第1話 名作の世界へようこそ

プロローグ 星降る書店に誘われて

 あなたは、本が好き?

 この本を開いてくれたってことは、大好き、それか、ちょっとは好きって答えてくれるかもしれないね。 

 そしたらすごく嬉しいな。

 わたしも、本が大好きだから。

 人見知りで、恥ずかしがり屋で、誰かとお話しするってなったらものすごく緊張しちゃって、汗までかいちゃう。

 それなのに本についてだけは、喋り出すと止まらなくなっちゃうんだ。

 ねぇ、どんな本が好き?

 漫画なら読む? わたしも、かわいい女の子が出てくるお話が好き。

 ミステリー、冒険もの、恋愛もの……う~ん、どれもわくわくする。

 ハリー・ポッターみたいな魔法いっぱいのファンタジー? すごい。長いお話にも入り込めるタイプだね。

 わたしはね、児童文学っていう、昔フランスやドイツなんかの遠い国でたくさん書かれたお話たちが一番好きなんだ。

 そう、よく厚い本で、『世界の名作』ってタイトルでまとめられてるの。

 なんだか難しそう? ううん、一度手に取ってみて!

 とっても優しい雰囲気の、わくわくする世界に行けちゃうから。

 これは、そんな本が導いてくれた、わたしの大切な物語。

 始まりは、まだ小学四年生だったちょうど一年前のクリスマス、家の都合で引越しをしたときからなんだ。


 その日、わたしは、中身がパンパンの大きな紙袋を両手に一つずつ持って、栞町の大きな駅ビルの前にいたんだ。

 一目見て、おしゃれなビルだなって思った。

 エントランスの白い天井から青や紫の球がいくつも釣り下がってる。

 自動ドアの真上には、白いひいらぎの葉っぱとピンクのベルで飾られた大きなクリスマスリース。

 その横には、黄色と赤、緑、いろんな色のライトできれいに光るクリスマスツリーがある。

 ほんとうだったらすっごくわくわくするような風景だけど、そのときのわたしの目には、そこが悲しみの国への入り口って感じに見えたの。

 両手に下げてる紙袋の重みで肩が痛い。

 この中身は、わたしの宝物。

 小さい頃から大切に読んできた、子ども向けの外国の物語が書かれた本がぎっしり詰まっていたんだ。

 隣の街からお母さんと二人で急にここ、栞町に引っ越してきたのが、昨日。

 そこは狭い、お母さんと二人で一部屋しかないおうちだった。

 荷ほどきがやっと終わった時、お母さんはすごく疲れてたみたい。

 前の家からいっぱい持ってきた本たちをどこにしまおうかなって考えてたら、言われたんだ。

『今までのような一軒家じゃなくて、これからはこの小さいアパートに住むことになるのよ。必要なものだけでたくさん。その本はぜんぶ、本屋さんに売っていらっしゃい』

 十二月の風はコートを着ていても寒くて、心まで凍えちゃうかもって思った。

 泣いちゃ、だめ。

 わたしはそう自分に言い聞かせた。

 そしたら、ほっぺに冷たいものが当たって、空を見上げたの。

 雪が降り始めたんだ。

 どんどん寒くなって、まるで街までわたしに早くしろって急がせてるみたい。

 わたしはようやく、駅ビルのエントランスに向かってのろのろ足を踏み出したんだ。


 エレベーターの案内を見たら、本屋さんは六階と七階みたいだった。一番上の七階には子ども向けの本があるみたい。わたしはボタンを押して、そこに向かった。

 エレベーターから降りると、自動ドアを抜けてお店の中に向かう。

 入ってすぐ左側にレジ。

 右側には、低い書架にぐるりと囲まれたコーナーがあって、そこで小さい子を連れたお母さんたちが絵本を見ていた。

 そこを抜けて奥に進むと、わたしは思わず立ち止まってしまったの。

 目の前に見えてきた棚に小学生の女の子のかわいい絵が描かれた本が立てかけてある。

 個性的な仲良し女の子グループがそれぞれの恋をがんばる、人気シリーズだ。

 上を見ると、流れ星の形をした小さな看板に『新刊書』って書いてある。

 このシリーズ、続き気になってたんだよね。新しい巻、出たんだ……。

 あっ。

 だったら、名作文学の棚もあるかも!

 わたしはもう一度上を見あげて、天上にいくつも下がっている流れ星型の看板の中から、お目当てのジャンルを捜したの。んん?

 右手の奥にある看板が気になる。紫色の流れ星の上に書いてある言葉は――『名作の部屋』。

 まさしく、わたしの大好きなジャンルだ!

 急ぎ足でその看板の下まで直行する。

 そしたらわたしはびっくりして、しばらくぼうっと立ってた。

 ここ、本屋さんだよね?

 確か、さっきくぐってきた自動ドアの上には、水色の背景に雪の結晶が舞う看板があって『星降る書店』って書いてあったし。本棚だってたくさんあるし。

 でも、目の前の小さな空間は、なんかちょっと違った。

 白い星の模様のついた薄紫のカーテンで、鉛筆みたいな六角形に仕切られている。 鉛筆の先のとがった部分はガラスになっていて、雪の空がのぞいてる。

 わたしは、薄いオレンジの扉から、中に入ってみることにした。


 その部屋には中心が空洞になってる六角形の机があって、小さなカードが入った箱と色鉛筆が置いてあった。箱にはボードが立てかけてあって、『本の感想、自由に書いてね』って、手書きの字で書いてある。その周りを囲むやっぱり六角形の壁はぜんぶ本棚になっていた。

 そこに、わたしの大好きな本たちがある。

 わたしはすぐに、お気に入りの作家の本を探した。イギリス文学、フランス文学のとなりに、あった! ドイツ文学だ。

 ケストナーっていう作家のコーナーが、棚の一角を広く使って作られていたの。

 紙で作られた、雪合戦をする男の子たちや、かわいいエプロンをつけた双子の女の子、会議をする動物たちが、ポップな感じで飾られてる。どれもケストナーの作品に出てくる登場人物たち。

 かわいい……。みんな、笑顔だった。

 そのとき、ほっぺに熱いものがつたった。

 何回も、読み返していた、本たち。

 今紙袋の中にあるケストナーの本も、売らなくちゃいけないんだ。

 泣いちゃいけないって思ってた。

 でも、『名作の部屋』の中はあたたかくて。

 本たちが優しく笑ってくれてるみたいで。

 わたしは二つの紙袋を抱きしめたんだ――。


 もう、泣いちゃおう。

 今は誰もいないから大丈夫。

 そう思ったときだったの。

「どうしたの?」

 上から声が降って来たんだ。

 クリスマスの優しい綿雪みたいに。

 泣こうとしてた目を上げてみると、そこには茶色のエプロンをつけたお兄さんがいて、こっちを見てたんだ。

 黒い髪の毛がさらさらで、笑う切れ長の目が優しそうで。

「お母さんとはぐれちゃったのかな」

 わたしはあわてて言った。

「ええっと……違うんです」

 お兄さんは笑顔から、ちょっと真剣な顔になった。

「それじゃ、なにか悲しい事でもあった?」

 じわって、目元がうるむ感じがした。

 涙は優しさが大好きってなにかの本に書いてあったけど。

 こんなふうに言われたら、もう我慢できないよ。

「……昨日、この街に引っ越してきて。新しい家には本は置けないから、お母さんに売ってきなさいって言われて」

 今までお腹の中にあった言葉が溢れだしたら、もう止まらなかったの。

「売りたくないっ……。大事なっ、本なんです。でも、売ってこないと、お母さんに叱られるから」

 それからはしゃっくりがいっぱい出てきて言葉にならなかった。

 それでも、この人に聴いてほしいって思ったんだ。

 どれくらい経っただろう。

 ようやくしゃっくりと涙が治まってきたとき、わたしは心配になった。

 お兄さんに呆れられたかな。

 困らせたかも。

 そう思って恐る恐る見上げると、お兄さんは優しく笑っていた。

 そして、びっくりすることを言ったんだ。

「じゃ、大切な本たちをいったんここに預けるっていうのはどうかな」

 どういうことかよくわからなくて、わたしはついお返事するのを忘れてしまったの。

 そうしたらお兄さんは、身体をわたしのほうにかがめて、もう一度、囁くようにそっと言った。

「オレに貸してくれる? こういうの久々に読みたくなって」

 お兄さんが目を細めてまた笑った。エプロンのポケットから、お札を取り出す。

「これ、レンタル料。お母さんには、本を売ってきたって言って渡せばいいから」

 びっくりして、わたしはあわててお金を返そうとした。

「そんなっ、もらえない、です」

 知らない人にこんなことまでしてもらっちゃだめな気がして、わたしは男の人を見あげた。

「じゃ、こうしよう。友達の頼みだと思って、貸してくれないかな」

「友達……?」

「オレも昔、こういう本が好きだったんだ。

 だから、君とは友達のような気がして」

「ありがとう、ございます」

 それで頷いちゃったのは、目の前のこの人と、友達になりたいって思ったからかもしれない。

 嬉しくて、わたしは笑った。

 ほっぺたの涙が渇いたあとがひきつって、ぱりっていいそうだった。

 あっ。

 わたしは大切なことに気付いた。

「本野夢未です。十歳です」

 って、いきなり言っちゃったあと、

「……友達になるなら、お名前言わないと」

 小さく付け足した。

 男の人はあぁ、と笑って言った。

「ご丁寧に。オレは星崎幾夜。ここ、星降る書店の店主です」

「星崎さん。あの」

 言おうか迷った。

 でもわたしは勇気を振り絞って、言葉にした。

「またきてもいいですか」

 星崎さんは笑顔のまま頷いた。

「この近くに越してきたなら、またいつでもおいでよ」

 わたしははい、と返事をして、二つの大きな紙袋を星崎さんに渡した。

 星崎さんのあたたかい手がちょっとだけ手に触れた。

 そのとき、どうしてかどきって一回、胸から音がしたの。

 びっくりして、どうしていいかわからなくなって、あわてて頭を下げて、『名作の部屋』を出た。

 星降る書店のお店の中のそこでは、たくさんの、きれいでおもしろそうな本たちが、ここにおいでってきらきら光って誘ってくれてるように見えたんだ。

 これが、わたしの始まりの物語。

 ちょうど一年前の大切な記憶。

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