もう人生終わりだと思ってたけど、一目惚れしたのでもう少しだけ頑張って生きようと思います。

とーご

第1話 人生の終わりと一目惚れ

 本当に死のうと思っていた。

 自分には何も残ってはいなく、未来の希望もない。辛く苦しいだけの人生ならばここで終わるのも悪くはないと彼は本気で思っていた。

 プラットホームから身を投げるか。

 ビルの屋上から身を投げるか。

 自分に残された選択肢はその程度しかないと、心の奥底から思っていた。

 そう、彼女を見るまでは。


 一目惚れだった。


 彼女を見た瞬間、言葉に出来ない感情の濁流が溢れ出てきた。

 自分は彼女と出会う為に生まれてきて。そして彼女と生涯を共にし、最後の時を迎えるのだと根拠のない確信が足を動かした。

 ナンパなんて一度だってしたことはない。

 やり方だって分からない。

 なんて声をかければ良いのか見当もつかない。

 けれどここで彼女に声を掛けなければ一生後悔すると直感していた。

 彼がここまで何かに執着するのは恐らく人生で初めてのことだ。

 一歩一歩がやけに重く感じる。

 徐々に彼女との距離が近くなり、それと同時に心臓が弾けそうなくらい暴れだす。

 紡ぐ言葉も定まらないまま。衝動に突き動かされるように、彼は彼女のもとへ向かう。

 彼女はとても美しい少女だった。

 年齢は16歳くらいだろうか? 見た目彼と同じくらいだ。

 儚げな雰囲気と透き通った海色の瞳が特徴的で、その双眸が近寄る彼の姿を捉える。

 心臓が止まりそうになった。

 人々の行き交う喧騒が遠くなる。

 雑音がやけに遠く聞こえる。

 静かだ。

 まるで世界には二人しかいないように錯覚する。

 彼女が興味を失ったかのように視線を外した。

 それに伴い翻った彼女の長い銀色の髪が太陽の光を反射して美しく輝く。

 喧騒が戻る。

 そこは駅前の人々が行き交う噴水広場だ。

 忙しなく目的地に急ぐ人波のなか、一人何をするでもなく遠くを見つめてベンチに座る少女が一人。

 そして彼女に目を奪われて話し掛けようと歩み寄る少年が一人。

「あ、あの……」

 掠れたような声だった。

 自分に向けられたものだと思わなかったのか、もしくは喧騒に紛れて掻き消えてしまったのか。彼女の反応はない。

 深呼吸してから意を決してもう一度話しかける。

「あの!!」

 少女の瞳が再び彼を捉えた。

「……なに?」

 なんだろうか。

 言葉が続かない。

 何を言えばいい。何を言えば彼女の興味を引けるのか。分からない。こういった経験は初めてだ。知識がない。何故今まで一度も練習してこなかったのか。友人のナンパの失敗談や成功談に何故耳を傾けなかったのか。後悔が押し寄せてくる。

 しかし悔やんで行動しないよりも今はとにかく当たって砕けろの精神でぶつかるしかない。

 砕けたくはないが、この衝動を抱えたまま何もしないよりもずっとマシだ。

「あの! お茶でも一緒にどうですか!?」

 精一杯だった。

 出てきた言葉がこれだったのだ。

 なんの捻りもない直球だったが変に工夫を凝らすよりは良いかもしれない。正直なところ経験もなければ知識もないし、素人が頭を捻るよりもいいだろう。

「無理」

 鈴の音のような美しい声色で彼女はざっくりとそう言い切った。

 鋭利な何かで切り裂かれたかのような胸の痛みが奔る。

 彼は膝から崩れ落ちた。

 しかし続く言葉は彼の予想を遥かに上回っていた。

「だって私、誘拐されてるから」

「は?」

 最初は聞き間違いかと思った。

「私、いま誘拐されてるの」

「誘拐?」

「そう、誘拐」

 誘拐。日常では聞きなれない単語だ。

「誰が?」

「私が」

「誰に?」

「あの人たちに」

 彼女は指差す。

 指差す方向には数人の男たちが周囲を警戒しながらこちらに向かって歩いてくる姿が見える。

「君があいつらに誘拐されているって意味であってる?」

 あっててほしくないが。

 彼女はこくりと頷いた。

 肯定の意味だろう。

 先頭を歩く男には見覚えがある。

 彼は最近までそういう情報を扱う学校で学んでいた。だから覚えている。

 テロリストだ。

 それも野良の能力者。

 凶悪犯罪者である。

 そして誘拐という言葉。

 逃げるべきだ。これは素人の出る幕じゃない。下手をすれば間違いなく死ぬ。

 しかしだ。

 彼はもともと死ぬつもりで家を出たのだ。

 今更惜しむ命だろうか。

 それよりも、この少女を助けるべきではないだろうか。

 考えるよりも早く、答えが出るよりも早く。

 彼は彼女の手を取り、走り出した。

 これが彼と彼女の出会いだった。


 赤羽紡あかばねつむぐとみくの運命の出会いだった。


 赤羽紡16歳の青春の夏は一目惚れした少女の手を引いて走っていた。

 ただし後ろからは恐ろしい形相で追いかけてくるテロリストの姿が見える。

 必死の逃走劇だ。

「君は体力に自信ある!?」

「……ない」

「だろうね!!」

 まだそう大した距離を走った訳でもないのに彼女は青ざめた顔色で、今にも死にそうな表情をしている。

 運動が苦手なのだろう。

 このままでは間違いなく追いつかれる。

 街中でまさかテロリストが派手なことをするとも思えないが、そんな理性が働かないからテロリストをやっている可能性もある。つまりは捕まってみるまでどうなるかは分からない。

 最悪拷問されてからコンクリ詰めにされて埋められる可能性だってあるのだ。

 良く見れば彼女はロングのワンピースに裸足という走るには心もとない恰好をしている。

 よくその格好で駅前にいて補導されなかったと感心するレベルだ。

「もう少しだけ頑張れるかい?」

 言葉を返す事さえ辛いのか、彼女は黙って頷く。本当にもう少ししか頑張れないという様子だ。

 このまま人込みをかき分けて走っていても追いつかれるのは時間の問題だろう。

 追っ手を撒くには少しばかり工夫がいる。

 実は紡は考えなしに走っている訳ではなかった。ちゃんと目的がある。

「この街で僕と鬼ごっこして勝てると思うなよ?」

 そう呟いた紡は急に進路を切り替えて路地裏に飛び込む。

 室外機やゴミ箱の並ぶ薄汚れた道を少し進み、固く閉ざされた扉に懐から出したカードを当てる。

 すると重苦しい機械音と共に鍵の開く音が聞こえた。

 素早く扉を開き、滑らせるように自分と彼女の体を建物の中に放り込み。手早く扉を閉める。

 再び重苦しい機械音と共に今度は鍵が閉まり、薄暗い室内を迷うことなく進んで階段まで辿り着く。

 階段は下に伸びていてどうやら地下に繋がっているらしい。

「ここは?」

 不安げな声色で彼女が聞く。

「外殻メンテナンス用の地下通路だよ。僕のバイトの作業場でもある」

 続けて紡は自信満々にこう言った。

「僕にとっては庭みたいなものさ」

 外殻関係の設備は重要設備に入る。

 建物は頑丈に作れているし、扉も当然簡単にはこじ開けられない。

 セキュリティーは最高クラス。紡のようにセキュリティーカードを持ってなければ立ち入ることはまず不可能という安全地帯だ。

 相手が無法者のテロリストで政府の管理から逃れた野良の能力者とはいえ、手出しすることは難しいだろう。

 つまりは。

「ここまでくれば一安心かな」

 そう言って紡は階段を降り切った先で壁を背に腰を下ろす。

 それを見て疲れ果てた少女もぺたりと床に座り込んだ。

「どうして、助けてくれたの?」

「えーっと」

 説明が難しい。

 一目惚れしたから。死のうと思っていたからどうせなら目の前で困っている少女を命がけで救いたかったから。等々色々思い浮かぶがこれだという理由は思い浮かばない。

 どれも後でとってつけたかのような違和感が残る。

「……君が助けて欲しそうだった、から?」

 疑問形になってしまった。

 ほぼ口から出まかせだ。

「助けて欲しそうだったから助けたの?」

「まぁそうなるね」

 そうはならない。普通は助けて欲しそうだったからという理由でテロリストには関わらない。

「あの人達は平気で人を殺すんだよ? 貴方死ぬかもしれなかったんだよ?」

 落ち着いた声色で彼女はそう言う。

 責めるような雰囲気はなく、ただ淡々と事実を述べるような印象を受ける。

「確かに危ないことをしたかもしれない。でも君を助けたことは後悔してないよ」

「貴方も残される方の気持ちは考えないんだね」

「え?」

「なんでもない。……助けてくれてありがとう」

「ど、どういたしまして」

 彼女は膝を抱えて顔を伏せてしまった。

 重苦しい沈黙がやってくる。

 聞きたいことは沢山あった。

 どうして裸足なのか。どうして誘拐されたのか。何故テロリストが君を狙っているのか。

 それらの疑問を飲み込んで、とりあえず紡は最初にやるべきことを思い出した。

「僕の名前は赤羽紡。君はなんていうの?」

「……みく」

 みく。苗字はなく名前だけ。

 苗字を言いたくないのか、あるいは苗字がないのか。

 スラム街出身なら苗字がないのは当たり前だと聞く。実際に行ったことはないので噂で聞く限りの情報だが、スラム街出身の人にそうかと尋ねるのは失礼だと思われても仕方がない。

 非常に触れにくい話題だった。

「よろしくね、みくさん」

「みくでいい」

「なら僕のことも紡でいいよ」

「そう。……紡、これからどうするつもりなの?」

 みくに言われるまで深く考えていなかった。

 これからどうするのか。確かにそうだ。考えない方がおかしい。

 一目惚れして舞い上がって一度捨てた命だと思って命懸けでみくを助けたのはいいが、ここでじゃあさようならあとはがんばってね。なんて出来る筈がない。

 少なくとも彼女の問題が解決するまでは見放すことは出来ないだろう。

 考えてはいなかったが、その覚悟がない訳ではない。

 だからまず状況を整理しないといけない。紡の学んだ学校では少なくともそう教えられていた。

「どうしてあの人達に狙われているのか分かる?」

「分からない」

「あの人達が誰だか分かる?」

「危ない人達ってことしか分からない」

「えっと、助けてくれそうな人とかいる? ご両親とか」

 みくは静かに首を横に振った。

 スラム街の出身ならば両親が既に亡くなっていて天涯孤独という身の上は珍しくもなんともない。

 デリケートな部分に触れてしまって気不味い空気が流れた。

「ごめん……」

「どうして謝るの?」

「聞いちゃいけないこと聞いてしまったなって、だからごめん」

「どうして貴方がこんなに私のことを考えてくれるのか分からないけど、貴方は一生懸命考えてくれてる。これからどうすればいいのか、私には分からないそれを貴方は考えてくれてる。だから謝ることなんてないよ」

 とても真っ直ぐな言葉だった。

 胸の内にすとんと落ちるような、そんな力強さと説得力がある。

 ぼーっとしていてどこか浮世離れした印象だったが、どうやらそれは間違っていたようだ。

 彼女はよく考えているし、洞察力もある。

「僕を信じてくれるなら、比較的安全なところに君を匿える」

「どこ?」

「僕の家だよ」

「信じる」

「僕が言うのもなんだけど、素性の分からない初対面の男を簡単に信じるのは危ないよ?」

「他に頼れそうな人いないし、私が無力なのは私がよく知ってるから。だから貴方しか頼る人がいない。出来れば裏切らないでくれると嬉しい」

 惚れた相手にそんなことを言われて裏切れる訳もない。そもそも最初から彼女を裏切る選択肢など紡の中には存在しないのだ。

「僕は絶対に君を裏切らない」

「信じる。でも本当にどうして私を助けてくれるの?」

「……」

 君が好きだからと言えればどれだけ楽なことか。

 しかし出会って間もない相手に言われて嬉しいかどうかはかなり意見が分かれるところだ。

 こういう言葉がある。

 ※ただしイケメンに限る。

 冷静に紡は自分を振り返ってみた。

 顔面偏差値は平均ちょい上だろうか。しかし間違いなくイケメンではない。

 これは最近まで彼女がいて、その彼女から教育されてきた影響で身嗜みに気をつけていたからである。

 髪型や眉毛の処理、スキンケアを最低限行って清潔感さえ確保出来ていれば、余程顔面が崩れていない限りはそれなりに良く見えるものである。

 その彼女にも別れを突きつけられて元カノになってしまった訳であるが。

 服装はジーンズに半袖のポロシャツというかなりラフな格好だ。

 もともと死のうと思っていたので着飾るつもりもなかった。

 総合して考えて初対面の相手に好意を伝えて喜ばれる確率は良くて三割程度だろうか。殆どの確率で警戒されるのがオチだろう。

 とても言う気にはなれない。

 比べて彼女はというと。

 雪のように白く、絹のようにきめ細かな肌。

 まるで妖精のように幻想的で淡く輝く銀色の髪は、腰下まで届く長さだというのに枝毛や切れ毛が見当たらない。

 蒼く透き通った海色の瞳は吸い込まれるような気がしてくる程に美しい。それは宝石のようだと形容しても過言ではないだろう。

 明らかに天然物の長い睫毛に、目鼻口が黄金比率で並んでいる。

 まるで絵画から出てきたかのような作り物めいた美しさだ。

 改めて見て美少女過ぎて自分と比べるのが申し訳なくなるくらいである。

 好きだから。一目惚れしたから。とは口が裂けても言えなさそうだ。

 仕方なく紡は自分の夢について語る。

「僕の幼い頃の夢は困っている人、助けを求めている人。助けが必要なのに助けてと言えない人を守れる人になることだったんだ」

 だった。

 過去形である。

 目指したが。今までの人生の殆どを費やしたが。

 届かなかった。

 それでも尚完全には諦めきれない程に焦がれた夢である。

「だから私を助けてくれたの?」

「端的に言うとそうなるかな」

「そう……」

 半信半疑といったところだろうか。確かに紡は本当のことを隠しているので当然の反応だ。

「一つだけ約束して」

「約束?」

「貴方の身に危険を感じたら必ず逃げて。私なんて見捨てて」

 それは出来ない。答えは決まっていた。

 けれど、それを口にすることは出来なかった。何故なら彼女の強烈な意志を込めた鋭い眼光が紡を貫いていたからだ。

「分かった。約束する」

 自分でも不思議なくらいするりと嘘が口から滑り落ちた。

 中身のない空虚な嘘だ。

 それでも一応は納得したのかみくは静かに頷くと、立ち上がっておしりを払う。

「なら連れてって、貴方のお家に」

 そう言って手を伸ばす。

 華奢で力を込めれば簡単に折れそうな手だった。

 爪が綺麗で指が細く、それでいて柔らかそうな。そんな手だった。

 さっきは夢中で気付かなかったが、こんな可愛い女の子の手を取って走っていたのだ。

 その事実に今更ながらに気付いて赤面する。

 手汗を拭うように服に擦りつけ、緊張した面持ちで彼女手を握った。

 その手は思ってた以上に柔らかく華奢で、そして冷たかった。

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