正反対

「何か用?」


俺が暴言といっても過言ではないほどのことを言ったのに、あれからも幸人はすかさず見舞いに来た。


「折角お兄様がお見舞いに来てあげてるのに、感謝の言葉の1つもないのかお前は」


「あーやだやだ」と続けた兄は眉間に皺を寄せて、わざと顔を思い切り顰めている。

いつも通りにコロコロと変わる表情に安堵する自分に驚いたが、余程この間の幸人を怖いと思っていたのかもしれない。

それはただ単になのか、という感情なのかはよくわからなかったが、何せあんな兄はもう見たくないと思う。

お礼の1つどころか黙りこくっている俺を横目に、幸人がベッドに腰かけた。


「なあ、幸人」

「お兄様と呼べ」

「俺たちってどうしてこうも違うんだろうな」


幸人の目が見開かれた。

窓から差し込む太陽の光のせいで瞳孔が小さくなっている。

「もうその話題はしたくない」と言いたげに幸人が顔を背けたが、俺は気にせず続けた。


「あんたは皆から好かれてるのに、俺はまるでゴミでも見てるかのような目を向けられる。あんたと俺は同じ兄弟なのに真逆だよ」


幸人が背けた顔をこちらに向けた。

怒っているとも悲しんでいるとも言えるような面持ちだ。

先ほどと同じように眉間に皺を寄せてはいるが、それは先ほどのふざけたものとは全く違う。

何も言わないところを見れば、本当にこの話はしたくないのだろう。

先日、病室で言い合った際もこの手の話題だったので、それは無理もないが。

俺自身も出来ることならば辛い過去を思い出す話題は…、兄と言い争いになるかもしれない話題は避けたかったが、どうしても幸人には知っておいてほしいことがあった。


「田村先生…、兄貴はあの先生が大好きだよな。俺は大嫌いだ」


最初に見舞いに来てもらったときに言えばよかった怪我の真実を。


「この脚、階段から落ちたからじゃないんだよ」

「…え?」


幸人が目を丸くして俺を見た。

それだけでわかる。

本当に幸人は田村の言っていた「階段から落ちて倒れていた」というのを信じていたのだ。


「田村が…、あいつが折ったんだ」


「階段から落ちた」という田村を信じて疑わず、俺に事のすべてを確認しなかった幸人がどんな反応をするのか、全く予想が付かなくて怖い。

これで幸人がなおも田村のことを庇うことがあれば俺は本当に潰れてしまう。

…耐えられる気がしない。

何も言わない幸人に痺れを切らせて、俺は一気に捲し立てた。


「どうせ信じてないんだろ?あんたはいつだってそうだ、俺のこと見てるようで全然見ていない。俺のことなんて1ミリもわかっちゃいない!」


大きな声を出すつもりはこれっぽっちもなかったが、感情が高ぶって自分でもびっくりするほど大きな声が出た。

それを聞いて幸人がやっと丸くした目を細める。

拳を強く握り、ブルブルと震えていた。

下唇を強く嚙み締めすぎて、少し血が滲んでいる。


「…どうして、俺に、最初からそれを話さなかった…?」


幸人の消え入りそうな声が静かな病室に響く。


「…幸人が…田村を信じ切ってたから」


俺がそう言うと、幸人は視線を床に向けた。


「そうか…。確かに、それは話しにくいかも、な」


途切れ途切れのその言葉には、困惑や怒り、後悔が感じられた。

が本当に弟を傷つけたのか?という困惑、最初から弟へ確認しておかなかった自分への怒りと後悔というところだろうか。


「俺が最初からちゃんと聞けばよかったな」


顔を上げた幸人は無理矢理に笑顔を浮かべていたが、世の全ての苦痛を背負ったような面持ちをしていた。

もしかすると、尊敬する先生が弟を傷つけた事実とそれを信じたくない思いの狭間で板挟みにされているのかもしれない。

…俺だって、同じ立場ならそうなると思う。

その反応は至極当然なものだ。

不意に幸人が立ち上がり踵を返そうとしたので、俺は慌ててその手首を掴んだ。


「どこいくんだよ!」


そういうと、俺の顔を見下ろしてくる。


「田村先生に話を付けてこようと思って。弟の脚をどうしてくれるのか。どうして隆志の脚を折ったのか」

「…は?」


兄の顔から表情が消えた。

普段表情豊かな幸人の感情が読み取れない顔は苦手だ。

何を考えているのかどういう感情なのかが全くわからない。

俺のためなのか、自分のためなのか、はたまた田村のためなのか。


「…だって、このままじゃ納得できないだろ。一方的に隆志が傷つけられて何もしないなんて。理由を聞いたって納得なんて出来ない。それでも、隆志がどうしてこんな目に遭わないといけなかったのかくらい知りたい。…知ったところでどうにもならないけどさ」


それは、田村の家へ1人で行くということだ。

俺は田村にされた1つ1つを思い出して身震いした。

幸人がもしあんな目に遭わされるかもしれないかと思うと我慢ならない。

いくら嫌っている兄とはいえ、血を分けた兄弟が傷つけられるのは俺自身望んでいない。


「余計なことしないでくれ。俺は自分であいつとかたを付ける」


しかし、兄は首を横に振った。


「ごめん、それは無理だ。大切な弟を傷つけられて黙ってなんていられない。俺は今すんごい我慢してるけど、めちゃくちゃ怒ってる。当たり前だけどな」

「兄貴…」

「そういうことだから、ごめん」


幸人は手首を掴む俺の手をそっと外した。

病室の扉を開けようとする幸人をどうにかして引き止めることは出来ないだろうか、と考えたところで俺は咄嗟に声を上げた。


「前に兄貴が言ってた"自殺系サイト"の管理人、それは俺だ!」


幸人がこちらを振り向いた。

言った後のことは何も考えていなかったが、思いの外勝手に口が動く。


「…何人も会った。実際に自殺なんてした人は誰一人いないけど。みんな俺の発言にイラっとして自殺をやめちゃうんだ」


幸人は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに微笑を漏らした。


「…帰るわ」

「幸人…」

「早く脚治せな」


幸人はこちらを振り返らず、部屋を出ていった。

もしかすると、足止めするためのただの戯言だと思われたのかもしれない。

戯言でも何でもないが、俺が田村の元へ行かせないようにしようとしたのがわかったのかもしれない。


「こんな脚じゃ何も出来ない…」


俺はギブスで固定された脚を思い切り殴った。

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