龍焔の機械神03

ヤマギシミキヤ

第一章

【幕間】


「探したぞ【書記】よ」

「【主悦】ではないか。空の街の制御機器と成り果て身動き出来ぬと聞いていたが」

「その空の街が撃沈されたのでな、自由の身となった」

「撃沈? また物騒な話だな。あんなものが墜落したら下の土地の方が沈むだろう」

「それも含めて貴様に所在を教えてもらいたい物がある」

「何だ?」

「星舟と解析機関を知らぬか? 代替品が必要になったのでな」

「二つとも中々の骨董品だな。そこいらの土の中に埋まっているだろうが、私とて精査しなければ正確な位置は分からん。時間がかかるぞ」

「一つの書を執筆している貴様ならばこの二つの在処の知識も持ち合わせているだろうと踏んだのだが」

「星舟はともかくも解析機関ならば貴様達の手で作れるだろう」

「我等の手で作り出すのは簡単だが、人間が自分の手で作った時代の物が必要なのだ。微妙な歪みやズレと言うものが我等では再現出来ん」

「我等が自分達の手では我等と同じ物が作れないのと同じ理由か」

「そう言う事になる」

「それはそうと【代官】の後輩を名乗るものが先日現れたが、あれは何モノだ?【代官】の養女二人以外で我等の記憶素子の中に記録が無いもの等、相当な事だぞ」

「⋯⋯そのモノは本当に【代官】の後輩と名乗ったのか?」

「そうだ」

「困った事態となったな。何れ向こうの方から再び姿を表すだろうから悪さをせぬ様【代官】の方から釘を指してもらわねば」

「【代官】の後輩であるならば相当な力があるのだろう。異界に略取された同胞の奪還を頼めないのか」

「力は強いが思考はあって無い様なもの。異界に着いたとしても略取された我等の同胞と遊び呆けるだけだろう何億年も」

「困ったものだな、先輩そっくりだ」


 ――◇ ◇ ◇――


「浮き水?」

「そのように呼ばれていましたのでわたしもそのように呼称しました」

 副長の問にリュウナが簡潔に答える。

 二人が見上げる上空には、270フィート程の低空に一辺が65フィートはある正立方体の水の塊が浮かんでいる。

 嘗てリュウナの姉がダンタリオンの訓練の際に、十三号機の重力制御で作った水塊そのままの物が浮遊していた。ダンタリオンの乗員達は結局あれと同じものは作れなかったと、話には聞いている。

 リュウナはこの浮き水の存在を知った時、水没が起こらなかったことによる世界への影響の中でも、最大規模に近いものであろうと判断、黒龍師団本体の方でも実際にその目で確かめて欲しいと、視察の要請書を送っていた。そして自分は説明役として近隣の町で待機していた。

 この浮き水が浮かぶ地へは、フィーネ台地攻防戦が起こるまでは世界各地の水没の痕跡を調べていた嘗ての副長総指揮による調査団が来るのだろうとは思っていた。自分は副長付きの機械使徒操士であったので代理として調査場所へ行くことも多く、その経緯で調査団員の顔見知りも多く、今回は旧知の再開になるとは思っていた。だが、その調査団を率いて副長本人までやって来たのには面食らってしまった。

「副長、こんな所に来てて良いんですか。黒龍師団本体は忙しくないんですか」

 リュウナが「なんであんたまでやって来るんだ」という意味の嫌味を言うが

「危険度が大きいから見に来てくれと手紙に書いたのはお前の方だろう。そんなに大事になっているのなら長の代行が直接見に来るのは当然だろう」

 その様に返されてしまった。未だに師団長の行方は分からず、公式における黒龍師団最高責任者は未だに彼のままである。

 リュウナにとって副長は、小さい頃から自分を知る叔父か歳の離れた従兄弟のようで、そんな間柄の者が様子を見に来たようでなんだかこそばゆい。そして副長も半分はその様な感覚で来ているのが分かるのもむず痒くて仕方ない。しかし呼び寄せてしまったのは自分であり、組織を長期離れての旅をしているのだから、その役目は果たさなければならない。

「あれを処理するにはどうすれば良いと思います?」

 とりあえず嫌な顔をし続けていても仕方ないので仕事に戻る。

「機械神があれば大抵の問題は処理できるだろうが、あれの為に初中後しょっちゅう動かす訳にもいかんしな」

 副長の応え。

 最終的には機械神を全機封印するために黒龍師団は動いているのである。機械神が動くことが前提の案件を後世に残すわけにはいかない。

「そもそもあれは何か悪さをするものなのか? ただ浮いているだけなら放っておいても良いような気もするが」

「確かにただ浮いているだけなら無害です。あれに触れたら竜巻になるかも知れないと誰かが流言したのが、そのまま噂話として広がってしまったらしく、殆どの住民も怖がって近付きませんので悪戯する者もいませんし」

「そうなのか?」

「はい」

「黒龍師団が作り出した新兵器と噂されていないだけましか」

 空を覆う巨雲に続き、今度は宙に浮かぶ水の塊。異常なものは全て黒龍師団の所為だとする風潮に従うと、あの浮き水も黒龍師団の作った新兵器にされかねない。もっとも雲も新兵器ではないのだが、作ったのは黒龍師団で間違いないのは仕方ない。

「ただ質量的にはかなりのものがありますので、風に漂って動き何かに衝突したら、大抵のものは粉砕されます」

「⋯⋯基本は放置でも構わないが、いざとなると移送手段の確保だけは必要な訳か」

 リュウナの指摘に副長が難しい顔になる。

「あれはその噂話通り竜巻になるのか?」

 今度は地域住民が流布した噂の真相を訊く。

「浮き水内の自重組成が異常を起こしているから四角くまとまった状態で浮いている訳なので、重力変動が出来るものが外部から干渉して回転させれば水竜巻にはなると思いますが」

「重力変動が出来るもの――機械神か、お前のお姉ちゃんとかか?」

「⋯⋯お姉ちゃんはやめてください」

 副長にそういわれリュウナは顔が真っ赤だ。あの時副長に聞かれてしまったのは一生の不覚だと苛む。

「このままずっと言い続けるなら黒龍師団なんかすっぱり辞めて海賊にでもなりますよ?」

 割と本気で凄む。

「それは討伐が大変だな。だがお前なら私掠免許状を渡して勝手に暴れてもらえば黒龍師団も楽になるな」

「もう、いい加減にしてください」

 副長は「すまんすまん」と頭を掻くと話を戻した。姉に追従するがごとく見上げるほど背が高くなったが、小さい頃から知っている副長からすれば、その仕草や行動が娘の様に可愛いくて仕方ないのだろう。

「あれを処分するにはどうすれば良いと思う?」

 今度は副長がリュウナに同じ質問を返した。

「我々が暮らすこの大地から重力が出ていることによりわたしたちは地面に立っていられます。その重力の流れ⋯⋯龍脈ともいいますが、その龍脈の流動値が浮き水の自重異常を打ち消す値に合致する場所まで運んで地面に下ろせれば、理論上は消えると思いますが」

「詳しいな?」

「右手のこともありますし、色々調べながら旅をしてますよ、ちゃんと」

 この右手が電磁誘導と重力制御を用いて動いているのはキュアから教えられているので、それに関連することは調べながら旅を続けているし、そもそもそれは旅の目的の一つな訳で。

「今話したことをそのままわたしの育親しとねおやに伝えれば、必要な器材を作り揃えてくれると思いますが」

「⋯⋯俺はお前の育ての母さんは、正直苦手だ」

「苦手じゃない人いるんですかね?」

「お前たち養女二人は流石に平気だろ?」

「一応は娘になるわたしでも良くわからない時ありますよ、あの鋼鉄の淑女は」

「まあ仕方ない。俺は今日にでも帰還してキュアと対策を練ることにする。あの鉄の女なら便利な道具を一つは作ってくれるだろう。お前は調査の旅を一旦中止にして、この地にいてもらいたい。調査団はしばらく駐屯することになるからな」

「仕方ありませんね、了解です」

 黒龍師団本体に手紙を送った時点で、自分が説明と監視役を兼ねてこの地に留まることになるのは予想していたので、旅を続けるのは休止になるだろうとは思っていた。だからそれには素直に従うのだが

「それとプルカロルを持ってきた。何かあったら使ってくれ」

 その後の副長の言葉にはさすがに素直な返事は返せなかった。

「⋯⋯わたしはもうプルフラス、もしくはその同型機には乗らないと申し伝えてありますが」

 プルカロルとは機械使徒四十四番目の機体の名。しかもそれは失った愛機と同じ形の機なのだ。

「我儘をいうな。お前には調査団を守ることも任せなければならんのだ、丸腰でどうする。それに本拠地の方でも改装作業で手一杯で、自由になる機体がこれしかないのだ」

 操れる操士がいないのだから、それはそうだろうとリュウナも思う。今まで埃を被っていたこの機体を、良い機会だろうと持ってきたのだろう。

「なにもなければ乗らんでも構わん。だが、何かあったら必ず乗れ。これは命令だ」

 副長の強目の指示にリュウナは

「⋯⋯了解です」

 と、心の抜けた意志の無い返事しか出来なかった。


「プルカロル、あなたに恨みは無いけれど、少し邪険に扱ってしまうのは許してよね」

 副長が残した置き土産を見上げて、リュウナが独り語ちる。

 旅に出ていれば機械使徒に乗る機会もないだろうと安心していたら、向こうの方から持ってこられてしまった。

 望まぬ土産を置いていった副長はリュウナの元気な姿を見たらそれで満足のようで、さっさと帰還してしまった。

 プルカロルに関しては機械神九号機が調査団と装備一式と共に運んできていた。操士のアレックスも「リュウナちゃんの元気な姿を見れて嬉しい」と言い残して、副長から一日遅れで帰っていった。彼女もまたリュウナにとっては歳の近い叔母であったり従姉妹のような間柄なので様子見にこられると困ったようにこそばゆい。

 そして運び屋の彼女は今回は更に困ったものを運んできた。

 機械使徒四十四番機プルカロルとは、機械使徒四番機プルフラスの同型機。その四十四と言う照応する番号と、名前が似ているということで、プルフラスの補完機として早い段階から選ばれていた。

 プルフラスはその高性能とは引き換えに普通の人間では乗りこなせない程の機動性を持つに至った。いくら高性能でも動かせる者がいなければ意味がないのでプルフラスの同型機など建造しても仕方ないのだが、その驚異と狂気の狭間にある芸術的ともいえる機体設計を一機だけで終わらせるのは忍びないと、技術の継承と補完の目的でもう一機だけ作られることになった。

 そのような理由で作られたので操士になれる者もおらず、フィーネ台地攻防戦では出撃せずに終わっている。

「それにしても全く同じに作ることもないと思うけど」

 フィーネ台地で起きた攻防戦が決する時、自分を生かすため五号機と共に散っていった愛機の甘苦い記憶。全く同じ姿の四十四番機を見て、それを思い出さないのは嘘になる。機械神を破壊したプルフラスという名の機械使徒の伝説を語り継ぐのも、この旅の目的の一つなのだから。

「⋯⋯まあ、浮き水の問題が片付くまでだから、操士でいるのは短い間なのは確かなんだけど」

 浮き水の対応処理が終われば、探索の旅は再開される。そうなれば機械使徒という巨大なものを連れ歩く訳にはいかないので、再び黒龍師団本体の方へ送り返せる。

 この四十四番機を扱うのはそれだけの短い間だけだと一応は自分を納得させると、プルカロルの足部出入扉ハッチに向かう。とりあえずは邪魔にならない場所へ移動させなければ。

「こんなにも搭乗を拒否したい気持ちで機械使徒に乗るのは始めてだわ⋯⋯」


 ――◇ ◇ ◇――


「やはりここが気になるフィーア」

 入力された情報欠に従って静かに駆動する解析機関の手前で作業していたアリシアは、背後の気配に気付き相手の名を呼んだ。

「⋯⋯」

 名前を言い当てられた相手はなぜ見もしないで分かるのかと思うが

「あたしだって最初は喋れなかったのよ。だから気配だけである程度誰かか見抜く力は持ってる⋯⋯といいたい処だけど、ここに現れる人間はあたし以外ではあんたしかいない」

 解析機関の前で椅子に座りながら何かを執筆するアリシアは、顔を上げることもなく会話を続ける。

「あんたはあたしと同じような雰囲気を持っているとは前から思っていたけど、生まれ故郷も同じだったなんてね」

 アリシアはそこでようやく顔を上げて相手に向かって振り向いた。

 其処にはダンタリオンの四番機機長、フィーアが所在無げに立っている。何時ものように硝子の嵌め込まれた砂鉄入りの掲示板を抱えて。

「空の街が墜落し、残骸から回収された解析機関と星舟を魔女の遊び場ここへ運び込んだ⋯⋯それを知ったら来ない訳にはいかないわよね、故郷を破壊したヤツの顔を拝みに」

 ここは、黒龍師団本体の機械神格納施設に隣接する地下格納庫。千年以上の時間をかけて作り増やされてきた機械神の予備部品の保管場所。

 本来はその様な予備部品の保管は十三号機の役目なのだが、十三号機が装着するのは他機の主要部品のみなので、胴体や手足等の本体を構成する物は別に用意しておく必要がある。

 今まではその種の部品が多量に蓄積されていたのだが、機械使徒のダンタリオン型への改装や五号機の新造等に消費されているので数を減らしている。

 その閑散となった場所の一角に、以前よりとある研究施設が設けられて、資格のある者に開放されていた。その資格とは魔女であること。

 もちろん大々的に公表された訳でもなくキュアが知る魔女に直接教えたのみ。アリシアは機械神正操士の権利として、黒龍師団では自分以外にはフィーアが魔女であると教えられていた。だからここに彼女が現れたのは必然なのだ。

「⋯⋯」

 フィーアは何事か呟くと持っていた掲示板の硝子面を前にするようしてアリシアに向かって掲げた。中に入っていた砂鉄が動き「そっちにいってもいい?」と文字を形作る。

「もちろんよ。ここはあんたも含めた魔女の遊び場。あんたが扱いたければいつでも席を空けるわ」

 その言葉に首を左右に降りながらフィーアはアリシアの前に来た。それと同時に力を失った砂鉄が硝子から剥がれ、掲示板の中に落ちる。

 これがフィーアの疎通方法。彼女は磁力を扱う魔女。鉄であれば宙を浮かせて自在に扱うことが出来る。

 彼女が喋れないのはアリシアと同じ理由。呪文詠唱の発音に喉部が特化しているため、他人が理解できる速度で言葉が出せない。だから砂鉄を使い言葉を組み上げて他人との会話に用いる。相手を痺れさせてのアリシアの疎通方法に比べればよっぽど解りやすく安全なので、彼女は喋れなくとも今まで問題なく生きてこれたのだろう。

 そんな彼女はダンタリオン分離機の四番機機長である。機体内では無線等を用いた連絡も頻繁に行われているのに、会話を用いた意志疎通が出来ない彼女が何故そんな重職に就いているのかというと、四番機の副機長がフィーアの声の代わりをしてくれているのである。

 フィーアが指示したいことを雰囲気だけで読み取ったり、傍らに置かれた砂鉄の掲示板を読んですぐさま無線を入れたりと「私が彼女の声になっていれば四番機は完璧に動く」と補佐に徹した良き世話役だったのだ。

 フィーア自身はそれだけ手間のかかる乗員だった訳だが、金属製の釦や操作桿ならば少し離れた場所にあっても磁力の魔法で動かしてしまうので、操士としては非常に有能なのである。ダンタリオンの操作に関しては機長の中でも最高位になる。彼女ならば機械神すら動かせるといわれるが、本人はあまり矢面に出るのは苦手らしく、機械神操士選定も受けたことが無く、ダンタリオン一番機機長の座を狙うつもりもない。

「フィーア、これが読める?」

 アリシアは机の隅に置かれていた一冊の本を取り出した。フィーアは掲示板を脇に抱えるとそれを受け取った。

 数頁しかない本。それでいて装丁は木板でも入っているかのような頑丈な革製。中を開くと枚数は少ないのにやたらと分厚い頁が出てきた。羊皮紙を特別に厚く精製したものらしい。

 そしてそこに書かれていたものは

「!」

 その文字の羅列を見た瞬間、フィーアはこれが何かを理解した。

「そう、それは雷の魔法よ」

 大きく目を見開くフィーアに静かに告げる。これはアリシアが自ら執筆して纏めた魔導書。

「あたしが扱える雷系魔術を文字の術式に起こして、他の魔女でも詠唱できるように簡易化して再構成したもの。術式の簡易化はこの解析機関に情報欠を入力すれば勝手にやってくれる」

 今も静かに動き続ける解析機関を見上げながら言う。新たな術式の簡易化を行っているのだろう。

「他にも必要な知識や触媒があればそこに転がる星舟を修理して、必要なものを取りに行けば良い。それを可能にする技術の探求も魔女の役目の範疇なのだとしたら、ここを魔女の遊び場と名付けたのは良くいったもの」

 フィーアの方に向き直り、そして言う。

「あんたそれを読んで、雷の魔法使える?」

「⋯⋯」

 フィーアは雷の魔導書を片手に持つと、掲示板を取り出して「読めるけど口から雷の呪文が出てこない」と砂鉄で文字を作った。

「⋯⋯やはりそうか」

 アリシアが腕組みしながら言う。予想の範囲であったらしい。

「フィーア、それをあんたにあげるわ」

 アリシアの申し出にフィーアは「良いの?」と掲示板での応え。

「最終的にはあんたにも磁力の魔導書を書いてもらいたいと思っている。だからそれはそのための参考に進呈する」

 一方的な申し出だが、フィーアは悪い気はしなかったので「私にも書ける?」と掲示板で訊く。

「それも含めてそれを読みながら良く考えてほしい。現状のあんたでは雷の魔法が使えないのは何故なのかを。それが分からなければ魔導書は書けない」

「⋯⋯」


 浮き水と呼ばれる正体不明の浮遊する水塊の視察から副長が戻り、対策会議が開かれた。早急に対応策を考えなければならないほどの物体であったらしい。

 会議に召集されたのは黒龍師団の実質的統率者のキュアの他にはアリシアとフィーア。今回は機械技術的な問題よりも魔術的要素が大きく占めると、黒龍師団で所在を把握できている魔女の二人も同席させられた。

「我等が総力を上げて作ったあの雲は、機械神と準機械神型機械使徒が電磁誘導や重力制御を形振り構わず盛大に使って作り上げたもの。自然の理を螺曲げた影響が遂に直接現れた」

 浮き水を実際に見てきた副長の話を聞き、キュアがその様に言う。

「千年周期で世界が水の底に沈むのも十分に理を螺曲げていると思うが」

 副長がそれに反論する。

 フィーネ台地から溶け出した氷を雲に変えるよりは、今まで通り水没に身を任せて水が引くまで堪え忍んでいた方が良かったのか、その答えはまだ出ていない。少なくとも星喰機の帰還による大洪水から、多くの人々を守ることは出来たのだ。

「しかし水没の際には浮き水等という不確定な問題は発生していない」

 キュアがそれに更に反論を重ねる。

 この浮き水が引き金となって、新たな世界規模の水災が起こるのであれば、本来ならば大洪水に飲み込まれていた人々の死を、ただ先送りしただけになる。

 機械神の常態維持と自分達の代替品創造の探究の二つという、自動人形の行動理念からすれば「無駄な事をさせられた」ということになる。水没という事象の繰り返しの方が安定を稼いで来たのだから。

「――あのさあ、痴話喧嘩が続くのなら退席しても良いかしら、あたしやることいっぱいあるんだけど」

 今まで黙っていたアリシアが口を開いた。このままでは相手の責任を追及するだけの言い争いにしかならないのは目に見えてきたので制した。こんな話に参加し続けるなら早く十二号機か解析機関の前に戻りたい。

「過ぎたことを今さら問題にしてどうするよの? それに水を雲に変える計画を作ったのはキュアでしょう?」

「そうだったな。まあ、副長が相手だとつい責め立てたくなるものでな。なんだろう、私は副長に恋でもしているのか?」

「気色悪いことをいうな」

 アリシアの追及に対するキュアの応えを聞いて、副長は思いっきり怖気が走った。やはりこの鋼鉄の淑女は苦手だと心底思う。

「副長は色々責任を取って今度キュアを食事にでも誘ってあげたらどう? 惚れられてるようだし」

「お前も気色悪いことをいうな! こんな冷却水しか飲めないやつを連れてどうしろっていうんだ!」

 アリシアの煽りに副長が取り乱すが、その流れを無視するようにフィーアが掲示板を出した。そこには砂鉄で「副長が見てきたものは教官が重力制御で作った水塊に似ています」と書かれていた。フィーアもフィーアでこんな不毛なやり取りが続くのなら魔女の遊び場へ行きたいと思い、自分ができる全力の意見具申をした。

「⋯⋯そうだな、会議に戻らねば。取り乱して悪かった」

 フィーアの精一杯の抗議に冷静になったか、副長が場の雰囲気を戻そうとし、キュアとアリシアもおとなしく従う。

「フィーアはリュウガが十三号機で正立方体の水塊を作るのを実際に見ているのだからな。その意見は大きい」

 そしてフィーアも乗るダンタリオンは重力面を六面貼り合わせて自分達も重力制御の立方体を作ろうとしたのである。実際にはフィーアの属する左半身の分離機は炉を暖気運転のまま待機していたので、立方体の精製はやれていないのだが、正方形の重力面を作ることは何時でも可能にはなった。

 この「実際に見ている」「実際に作ろうとした」という経験は非常に大事な要素としても、フィーアが召集された理由である。

 そのフィーアのお陰か、その後の会議は意見の交換を経て順調に進み、最終的にはキュアが、機械神の力を全く使わないで浮き水を移送する道具を作り出す、ということで会議は終了する。

「まあ良い。我等が作ってきたお前達人間が失敗作と揶揄する自動人形の代替品試作の数々は、こういう時こそ重宝する。無駄な事をさせられた代償にはお前達が無駄と称する物を充てて補填させてもらう。それで構わぬな?」

「構わん。協力してくれるのなら何でもやってくれ」

「面白そうだから何か作ってやるって素直にいえば良いのに」

「我等は機械仕掛けの人形だからな。素直でないのが標準だ」


 ダンタリオンが黒龍師団へと帰還し分解修理オーバーホールと乗員の保養を行っている間、フィーアは予備部品格納庫の隅の一つ、通称魔女の遊び場へと通い詰めていた。

 フィーア自身は空の街からどの時代に投下された魔女なのか全く覚えていない。一番最初に投下された者から最後の者まで数百年の年齢差がある筈だが、魔女とは不老に近い生き物らしいので、歳による序列は無意味なのだろう。彼女達は千年単位で起こる水没を如何に回避させるかを目的に投下されてきた者達であるので、年齢や加齢は意味の無いものなのかも知れない。

 魔女を投下する装甲航空機は、肉体を半ば仮死状態にして長期保存する機能もあったらしく、不老に近い体組織も相まって、表に出たくなければ数百年の時をその中で眠ったまま過ごすことも可能だったという。

 魔女とは喋れない者が殆どだったのだから、会話を主に用いる一般的な疎通方法の困難さに嫌気が差して、装甲航空機を家と寝床代わりにして引き篭っていた者ばかりだったのだろう。歴史の表には魔女なる人材は全く出て来ないのだから、その様な認識に至っても仕方ない。アリシアのように装甲航空機を失い外界を彷徨していた者の方が特異だったか。

 フィーアが黒龍師団に来たのは、ダンタリオンの乗員募集の告知を見たからだ。

 一応自分が水没を回避させるために生まれてきた者であるのは覚えていた様で、鉄を動かす磁力の力を何かに役立てられないかと放浪していた処、鉄で出来た巨人が大量に居る所なら何か仕事もあるだろうと乗員募集に応募し、磁力も用いた人に倍する機械操作力を見せ付け、四番機機長となる。砂鉄の掲示板もその時に作ってもらったものだ。

 魔女である自分はその異能の力で奇異の目で見られるのは覚悟していたのだが、教官が機械神すら破壊する火の使い手だったことからか、変な目で見られることは殆ど無かった。その教官であるリュウガのことも、火の魔法を使う魔女なのかと最初は思ったのだが、普通に会話も出来て尚且つ火の力の元が電磁誘導と重力制御の複合だと分かると「別の理から生まれた魔女とは違う何か」だと知り、少し寂しくなったのも淡い思い出だ。

 そうしてその教官と黒龍師団最高位の機械神操士が先日出掛けていき、機械神十二号機を持ち帰ってきた。

 黒龍師団最高位の機械神操士――アリシアは、同時に魔女としての記憶を戻して帰ってきたのも、キュアから教えられた。

「⋯⋯」

 解析機関の前の椅子に座り、フィーアはアリシア執筆による雷の魔導書を読んでいた。

 貰った時から肌身離さず、時間のある時はずっと読んでいるのだが、理解は出来ても呪文が口から出てこない。磁力の魔法を詠唱するのに完璧に調整されてしまっているのか、喉部が雷の呪文の形に動いてくれない。

 磁力の魔法を文字の術式にしてみるのもやってみた。頭の中にあるのを唱えて呪文化させていただけのものを文字化するのは大変な労力だったが、一番簡単な磁力の魔法を術式にするのは出来た。

 しかし今度はそれを自分で解析機関に入力して簡易化してみると、途中で止まってしまう。機械仕掛けの解析機ですら磁力の呪文は解読できないのだろうか。

「⋯⋯」

 フィーアはとりあえず解析機関が出力できた処までの簡易化術式を、普通の紙に書いてみた。これをアリシアの魔導書のように羊皮紙で製本できるようになるまでどのくらいかかるのかと思っていると、その執筆の先達がやって来た。

「様子を見に来たわ」

 フィーアがこの魔女の遊び場に入り浸っているので、アリシアは新たに手に入れた十二号機の調整等で時間を潰していた。

「⋯⋯」

 フィーアは冒頭の部分だけが簡易化された磁力魔法を書いた紙を渡した。簡単なものだが二つ目の魔法の魔導書と考えればとてつもなく貴重なもの。

「読めないわ」

 しかし魔導書作成の先達であるアリシアは、貴重な一品をバッサリと切って捨てた。

「⋯⋯」

「これではっきりしたわ、あんたが魔導書を書けない理由が」

 フィーアはアリシアの魔導書は読めるがそれを詠唱できない、アリシアはフィーアの書いた簡易化術式を魔女であるのに読むことすら出来ない、その矛盾の答えは。

「あんたが、言葉を喋れないから」

 アリシアが冷徹にその答えを告げる。

「言葉による意志疎通ができないあんたが、他人に伝えられる言語で術式を書けないのは当然よ」

 それが問題なのはフィーアも感じていた。でも生まれた時から喋れないのはどうすればいいのよ! フィーアはその思いを掲示板に形作り、怒りのまま文字をぶつけた。

「あたしも魔女。最初は喋れなかった。しかし過去に自分の行いで咎められ魔力を封印する呪いをかけられた。その代わり喋れるようになった」

 それはフィーアも知っている。最初に見た時のアリシアは猫科の血が入った亜人とはいえ、魔法の全く使えない普通の人間だったのだから。

「そして、呪いをかけたものと同じ力を持つ者に頼んで解呪してもらい、魔力は戻った。会話能力も失われていなかった。でもそれの代価に賭けたのは、あたしの命よ」

 アリシアが言う。

「あんたの体に呪いをかけて直ぐさま解呪すれば、原理的にはあんたは魔法が使えるまま喋れるようになる。だけど、あたしがそれで成功したからといってあんたも同じように成功するとは限らない」

「⋯⋯」

「でもね、あんたが自分の命を対価にして賭けに乗るのなら、あたしは最後の切り札ラストリゾートを切る用意がある」

 自分が覚悟を決めたのならば、アリシアがとっておきの一枚を出すという。

「⋯⋯」

 黒龍師団の一団員としてこれからも生きていくならば、こんな処で命の危機に陥る必要なんてない。魔法が使えるのは自分の磁力の魔法一つに留まるが、それで困ることなど殆どない。喋れないことだって、今まで特に大きな障害になることもなく生きてきたのだ。

 しかし――

「⋯⋯」

 フィーアは、静かに頷いた。

 フィーアは新しい領域に踏み出す欲望に勝てなかった。例えそれの対価が命だとしても、前に進む価値はあると心が震えた。後は彼女が用意した手札次第。

「魔女なんて生き物は所詮は永遠の探求者。あたしたちを生み出した創造主のあの男がそうなんだから、その血を継承しているのは仕方ない」

 アリシアが苦笑しながら言う。自分も同じ様に命を対価に差し出し、あの時隣にいた彼女が賭けに乗ってくれたからこそ、今の自分がある。

「あんたもそうだろうと思ったから、今日は友人を呼んできてるのよ」

 アリシアのその言葉が合図になったのか、格納庫の向こうから人影が現れた。

「!」

 その長身の女性をフィーアが忘れるわけもなかった。

「フィーア、元気にしてますか」

 何時もの凛とした静かな声が心地良く耳に通る。自分も喋れるようになったらこんな声になりたいと願う。

 リュウガ・ムラサメ。フィーア達ダンタリオン乗員が永遠の愛を誓う愛しき教官。アリシアが用意したとっておきの一枚は、フィーアにとっても何物にも勝る最高の一手だった。

 フィーアは思わず立ち上がると、リュウガの下に走りそのままの勢いで抱き付いた。フィーアは喋れないからか、その愛情表現が過剰なものが多い。大型の獣が押し倒す勢いですり寄ってくる感じか。

「フィーアはもう覚悟はできてる。あとはリュウガ、あんた次第よ」

 アリシアが言う。リュウガも詳しい説明は事前に受けている様子で、了承するように頷く。

 フィーアも命を預けられるのがリュウガだと知って、ここで命が途切れたとしても思い残すことは無いと思った。

「覚悟を決めたあなたに色々いうのは憚れますが、一つだけ聞かせてください。喋れるようになることによって、大切なものも失う覚悟はありますか?」

 リュウガが問う。これから命のやり取りをすることになるが、生き残ったその先を問うた。

「⋯⋯」

 その問いに対してフィーアは「わからない」といった顔になる。

「もしもフィーアが喋れるようになって大切なものを失いそうになったら、また喋れないフリをすれば良いんですよ」

 リュウガが優しげに微笑みながらそう言う。不幸せになるくらいだったら、ほんの少しの嘘を吐いて、幸せだった状態に戻してしまえば良いと。

 多くの痛みや苦しみを越えてきた者だからこそいえるその言葉に、フィーアは自然と涙が零れた。教官の力に触れて死んでしまえるのならそれはそれで幸せなことかと最初は思ったが、それではいけないと気付いた。教官の力に耐え、生き残らなければ。自分も教官も幸せにならなければ。

「⋯⋯」

 フィーアはリュウガの体から離れると、全てを委ねるように瞼を閉じた。

「いきますよ――」

 リュウガはフィーアの首筋に右手を当てると、右腕を支える様に左手を添えた。そうして電磁誘導を送り込みフィーアの喉の一部を麻痺させ、次に重力制御を使い大地の引力に引かれるように固定する。全てはアリシアから教わった機械神による呪いのかけ方を再現したもの。

「!?」

 一連の作業が終わるとフィーアは弾かれた様に吹き飛び床に転がった。

「フィーア!」

 リュウガが慌てて抱き抱えるように助け起こす。さすがにアリシアも近付いてきた。

「⋯⋯きょ、う、か、ん⋯⋯」

 フィーアが助け起こした者を呼ぶ。

「喋れるようになったか。第一段階は成功か」

 アリシアが言う。表情には出ないが安堵はしているのだろう。

「フィーア、あと一つです。耐えて」

 リュウガはそういいながらフィーアの体を横たえると、再度右手を首筋に当て、先程と同じ様に左手を添える。そして電磁誘導で呪いをかけた位置を精査すると、その場所に力を送り込み一度かけた呪いを再び切り離す。

「!!」

 フィーアは力の奔流が二度も体を駆けるのに耐えられなくなり、遂に意識を失った。


 ――◇ ◇ ◇――


「⋯⋯アイネたちまで来たの?」

 ぞろぞろと歩いてくる女の集団を見てリュウナは呆れるように言う。

「何かにつけてとりあえず最初に出番が回ってくるのは私たちってことでね」

 先頭を歩いていたダンタリオン一番機機長であるアイネが応える。総勢16人。全員が分離機の機長だ。他の乗員は機体内で待機しているのだろう。あまり大人数で動かれても困るのだし。

「リュウナの方はあれから黒龍師団の方には戻ってないんだ」

「そうだよ。アイネたちの方は何度か戻ってる?」

「そりゃそうだよ、リュウナの一人旅とは違ってうちはダンタリオンと一緒に動くからね、たまには帰って分解整備オーバーホールをしてあげないと」

 数年ぶりに会ったというのに、まるで昨日も会ったかのように会話を弾ませているリュウナとアイネ。周りにいる他の機長達も同じ気持ちで耳を傾けている。

 数年前、フィーネ台地攻防戦から数ヶ月が経ち、世界が少しずつ落ち着きを取り戻し始めた頃、リュウナとダンタリオンの乗員達は、お互い別の役目を背負いほぼ同時期に黒龍師団を離れることになっていた。

 昼に教官への嫁入りという盛大に無茶苦茶な壮行会をやっていたダンタリオンの乗員達を目撃してしまったリュウナはこれも何かの縁かと、壮行会を夜の部もやるということで顔を出してみた。そこで意気投合(リュウガという中心になる共通の話題はあるのだし)して、お互い呼び捨てで呼ぶ間柄になり、そうして黒龍師団を離れ別の道を歩んできた。

「えーとそろそろうちの四番機機長が我慢しきれなくなってきたみたいよ」

 二番機機長であるニコが言う。彼女の小柄な体に隠れるようにして四番機機長――フィーアが体を震わせている。

「へ? フィーアがどうし――」

 リュウナがそういうと同時にニコの背中から飛び出すようにフィーアが躍り出た。そしてそのままの勢いでリュウナに抱き付いた。

「リュウナ! リュウナ!」

 涙を吹きこぼしながら頬を刷り寄せるフィーア。周りの他の機長も少し引いてしまうほどの号泣っぷり。

「ど、どうしたのよフィーア⋯⋯って、あなた喋れるの!?」

 そこでようやくリュウナもフィーアの変化に気付いた。リュウナもフィーアが魔女で磁力の魔法が使える代わりに喋れないのを知っている。

「⋯⋯リュウナの、お姉さんに⋯⋯喋れるように、してもらえた⋯⋯」

「はぁ!? お姉ちゃんが!?」

 あまりの事実に声が裏返る。そして他の機長から彼女が喋れるようになった理由を教えてもらう。

「⋯⋯うちのお姉ちゃんってばどこまで底無しなのよ、教え子の喋れないのを治しちゃうとか、ほんとは神さまとかなんじゃないの?」

 無茶苦茶な教え子の教官は更に無茶苦茶だった。そしてそんな人が実の姉である。

「通り名が紅蓮の死神っていうくらいだからもう神さまでいいんじゃない、この際」

「⋯⋯冗談でもやめて」

 アイネの途方にくれたような指摘に、リュウナが心底疲れたように言う。そんなとてつもない人物と自分は血の繋がった姉妹であるという事実に、自分のことも良く分からなくなってくる。姉離れの旅に出た判断は本当に間違っていなかったと改めて思う。


「これが小早?」

 アイネ達が持ってきた木造艇を見てリュウナが言う。今回やってきたダンタリオンは、フィーネ台地攻防戦の時にプルフラスに装着させた増装備と同じものを背負っていた。その中の一角にこれが納められていた。

「これを浮き水の上に載せて、操舵員が小早に乗り込み、浮き水を目的地まで移送する?」

 大急ぎで作成されたと思われる取扱説明書を読み進めると、小早とそれを推進させる調律櫂の仕様説明も書いてあった。

「希土類磁石に隕鉄に瑞典鋼? 人間だけで作れないこともないけれど、希少金属ばかりだわ」

 希土類磁石の磁力が浮き水そのものが持つ龍脈を微妙に変異させるのだろう。これを人間の技術だけで作るのは何とか可能だろうが、これに手をつけて改良するのは不可能に近い。複製を作るだけでもかなり限界に近い技術がいる。

 しかも寸前の所で超越技術オーバーテクノロジーになっていない極限の技に、凄さを感じるよりも呆れてしまった。

「自動人形が本気になって技術開発するとこんなものが出来ちゃうのね」

 自分が副長に説明した必要性能通りの物がとりあえずは作られて持ってこられたのだが、あまりにも取り扱いが難しすぎるようにも思う。

「それと私たちが来たのは、この小早が使えなかったら、ダンタリオンの分離機で牽引できるかどうかを実際に試して欲しいからだってさ」

 そんなリュウナの疑念は最初から分かっていたのか、アイネが自分達がここへ派遣された理由を説明する。

「それって結構な熟達の技が必要なんじゃないの?」

 しかしそれはそれでかなりの技術が必要である。可能なのは現状では機械神正操士を除けばリュウガの最初の教え子である彼女達だけなのでは。

「それも含めての私たちの派遣なのよ」

 アイネが説明する。ダンタリオン型機械使徒の増産も進行中であるから、浮き水が増えてきたら今後は乗員の習熟が終了し運用可能となった機体から、対象浮き水の処理に充当させるのも検討中であるという。

「まあ、まずはやってみるか」


「⋯⋯結局こういう布陣になるのよね」

 リュウナが呟く。

 小早の取扱説明書には三人体制での運用と書かれていた。二名が小早に乗り、残り一名が小早を浮き水の上に載せられる大型機械を操作し、浮き水を移送中も付き従い支援を行う。

 小早を浮き水上に載せるのはもちろんダンタリオンが選ばれた。ダンタリオンの操作は一番機機長のアイネ、炉の管理は二番機機長のニコ、とりあえず右腕で載せることになったので腕部の統括管理は三番機機長のミク、必然的に三人を除いた序列一位の者が小早搭乗担当となり、四番機機長のフィーアが艇上で体を震わせている。もちろん相方はリュウナである。

「⋯⋯こわい」

 フィーアはリュウナの腕に抱き着いたまま震えている。

「わたしだって怖いわよ」

 普段なら直立した状態の機械使徒や機械神の上を平気で歩けるリュウナだが、それと同じだけの高さを他人任せで移動(しかも自分達は剥き出し)するには流石に怖い。

『じゃあ行くわよ』

 ダンタリオンの外部拡声器からアイネの声がすると、ダンタリオンが小早の上に屈んで来た。

 慣れた操作で小早を摘まむとゆっくりと持ち上げる。

「アイネの操作は信用できるとはいえ、やっぱり怖いわね」

 腕に抱き着いているフィーアの震えが大きくなっている。自分もここにリュウガがいたならば、彼女と同じように抱き着いて震えているのだろうなと思う。

 暫しの空中移動を経て小早は浮き水の上に載せられた。

「⋯⋯」

 リュウナはそこからの風景が意外にも幻想的なのに言葉を失ってしまった。

 穏やかな水面の向こうには空が広がる。遮るものも何もない広がり。地平線でも水平線でもない境界を作る水面に、不思議な感慨を覚える。

「⋯⋯観光としては十分な景色だろうけど、わたしたちは今からこれを移動させなきゃならないのよね」

 リュウナは我に帰ると「フィーア離れて」と相手を艇内の前部の方に行かせ、自分は中に置かれていた櫂を取った。艇体右舷後部に櫂受が設けられているので、リュウナは小早の後部甲板に上がる。

「水路を移動するゴンドラと同じようなものね」

 櫂受に櫂をはめて、先端を水面に沈める。そして少しずつかき出すと

『動いた!』

 後ろで待機するダンタリオンの拡声器からアイネの声がした。ダンタリオン内部では乗員たちの歓声が飛び交っているに違いない。

 リュウナが櫂で水をかくと、小早と共に浮き水も前進する。そして小早もその場で止まっているような感じではなく、戦車の履帯のように水面が回転している。

「なかなか面白いわね――でも」

 これだけの高さで、処々の操作をするのはやはり怖い。しかも剥き出しなのである。

 リュウナはその身体能力から恐怖は軽減されているが、普通の人間であれば怖くて身動きが取れないのではないだろうか。現に魔女のフィーアですら膝を抱えたまま動かない。

「とりあえず下降できるかどうかやってみるか」

 取扱説明書には「調律櫂を適切な支点で動かせば理論上は浮き水を下降させられる」とは書いてあった。この説明書を作ったのは自分の育親だろうから嘘は書いていないだろうが、それが実現できるかは別の問題だ。

 とりあえず櫂を動かしてみるが前後左右に動くだけ。いくら宙に浮いているとはいっても上下移動がこんな櫂の動きで可能なのかと思っていると

「――ん?」

 そんな時、リュウナの右腕が引っ掛かりのようなものを捉えた。「ここか?」と思いその辺りを重点的にかいていると

『下がった! 下に下がってるよリュウナ!』

 再び拡声器からアイネの声が聞こえた。

 小早に乗っている本人には分からないが浮き水の下降には成功したらしい。しかし

「これじゃダメね」

 リュウナは独り語ちた。自分の右手に妙な感覚が続いてる。右手ここから何かの力が発せられ、浮き水の核になるような部分を遠隔で掴んだような感じ。そしてそれは自分の他にはリュウガくらいしか感じれないだろうことも知ってしまった。

 状況をある程度把握したリュウナは「回収してー!」と支援役のダンタリオンに向かって叫んだ。


「なんで途中で止めちゃったのよ良い感じだったのに?」

 浮き水から小早を降ろした場所へと、ダンタリオンからも乗員が降りてきて集まってきた。

「あのまま進めても失敗だから止めたのよ」

「失敗?」

 リュウナの説明にアイネが代表して疑問を投げる。

「みんなはもう友達だから見せても良いと思うから見せるけど」

 リュウナは右手だけに嵌めている手袋を脱いだ。

「⋯⋯」

 晒されたその右手を見て全員が息を飲む。

「お姉ちゃんであるリュウガ・ムラサメは電磁誘導と重力制御、それを組み合わせた火の使い手。そして妹である私もその力は違う形で備わっている。それがこれ」

 この「人の体で出来た機械の手」は自動人形が手足を動かすのと同じ、電磁誘導と重力制御を使って動くと説明する。

「確かに小早と調律櫂を使えば浮き水は動かせるわ、上下にだって。でもそれには電磁誘導と重力制御を使って浮き水を引っ掴まえる部分を見つける、という段階を践まないといけない。現状でそんなことができるのはわたしとお姉ちゃんの二人だけよ」

 手袋を嵌め直しながらリュウナが言う。

「わたしたち姉妹にしかできないのなら、あの浮き水の処理に小早なんて必要ない。電磁誘導と重力制御の取扱いに長けた機械――機械神に頼めば良いことになっちゃう」

 ムラサメ姉妹は二人しかいないが、機械神はそれ以上の数がある。現状での小早を使っての浮き水の移送は破綻している。

「リュウナや教官お姉さんのような人を一から育成するってのはどうなのかな」

 機長の一人が意見を挟む。

「電磁誘導と重力制御が使えなくても、浮き水の引っ掛かりだけを探り当てられれば良いんだもんね?」

「それはそうなんだけど、第一号の浮き水使いが誕生するまで百年くらいかかると思うわ。それだけ難しい。それにあれだけの高空で小早を操る度胸も必要だし」

 機長の一人の指摘にリュウナはそう応える。確かに操作に慣れてくれば普通の人間でも動かせるようにはなるとはリュウナも思う。だが基本となる技術構築にはそれだけの時間は必要なのも、力を持つ者の経験として判断する。時間をかけてようやく最初の一人が誕生してから、始めて教本マニュアルの用意などに進むことができるようになる。

「⋯⋯現状だと私らダンタリオンみたいなのが引っ張っていくのが現実的なのか」

 現時点で浮き水を早急に移送しなければならないのであれば、そうなる。構造的に簡素に見える小早よりも、明らかに複雑怪奇な機械使徒を使用した方が良いとは。

「まあ今度はそのダンタリオンの分離機で引っ張るって方法を試してみるか」

 アイネがそういい、リュウナも含めた他の者たちが全員頷く。

 その後の話し合いの結果、試用には六番機が選ばれた。対面の五番機と共に一番小型の機体なので、この機体が成功すれば他の機体も問題なく牽引できるだろうという判断による。それが偶数番機なのは、いつも右側の奇数番が始めにやらされているのでたまには左側の機で、ということだ。

『じゃあやってみるわ』

 六番機機長のゼクスから無線が入る。

 ダンタリオン本体から外れた左上腕部・六番機が空中を移動して浮き水に後部を向ける姿勢で静止する。そして重力変動装置を起動させる。

 重力面を一枚作り出し、浮き水を挟むように面を立てて一旦その場に固定する。後はこの重力面を引っ張れば、間にある浮き水は面に引っ掛けられて六番機の後ろを着いてくる筈。

『よし、引っ張るわよ』

 ゼクスがそういうと六番機自体が少しずつ前進する。そして少し遅れて浮き水も動き出した。

「まずは成功ね」

 浮き水をゆっくりと牽引し始めた六番機を映像盤越しに見たリュウナが安堵したように言う。リュウナは外にいても仕方ないのでダンタリオンの主操作室に同乗していた。

「当たり前じゃない、私たちを誰だと思ってるのよ? 紅蓮の死神あんたのお姉様の一番弟子なのよ」

 その結果にアイネが自信を込めて付け加える。機械使徒を用いての重力制御と電磁誘導の取扱いならば、彼女たちの右に出る者はいないのは確かだ。それは最高位の機械使徒操士であるリュウナも、彼女たちの力には遅れを取るのは認める処だが

「今六番機の中では大騒ぎになってるよね」

 静々と進むダンタリオン分離機の一機の中身を、リュウナはそう指摘する。

「⋯⋯ばれた?」

 自信を持って仲間の腕を自慢してみたが、やはり潜ってきた修羅場の数が違うのか紅蓮の死神の妹は敏い。

 六番機の機内は叫び声は上がっていないが、とてつもない集中力が必要な重圧に満たされているのは確かで、それを大騒ぎと称するなら確かに合っている。

 六番機の乗員が操作担当の機長ゼクス以外総出で操作卓へと着きっきりになっていた。ゼクスももちろんいらぬ挙動を与えぬ様に細心の注意で舵取りしている。全員が汗だくで計器と格闘し、目まぐるしく変わる数値に合わせて釦や操作桿を動かし続け、重力面の維持を続けていた。

紅蓮の死神お姉ちゃんの一番弟子の凄さは知ってるし良く分かってるつもりだけど、それだからこそダンタリオンのみんなしか、現状ではあの浮き水の牽引なんてできないよね」

 鋼の女神キュアから重力制御に関しては玄人と認められた彼女達だが、それでもこんなにも全力になって機器と向かい合わなければ重力変動は扱えないのだ。だから彼女たち以外の者――例えばアイネたちの後進であるアンドロマリウスの乗員たちに浮き水の牽引を任せても、ここまで安定させて引っ張れるかどうか分からない。

 機械神と機械神操士に頼めば浮き水の移送なども軽い手際で処理してくれるだろうが、頼む訳にはいかない。何れは表舞台から消えていくもの達に頼んでは未来が作れない。

「もう大丈夫よ。これくらいで必要な情報欠は取れたと思うよ」

「そう?」

 リュウナはアイネに促す。アイネは、今度は何とか浮き水を引っ張りながら下降しようとしている六番機に「そこで止めて! 終わりにして!」と無線を入れた。


「じゃあ私たちは戻るわよ」

 その後、機長たちにも手伝ってもらい一晩かけて報告書を作成したリュウナは一番機機長アイネにそれを預けた。

「うん、お願い」

 ここへ訪れた翌日には帰還という慌ただしさだが、彼女アイネたちも今は忙しい身。仕方ない。

「他にはなにかことづけとかある?」

「副長に『もうくんな!』っていっておいて」

「無理でしょ」

 二人して苦笑しあう。

教官お姉さんには何かある?」

「ううん、なにもないわ。元気にしてたってアイネの方から伝えておいて」

 本当は色々とアイネに言葉を託したいが、姉に対しては素っ気なく報告するようお願いした。会いたい気持ちは大きいが、その気持ちも含めて離れる旅に出ているのだから。

「うん、わかった」

 アイネもリュウナの気持ちが分かっているのか、簡素な返事だけを残した。


 ――◇ ◇ ◇――


「⋯⋯この前は叔父みたいのが来たと思えば、なんで今度は母親みたいのが来るのよ」

 目の前に現れた鋼鉄の淑女を前にしてリュウナが嫌そうな顔で悪態を吐く。

 ダンタリオンが帰還して、リュウナは残された小早を使い浮き水の試用移送などを行っていた。プルカロルを持ちいて浮き水の上に小早を載せ、その載せた腕を伝って小早に乗り込み、自立行動装置を用いて後を着いてこさせたり載せた小早を再び下ろさせたりと、とてつもなく煩雑なことをやっていた。「確かにこれは三人体制くらいじゃないと無理よね」と思う日々を送っていると、その小早そのものの製作者が機械神一号機・アスタロトに乗ってやって来た。

 遠方から見るとアスタロトもダンタリオンも同じような形をしているので「アイネたちがまた来たのか?」と最初は思ったが、やって来たのは育親キュアだった。

「なんだ遂に私のことを母さんと呼んでくれるのか? いつでもこの胸に飛び込んできて良いぞ」

 久し振りに再会した養女リュウナを前にしてキュアが冗談目かしていうが

「慎んでお断り申し上げる」

 養女も冷たい言葉で打ち払う。そんな鉄製の胸に抱き着けるかと思う前に、腹までぶち抜いた相手にそんなことはしたくない。

「で、なんなのよ、黒龍師団を放っぽってまでここに来た理由は」

「そう邪険にするな。あの浮き水とやらが今後の計画に役立つかどうか確かめに来たのだ、実際に目視してな」

「計画?」

お前の姉リュウガが育成している者たちの今後の身の振り方も含めての計画だ」

 キュアはそういいながら浮かぶ浮き水を見上げた。リュウナが小早を使って移動させているが、消滅方法は今のところ試されていないので浮かんだままである。

「リュウガに作ってもらった正立方体の水塊と、やはりほぼ同じだな。機械神がこれを作れば、直ぐに分解してしまうようなものではなく、ある程度の時間は形を保っているものを作れる」

 やはり実際に目視ししなければ真実は分からんなと、キュアは付け加える。

「この星の引力に引かれるようにアリシアに呪いをかけたように」

「呪い? それにアリシアってあのアリシアさん?」

「その辺りの詳しい話しは今度――いや、今夜にでも話そう」

「今夜ぁ?」

「そんなに嫌な顔をするな。お前が家を離れる前は毎日のように家で顔を合わせていただろ」

 リュウガがキュアに頼まれて作った水塊は、キュアが黒龍師団を離れてここへ向かう日になっても崩れもせずまだ浮いたままだったという。リュウガには危険を感じた時以外は外部から壊すことはせずに経過を見ていて欲しいと言い残してきた。

「で、どうなのよ」

「機械神であればこの浮き水と同規模のものも作り出すことは可能なのは分かった」

「作れるからってどうなのよ」

「雲をちぎって小さくしていく役目を分担制にしようと考えている」

「分担?」

「雲をちぎりまとめたもの――あそこに浮かぶ浮き水と同じようなものを作る者と、それを適切な場所に運ぶ者に分ける。そうすれば機械使徒の操作に慣れていない者も、作業に投入できる」

 つまり慣れた者は雲をちぎる作業、慣れていない者は運ぶ作業と棲み分けを行うのか。

「星喰機の冷却の事後処理を水没で済ませておけば百年程度でフィーネ台地には永久凍土が再生している筈だったのだが、今回は雲にしてしまったため百年では戻らない予想になってきた。後先考えない人助けはやはり自動人形には不利益が多かったようだ」

「その人助けに許可を出して方法も考えたのはキュアでしょ?」

「まあそうなのだが、雲にしてしまったのは仕方ない。だから数百年後も見据えた事業として、雲を元の水、そして氷へと戻す算段を整備していこうと考えているのだ」

 キュアが自動人形らしく、自分の目的のみに特化した意見を言う。

「雲を小さくしていく作業は引き続き機械神に任せなければならないが、ダンタリオンの娘たちもそろそろ円熟期に入ってきた。機械神を下げられる日も近いかも知れん」

 今も雲の移動制御を遠い空でやっているアイネたちのことをリュウナは思い出す。

「雲の移動制御と小さく千切っていく作業の支援、そしてそれを可能にする新たな人員を育成する統合移動施設を新たに作ろうかと思っている。島一つくらいが動く移動要塞規模にはなると思うが作れないこともない」

「ずいぶんと壮大な計画ね」

「お前たち人間は機械神と自動人形われらを利用して地表の一割も覆う雲を作ったのだ。その壮大さに比べれば可愛いもの」

 機械神を管理運用する手間を考えれば島一つが動く程度の支援訓練施設建造など造作も無いのだろう。

「海堡代わりに着底させておいた艀があるからな。あれを再利用しようと計画している」

「艀って⋯⋯あの近海に半分沈んでるオンボロ要塞のこと?」

「オンボロと称されても仕方ない年代物だが、お前の姉が乗っている機械神に比べれば若手だぞ」

 黒龍師団の本拠地近海に、一万フィート程もある作業用艀が半没状態で数百年以上放置されている。黒龍師団の主要施設を建設するときに、海上に半固定して運用する支援施設として用意され、機械神の一時保管場所等に使われていた。そして作業が進み、本拠地内に機械神格納施設という最重要拠点が完成した後はその役目を終え、海上の橋頭堡、海堡の一つとして管理されていた。管理とはいっても殆ど放置状態だったのだが、黒龍師団が稼働を始めれば機械神の未入手機の探索や、支援兵器の機械使徒の開発建造に忙殺されるようになるため、規模が大きいだけの移動施設の取扱い優先度が低くなってしまうのは仕方ないだろう。

 副長は世界が水没すると判明したらこれを黒龍師団関係者や本国国民の脱出船として再生させようとはしていたらしい。

「今後の概要を大まかに説明するとこんな処だ。以降は夜までは浮き水の測定を行いたい」

「お好きにどうぞ。まぁなんか手伝いがあればいってよ」

「お前にはプルカロルに乗って浮き水移動の補助を願いたいのだが」

「腹ぶち抜くぞ」


 ――◇ ◇ ◇――


「⋯⋯?」

 キュアが浮き水の測定に時間を費やしている時、傍で周囲の見回りをしていたリュウナが、茂みの中を移動する何かに気付いた。

「なにあれ」

 生い茂る草の隙間から度々覗くキラキラと輝く物体を見て思わず声が出る。

「どうした?」

 一号機アスタロト本体と無線交信を行い機械神の感覚器センサーを用いて浮き水を精査していたキュアが、その声に作業を止めた。

「草むらの向こうに何かいる」

「?」

 キュアはリュウナに指摘された方向へと自前の感覚器センサーの全てを向けてみた。

「そこを飛んでいる浮き水と同じような重力変動がおかしな水の固まりが地面を蠢いているな、しかも複数の反応がある」

「どういうこと?」

 リュウナがそう尋ねると同時に、茂みの上に透明な頭部のような物が出てきた。それは複数個頭を出すと草の葉を掻き分け二人の前に姿を表した。

 円錐形の下半身に、人の体をひょろりと伸ばしたような上半身。両腕は末端に進むに連れて広がっていて手は大きい。頭部は殆ど何もないのっぺらぼう。それが透き通った弾力のありそうな体組織で構成されている。

「穏やかな雰囲気には見えないわね」

 自動人形を個別に識別できる生きた電波探信儀としての力が、敵意と友好性が混ざった奇妙な感覚を相手から感じている。

 そして複数体現れたそれは、全てがリュウナの方に向かっている。

「なんだ、随分とモテているな、嫉妬してしまうぞ」

「冗談をいっている場合じゃないでしょ?」

「私がモテないのは鉄だからか」

「鉄?」

「人体の六割は水だからな。その吸収が目的ではないのか? まぁお前と姉はその割合が違ってくるかも知れんが」

「食べ物なの? 人間わたしが?」

 それでは鉄製の人形には興味はないなと、改めてリュウナのみが狙われている現状を理解した。捕食対象であるならば相手を捕らえる敵性と食欲を満たす友好性が混ざっているのは当然だ。

「これらを形容するならば――水の、魔物⋯⋯といった処か」

「水の魔物か、良いんじゃない名前として。とりあえずコイツらの晩御飯になるのは御免被りたいんだけど」

「処分するか。見本サンプルが欲しければ一体あれば良い」

「欲しければって⋯⋯どうやって持って帰るのよあんなぶよぶよしたもの」

「機械神の重力制御で包んで持ち帰るしか方法はないが、途中でそれを破って出てしまうかも知れん。氷の魔女が黒龍師団の人員として欲しい処だ」

 キュアはそういいながらリュウナの前に出るとその場で跳躍した。人間女子の平均体重の三倍の圧搾を受けて地面が砕かれる。宙に跳んだキュアはその場で体を回転させると先頭にいた水の魔物に対して回し蹴りを放った。機械仕掛けの淑女の重い一撃を食らい、相手は頭部と片腕が千切れ、胴体の半身もごっそり持っていかれた。

「やる~」

 再び土砂を粉砕しながら着地したキュアをリュウナが囃し立てる。

「やる~、じゃなくてお前も手伝え。お前が食われそうになってるんだぞ」

「はいはい」

 リュウナはそういいながらキュアの前に出ると、地面を前方に跳躍して新たな水の魔物の目前に着地すると右の拳を突き出す。リュウナの機械で出来た人の手の一撃を食らった相手は胴体中央から上が爆散した。

「凄いな。旅の道程で得た新技か?」

「右手のことは調べはしてるけど、これは今なんとなくやってみようとしたら出来た」

 前に副長がやって来た時にも話したが、自分の右手が今後どうなっていくのか見当も付かないので、分かる範囲で情報の取得はしている。それによって、右手を動かしている電磁誘導と重力制御を他のことへ作用させる手掛かりを見つけかけている。

「やってみようとしたことがちゃんと出来るのだから、お前は進化を続けているのだな」

 キュアは掃討を続けながらそう評価する。リュウガは電磁誘導も重力制御もそして火の力も離れた場所に影響を及ぼすが、リュウナは直接触れたものに対してのみの作用に留まっている様子。しかし進化しているのは確か。

「やはりこの水の魔物は再生能力を持つか」

 蹴りや手刀で相手の体をお構いなしに千切り飛ばしていたキュアが、失った体を徐々に再生させていく相手をそう評する。

「でも体の一部をもぎ取っちゃえばそれ以上は戻れないみたいよね」

 右手で爆散させたり自分も蹴りで千切り飛ばしながらリュウナが言う。二人の攻撃によってもがれた体組織を戻そうと体を蠢かせるが、もがれた分は補填できないようで元の大きさにはならない。千切られて地面に落ちた腕なども、それ自体が水の魔物として分裂再生することもなく、そのまま溶け出すように地面に染み込んでいく。

「ようやく最後の一体になったわよ」

 軽く息を吐かせながらリュウナが言う。二人掛かりで掃討を行った相手は一体を残してあとは全て水になった。

「アスタロトを呼ぶか。背部の測定室には人が乗っているので動かしたくないのだが」

 副長が連れてきた調査団は自分達で駐屯所を設営して浮き水の調査を行っていたが、副長からの報告を受けて新たに用意した機器を一号機アスタロトの背部コンテナ内に測定室を仮設して持ってきたので、調査団員は今はそこに移動して測定を行っている。

「キュアも重力制御は使えるの機械神で?」

「自立行動装置に指示を与えながらの操作になるので、間接的煩雑さはあるが可能だ」

自動人形キュアが機械神も重力制御も扱えるんなら、雲の制御とかも一切合切自動人形がやれば良いんじゃないって思うんだけど」

「それでは意味がないだろう。機械神も自動人形われわれも何れは表の世界からは消える身。そのようなものに表舞台での仕事を要求しては無意味になる」

「黒龍師団作ったりとか凄く重要な処は、機械神と自動人形キュアたちだけでやってるじゃない」

「嫌な処に気付いたな。最初の始まりを作るのは神の手を煩わせるのは仕方無かろう」

 二人がそう言い合いを続けていると、水の魔物の残った一体が上体を反らせるような動きを見せた。

「なにやってるのアイツ?」

「上空を見た、のか?」

うえ?」

 二人が相手に吊られるように上を見上げると

「浮き水!」

「あれを吸収するつもりか!」

 水の魔物はちょうど良い捕食対象が直上にあるのに気付いたらしい。

 二人は息が合ったように前方へ跳躍するとリュウナは右腕、キュアは左腕を振り上げる。そして着地と同時に降り下ろすが、相手は二つの拳をかわすように直上に跳んだ。

「わぷっ!?」

 水の魔物は体内の水分を推進機代わりに跳躍したのか、二人は少なからずそれを浴びてしまった。

「大丈夫か、何が入っているか分からん、口には入れぬ方が良い」

「キュアこそ錆びてない? 大丈夫?」

 リュウナが口元を拭いながら上を見上げると、体積を減らし少し小さくなった水の魔物が浮き水の上に乗るところだった。着水するとそのまま沈んだ。そして水の魔物が中に消えた直後、今度は浮き水が蠢き始めた。

「まずいな、浮き水の重力変動数値がとんでもない値になってるぞ」

 一号機と交信を行ったキュアが送り返されてきた数値を知って思わず声を上げた。

「水竜巻にでもなりそう?」

「その程度で済めば良いが」

「⋯⋯なんだろう、すっごく喉が渇いてきたんだけど」

「ああ、そうだろう。水の魔物が沈んだ浮き水が物凄い勢いで周囲の水分を取り込んでいる」

 自身が積む水系統の感覚器センサーが、周辺地域の空気中の水分がある一点に向かって流動しているのを示している。その行き着く先はもちろん浮き水だ。

 肥大化を続ける浮き水の下部から二つの突起が飛び出した。それは徐々に伸びると地面に接地し太くなる。浮き水の両側面からも突起が延びて、それが下に垂れ下がりながら同じように太くなる。そして上部が盛り上がって瘤のような塊ができた。

「⋯⋯水の、巨人?」

 リュウナが思わず声を出す。

「水の巨人か――水竜巻の方が余程良かったな」

 キュアが言う。

「どうするのあれ?」

 人型となってもまだ肥大化を続ける目標に途方にくれるようにリュウナが言う。今では鐘塔規模の大きさになっている。最早機械神か機械使途が相手をするしかない状況。

「あれの元になった片方は人間おまえを捕食しようとしたのだ。その意識が継承されているのなら、この巨体では空気中の水分吸収だけでは足らないと予想される」

「それはつまり?」

「あれが湖や海を求めて移動するだけで災害規模であるし、動物を水分補給で捕食するならば街一つ無くなる」

「どうするのよあんなの」

「水の魔物と同じように再生が追い付かない大きさまで切り刻むしかあるまい。リュウナ、プルカロルを持ってこい」

「⋯⋯キュアがアスタロトで相手すれば良いでしょ」

一号機アスタロトには人が乗っているから無理に動かしたくないと先程いっただろ」

「⋯⋯わかったわよ」

 さすがにこんな危機的状況になっても駄々をこね続ける程にリュウナも物分かりは悪くない。彼女は副長の置き土産の下へと走った。


「相変わらず邪険にしちゃってるのはゴメンねプルカロル」

 機械使途の足部搭乗口から一気に腰部内操作室に躍りこんだリュウナは、プルカロルを即座に起動状態へと持っていく。

『リュウナ、目標が動き出した。この先にある川へ向かおうとしている。とりあえず進路を遮るように回り込め』

 水の巨人の上を動きを見ていたキュアから通信が入る。キュアは自動人形なので体内に無線機も完備しているので便利だ。

「わかったわ」

 他の操士では操作桿一つ倒すのも加減が難しい本機を慣れた手付きで取り扱いながら、リュウナはプルカロルを目標の進行方向へ先回りするように対峙させた。

「⋯⋯」

 進行を妨害してきた相手に対して、水の巨人はそれを排除すべく右腕を振り上げる。

「!?」

 プルカロルは腕を交差させてその一撃を受け止めようとしたが、無造作に振るわれた一撃は機械使途の巨体を後方へ滑らせた。

「なによこの重い一撃!? 機械神に殴られたのかと思ったわ!?」

 機械使途操士の中でも最強の乗り手とされるリュウナでもその破壊力にさすがに驚く。プルカロルの両腕の間接が悲鳴をあげている。

「ちょっとキュア! どうすんのよこんな相手!」

『倒せ』

 叫びにもに似たリュウナの声にキュアは余りにも簡潔な指示。

『浮き水も水の魔物も必要な情報欠は得た。水の巨人の情報欠も欲しい処だが悠長な事をいっていられる事態では無いと判断する。だから倒せ、お前の好きなように』

「好きなようにっていわれても」

 リュウナはそういいながらプルカロルに一旦間合いを取らさせると近接用ナイフを引き抜く動作をする。

 それを相手の胸部を斜めに切り付けるように振るう。水の集合体に刃物が役に立つのかと思ったが、とりあえずやるしかない。

『今の攻撃で相手の質量が若干減少した。相手の水分の自動回復を上回れば倒せる』

「倒せるって⋯⋯こんなデッカイのどんだけ攻撃すれば倒せるのよ」

『だからこそ機械使途や機械神を用いての討伐だ』

 機械使途最高峰の操士の言葉を、黒龍師団を真に取り仕切る鋼の女神は、簡単に切って捨てた。

「はぁ、そういうことらしいわプルカロル」

 途方に暮れたようにリュウナは水の巨人が映る映像盤に向かって言う。

「散々、元の彼氏のことばかり今の彼氏の前でいってたような気もするけど」

 リュウナは操作桿を押し込む。彼女の高速で剛力な力を直接的に伝えてくれたのは、以前はプルフラスだけだった。しかしその同型機であるプルカロルも同じように反応してくれる。

「申し訳ないけどさ、しばらくはわたしに付き合ってよプルカロル」

 リュウナはそういうと相手を真っ二つにする勢いでナイフを降り下ろさせた。


 ――◇ ◇ ◇――


「お前にはすまないと思うが、お前の右手を改めて調べさせてくれぬか」

 水の魔物、水の巨人と、調べに来た浮き水とは異にする敵性体との接触。日没後、キュアはリュウナの自室を訪れると改まった口調でそんな風にいった。

「以前ならわたしとお姉ちゃんの体は裸にひん剥いて調べてたのに、なんで今さらこの右手だけ申し訳なさげにいうのよ?」

 機械音声が改まるというのも変だなと思いつつリュウナは応える。調査団が駐屯所を設営した際にリュウナの部屋も用意してくれたので、この地ではここで生活している。

「お前の右手が出来る浮き水の下降方法、それをお前以外の者にも伝授したい。その為に――」

 リュウナはキュアが言い終わらぬうちに「はい」と手袋を脱いで剥き身の右手を差し出した。

「随分素直だな」

「そうやって正直にいってくれれば素直に差し出すわよ」

 ここに小早と調律櫂をアイネたちは持ってきてくれたが、彼女たちはこの二つを用いての浮き水移送は現時点では不可能。それが出来るようになるのであればリュウナに異存はない。

「そうか。養女の気持ちも分からぬとは私もまだまだ未熟だな」

 キュアはそういいながらリュウナの手を精査し始めた。

「――」

「前に看たときと何か変わったことはある?」

 機械眼で自分の右手を凝視しているキュアにリュウナが訊く。

「――言われても気分を害さんか?」

「なによさっきから何度も改まって、はっきりいいなさいよ」

「極僅かだが、お前の機械で出来た人の手は、元の人体の方に侵食している」

「そう」

 キュアに告げられた事実を聞いても、リュウナは特に取り乱したりもせず静かなまま。

「自分の体のことなのに随分と冷静だな」

「自分の右手がこんな形になったのを見たとき、ある程度の覚悟はしたわ。いずれは自動人形キュアたちと同じ姿になってしまうんじゃないか――とかね」

 リュウナが静かに告げる。

「お前は私の養女だが自分と同じ姿になって欲しいとは育親しとねおやでも思わんな」

 そういうと、精査が終わったのかリュウナの手を離した。

「極僅かに成長している以外はこちらの予想通りだ。だから興味の対象はお前の右手からお前の右手の手袋へと移る」

「は?」

 右手に手袋を嵌めかけていたリュウナの動きがその言葉で止まる。

「急に酷い扱いになるわね?」

「自動人形とはそんなものだ」

「で、手袋をどうしたいのよ、破れてるけど」

 水の魔物を屠った時の反動で破け、嵌め直した手袋から硬質な右手の表皮が覗いている。

「浮き水を操れるお前の右手を複製することは不可能だが、お前が使っていた手袋を元に普通の人間でも浮き水を操れる道具を作れないかと思ってな」

「⋯⋯」

 それを聞いてリュウナはとても不思議そうな顔でキュアのことを見た。

「道具のように扱われて気分を害したか」

「いや、わたしの右手にはそんな使い道があるのかと。バカヂカラで何でも砕く用途くらいしか自分じゃ思い付かないもの」

「お前の今の顔、一番機機長アイネに世界を水没させる水なんて教官の力で雲にすれば良いといわれた時のリュウガの顔そっくりだな」

「姉妹だし」

 リュウナはそういいながら脇のチェストの引き出しを開くと中のものを取り出した。

「何故こんなに多量に?」

 それは使い古しの手袋だった。全て右手で全て破けている。

「右手がこんな形になってから初中後しょっちゅう破けるようになってさ。力の放出の反動だとは思うんだけど。で、変な力が籠ったままの手袋これをそのまま捨てちゃうのもなんか嫌な感じがしてさ、とってあるのよ」

 手袋の一つを弄びながらリュウナが続ける。

駐屯所ここに部屋が出来てからはそこに貯めてたけど、旅してた時は家に自分宛の荷物を送るときに中に詰めておいたわ」

「焼却処分は考えなかったのか?」

「燃やしたら燃やしたで灰が何かに悪用されたら嫌じゃない」

「随分と用心深いな」

「わたしは自分のお姉ちゃんが世界を全部燃やせるくらいの人で、育ての親が世界を何度も亡ぼせる機械を所有する組織の創始者なのよ。それくらいは用心深くなるわよ」

「確かにな。それで手袋これは貰っていって良いのか?」

「捨てるに捨てられないから困ってるって説明したでしょ、わたしの所にあっても荷物になるだけなんだから持ってってよ」

 リュウナはそういいながら弄んでいた一つと、右手の手袋を再度脱ぐと「はいこれも」と手袋の山に付け足した。

「いま脱いで渡したのは間違えて左手用を買っちゃったのを無理やり右手に嵌めてたものだからね、そのままだと使いにくいわよ」

「そうか、それは大事にせねばな」

「そんだけあげたんだから今後は旅費支給には手袋代を付け足しておいてよ。自由に使えるお金だって少ないんだから」

「心得た」

「で、昼に聞いた話の続きをしてよ。アリシアさんがどうしたってのよ、呪いとかいってたてけど」

「話すことが多すぎてな、今夜は眠れぬな」

「キュアは寝る必要ないでしょ」


 ――◇ ◇ ◇――


 浮き水が無くなってしまったことにより当地での調査は終了となった。

 機械神九号機グラシャラヴォラスが再び現れて調査団と機材一式、そしてプルフラスを積んで本拠地へと戻っていった。

 キュアもリュウナの手袋を土産に一号機アスタロトと共に一足先に帰還していた。今後建造される支援訓練施設には水の魔物を呼び寄せるトラップのようなものを設置する必要があると言い残して。

 理由を訊くと「千切った雲を浮き水にしての移送中に融合されて水の巨人になってしまわれては意味がない。それならばある程度出現場所を固定できた方が対処できる」と説明された。何を餌にして罠を敷くかは今後の課題だそうだ。

 支援訓練施設は訓練よりも実戦が多くなりそうだなと他人事のようにリュウナは思う。

「なんか、色んな再会とお別れをしちゃったな」

 そしてここに残ったのは彼女一人。何もなくなった駐屯所跡を見ながら独り語ちる。

「⋯⋯」

 最後まで自分の姉は現れなかった。これで良かったのだと妹も思う。

「さて、随分と足留めされたけど旅を再会しますか」

 リュウナは手袋を嵌めた右手をぎゅっと握ると、世話になった地を後にした。


【幕間】


「いやー、まさかホンのちょっと雲の欠片を作ってみただけであんなもんができちゃうっスとはこまったもんっスな」

 遠ざかる一人の女性を見送りながら、その【意識】が言う。

 機械神が行っている雲を千切って少しずつ小さくしていく作業に興味を覚えた彼女は、自分もやってみようと思ったらしい。しかし力加減が分からず、浮遊する四角い水の塊なんてものが出来てしまった。

 そしてその時の切れ端が周囲に漂っていた残留思念を取り込み、怪異まで出来てしまった。重力の集合体である【意識】の周囲には宙に漂う思念も引き寄せられる。

「しかしあの二つの合体形態はなかなかのもんっスね。意図しないで作るとああいうのが出来るんっスねこの星は」

【意識】が喋る度に周囲の空間がひずむ。

「とりあえずもう失敗しないように自分の体を水で作ってみるっスかね」

【意識】が重力を使い周囲の水分を集める。数瞬後、其処には一人の女性の姿が形作られていた。

 青色のドレスも全て水。凄まじい程に強力な重力制御により、光の透過なども全て制御するので布にしか見えない。直接触ってみても水を覆う重力面すら肌触りを再現しているので、布地に触れているような感触。中身の肉体も含めて全て水で出来ているとは誰が思うだろう。

「次は名前っスね」

 彼女となった【意識】が言う。周囲の歪みも消えた。

ウォーターだからウォルテ、とかでいいっスかねこの際もう適当で」

 彼女には考える能力は無い。全てはその場で生まれる衝動に従う。

「やっぱりあの子よりもあの子の姉君の方が気になるっスな」

 女性の後ろ姿を見ながら彼女は言う。

「ここは一つ、先輩に直接訊いてみるっスかな」

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