幕間 飛ぶ教室メンバーの会議 ~ケストナー先生の語り~

 みんな、元気にしていたかい?

 僕の名はケストナー。『飛ぶ教室』の作者だ。

 今の時代の者ではないながら、本の持つ不思議な力で、夢ちゃんやもも叶ちゃんとお近づきになった。ケストナーおじさんとでも呼んでくれたまえ。

 親愛なる読者であり同士である彼女たちは元気かなと気になっていたんだ。

 しかし本の中の登場人物たちに野暮用があって、なかなか姿を見せられずにいた。

 長らのご無沙汰、失礼した。

 今僕はメルヒェンガルテンにあるキルヒベルクという村の少年寄宿学校にいる。

 『飛ぶ教室』の登場人物たちの住まいだ。 

 実は僕のわんぱく坊やたちのことが少し心配でね。

 校庭にある彼らの会議室――禁煙車両の外からこっそり、中の彼らの様子をうかがっているところなんだ。

 中にいるメンバーは四人。みんならしくもなく黙りこくっている。

 みんながそろってある一つのことを心配している証拠だ。

 菓子パンをちぎりながら沈黙に耐え切れずぼやいたのはマッツだ。

 「今日の書き取り、またさんざんだったな」

 将来のボクサーである彼は相変わらず、勉強に苦心している。

 「お前のノートだけ、実業学校のやつらに盗んでもらうか」

 壁によりかかってそう言う彼は皮肉屋のセバスチアン。手には難しい本を持っている。これをうけてマッツがやれやれと肩をすくめるのもお決まりのことだ。

 再び、禁煙車両にかかった古時計の針の音だけがその場に刻まれた。

 「こんなんじゃ、だめだ!」

 いきなり叫んだのはメンバーの中で一番小さな体をもつウリーだ。

 かつては小心者だった彼は今では勇気を信条とする頼もしいちびくんだ。

 「みんな、ほんとはわかってるはずだろ? 今話さなくちゃならないことはなにか!」

 辺りが静まり返る。

 「けど、肝心の議長がいなくっちゃどうにものりがつかめないんだよなぁ」

 マッツがお菓子を口に押し込んだその手でわさわさと頭をかく。

 「だいたいがみんなをまとめあげるのが議長の仕事だろ。そんなことも忘れてぼけっとしだした奴なんかもうお役ごめんだ。代わりの議長でも立てればいいのさ」

 本からちらりとも顔を上げずに言い放ったセバスチアンに、自分のことを言われたときはなにも言わなかったマッツは立ち上がる。

 「てめぇ、あいつのことをもう一度言ってみろ」

 ウリーも眉を吊り上げる。

 「そうだよ! 僕らは彼に今までどれだけ助けられてきたか」

 ふん、とセバスチアンは鼻を鳴らす。

 「過去の英雄ってのはただ本の中でしか意味をなさないんだぜ。今のあいつはまるきりの腑抜けだ」

 「おい、ジョニー。お前も黙ってないでなんとか言ってくれよ。あいつの親友なら」

 マッツがせっつくと、静かな声がその場に通った。

 「セバスチャンの言うとおりだ」

 彼の放った一声に誰もが――当のセバスチアンですら耳を疑った。

 彼の名はジョニー・トロッツ。

 淡い栗色の髪と目。優しげな顔をした彼は、メンバーの中で最も寡黙で大人びたところのある少年だ。穏やかで詩人。わんぱくすぎるみんなのお目付け役的な役割も果たしている。そのジョニーが、なんてことを言うのだろう。わたしもびっくりだ。 

 さて、メンバーはこれで以上。

 ご存知のように、肝心のリーダーの姿が見当たらない。

 それもそのはず。

 ジョニーが言葉を継いだ。

 「マーティンは、とても参ってる」

 今回の彼らの議題は自分たちのリーダーくんの様子がおかしいことなのだから。

 「彼はずっと僕らのリーダーだった。でも今はそれができる状態じゃない。だから今、僕はマーティンに、自分のことだけ考える時間をあげたいんだ」

 「そういうことなら早く言えよ。人が悪ぃな」

 ジョニーの肩をマッツが叩く。

 「ま、確かに、最近あいつは変だよな。いつだって相手が上級生だろうが王様だろうが堂々としてたのが、今じゃありのあくびにすら吹き飛ばされちまいそうだ」

 お菓子をもぐもぐとやってから続ける。

 「授業中だってうわの空でまるで別人みだいだよ。僕、彼がこのままなんていやだよ」

 ウリーが涙ぐんだ目をかくすようにこする。

 「問題は、あいつがそうなった原因がさっぱり見えてこないってことだな。ジョニー。心当たりはあるか?」

 セバスチアンのその差し向けで、言葉少ななジョニーが、マーティンがいない今、議長を務めることが少年たちの暗黙のうちに、決まった。

 「一つだけ確かなことがある。それは」

 みんながぐっと身を乗り出す。

 「マーティンには好きな子がいる」

 ばつが悪そうに、マッツとウリーが顔を見合わせた。

 「はん。恋の病とは、あいつもくだらないもんしょいこんだもんだな」

 セバスチアンがうそぶく。だが本を閉じたところを見ると、なんだかんだ言って心配しているのだろうね。

 「そういえば、海の魔女のところに行ったっていう噂を聞いたな。惚れた女の心が欲しいとでもねだったっていうのか。まったく、そんななよいやつと思わなかった」

 なに。

 セバスチアンの言葉に僕は思わず身を固くしたよ。

 海の魔女と言えば、メルヒェンガルテンの最北の海に住む、人間の王子に恋する人魚姫が人間になるために契約を交わしたあの女性じゃないか。

 「セバスチアンが言うのとは違う。マーティンが好きなのは、とってもいい子だよ!」

 「おいばか、ウリー」

 「あ……っ」

 思わず言ってしまったウリーの口をマッツが抑えたがもう遅い。

 「お前ら、なんか知ってるのか」

 頭の回転の速いセバスチアンは、あることに思い至ったようだ。

 「そういえばお前たち二人、マーティンに呼ばれて外の世界に行ってたことがあったな。そこでなにがあった」

 「言えねーよ」

 堂々とマッツが言ってのけた。

 「オレたち、マーティンのことはむやみに喋ったりしないって決めたんだ。悪いけど、本人から聞いてくれや」

 隣でウリーも静かに頷く。

 「そんな悠長なこと言ってる場合じゃないだろうが。マーティンは海の魔女のところへ行ってるんだぞ。下手したら命だってとられかねない相手だ」

 セバスチアンはマッツの胸倉をつかみかける。

 そこへ、また穏やかな声がかかった。

 「セバスチアン。マーティンが心配なんだね」

 ジョニーはきっぱりと言った。

 「でも僕には、マッツとウリーの言うこともよくわかる」

 セバスチアンがそっとマッツから手を外した。

 「そこで、みんなに頼みたいんだけど。マーティンのことを少しのあいだ、僕に任せてくれないかな」

 立ち上がって微笑みさえ浮かべる、この場で誰よりも落ち着いている彼に、誰も異論は挟むことが出来なかった。

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