一の六
毎日、毎夜、加代への想いが三之助の頭からはなれなくなった。
あの唇に唇を重ねたい、乳房にふれてみたい、尻を撫でたい……。
床について、目をつぶると、まぶたの裏に加代の裸体が映しだされる。加代の身体をむさぼるように愛撫することを夢想し、まんじりともせず夜をおくる。
やっと眠りについても加代の姿をした夢魔があらわれ悪さをする。
そうやって、数カ月、数年、三之助は加代への想いをいだきつづけた。それは、自分の心がが病んでしまうのじゃないかというほど、家の廊下で加代と顔を合わせることすら苦痛になるほど……。じっさい自分は、なみの男よりも色欲が強い淫乱な人間なのではないかと、疑い、自分自身を
三之助が十六の歳のことだった。
その頃になると、学問所の気の早い連中の会話からは、女の話が聞こえはじめてくる。どこの誰を抱いたの、口を吸ったの、岡場所へ行ってきただの。
三之助はその手の話を、唾棄したい気持ちで聞いていた。そういう嫌悪感の理由はとくにない。ただ、そのようは話は
ある日、自慢げに語る生徒の声が耳に入った。
――女中に手を付けた。
とその学友は云った。あいつは拒まなかった。よがっていた。親の目を盗みもう何度もした。
三之助にとっては耳を疑うような話だった。いや、いつか噂で、どこそこの家の主人だかが女中に手を付けたという話を小耳にはさんだことはあったが、絵空事の範疇だという頭があり、学友の話を聞いた時、そんなことが現実に起こるものなのかと驚いたのだった。
――女中に手を付けた。
そのひとことが、三之助の頭の中で、何度も繰り返されるようになった。そのひとことが、頭に浮かぶたび、その女中の姿は他の誰でもない、加代の姿をしていたのだった。
他人の卑猥な行為を低俗だと嫌悪していながら、それでも加代に対するふしだらな感情をとめることはできなかった。
股間で虫のようなものが
三之助が胸のなかで、ひっそりと想い描いていた行為は、現実に起きても、起こしてもいい行為だと、しだいにしだいに、何日も何カ月もかけて、考えるようになってきた。
妄想を妄想としてしまっておく必要はない、と……。
その日――。
三之助は書見台にひらいた書物に目を走らせていた。
気もそぞろで、数行読み、書かれている内容がまったく頭に入っていないことがわかると、また頁の最初にもどって読みなおす。
めずらしいことに、日中、家には三之助と加代のふたりだけしかいなかった。父は城へ勤めに行っているし、
三之助はそのことに気がついても、けっして、すぐに、行動を起こす気にはならなかった。その時の逡巡を、勇気がなかったとか意気地がなかったとか云ってしまうのはちょっと違うのだが、ともかく、書見台の前にすわって本の文字を目で追いながら、頭にのなかでひたすらに葛藤していた。動くべきだ、いや、それは恥ずべき行為だ、やめておこう。いや、男なら……。
股の間で、例の虫がしきりに蠢き、蠢くたびにじんじんとしびれるような感じがして、頭のなかを陶酔させるような麻痺させるような、ある種の快さが支配していく。そのたびに正座した腰をちょっと浮かせてすわりなおして気持ちをおちつかせる、などということをずっと半刻以上もくりかえしていたのだった。
だが、不幸だった。三之助にとっても、加代にとっても。
廊下から、こちらに近づいてくる足音がする。そして、部屋に吹き込むさわやかな風とともに、にこやかな声が、
「まあ、おぼっちゃん、今日はいい天気なんですから、そんなことしてないで、どこかに出かけたらどうです」
と加代は、風を入れるのに開けはなしてあった障子の間からのぞいて云った。加代の、甘い体臭が、風にのって三之助の鼻をくすぐる。
さ、お掃除しますから、と彼の煩悶などおかまいなしに、加代は手桶の横木に引っかけてあった雑巾を水につけてしぼると、膝をついた姿勢で敷居を拭きはじめた。
三之助は、そっと、ちょっとだけ首を動かして、横目で加代を見つめた。西からの初夏の日差しのなかで、四つんばいのような恰好になった加代はこちらにお尻をむけて、力いっぱいで敷居の掃除をしている。
手ぬぐいを
三之助は、すっと立ち上がった。
あの時、深夜の女中部屋に近づいた時のように、頭の中は真っ白で、本能だけが身体を動かした。
加代のかたわらに立つ。
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