第39話 美稲VS


 幼い声に視線を上げると、横断歩道の向こう側に、手をつないだ親子が立っていた。


 小学校低学年ぐらいの女の子は、優しそうな母親と手を繋いで楽しそうにおしゃべりをしている。


 どこかでお母さんと遊んできたのかな。

 明日もお母さんと一緒に遊ぶのかな。


 良かったね。君は幸せだね。その幸せを大事にしてね。


 自分もあんな親が欲しかった。

 自分もあんな幼少時代を過ごしたかった。


 でもそれは叶わない。


 早百合部長の言う通り、同じ日は二度と来ないから。

 そう思うだけで涙腺が熱くなり、胸の奥が痛んだ。


 でも、だからこそ、次の瞬間には強く誓った。


 みんなとの時間を大事にしよう。

 今まで自分を肯定できなかった分、これからの人生を肯定しながら生きよう。


 青信号が、親子と美稲との距離を縮めていく。


 親子が隣を通り過ぎた瞬間、美稲は、幼少期の自分と決別するような感覚を覚えた。



 横断歩道を渡ると、右手に広がる公園が目に入った。


「まだ、帰るには早いよね」


 夕日を見上げてから、美稲は、遠回りを選んだ。


 公園には人影がなく、無人だった。

 平成以上にIT化が進んだ現在、公園はMRゲームの遊び場と化している。

 デバイスを通して見るMR映像のボールを使ったり、MR映像のモンスターを倒して遊ぶのだ。


 けれど、ゴールデンウィークの夕方にそうした遊びに興じる人は、この近所にはいないらしい。


 誰にも気兼ねせず、全身を夕日に染めながら美稲はすがすがしい気持ちで公園の中を見て回った。


 公園をぐるりと囲むように植えられた木々は夕日を反射して美しく光っていた。

 水の止まった噴水に留まる小鳥は愛らしく、飛び立つ様に視線を奪われた。

 向かいにはベンチと当たり付き自販機があって、一度も利用したことが無いのを思い出す。


 もうずいぶんと長く住んでいるのに、公園でゆっくりしようなんて、思う暇も無かった。


 今なら、なんだか当たりそうな気がして、気まぐれにジュースを一本買ってみようかと思い立った。


 ――当たったら、明日、ハニー君にあげよう。縁起物だよって。喜んでくれるかな。


 彼に呼び止められたのは、その時だった。



「内峰」


 よく知っている、けれど聞きたくない声へ踵を返すと、そこには奥井育雄が見たと言う、坂東亮悟が立っていた。


 平坦な表情ではあるものの、美稲は、危険な気配を感じ取っていた。


 ひとまず、今だけは八方美人な自分で対応しておく。


「あら坂東君、奇遇ね。こんなところでどうしたの? 家、近所だっけ?」

「今日は奥井の野郎とデートか? お前も、すっかり奥井の愛人だな」


 トゲのある言葉とは取り合わず、美稲は平静をよそいながら、優しい態度で対応し続けた。


「なんだ、見ていたんだ。でもデートじゃないよ。奥井君には、桐葉さんて素敵な彼女さんがいるんだから。私たちは、女友達だよ」

「嘘つくんじゃねぇよ!」


 犬歯まで剥き出しにするほど口を歪めて、坂東は怒鳴った。


 誰もいない公園に、火薬庫を抱えた男と二人。


 明らかに危険な状況に、だが美稲は少しも動じなかった。


「入学したばかりの頃はオレにまんざらでもなかったくせに、オレがプロジェクトに選ばれなかった途端捨てるのか? テレビに取り上げられて気分いいかよ? 一緒に取り上げられた奥井のほうがいいってか? バカにしやがって!」


 まとまりのない話を並べ立てる坂東。

 完全に冷静さを失っている。

 どうやら、話は通じないらしい。


「待って待って。バカになんてしていないし、捨てるってどういうこと? 私たち、お互いの連絡先も知らないよね?」

「散々オレに色目つかってたじゃねぇか! いっつもこれみよがしに巨乳揺らして誘って、ヤらせる気満々だっただろが! それを奥井がプロジェクトに選ばれた途端尻振りやがって! そんなにあいつのは良かったかよこのビッチが!」


 怒気は狂気に変わり、坂東は髪の毛のない頭をかきむしった。


「ふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんな! あんな奴が、奥井なんかがオレ様より上だってのか!? あのゴミが、カスが! オレを誰だと思ってやがる! 氷帝・坂東亮悟様だぞ!」


 美稲は冷静に、坂東のことを見限った。


 会話ができるなら、誠心誠意、言葉を尽くして説得する気だった。


 八方美人が演技でも、彼女自身、元来慈悲深く、平和主義者でもある。


 でも今の坂東は駄目だ。


 前提も結論も自己完結していて、不都合な現実は全て受け付けない。


 重度の妄想癖を患った病人と、同レベルなのだ。


「悪いけど、私は帰るね。用があるなら、ゴールデンウィーク明けに学校でね」

「待てよ! あぁん!?」


 ドスを利かせた声に、美稲は振り向きかけた体を戻して、坂東と対峙した。


 彼の指示に従ったわけではない。


 この方が【戦いやすい】だけだ。


「坂東君の目的は? 私をどうしたいの?」


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