彼女はイカ〇た雁木真理
水川 湖海
第1話 エブリデイマジック
ボーダーランド。
それは全ての次元に接する、狭間の世界。全ての世界を介する、混沌の世界。
ボーダーランドの住民には、先祖から代々続くしきたりがある。
ボーダーランド城の謁見の間にて、一人の少女が王に相対していた。
足元まで引きずる真紅の髪に、透くような白い肌をしている。眼はどんぐりのようにぱっちりと見開き、耳まで裂けんばかりの異様なスマイルを貼り付けていた。身に纏うドレスは髪の色に反した青色だ。だが清廉なイメージを醸す彼女には似合っていた。
彼女の名前は
王は真理を見下ろしながら、面倒くさそうに口を開いた。
「真理や。お前も今年で十六になる。ボーダーランド代々のしきたりに従い、どこか一つの次元に旅立つ時が来たのじゃ。お主のも――」
「はいはいはいはい!」
真理は勢いよく手をあげて、大声でまくし立てた。王は話の腰を折られて、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「真理や。はいは一回で良い。ただでさえハイなんじゃから、うっとおしいわい」
「お父様に質問! なんで外の世界に行かなきゃならないの? 別に行くのが嫌な訳じゃ無いけど、どうしてかなって気になるの。だってボーダーランドって決まりごとがあるようで、ないようなものじゃない。そのしきたりだけ大事にするのも、おかしなお話しでしょ!」
真理は矢継ぎ早にまくし立てる。王は溜息を一つつくと、窓から外の景色を覗いた。ボーダーランド城は中空の球体を、ピラミッド型に連結して建造されている。謁見の間は頂点の一つ下にあり、混沌たるボーダーランドをある程度一望することができた。
ボーダーランドには、大地も空も存在しない。まるで腸の内壁の様に、歪んだ大地で空間が包まれているのである。土の色は薄紫で、生えているのは枯れかけの草木だけだ。そして空間の中央には、薄い紫雲がたなびいているのだった。
その他にボーダーランドにあるのは、時間の矢だけである。過去から未来へと進んでいく。それだけが唯一この世界で、確かなことだった。
王はボーダーランドで民衆が叫んだり、樽に頭を突っ込んだり、服を脱ぎ捨てたりするのを、当たり前のように眺めた。その中から一人の青年を選び出し、真理にも分かるように指さした。
「真理や。あれが何をしているか、当ててみせい」
真理は窓際から身を乗り出して、青年を注視する。彼は地面にツルハシで穴を掘り、その中に鍋で煮たおでんを放り込んでいた。
「あれ!? あれね! あれはね……きっとおでんが嫌いだから、放り込んでいるん
だよ! 私もこの前、執事のクソジジー埋めたから間違いないわ!」
王は無表情で、呼び鈴を鳴らした。間を置かず召使いが駆けつける。
「おい。例の執事捜索は打ちきりじゃ。裏庭を掘り返すのだ――真理よ。あの青年はしきたりに従い、カリムーランドという次元に旅立った。そしてそこの文化を学んできたのじゃ。あの青年はまさに学んだ技術を使い、狩りをしようとしておるのじゃ」
真理は不思議そうに小首を傾げた。
「狩れるの? ここはそのカリムーランドじゃないんでしょ」
「ボーダーランドは全ての次元と接しておる。ゆえに潜在的に全ての原理が働いておるのじゃ。見ておれ。あの青年はカリムーランドの主食である、バラザンユーを仕留める事じゃろう」
真理は目を輝かせながら、青年を見守った。彼はおでんを穴に入れては、ツルハシを振る作業を繰り返す。やがて穴の縁に立つと、手で口元を覆い叫んだ。
「ヤッホー!」
穴から毛むくじゃらの手がにゅっと伸びて、青年を鷲掴みにして地中へと引きずり込んでいった。青年の絶叫が尾を引く中、王は軽く鼻を鳴らした。
「失敗したようじゃな。まぁあんな感じで、我がボーダーランドは他の次元に赴き、そこの文化を学び、持ち帰って広める事で、今まで成り立ってきたのじゃ。ボーダーランドは全ての文化に寛容で、誰もが好きな文化で生きられる場所である。様々な文化が泡沫の如く流行っては消えたが、その根源である文化交流のしきたりだけは残ったのじゃよ」
「へぇ。私今まで皆がイカレてるんだと思ってたわ。それが普通だと思って気にも留めなかったけど。じゃああの泡吹いてる子も、何か意味があるのね。あそこで意味不明なこと喚いているオッサンも! すげぇ!」
真理はより窓から身を乗り出して、ボーダーランドを見回した。あちこちで奇声が上がり、謎の生き物が湧き出し、異様な肉片が転がっている。それらはボーダーランドの住人が持ち帰り、ボーダーランドに受け入れられ、そしてボーダーランドに骨を埋めたものだった。
「確証はないが多分そうじゃろうな。話しを戻そうか。そこで真理。お主もしきたりに従って、別の次元に旅立ち、文化を学んできなさい。この杖を遣わそう」
王は再び呼び鈴を鳴らす。今度は全身を土で汚した老執事が、危うい足取りで謁見の間に現れた。彼が一歩踏み出すたびに、衣服から湿った土くれがこぼれ落ちる。執事は血走った眼で真理を睨みながら、一本の杖を差し出した。
大きさは指揮棒ほど。杖自体は安っぽい木製だが、先端には精緻な細工の施された、小さな胸像が取り付けられている。胸像は異様な生物を模した物で、蛇の頭、鳥の嘴、犬の歯をもっていた。
像は轡を噛むように、口にリングがはめている。それをして胸部を叩く構造をしていて、ドアノッカーとして使えるようになっていた。
真理はひったくるようにして杖を受け取り、複数あるリングを指で弄んだ。リングは胸像の口に掘られた溝を通して、好きなものを選ぶことができた。
「エターナルノッカーじゃ。我がボーダーランドの秘宝である。水や鏡などの境界に、杖を当ててノックを鳴らすと、そこを別次元の扉と化すことが出来るのじゃ」
「うひゃあ! これを使えって事ねぇ!」
真理は謁見の間中央にある、円形の貯水池に飛びついた。
石造りで細々としたエングレーブが彫り込まれており、中には清涼な水が並々と湛えられている。この謁見の間に不自然な構造物は、しきたりと共に古の昔より存在する物だった。
真理はエターナルノッカーを貯水池に浸し、適当なリングを選んでノックした。
それまで透き通っていた水面が輝き、境界面が白い異界へのゲートと化す。
真理は笑みを深くしてその光景を見守っていた。だが白の境界を突き破り、犬の前脚とぎらつく爪が顔を出すと、彼女は慌てて飛び退いた。
「給料払ェェェ!」
絶叫が謁見の間に響き渡った。脚は鬱憤を晴らす相手を探し求めて、床石を爪で引っかいた。そして偶然近くにいた老執事を引っ叩くと、むんずと握りしめて境界の中に引きずり込んでいった。
真理が急いで貯水池からノッカーを抜くと、ゲートは風に吹かれたように揺らぎ、白い輝きを失っていく。最後に強く輝くと、元の透き通った水面を湛えた。
王は一部始終を見終えると、やれやれと言ったように一息ついた。
「人の話は最後まで聞くのじゃ。どのリングでノックするかで、行き先が異なるのじゃ。そのエターナルノッカーには、代々王家に仕える異次元の住人のリングが括られておる」
「マジでェ! どれがどうなってんの!?」
真理はリングを鳴らしながら、興味深げな声を上げる。
「お主の昔の家庭教師が、ほとんどおるぞ。とにかく今お主が使うのは、一番大きな黒いリング――エターナルリングじゃ。そのリングを使えば、水の性質や温度、濃度で、異なる行き先を選ぶことが出来る」
真理は聞き終わるや否や、その場から駆け出した。王は彼女の帰りを待って、玉座に体重を預け、ひじ掛けに頬杖をついた。やがて遠方から、埃を巻き上げんばかりの足音が響いてきた。
真理が片腕一杯に調味料を抱え、残った手に馬と牛の手綱を引いて戻ってくる。
まず真理は抱えた調味料を、全て貯水池の中に放り込んだ。それから牛の乳を捻りあげてミルクを流し込み、馬の横っ面を張って涎を垂らし込んだ。
彼女は貯水池の脇に佇んで、濁った水面を見下ろす。何かが足りないと感じているのか、眉間に皺を寄せて、首を捻っていた。そして何かを思いついたのか、手の平を拳で打った。
「ポティおいでおいで!」
真理は指笛を吹く。すると城内の廊下を駆け抜けて、巨躯の白い犬が謁見の間に飛び込んできた。犬は真理の首に噛り付き、激しく尻尾を振る。真理も犬を抱き返し、その毛並みをそっと撫でた。
「ポティ。私これから異界に文化を学びに行くんだ。だからしばらく会えなくなるの。でね、一緒に育った仲のポティに見送って欲しいの。悲しいでしょ? うんわかるよ。だからその涙の雫を、池に入れて欲しいんだ」
ポティはワンと一咆えすると、真理から離れて後ろの片脚を持ち上げた。
黄金の橋が、股間から池にかかった。それは汚い音と水柱を立てて、貯水池に最後の仕上げを施していく。真理は真顔になってそれを見ていたが、どうでもいいようににひぃっと笑った。
真理は貯水池にエターナルノッカーを浸し、激しく掻き回す。それからエターナルリングを引っ掴んでノックした。水面に波紋が広がり、それが流れを生み出し、大きな渦を巻く。渦は次第に中心の穴を大きくし、貯水池の縁いっぱいに広がった。
真理は貯水池の縁に足をかけて中を覗き込んだ。異界へのゲートは未知を体現して、闇を蓄えている。真理は喜悦の表情を浮かべると、一度玉座を振り返って王に敬礼をした。
「お父様いってきます!」
真理は奇声を張り上げると、穴の中に身を躍らせた。
*
地球。
それは我々が住まう次元にある、物理の惑星。我々の常識が根付く、平穏の世界。
地球の住人には、物質文明に裏打ちされた、根強い現実信望がある。
とある民家の居間にて、家族が朝食を取っていた。
学生が食卓でパンを食べつつ、テレビを眺めている。向かいでは父親が新聞に視線を落として、目玉焼きを箸でつついていた。母親は二人に背を向けて、キッチンで弁当を仕上げている。
「また汚職か……腐るほど前例があるのに、懲りないのかねぇ……」
学生――
定則の父――
「人間誰しも自分は特別だって、心の中で思っているからな。自分だけばれないと思っているのさ。それにせっかく要職についても、歯車の一つに過ぎないから、汚職でもしないとやってられないんだろう」
「父さん。妙にねっちりというな……」
「おいおい。あくまで想像の話さ。俺はそんな大それたこと、見たことも聞いたことも無いよ」
忠則は意味ありげに笑うと、新聞をとじて席を立った。彼は空になった食器を、流し台まで持って行く。入れ替わりに定則の母――清美が、弁当包みを片手に食卓に寄ってきた。
「定則。早く食べなさい。そろそろお隣の
「もうそんな時間か――」
定則はパンを口に押し込むと、牛乳でそれを流し込む。そして清美から弁当包みを受け取ろうと、手を伸ばそうとして――
キッチンで爆音がした。流し台で水柱が立ち、大量の泡がこぼれ落ちる。忠則がびしょ濡れになって立ち尽くす中、定則と清美はぎくりと流し台に視線をやった。
食器で埋まっているはずの流し台から、少女が飛び出してきた。彼女は真紅の髪を足元にまで引きずっており、透くような白い肌をしている。眼はぱっちりと見開き、口元に耳まで裂けんばかりの、異様な笑顔を貼り付けていた。身に纏うドレスは、髪の色に反した澄んだ青色だ。それでも清廉なイメージを醸す、彼女には似合っていた。
彼女――雁木真理はキッチンの床に降り立つと、手に持つ杖を儀仗のように振り回す。そしてヒールで床を一突きし、姿勢を正して深々と一礼した。
「はぁいあたし雁木真理! 今日からこの家に厄介になりまぁす! よろしくよろしくぅ!」
常盤家の居間は、重苦しい沈黙に陥った。定則は口に含んでいた牛乳を吹き出して、制服に白の縞模様を付けてしまっている。清美は弁当を手から取りこぼし、床に中身をぶちまけてしまっていた。
爆心地に最も近かった忠則は散々だ。スーツは水に濡れて、泡にまみれ、ビジネスマンとして堂々たる威容を完全に損ねていた。本人も何が起こったのか理解できないのか、顔にしたたる水を拭おうとせず、会釈をする真理を凝視していた。
真理は静かすぎる反応に、顔を上げて小首を傾げて見せた。
「クラッカーは? くすだまは!? ショットガンは!? ちょっとどしたの静かすぎるでしょ!」
一人ガンガン喚きたてるが、常盤家の面々は固まったままだ。そこで真理は思い出したように指を鳴らした。
「あ! 分かった! 手ぶらでお世話になろうなんてムシが良すぎるわよね!」
真理は流し台にエターナルノッカーを浸して、黄色いリングを使ってノックした。それは真理の部屋に繋がるドアを開くものだ。水面が輝き、そこは異次元へのゲートと化す。
「これつまらないものだけどどうぞ」
真理は登場を誘うように、後ろ足で流し台をこつんと蹴った。すると異次元の境界を突き破り、鮫の成体ほどもある巨大な魚が飛び出して来た。それは忠則に飛び掛かり、その首筋に食らい付く。
「ボーダーランド流行りのペットなのぉ! これで私たち友達ね!」
忠則が魚に押し倒され、まるで耐久試験のダミー人形の様に、家の奥へずるずると引きずられて行った。
「父さぁぁぁぁん!」
定則は絶叫した。
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