんとうは、彼に、真実を訊くために。海の魔女と会っているのはどうしてか。なにを話したのか。彼はずっと黙ってたけど、とうとう昨日、話してくれた」

 ……!

「それで、なんて言ってたの?」

 あたしは心臓の音が早くなっていくのを感じた。

「ごめん。もも叶ちゃんには絶対に言わないでくれって言われてるんだ」

 ずきりと胸が痛む。

 やっぱり、あたしには言えないことなの?

「だから、本人に直接訊いてみてほしいんだ」

 ジョニーは、白い扉を、開けた――。

 部屋を見るなり、ジョニーは呟いた。

「しまった……!」

 そこにいるはずのマーティンは、いなかった。

 薄オレンジのカーテンから海風が入って来て、机の上の紙が揺れる。

「やっぱり、今彼を一人にするんじゃなかった」

 嘆くように言うと、ジョニーは机まで走って行って、その上にある紙を手に取った。

 もしかして、マーティンからの置き手紙?!

 あたしも急いで覗き込んで、頭に手を当てた。

 マーティン、なんでドイツ語なんかで書いたのっ。

 って、そうか、彼はドイツ人だった!!

 とか一人漫才してる場合じゃない。

 ジョニーが手紙を読み上げる。


 ヨナタン・トロッツことジョニーへ


 ごめん、やっぱり僕は行く。

 黙って行くのを許してほしい。  


マーティン・ターラー


「どういうこと? ジョニー。マーティンはどこに行ったの? なにか知ってるんでしょ?」

 そっと、ジョニーは手紙を折りたたんだ。

「帰りなよ、もも叶ちゃん。君の家族が心配する」

「そんなっ」

 ここまできて、それもこんな状況で、帰れるわけないじゃん!

「あたし、帰らない。マーティンの無事がわかるまで」

 ジョニーは、諭すように言った。

「マーティンは、どうしてもも叶ちゃんになにも言わずに、一人で行動してるんだと思う?」

 え……?

 どうして?

「やっぱり、ほかに好きな子ができたから?」

 ジョニーはまた悲しそうな目をした。

「なにかを秘密にする理由には二種類ある。自分を守るためと、もうひとつは、相手を守るため。彼が自分のための秘密を持つ方だって、君はほんとうに想う?」

 あたしははっとして、ジョニーを見た。

 マーティンは、あたしのために、何か隠してる?

「わかってくれたかな。マーティンのことを想うなら、その秘密を壊したりせずに、今は家に帰って。彼のことは僕が必ず探すから。鋼の誓いだよ」

 そんなふうに言われたら、なんにも言えない……。

 あたしはジョニーに頷いた。

「マーティンに会えたら伝えてね。なにかあったらあたしが飛んでくって」

 ジョニーはにっこり笑って、送るよと言ってくれた。

 でもその目はどこか、切なそうだった。

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