20.背を押す言葉

「……いやー、笑った笑った」


 ようやく笑いが治まったところで、一鞘が息をついたが――笑い過ぎである。


「……お腹痛かった」


 姫織まで失礼なことを言ってくる始末だ。すっかりいじけていた蒼は、しかしあれっと我に返った。


「……って、何で2人までここに⁉」


 鬼達につかまったのは、自分だけだったはず。まさか2人も同じようにつかまって穴に放り投げられたのか。真面目に2人を見ると、ものすごく――ものすごく冷めた目を向けられた。


(えっ、な、何⁉)


「さーてこれからどうするか考えるか」


「……これ以上は時間の無駄」


「ええええ」


 何故「さぁこんなバカは放っておこう」と言わんばかりの態度を取られなければならないのか。もう少しいじけていたいところだったが、一鞘が「その前に」とこちらを真面目な顔で見てきた。


「お前、どうしてさっき動けなかった?」


「……え……」


「腰でも抜かしていたのかと思ったけど、何か違うようにも見えたから」


「……」


 真剣に聞こうとしているのが伝わってきて、蒼は口を開けることができた。


「……声が、聞こえたから」


「声?」


「うん。……鬼達の、声」


 一鞘が姫織に顔を向けた。姫織は、静かにかぶりを振っている。やっぱり、2人には聞こえていなかったのか。それでこいつを狙ったのか? と一鞘がつぶやいている。


「お前には、何て聞こえ……、」


 ――またしても不自然な音が耳に届いたのは、その時だった。


 しかし、今度は最初から一鞘と姫織も聞こえたらしい。3人は、同じ方向をふり向いていた。


 苔むした地面の、中央。そこに穴が開いていた。マンホールよりひと回り大きい。そこから、水が湧き上がる音が聞こえていた。そして、実際に……水がしみだしていた。


 無色透明な液体は、しかし水ではないと傍目にも分かった。どろりとして、ゆっくりと地面を覆っていく。


「うわっ⁉」


 地面に座り込んでいた蒼は、思わず立ち上がっていた。制服を着ていた蒼は、下がキュロットなので素足が出ている。べっとりと濡れた足が、ヒリヒリとしていた。見ればうっすらと腫れているではないか。


「何、これ……」


「消化液みたいなものらしいな……。絶対座るなよ」


 忠告した一鞘は、粘液の湧き出る穴を見つめて皮肉気に笑った。


「確実におれたちのとどめを刺そうって腹か……」


「うそ……」


 力なくつぶやいた蒼の声に、一鞘も姫織も無言だ。その間にも、粘液がじわじわと広がっていく。


 このまま溶かされて養分になる、その事実に打ちのめされた。


 ……いや、違う。


(……あたし、一鞘と姫織のせいにしたいんだ……)


 こんな森の中で話そうなんて言ってきたから、とか。龍能なんて持っているから、とか。――蒼に【五天】を探せなんて無茶なことを要求してくるから、とか。


(あたし、嫌な子だ……)


 恥ずかしい。そんな思いが突き上げてくる。


 思い浮かんだのは、数時間前の茶音の姿だ。さも自分の非ではないかのように一鞘をそれっぽく咎め、言い負かされれば蒼にその場しのぎの「ごめん」と愛想笑いだけ。


 一鞘が茶音のことを「嫌いだ」と言った時、蒼は、自分の中の憤りを認めることができた。けれどあれは、全部自分本位なものだった。


(理不尽な態度を取られたのは、一鞘も同じだったのに)


 一鞘の為に怒ることが、できなかった。助けてもらったことも、すぐには認められなかった。人としてどうなのと思っていた相手に助けられたことで、蒼は、プライドを傷つけられていたのだ。


 2人のことを嫌悪感から怒鳴りつけるばかりの教師よりも。おためごかしな茶音よりも。


 自分の方が、ずっと一鞘と姫織のことを見下していたんじゃないか……。


 ――こんな状態であたし、死ぬの?


 ふとその考えをはっきりと意識して、胸を切り裂かれたような思いがした。こんな、ねじくれた自分のまま。それと同時に頭をよぎったのは、晦日のことだ。いつだって、思い出すのは笑顔の瞬間。


 ――お父さんも、こんな気持ちだったんだろうか。そう思うと、今日1日だけで何度も堪えてきた涙が溢れた。


 こんな妖なんかに命を奪われることになって、悔しかったんだろうか。悲しかったんだろうか。――空しかったんだろうか。


 こんな、こちらの気持ちを散々もてあそんで、命を踏みにじるような、卑劣な手段で。


悪い妖を見抜けと、教えられていたのに。……何も見抜けなかった。


 あたしは今まで何をやってきていたんだろう。


 うっ、と嗚咽が漏れて、


「――泣くな鬱陶しい‼」


「ひぃっ⁉」


 思いっきり怒鳴られて、涙が引っ込んだ!


 驚いて顔を上げると、怒鳴り声の主がズカズカとこちらに迫ってくるところだった。片手だけで蒼の襟を掴んだかと思うと、そのままぐいと引き寄せられた。顔に影がかかる。それほどの近さで、一鞘が鋭く睨みつけていた。龍能を示す青が、蒼の瞳を捉えた。


「葬式みたいな雰囲気醸し出してる場合か! 今やるべきことは違うだろ!」


 ガツンと頭を殴られるようだった。それほどの一喝だった。


「泣いているヒマがあったら考えろ! おれはこんな化け物に殺される気なんかさらさらないんだよ‼」


 分かったか、と怒鳴りつけて、一鞘は蒼を乱暴に手放した。突き離され、蒼は数歩よろめいた。まったく、と一鞘はぶつぶつ悪態をついている。


「……う」


 顔を伏せて、蒼は小さくつぶやいた。一鞘は聞き取れなかったらしく、眉間のシワを深くした。


「はぁ? 何だよ、また『ひどい』とか言う気じゃないだろうな、」


 気を悪くした一鞘に再び詰め寄られ、しかし蒼は、今度は自分から一鞘をまっすぐに見上げた。


「ありがとう一鞘……、元気出た!」


 自然と笑顔になっているのが、自分で分かった。まだ目にとどまっていた最後のひと雫を振り払うように、手の甲で力強く拭った。


 ――もう空しくなんかない。


「ごめんね2人とも、あたしも考える!」


 姫織はそれでいい、と言うように微笑んでゆっくりとうなずいてくれた。一鞘の方は、完全に意表を突かれたようで、目を見開いていた。

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