第252話 キジムナーちゃんのことも思い出してあげよう

 完璧にセットされた長い黒髪を手で払ってから、早百合さんはわずかに声を硬くした。


「あ、それなら俺もニュースで見ました。1ドル55円でしたっけ?」

「うむ、1ドル110円の時に比べると、円の価値が2倍になった」

「うん? 110円から55円なのに円高なのです?」


 無表情の麻弥がこくんと首を傾げた。ツーサイドアップの房が揺れて可愛い。


「学校では習わないか? そうだな」


 早百合さんはちょっと麻弥に視線を合わせるように、机の上で姿勢を下げてから優しい口調になった。


「麻弥はチョコとポテチどっちが好きだ?」

「チョコなのです」

「じゃあチョコ100グラムとポテチ100グラムならどっちが欲しい?」

「みんなで食べられるからポテチ100グラムなのです」


 その場の全員が尊死しかけた。


「ッ……もらったものは自分だけで食べるとしたら?」

「チョコ100グラムなのです」

「チョコ100グラムとポテチ200グラムなら?」

「う~ん、それならポテチ200グラムなのです」


「それはつまり、その日の気分にもよるかもしれないが、基本的にポテチよりもチョコの方が価値がある、ということだな?」

「そうなのです」


 麻弥が納得したのを確認してから、早百合さんは次のシークエンスに移動した。


「では続けて、物々交換の国があったとしよう。この国では10キロ米の交換に、貴金属Aなら10グラムで交換してくれるが、貴金属Bなら20グラムとでないと交換してくれない。貴金属AとB、社会的に価値があるのはどっちだ?」

「Aなのです」


「じゃあ、もしもある日、貴金属Bを20グラムではなく15グラムと交換してくれるとなったら、これは貴金属Bの価値が上がったからだと思わないか?」

「はいなのです」


「20グラムから15グラムに数字は減っている、だけど、価値が上がった、つまり、Bが高くなったということだ」

「なるほどなのです」


「わかってくれたようだな」


 麻弥はこくんと頷いた。

 早百合さんは嬉しそうに頬をほころばせた。

 普段は要塞のように堅牢な人が時折見せる笑みの魅力は底無しで、俺は不覚にも悩殺されてしまった。


 ――早百合さんていいなぁ。て、いかんいかん。


 自分の中にうずきかけた邪心を抑えながら、自責した。


 俺は現状、桐葉、美稲、真理愛、茉美、詩冴の五人と婚約して、あといつのまにかステルス的に麻弥も攻略済で、六人の嫁を持つ身だ。


 ふたまたの時点でアウトなのに、他の女性に魅力を感じるなんて、それこそ地獄に堕とされてしかるべきだろう。


「早百合ちゃん! シサエも理解したっす! お利巧なシサエにもプライスレスの笑顔を欲しいっす! できれば前かがみになりながら!」

「茉美、ヒーリングパンチ」

「任せなさい!」

「ハニーちゃん! 妻にはもっと優しくするっす!」

「おや? 甘えないんじゃなかったのか?」

「あれはお茶目な嘘っす! だから茉美ちゃん怖い顔で近づかないで欲しいっす! ソファに座るっす! あぁああああああああ!」


 白いツインテールを振り乱しながら暴れる詩冴の悲鳴は徐々に小さくなっていく。

 詩冴の始末は茉美に任せている間に、気を取り直して美稲が口を開いた。


「それってやっぱり、私が原因ですよね?」


 神妙な問いかけに、早百合さんも厳かに頷いた。


「無論だ。日本政府が保有する金属資源量は非公開だ。しかし、貴君の力が世界にさらされたことで、日本は無尽蔵の金属資源を保有していると有識者および投資家は睨んでいる。世界一の資源大国が発行する通貨だ、信頼性は世界一だろう」


 緊迫した雰囲気に、舞恋がきょとんとした。


「あれ? 円の価値が上がるのっていいことじゃないんですか?」


 日本が経済破綻したときは、日本円が紙切れになって大問題になった。

 それに、自分の持つ通貨の価値が上がっているのだ。

 いい印象を持つのは当然だろう。

 詩冴の小さな悲鳴をBGMに、舞恋の問いには桐葉が素早く解説してあげた。


「あのね舞恋、日本円が高くなるってことは日本の物が高くなるってことだから、外国が日本ものを買ってくれなくなるんだよ」

「え? ……あ、そっか」


 麻弥に続いて、舞恋もなっとくしてくれたらしい。

 1ドル110円の時は、日本の110円の消費を1ドルで買えた。

 けど、1ドル55円の今は、110円の商品を買うのに2ドル必要だ。

 ドル圏の人にとっては、全ての日本商品の値段が倍になったも同然だ。

 通貨は高くなり過ぎず安くなり過ぎず、そして安定し続けるのが良いとされている。


「だから日本の輸出産業は大打撃。しかも円高はこれからも続くだろうね。FX投資家のせいで」


 桐葉が亜麻色の髪をかきあげ、ちょっと呆れ気味に息をついてからソファに背を預けた。

 そのとき、たぷんと揺れた胸に目を奪われたのは内緒である。

 桐葉が意味深な目でこちらを見ていた。内緒にできなかった。

 詩冴の悲鳴は完全に途切れた。


「針霧桐葉の言う通りだ。今、日本円は高騰し続けている。有望な通貨としてFX投資家たちが日本円を買い漁り、さらに円高になるという悪循環が起きている」


「早百合大臣、現政権の対策はどうなっているのですか?」

「奴らは何もせんよ。急激な円高などすぐに収まると高をくくっている」


 給湯セットで淹れた紅茶を俺らに配膳しながら真理愛が訪ねると、早百合さんは苦々しい声をこぼした


「一部の政治家は、公約に円高対策を組み込むらしいが、具体的な方法は考えてはいないようだ」

「いつもの日本政治家らしい判断ですね」


 俺が疲れた溜息を漏らすと、気を取り直すように早百合さんは声の調子をあらためた。


「ところで、夕食は貴君らの家で食べさせて貰えないだろうか? 私も桐葉のうどんとやらを食べてみたい」

「俺は構いませんよ」


 桐葉たちに目配せをすると、彼女たちも頷いた。


「では、ご相伴に預からせてもらおう」


 早百合さんは意味深な笑みを浮かべた。

 その意味を、俺は何となくだが察していた。



   ◆



 スーパーでうどんの材料を買ってから、帰宅すると、俺は台所から追い出されてしまった。


 うどんは桐葉を中心に女性陣みんなで作るらしい。


 仲間外れにされたのはちょっと寂しかった。


 けど、ソファからちょっと頭を出してアイランドキッチンの様子をうかがうと、そこにはエプロン姿の美女美少女美幼女たちが笑顔で料理をするというこの世の天国が広がっている。


 ――幸せ過ぎて怖い! 一生分の運を使い果たしていないか俺?


 不安に駆られ、ぎゅっとソファを握りしめた直後、麻弥が髪飾りにしている沖縄の古銭がキラリと光った気がする。


「ん?」


 背後の視線に振り返るも、そこには誰もいなかった。

 べランド窓からは東京を一望できる絶景が広がるばかりだった。


 ――今、誰かいたような気がするぞ。具体的には赤毛に可愛い女の子の気配を感じた。


 今度は、二階キャットウォークのほうからペタペタと可愛い足音が聞こえるも、やっぱり誰もいなかった。


 明らかな怪奇現象だが、少しも怖くなかった。

 むしろ、安心感すらある。


「ハニー、ご飯できたよー。かつおダシうどんとデザートはみかんといちごの盛り合わせ」


 まさに四国づくしである。


「おう、いつもありがとうな」


 俺はソファから立ち上がり、食卓テーブルへ向かった。

 



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 次回更新予定は10月24日月曜日です。

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 本作、【スクール下克上 ボッチが政府に呼び出されたらリア充になりました】を読んでくれてありがとうございます。

 みなさんのおかげで

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 達成です。重ねてありがとうございます。

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