⑬ 満点とったらデート?!

 物語ドレスをレンタルした翌日、夕方学校が終わってから、あたしと夢はせいらに連れられて、電車で栞町から奥付っていう駅まできていた。

 この近くに、せいらの好きな人がいるんだって。

 緊張のあまり、会話は少なめ。

 せいらを先頭に駅の改札を出て、たどり着いたのは。

「ここ、塾!?」

 はい、思わず声が裏返りました。認めます。

「しかも入るのにもテストがあるっていう超有名塾! せいらここに通ってるの?」

「そうよ。なにか変?」

 変って言うか。

 あたしはおでこに手を当てる。

 これだから優等生は。

「じゃせいらの恋の相手もめっちゃ頭いいんだね」

「えぇ……すごくね」

「せいらちゃんから見てもすごいなんて。きっとすてきな子なんだね」

 のほほんと言う夢。

 せいらは決心したように顔を上げる。

「見学したいって言えば、小学生は誰でも入れるから。ついてきて」

 ん?

 待て待て。

 ってことはあたしたちも授業受けるわけ!?

 とほほ……。

「ももちゃんなにしてるの? せいらちゃん行っちゃったよ」

「夢。あたし自信ない」

「へ?」

「有名塾のお受験クラスの講義なんて、絶対寝る」

 切実に言ったのに、夢はなんてことないように笑った。

「ももちゃんは勉強との友達のなりかたを知らないだけだよ」

「はい? 友達?」

「本だって、慣れるまでには練習が必要でしょ? それと一緒。勉強っていつもと違う見方すると、すっごく楽しくなったりするんだから」

 そう言うと、夢はせいらに続いて行ってしまった。

 えーい、もう、どうにでもなれ!

 やけくそで、あたしもビルの自動ドアをくぐった――。

 まさかってあたしは思った。

 夢の言った通りのことが起るなんて!

 あたしたちが体験したのは歴史の授業。

 学校では年号と起ったことを一つ一つ習ってると思ってたのに、今先生の言うことは、全部が一つの物語みたいにつながって頭に入ってくる。

 授業終了のベルが鳴るまであっという間だった。

 しまった!

 せいらの好きな人が誰か、教室にいる男子を物色するの忘れてた!

 せいらの様子は時々ちら見したけど、授業に百パー夢中で、どの子のこともちっとも見ないんだもん。

 頼みの夢もすっかり歴史の授業に心奪われてるし。

 授業も終わったことだし、本人に訊きますか。

 あたしは隣の机にいるせいらの方に身を乗り出した。

「あのさ、せい――」

「せいら」

 あ。誰かに先越されちゃった。

 見ると、せいらに話しかけたのは、さっきまで歴史の授業をしていた男の先生だった。

 だいぶ若い。

 シャツを袖まくりして、さわやかな感じ。

 なにより、さっきの授業、神だった。

 先生はちらとあたしと夢を見ると、

「今日は友達と一緒なんだな」

「う、うん。まぁね。」

 あれ。

 ちょっと違和感。

 せいらってすごい礼儀正しいけど。

 先生相手なのに、敬語じゃないんだ?

 夢も同じように感じたみたいで、目をぱちくりさせてる。

「この子が園枝もも叶ちゃん。こっちが本野夢未ちゃん。ももぽんと、夢っちね」

 あたしと夢がよろしくお願いします、と頭を下げると、先生は好きなだけ見ていきなよと言ってくれる。

「二人とも、ここに興味あるっていうから」

 せいらがうまくごまかしてくれると、先生はあたしと夢を見て、

「嬉しいね」

 しみじみって感じで言う。

「そりゃあたしも、ここは好きだし、ちょっとは宣伝に協力するわよ」

 先生が吹き出して、せいらの頭をこつんとやった。

「ちげーよ、ばか。せいらに友達ができたっていうのがただの強がりじゃなくてよかったって言ってんの」

「あー。あたしに友達ができないって思ってたの?」

 教科書を片付けながらせいらは心外そうに言うけど、口元が笑ってる。

 すごく、楽しそう。

「そうじゃねーけど。お前いろいろ一人でやりすぎるとこあるだろ」

 せいらははっとして、机に目を伏せちゃった。

 その瞳の中が、幸せそうに、揺れてる。

 神谷先生、と、教室のドアから女の人の声がした。

 その先生はそれじゃ、とあたしたち三人を順番に見ると、ドアのところにいる女の先生らしき人のところへ走って行った。

 残されたあたしたち三人に、訪れる沈黙。

 せいらがようやくそれを破った。

「それでね、あの。あたしの、好きな人だけど」

 あたしはせいらの肩をつついて言ってやった。

「『お前いろいろ一人でやりすぎるとこあるだろ』だって!」

 せいらを挟んだ奥の机から夢も便乗してくる。

「わたしはね、こっちがすごいと思った。『せいらに友達ができたっていうのがただの強がりじゃなくてよかったって言ってんの』」

 せいらは野原に取り残されたりすみたく、右のあたしを見ては、左の夢を見て、を繰り返している。

「先生に恋かぁ。すてきだね~」

「なるほどね。あれは確かにときめくわ」

 すでに、納得顔の夢とあたし。

「ちょっとふたりとも! どうしてわかったの?!」

 え。

 当然のごとくあたしは言ってやる。

「もろバレだったんですけど。あの態度」

「せいらちゃん、恋する乙女だね。かわいい」

 夢がほっぺたを押さえてる。でも、あんまり浮かれてもいられない。

 あたしはもう一つ、重要なことを訊いた。

「で、彼の婚約者って?」

 せいらは目で、神谷先生が話してる女の先生を合図した。

 ふんわりカールした茶色い髪をハーフアップでまとめてる、清楚系の女の人だ。

 その人が神谷先生から書類を受け取りながら会釈すると、神谷先生も微笑んでお辞儀した。

「……あの人が、かみやんの婚約者って噂の、国語の泉先生よ」

「きれいな人だね。強敵」

 あたしは冷静にそう判断するけど、

「でも、神谷先生、せいらちゃんにあんなに優しかったよ。あんなふうに言われたらわたしだったら、告白しちゃいたいなんて思っちゃうかも」

 ゆ、夢。

 んな大胆な……!

「だって、勇気を出さないで、気持ちを伝えられないまま終わりっていやだもん」

 そりゃもちろんそうだけど。

 でもいきなり告白ってそりゃハードル高いんじゃ。

 あたしがそう言おうとしたとき、ぱん、と机を両手でたたいてせいらが立ち上がった。

「夢っちの言う通りだわ」

「せ、せいら?」

 目が、燃えてますけど。

「あたし、決着つけてくる」

 マジですか。

「ちょっとせいら!」

 あたしのとめるのも構わずに、せいらは長い髪をなびかせて、廊下に出た神谷先生を追いかけていく。

 あたしと夢はあわててそのあとを追った。

 「かみやん!」

 廊下の曲がり角にさしかかったとき、せいらの出した声に神谷先生が振り返る。

 「どうした。質問か?」

 せいらは音がするかと思うほど勢いよく息を吸い込んだ。

 「次回の学期末テスト、百点取ったら、あたしの婚約者になってよ」

 う。

 うっへぇぇ!?

 あたしは声を出しそうになってあわてて夢にとめられる。

 恋人とかつきあうとか通り越して、婚約者!?

 やっぱり、神谷先生、本気にしてないよ? めっちゃ笑ってるけど。

「なんでせいらがオレの婚約者なんだよ」

 そりゃそうだ。

 でもせいらもぶれない。

「かみやんち、礼儀とか学歴とかにうるさいんでしょ」

 神谷先生の表情がちょっと翳った。

「自分で言うのもなんだけど、お茶もお花もお作法は一通りできる、お裁縫は大好き。家事だって嫌いじゃない。将来は良妻賢母間違いなし。このあたし、花嫁さんにするには手堅いよ? そっちにとっても損じゃないと思うわ」

「あのなー、せいら」

 神谷先生はせいらに近づいてくると、頭をぽんぽんと触った。

「婚約ってのはそういうことでするもんじゃねーんだよ。そういう言葉は、せいらがめちゃくちゃ大好きになった人のためにとっとけ」

 あ、だめ。

 あたしは思った。

 この人、やっぱりせいらの好きな人だ。

 かっこいいや。

 友達の好きな人として文句ない。

 感動してると、横から小さい声がした。

「気付いてないんだね、神谷先生」

 夢が寂しそうに言ってる。

「せいらちゃんが本気だってこと」

 うん。まぁ、そうだよね。

 せいらの場合、やり方が直球すぎな気もするけど。

 好きな人が、自分の気持ちに気付いてくれないのは、切ない。

 しんみりしていると、彼がほいじゃ、テスト頑張れよと手を振って――。

 だめっ。行かないでっ。

 あたしは心で叫んだ。

 乙女のハート盗んで逃げる気か!

 今時怪盗ルパンを気取る気なんですかあなたはっ!

 心でつっこんだ時だったんだ。

「あたし、かみやんのこと楽しませる自信あるよ」

 ゆっくりと、かみやんが振り向いた。

「大好きなんだもん。泉先生よりも、ぜったい、好きなんだもん」

 せいらの赤くなったほっぺからは、大粒の透明ビーズが連なってる。

 たまらなくなって駈け出しそうになった夢をあたしは手で押さえた。

 だめ。

 今は二人の時間なんだから、見守ろうよ。

 目でそう合図すると、夢は頷いてくれた。

「婚約者がだめなら、デートして。一回だけでいいから。それで好きになってもらえるように、頑張らせて」

 神谷先生はかがみこむと、涙をぬぐっていないほうのせいらの左手に自分の拳をあわせた。

「よっしゃ。のった」

 握った左手を軽くノックされただけなのに、せいらはすごくびっくりしたみたいに身体を震わせる。

「いいぜ。デート、してやろうじゃねーか」

 ソフトな言い方が耳に心地いい。

「その代わり、絶対テストで満点とれよ。とどかなきゃなしだ。いいな」

 せいらの目に、光球みたいな白い色が宿った。

「覚悟しといてよ。あたしが満点とると言ったら絶対だから」

 今度こそ、神谷先生は手をひらりと振って歩いて行った。

「あいよ。せいぜい頑張れ」

 あたしと夢は神谷先生の真似して、拳と拳をつきあわせたのだった。

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