㉖ クリスマス劇『飛ぶ図書室』 ~もも叶の語り~

 霧が晴れるそこは半日前の会場そのままだった。

 会場整備をしている係の人や、着飾ったお客さんたち。

 まだ炎を目に宿してる人は誰もいない。

 さっきと同じく、ケストナー生誕百二十周年記念式典が始まった。

 違うのはさっき『本を守れチーム』が埋めていた五つの席のうち三つが空席になっていて、座っているのがあたしこともも叶とモンゴメリさんだけってこと。

 他のみんなは作戦を実行すべく、定位置についてるってわけ。

 司会の人の言葉に続いて、夢のお父さん――とんでもおやじの登場だ。

「皆様、本日はご来場誠にありがとうございます。わが社は社訓を、『子どもに夢を、想像の翼を』と掲げています」

 原稿をただ読んでるだけって感じの退屈そうな口調も、さっきと変わらない。

「さて、我々が敬愛するケストナー氏は」

 いよいよだ。

 あたしはモンゴメリさんと目と目を交わし合った。

「『子どもにも心痛はある』と言っています。そして『それがわからない、本野社長のような人物は少しこらしめられるべきなのです』と……。ん?」

 夢のお父さんが首を傾げた。

 これがマーティンの考えた『いたずら』のはじまり。

 あたしたちは夢のお父さんが打ち合わせで控室を留守にしてるのを見計らって、開式の言葉の原稿に少しだけ、細工をしておいたんだ。

 会場の明かりが一気に消えた。

 ただ一つ、舞台の右手だけスポットライトが当たっている。

 なんだ、なにが起きたと騒ぐ会場の人たちに、スポットライトとともに現れた彼がマイクを手に解説する。

「皆さん。こんにちは。マーティン・ターラーです。ケストナー氏の『飛ぶ教室』の本の中から飛びだして、仲間たちと一緒にこちらにお邪魔させていただいています」

 あぁ、やっぱりかっこいい。

 観客の人たちはもう、楽しい雰囲気に笑顔になっている。

 まさか、誰もほんとうのことだって思ってないって感じ。式の演出として、マーティンを演じる男の子を見てる。

「僕たちがクリスマスに寄宿学校で劇『飛ぶ教室』を上演したことは、皆さんもご存知かと思います。ここで皆さんに、僕らの新たなクリスマス劇『飛ぶ図書室』をご覧いただきたいと思います」

 舞台全体にスポットライトが当たって、こじんまりした図書室の背景画が現れる。そこに描かれた本の背表紙には実際にある子ども向けの本のタイトルがたくさん書かれている。

 この背景画はぜんぶ、絵の得意なマーティンがわずか数分で描いたものだ。

 いつの間にか、スポットライトの下からマーティンの姿は消え、代わりに女の子がそこに現れる。

 夢だ。

「こんにちは。本野夢未です。小さいころ、わたしは図書室に住んでいました。よく遊んだ部屋が本でいっぱいで、まさに図書室だったんです。その部屋には今男の人がひとりぼっちで住んでいます」

 スポットライトが、舞台の中央に移動する。

 光の中をマッツが現れる。

「オレは夢売館の社長になった。会社を大きくしたって褒められてるけど、払った代償は大きかったんだ」

 そう。食いしん坊で身体の大きいマッツはこの劇で夢のお父さんを演じてるんだ。

「たくさん戦わなければならなかった。お金も借りた。たくさんの人に怒鳴られて、殴られた。物語なんて、なんの役にも立たない! あんなものがあるせいで、オレはこんな目にあったんだ」

 そこへ、図書室にある本のひとつが光った。

 中から、男の人が現れる。

 茶色いスーツと帽子。太い眉毛の下の目で優しげに微笑む。

 観客の人はみんなびっくりしている。すごい、どんな演出なんだろう、という声があちこちで聞こえる。

「やぁ、本野社長」

 フレンドリーに喋り出した男の人を前に、マッツは驚いた演技をする。なかなかうまい。

「誰だお前は!」

 現れた茶色いスーツの男の人は、眉をさげて、

「ひどいなぁ。忘れてしまったのかい? かつての親友を」

「親友だって? オレにはそんな奴、一人だっていない!」

 男の人は残念そうに胸に手を当てた。

「子どもの心を大人になっても忘れないでくれと、かつてあれほどお願いしたのに、君は忘れてしまったようだね」

 男の人は、パチンと指を鳴らした。

 図書室の両端に、翼が映える。

 飛行機の翼だ。

「思い出そうじゃないか。本野社長」

 図書室は過去の世界に飛んでいく。

 そう。

 劇の中でなら、不思議な力なんかなくても、好きなだけ時間を遡れる。

 女の子のかっこうをしたウリーがちょこちょこと舞台に出てくる。

 いつの間にか、シャツにズボンでさっきより若い男の人になったマッツに走り寄っていく。

「お父さん、ケストナーおじさんのお話、聞かせて」

「もちろんだよ、夢未。でもちょっと待ってくれ。急いで仕事を終わらせてしまうからね」

 そう。ウリーが演じているのは三歳の頃の夢なんだ。

「お父さん、お仕事なの?」

 夢のお父さん役のマッツはウリーに向き直る。

「お父さんはね、会社を始めることにしたんだ。子どものための本をたくさん作る会社だよ」

「お父さんが本読んでくれないと寂しいなぁ。幼稚園でわたしいつもひとりぼっちだから……」

「おや、そうなのかい」

 マッツは優しく微笑んだ。

 夢はとうとう泣き出す。

 泣き虫なのは昔からだったんだね。

 このときもしあたしが夢と知り合ってたら、駆け寄って助けてあげるのにな。

 でも、それを代わりにしてくれる人がいた。

「夢未、かわいそうに」

 今度は優しく夢の頭を撫でているお父さんだ。

 お客さんはみんな引き込まれてる。

 夢のお父さんを演じるマッツが答える。

「残念なことだね。世の中にはたくさんの人がいるのに、ふつうに生きているだけだと、出会える人はほんの少しだ。それはね、自分のことを仲間外れにする人なんて世界のほんの一部かもしれないのに、それが全部になってしまうってことなんだ」

「じゃ、いろんな人のところに行けばいいのかな。飛行機に乗って飛んでいけばいいんだ!」

 無邪気な小さい夢の提案にお父さんは笑って首を振る。

「それはいいね。でも残念ながら、それは誰でも簡単にできることじゃないな。ところが、誰でも使えるこの問題の突破口が一つだけあるんだ。本さ。本があれば、千年前にも行ける。地球の裏側の国にだって。その中には人が生きている。今の人も場合もある。昔の人の場合も、夢未や父さんと同じ日本に住む人も、ずっと遠くの国の人たちだって、生きてるんだ。生きて、話をしてくれる。例えば、こんな話をね」

 夢のお父さんは舞台の真ん中に移動して、大きな耳ぶり手ぶりで語り出す。

 ここがマッツの見せ場。

「昔、ある男の子がいた。誰からも相手にされない彼には本くらいしか話し相手がいなくて、しぶしぶ家にあった本を開いてみた。ケストナーというその人の本は、彼の一生の友達となり、また、夢にもなった。彼はケストナーのように、子どもに楽しみと夢を与えたいと強く想った。このお話は、どんなできごとも、いいことか悪いことかはあとになってみないとわからないってことを伝えてくれてるんだ。夢未が今日つらかったことももしかしたら、明日のすてきなことにつながっているかもしれない。こんなことを教えてくれるんだから、物語はすごいだろう? 夢未、本を読みなさい。そして、いろんな人と会って、友達になりなさい。お父さんは、子どもの本の会社を作って、夢未みたいな子たちに、すばらしい友達をたくさんプレゼントしたいんだ」

 会場のところどころで拍手が起きる。

 さすがマッツ!

 超・長台詞、お疲れ様!

 舞台の上でも小さな夢が、ぴょんぴょん飛び跳ねて声援を送る。

「お父さん、がんばれー」

「ははは、ありがとう」

 舞台は徐々に暗くなり、真っ暗になると、真ん中にほのかに明かりがともった。

 雪の積もったクリスマスツリーに七夕の短冊のように願い事が書かれていた。

『おとうさんがほんのかいしゃのしゃちょうさんになれますように』

 いつの間にか、舞台の中央に大きな画面が出くる。画面には雪の結晶が舞っている。

 そこにはこう書いてある。


 『飛ぶ図書室』

 出演 マチアス・ゼルプマン ウリー・ジンメルン

 脚本 本野夢未

 友情出演 エーリヒ・ケストナー

 クリスマスにみなさんとともに本がありますように。

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