18.妖森の3人

 閉じ込められた。完全に。


 上から脱出する、という手も考えたが、跳躍がお手の物な蒼と一鞘と違って、姫織はそんな器用なことはできないし(それはまだ1年生なのでむしろ自然なことである)――それ以前に、木々の枝同士が連結して頭上をも封鎖している。


(何でこんなことに)


 混乱している頭で、それでも何か手掛かりがないかと必死に辺りを見渡すが……ダメだ、ますますパニックになりそう。


「とうとう来たか」


 一鞘が冷静につぶやいた。


「来たって……」


「前に言っただろ。……龍能者は妖を惹きつけやすいって」


「……!」


 急にその言葉が実感を伴って、蒼は鳥肌が立った。


 確かに、上位の妖が現れる可能性があると言っていた。しかし結界内でそういった妖に遭遇したことがなかったし、学校内で一応それらしき気配を探ってみても、特に異変はなかった。それに、一鞘と姫織がその話をしながらも落ち着いていて、あまり現実的なものとして受け止め切れていなかった。


「静井、お前何か感じたか」


「!」


 突然水を向けられ、蒼はギクリとした。しかし、別段責め立てる口調でもなく一鞘が続けた。


「おれには突然邪気が湧き上がったように感じた。姫織、お前は?」


「……私も」


 姫織がうなずいたのを見て、一鞘がまた蒼を見てくる。


「あ、あたしもそう感じた……。それまで普通の森だったのに、急に変異したっていうか」


 一鞘は思考を巡らせるように少しだけ目を伏せた。


「……植物体の妖か」


 冷静なつぶやきが落とされ、蒼はえっと一鞘を見た。


 植物体とは、その名の通り体が植物でできている妖のことだ。植物体は、ほとんど植物以外の生き物の要素を持ち得ていない。だから、例えば蒼はこの間昼休みに見かけた緑の小さな妖は、草の匂いを纏ってはいたものの植物体ではない。


「でも、操作型の妖ってこともあるんじゃ」


「それはおれも考えた。でも、植物全部から邪気が出ている。森すべてが妖ってことだ」


 言われて、蒼はあたりに耳を澄ませるように気配を探る。確かに、邪気の出どころは木の1本1本、そして葉の1枚1枚にまで行き渡っていた。森の植物をただ操っているだけなら、ここまで植物すべてから邪気が染み出ることはない。もっと、空気中に霧のように漂うのだ。


 すっかり気が動転していた蒼は、邪気の正確な出どころまで意識が行かなかった。


「……私、歩き回ってみたい」


 と言い出したのは、姫織だ。


「えっ、脱出するんじゃないの⁉」


 まだ直接的に襲われたわけではないが、完全に閉じ込められているのだ。それに、今は夕方。夜になればなるほど、妖は力を増していってしまう。


 蒼の主張に、一鞘が「へー」と白けた目を向けた。


「じゃあ、どうやって脱出するんだ」


「……え、それは火の術を使えば……、」


「却下だ」


「えええ」


 植物体の妖の弱点が火なのは、常識ではないか。困惑する蒼に、一鞘が自分達を閉じ込めている蔦の壁へと顎をしゃくった。


「不満ならやってみろよ」


 何というか、本当に偉そうな態度である。両腕を組み、蒼から数歩離れる。さぁいつでもどうぞとでも言うように。


(……し、釈然としない……)


 姫織までもが、とことこと一鞘の方へ行ってしまうではないか。すっかりお披露目の場となってしまい、蒼は渋々と蔦の壁に両手を突き出した。


 やはりここは基本中の基本、『炎志』だろうか。四礎の一、〈焔〉に呼びかける〈言〉である。


「炎し――……、」


 言い終わるか終わらないかの内に、変化が起こった。


 蒼は両手の平を見せている先、蔦の壁に、ぎょろりといくつも目玉が生えたのだ。複数の目と確実に目が合い、蒼はおぞけだつと同時に地を蹴っていた。蒼が立っていたところに、いくつもの鋭い枝があらゆる方向から突き刺さる。


「だから言ったろ」


「……、……!」


 2人の近くに着地した蒼は腰を抜かすしかない。


「間違いなく上位の妖なんだ、火の気配を察知したら即刻排除することぐらいするだろ」


「……オート機能」


 たった今蒼が殺されかけたにもかかわらず、一鞘も姫織も平静である。


 目玉の方はというと、ぱちぱちと瞬きをしてから、安心して眠りにつくように目を閉じていくところだった。完全に目をつぶると、またただの蔦の壁へと戻った。そこに目玉があるとは、もう誰にも分からない。


「……く、口で言ってくれればいいのに――っ!」


「実際に見ないと、お前分かんないだろ」


「……どんな風に妖が防いでくるかも、見ておきたかった」


「ひどっ⁉」


 完全に実験台ではないか。


「……まずは森の中を調査して、それから脱出方法を考えたい」


 姫織はそれで、歩き回ってみたいと言っていたのだ。それには納得できたものの、だからってわざわざ実演させなくても。


 ぐじぐじしている蒼を見下ろし、一鞘が髪をかき上げながら言う。


「そもそも、呪力でできた炎は妖に巡りやすいんだ。こんな森に火の術放ったらおれらまで焼け死ぬだろ」


「……え、でもそれは水の術で消火すれば」


「呪力でできた水なんざ植物体の妖にぶっかけたら妖力増すだろッ!」


「ひぃっ、すいません!」


 一鞘の苛立ちを倍増させてしまった。


「……それより、行こ」


 姫織はそのやり取りには一切介入してこない。森を調べる方が重要、ということで、それはつまり正論である。


「ったく、これ以上バカなこと言ったら置いてくからな」


 一鞘が小さく舌打ちして、姫織の後をついていく。


 ――バカって! 置いてくって!


 一体どこまでひどい男なのだ。


 先程一鞘に感謝したことをかなり後悔しながら、蒼は2人の後を追いかけたのだった。




 ――森すべてが妖。


 一鞘の仰る通りであることが、さらなる実感となって蒼達を襲った。というのも、


「うわッ⁉」


 森の奥へと進む内、獣のように身震いした木が突如いくつもの目玉を生やし、襲いかかってくるようになったのである。木から無数の枝が伸び、蒼達を刺し貫こうとしていた。


 ひたすら反射神経を利用して避けまくる蒼に対して、一鞘は冷静だった。


「――静葉!」


 強固な〈言〉が紡がれたと同時、枝々が何かに縛りつけられたかのように動きを止めたのだ。


「おい、早く逃げるぞ!」


 姫織の手を掴んだ一鞘に促されるがまま、蒼は全速力でついて行く。


「あのー、さっきのって……?」


「〈地心〉に働きかける〈言〉だ。植物の生命活動を一時的に制限するだけだから、時間稼ぎにしかならないけどな。……というかそのぐらい思いつけよッ!」


「ご、ごめんなさーいっ!」


 またしても怒鳴られてしまった。




 そうして蒼達は、襲われては逃げ、襲われては逃げを何度もくり返すハメになった。


「確実な逃げ場が全くないってのは厄介だな……。どこにいたって四方八方囲まれてる」


 もう何度目か分からない逃亡の末、辿り着いた場所で一鞘が不愉快そうにつぶやいた。


「そ、そうだね……」


「……」


 姫織に至ってはもう、喋る余裕もないほど肩で息をしている。蒼と一鞘が引っ張っていたとはいえ、小柄で体術に慣れていない姫織が1番疲れるのは当たり前だった。


 そんな姫織を見かねてというのもあって、蒼は緊張しながらも一鞘を見た。


「……ごめん、龍能を使うわけにはいかない……?」


 一鞘を便利な道具扱いするようで気が引けたが、ずっと思っていたことであった。恐る恐る尋ねた蒼を見た一鞘は少し眉根を寄せたものの、意外にもあっさりとした口ぶりで答えた。


「あれは力が強過ぎるから、使えない」


「……そ、そっか」


 確かに呪力とは別次元の力であった。しかし、と蒼は食い下がった。


「でも、道場と中庭で使ってたよね……?」


「……あれは周りに敵がいるわけじゃなかったから、無害でいられたんだ」


 一鞘が慎重な口ぶりで応えた。


「敵に囲まれてるこの状況で使ったら、制御できる自信がない。……森だけじゃなく、学校なんかもまるごと吹っ飛ばす可能性がある」


「……!」


 制御できる範囲であれだけ圧倒的な力を発揮していたのに、それが制御できないとなると。蒼はごくりと唾を呑み込んだ。


「それに、あれは妖を殺す為に使うものではないんだ。……これ以上は教えてやれない」


 最後にボソリと付け足された一言に、蒼は瞬いた。


 ――何でもいいだろ。


 ――それは教えてやれない。


 そんな風に、きっぱりと線を引かれたことはあった。しかし今の一言は、そういったきっぱりさがなく、蒼としても傷付かないでいられたのだ。一鞘の方から言えない範囲を示されたことも大きい。


(もしかして、向こうも図書館掃除の時のこと気にしてくれていた……?)


 真意はどこにあるのだろうと思わずじっと見つめるも、一鞘の側はとっとと切り替えていた。


「――となると、この妖の本体を倒す他ないよな」


 一鞘の決断に、ようやく息が整えた姫織も「そうだね」とうなずいた。蒼もそれに続こうとして――……、


「……え、えぇ――――――――――――ッ‼」


「うるさい叫ぶな!」


 ……容赦なく頭をはたかれた。


「だっ、だってこんな上位の妖……!」


「殺らなきゃこっちが殺られる」


「先生達、来てくれると思うし!」


「だとしたら尚更急がないとだろ。早とちりして外側から封印して燃やされるかもしれない」


「さ、さすがに誰かいるかもしれない森にそんなことはしないんじゃ……」


「どうかな」


「……」


 何を言っても一鞘はにべもなく、最終的には蒼が黙り込むこととなった。――この男には何をやっても勝てそうにない。


「仮に燃やさなかったとしても、緊急会議で行き詰まってるのがオチだろ」


 これがトドメである。


「……まいりました……」


 蒼はうなだれ、完敗を認める他なかった。


 一鞘が「よし」とうなずいてみせた。特別満足そうでもなく、さも当然のような態度なのが嫌なところである。


「……ところで、本体って?」


 とりあえず、今大事なのはそこだ。


「この森をこんな風にした妖は、寄生型なんじゃないかと思ってる」


「寄生型……」


 生き物に寄生して融合し、意のままにそれを変化させ操る妖だ。大抵の場合その妖自体は弱いのだが、操る力は相当なもので倒すのが厄介だと、父が話していたのを思い出す。


「突然邪気が出たろ、この森。本体がずっと昔からこの森を支配しようと根付いていて、時間をかけてやっと森全体を支配できた――その瞬間に邪気が広がったってのが1番自然だと思ったんだ」


「そっか。操作型だと、暗示にかける為にどうしても邪気が出るけど、ここまで一気には出ないもんね」


 操作型は寄生型同様に他の生き物を操る妖だが、寄生型のように体の一部になったりはしない。あくまで操る対象とは別個体のままでいる。その為、自分の意のままに操れるように暗示をかける、指示を出す、の2段階に分かれる。この暗示の段階では邪気が薄く、指示の段階で操作型は本領発揮となる。自然、そちらでの方が邪気が濃い。


 だが、この森で生じた邪気は、いきなり全力を出していたようなものだ。となれば、寄生が完了した時点で本領発揮となる寄生型が犯人……犯妖? と考える方が納得がいく。寄生型は、寄生をする段階で妖力を伴わない。だって寄生することはただの生態なのだから。生理現象、習性みたいなものだ。


 蒼が納得顔になったのを見て、一鞘が「やっと分かったか」と笑った。


 ――あれ、優しい?


 不意打ちの笑顔に、思わず見とれてしまった……って!


(そ、それどころじゃないからッ!)


 蒼がぶんぶんと首を振っているのを、一鞘が怪訝そうな顔で見ている。蒼は慌てて口を開いた。


「とっ、とりあえず本体はあっちこっち動き回ってるから、早く追いかけないとだよねっ!」


 すると、一鞘と姫織が虚を突かれた顔になった。いつものような白い目ではなかったが、そんな顔をされるとこちらが不安になる。


「……あたし、変なこと言っちゃった?」


「お前、分かるのか?」


「へ?」


「本体の位置」


 ちょっと顔をしかめて、真剣な眼差しで訊かれてしまった。それに気圧されながらも、蒼はうなずいた。


「う、うん……。何だかずっと、動き回ってるのがいるな~とは思ってたんだけど、言われてみればそれが本体なのかもって……」


「……そういうのはもっと早く言えよッ‼」


「ひぃッ⁉」


 何はともあれ、蒼を中心とした本体捜索が開始されたのであった。

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