⑥ 小公女子の正体

 日曜日、わたし夢未は帯紙公園のブランコで一人ぶらぶら。

 もうすぐお昼。

 ぐーっとお腹が鳴る。

 はぁ。

 ちょっと前なら、しばらく我慢することだってできたのにな。

 星崎さんと暮らすようになってから、おいしいものいっぱい食べてきたせいかな。

 我慢するのが辛くなっちゃった。

 星崎さんの、ちょっと困った顏が浮かぶ。

 今朝、悪いことしちゃったな……。

 せっかく朝ごはん作ってくれたのに、今日は食べたくないなんて言っちゃって。

 そしたらすぐに星崎さんはわたしのおでこに手を当てて。

『具合悪いの? ……熱はなさそうだけど』

 どきどきって胸が痛いほど熱く打って。

 どうしたらいいかわからなくて、

『大丈夫です。ちょっと、お買い物に行ってきます』

 って言って逃げてきちゃったんだよね。

 はぁ~。

 一人うなだれていると、こっちに駆け寄ってくる足音がした。

 顔を上げるとそこには、

「本野さん!」

 ショルダーバッグを肩に掛けて、手にビニールの袋を提げた、露木さんがいた。

「露木さん。お買いもの?」

「いいえ。塾帰りに、ちょっと寄り道。そんなことより、だめじゃない。風邪気味なのにこんなとこにいたら」

 ううっ。

 そうか。

 露木さんにはそういうことにしておいたんだっけ……。

 なんだか自分がさらにいけない子に思えて、わたし思わず、首をがくん。

 きっと音がして、横を見ると、露木さんが隣のブランコに乗っていた。

「わけありね。話してみない? 誰にも言わないわよ」

 会ったばかりのわたしに、そんなこと言ってくれるなんて。

 もうわたしに、ほんとのこと言わない理由はなくなった。

「ごめんね、露木さん。風邪気味って嘘なんだ」

 ぽつりと言う。

「わたし最近太っちゃって、朝からなにも食べてなくて」

 ぎ、と露木さんのブランコが止まる。

「それ深刻」

 がさごそと露木さんはバッグの中をまさぐった。

「これ食べて。わたしの今日のおやつなの」

「露木さん……。ほんとのほんとに、小公女子なんだ」

 塾帰りって言ってたし、自分だってお腹すいてるのに。

 今のわたしにははっきりわかる。

 『小公女セーラ』の中で、セーラにパンをもらった孤児の女の子の気持ち……。

 露木さんのおやつって。

 なんだろう。

 ブルーベリーパイとか。トリュフチョコとか、ジンジャー・クッキー……。

 おしゃれなお菓子が頭に浮かぶ。

「はい、これ」

「……へ?」

 ビニールの袋の中から差し出されたのは、なんと肉まんだった。

 露木さんはちょっと恥ずかしそうに俯いて、

「ごめんなさい、こんなんで」

「ううん! そんな!」

 すごく、嬉しい。

 肉まん大好きだもん。

 だけど。

「なんか意外だったんだ。露木さんって、肉まんの感じじゃないっていうか」

「本野さん!」

 わわっ。なんだろう。

 露木さんてばいきなり大きい声出して。

「あたしがコンビニで肉まん買ってたこと、他の人にはコレで」

 そう言って露木さんは人差し指を口元にあてた。

「うん。言わないけど、コンビニで肉まんなんて、別にふつうのことだと思うなぁ」

「うちの人に知れたら大目玉なのよ」

 ふぅん。

 そういうおうちの人もいるんだぁ。

 わたしなんかお母さんと二人だったときは、とにかく安いコンビニを探してたのになぁ。

「じゃ、いただきます!」

 はふっ。

 あったか~い。

 幸せをかみしめていると、

「本野さんは太っているようには見えないけど」

 心配そうに露木さんが隣のブランコから覗き込んでくる。

「いい? 明日からちゃんと食べなきゃだめよ」

 それは、ちょっと約束できないなぁ。

「わたしどうしても痩せたいんだ」

「どうして~?」

 露木さんは心底不思議そうに言う。

「あのね、それは……」

 好きな人がいるから。

 嫌われたくないから。

 そう言えなくて黙っていると、

「わかったわ。またゆっくり話しましょう」

 露木さんはそうそう、と思いだしたように言った。

「今度ぜひ、本野さんをうちにご招待したいと思ってたところなの。ちょうどいいわ」

「えっ」

 あっ。

 もしかして、チャンスかも?

 ここで、ももちゃんも誘っていい? って訊いたらどうだろう。

 露木さんが、ももちゃんのことどう思ってるのか、知れるよね。

 もしいいよって言われれば二人が仲良くなれるチャンスだし、だめって言われたら理由を訊こう。

 ももちゃんにはひとまず言わないでおけば、傷つけないで済むもんね。

「ねぇ、露木さん。実はわたしには、親友がいて、露木さんも仲良くなってくれたらすごく嬉しいんだけど、その子も、呼んじゃダメかな」

 露木さんは複雑そうに目を細めた。

「……園枝さんのことよね」

 あ。

 わたしは少し心にとげが刺さった気がした。

 やっぱり、この反応。

 ももちゃんが言ってたことは、単なる思い込みじゃないのかな……?

「露木さん。ももちゃんとなにかあったの? もしよかったら、教えてくれないかな」

「……わかったわ」

 わたしはじっと、露木さんが話すのを聴いた。

 そして聴き終わった時、笑顔になってた。

 なーんだ。

 そんなことだったのか!

「露木さん。絶対大丈夫って、わたしが保障する。だからももちゃんと二人で遊びに行ってもいい?」

「本野さんが、そこまで言うのなら……」

 露木さんはしぶしぶだけど、いいわって言ってくれた。

 きれいな藍色の目はまだ曇り模様だったけど、わたしにはもう、その雲の向こうに、春の太陽が見えていたんだ……!

「ねぇ夢、やっぱり夢一人で行った方が」

「いいから来て。わたしももちゃんがいないとつまんないよ」

 わたしはももちゃんを引っ張って、露木さんのおうちへ向かっていた。

 渡された地図だとこの辺。

 駅のすぐ近く。

 見えてきたのは……おうち、っていうより。

「ロンドンのお屋敷みたい……」

 きれいな黒い蔦模様の大きな門の向こうには、ものすごく広いお庭。

 バラの咲いた緑の壁が迷路みたく辺りを大きくかこってる。

 まるでアリスの不思議の国。

 まず、ここからおうちが見えないって……!

 これはももちゃんでなくても緊張しちゃうよ。

 インターホンを押してたっぷり待つこと2分くらい。

 広いお庭を歩いて出てきたのは……緑の着物姿の女の人!?

「せいらのお友達ね。いらっしゃい。ちょっと変わった子でお友達できるのか心配だったの。二人も来てくれて嬉しいわ。仲良くしてあげてね」

 その隣で、水色に白いユリ柄のワンピースを着ているのが露木さん。

「いらっしゃい、お二人とも」

 わたしとももちゃん、顔を見合わせちゃって。

 世界が違うっ。

「せいら、お母様はこれからお客様方にお紅茶をご用意するから、お部屋までお二人をご案内して。失礼のないようにね」

「はい、お母様」

 すごい……! お母さん、セレブ中のセレブ。

 バラのほかにもパンジーやウインターコスモスの咲き乱れる庭園を通って、グレーの壁と紺の屋根のお屋敷みたいなおうちに、わたしたちは入ってったの。

 長い廊下と螺旋階段を通って、大きな茶色い扉までたどり着くまでわたしもももちゃんも口がひらきっぱなし。

「ここがわたしの部屋です。本野さん、園枝さん、どうぞ中へ」

「こ、これは、ど、どうも」

 ももちゃん、思わず会釈。

 露木さんに続いて中に入った。

 わたしは感動して言葉も出ない。

 自分専用の勉強机(椅子もピンクでかわいい)、お姫様みたいな自分専用ベッド。

 なによりも、広い部屋の一面に本棚。いっぱい本が詰まってる。

 すごい。こんなの持てたら、幸せすぎるっ。

 ぱたんと、扉が閉まった瞬間。

 露木さんはしずしずと部屋の中心に進んで――黄色いカーペットにあぐらをかいた。

「っだぁ、母さんてば信じらんない。ふつう娘の友達がくるってだけで着物まで着る? 叫喚の極みもいいとこだってーのよ」

 ……へ?

 固まるわたしとももちゃん。

「改めて、二人とも、来てくれてありがと。一人きりで転校してきて、教室の中じゃ鰥寡孤独の心境だったの」

 ももちゃんが、こっそり耳打ちしてくる。

「ね、夢。いきなりこの子何語喋ってんの?」

「うーんと、古風な日本語、だと思うけど」

「ごめんね。学校モードだとしんどいから、リラックスモードでしゃべらせてもらうわ」

 露木さんはあぐらからすとんと立ち上がると、一面の本棚のうち、一部だけ花柄の幕がかかっているところまで歩いて行って、そこから垂れている白い紐を引っ張って、幕を引いた。

 びっくり。

 そこには一面の漫画がずっしりと並んでいたの!

「うっわ、すっごい! ドリーマードリーマー、全巻そろってる! 月刊バラフライも!」

 ももちゃんが目を輝かせる。

 露木さんが急にもじもじと動いてあのとかそのとか呟いてる。

「どうしたの?」

 わたしが問いかけると、露木さんはぎゅっと目をつぶって、

「あたし……この通り、漫画オタクなのっ」

 そのとたん、わたしとももちゃん、目がテン。

「表向きはお嬢様で通してるけど、青春十八切符の旅が何より大好きな電車オタクでもあるのっ」

 うわぁ、言っちゃったって、露木さんは真っ赤になってる。

 ……。

 ぷっと吹き出したのはももちゃん。

「お嬢様が、青春十八切符って……」

「いくら表向きお嬢でも、子どもがもらえるお小遣いは別ってものでしょう?」

 わたしとももちゃんは声を出して笑っちゃった。

「二人とも、騙すようなことしてごめんなさい。でも、学校ではああしてないと、母さんうるさくって」

「ううん。あたしはかえって親しみ沸いた。かなり変……いや、おもしろい子だなって」

 ももちゃんがそう言うと、露木さんは申し訳なさそうにささっと駆け寄って、

「学校用にはワンピースとかスカートとか着せられてるけど、休みの日で塾がない日は旅用にジーンズが基本で。おしゃれとかいまいちよくわかんないから、園枝さんのおしゃれなスタイルがすごいなって思ってて。でも、読者モデルに選ばれたって聞いたとき、あたしなんかださいって思われそうで、とてもそんなこと言えなかったの」

 そう。

 これが、露木さんがももちゃんを遠ざけてた理由だったの。

「露木さん、ももちゃんはそんな子じゃないよ」

 ももちゃんもうんうんと頷いて、

「そうそう。あたし露木さんのこと、かなりイカすと思う」

 ぱっと露木さんが顔を上げる。

「ほんと?」

「喋る言葉はおもしろいし、ナイスだね。それに、そういうところあたしたちに見せてくれたっていうのが嬉しいし、かっこいいよ」

 ももちゃんはあっとナイスアイディアを思いついた笑顔になった。

「せいらって呼んでもいい?」

 ももちゃんに次いで、わたしも言った。

「うん! せっかくかわいい名前、呼ばなきゃね! よろしく、せいらちゃん」

 わたしたち三人は手をつないで輪をつくった。

「よろしく、夢っち、ももぽん!」

 わたしとももちゃん、またまた目がテン。

「夢っち……?」

「ももぽん?」

 口に出してみて、笑っちゃった。

 せいらちゃんらしい、おもしろいあだ名!

 新しく仲間になった個性派小公女子は、最後にこう言ったんだ。

「二人とは、肝胆相照らす仲になれそうだわ!」

「か、かんたんにあいてけちらす?」

 またもや難しい言葉に鉄砲の弾が当たったような顔をするももちゃんに、そっと教えてあげる。

「かんたんあいてらす。打ち解けて心を開ける関係ってことだよ」

 本の中の登場人物以外で使ってる人、初めてだなぁ。

 せいらちゃんの古風な言葉は新鮮で、楽しいことが動き出す予感がしたの。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る