好きすぎて辛い。
菅原一月
第1話 出会い
「はぁっ……はぁ……ちょっとタロちゃん待って!」
って、全然待ってくれない!! んーもうっ! それどころか、こちらを向いて愉快そうに大きな黒い瞳を輝かせちゃってる始末である。
首輪のチェーンが外れるという事件が起こったのは、つい先ほどのことだった。逃亡犯であるフレンチブルドッグのタロウは、お尻をフリフリさせながら道路を駆けだした。
そして、息を切らせながら、飼い主こと
追いかけるうちに、白い後ろ姿は遠くなり、距離を離されてしまう。再び、得意げにこちらを振り返るタロウの姿に紗枝は絶望した。すっごく、楽しそうなご様子……。
車通りが少ないとはいえ、相手は危険予知能力の低い子どものようなものだ。事故回避のため、早急にタロウを確保しなければならない。
それなのに、近頃の運動不足のせいか、足がうまいこと前にいかない。
――このままじゃ、タロウが車にひかれてしまうっ!
そんな時である。
歩道を歩いていた、背の高い黒髪の三白眼の男の子が、フレンチブルドッグのタロウをガシッと両腕で捕まえてくれた。
ちょこんと、抱き抱えられるタロウは、ハァハァ息を荒くしながらもされるがままだ。犬らしくピンク色の舌がだらしなく口から出ている。
「はぁ……、はぁ……ありがとうございます」
なんとかバランスをとり耐えた紗枝は、荒くなった呼吸を鎮めながら目の前の青年へ頭を下げる。それを見て、その男の子はタロウのだぶついた眉間周辺を優しく中指で撫で伸ばしながら、「心配かけちゃ駄目だろ……お前」と、タロウに優しく語り掛けた。
え、今の何?
ハートが矢にズキュンと射抜かれたような感覚が、紗枝を襲う。
タロウの首輪のヒモを手の平で握りながら、紗枝は先ほどみた光景を反芻した。自分の父の身長をも超える背の高さ。長めの前髪のすき間からはドスがややきいた三白眼が覗く。そして、その黒い目が柔らかく細まり、愛しそうにタロウを愛でた。
ギャップ萌え、というのであろうか。凄まじい萌えがそこにはあった。
優しい低音に、説得するような甘い台詞。もちろん、犬に対してであることは百も承知だが、それにも関わらず紗枝の心臓は今までにないくらいバクバクしている。ちなみに、好き放題に走ったからか、どこかすっきりとした表情のタロウは、チェーンにつながられ大人しく歩いている。もう呼吸がバクバクする必要もないのに、なんだろう。息が苦しい、そう思った。
また会えないだろうかと、ふと紗枝は思う。
何だか、感情が高ぶってしまい、タロウの小さな体をムニュと抱きしめると、タロウは「きゃうんっ」と下手くそに抗議の鳴き声を発した。
男の子の顔には、実は見覚えがある。
窓際の前から三番目の席で、大きい背中を丸ませて、いつも机に突っ伏して、ぐーすか寝てばかりいる男の子だ。
もっさりとした黒髪は整えられておらず、少し長めの前髪から機嫌の悪そうな目が覗いている。
明るくはないし、少し微妙な意味合いで目立つタイプ―――。
だけど、紗枝は知ってしまった。我が愛犬を優しく撫でる指と、温かな眼差しを。
自分の心臓から効果音がでるなら、けたたましい音だったに違いない。彼のことが気になる。もっと顔を合わせて話してみたい。
「青木ぃ―」と、同じクラスの男子に話しかけられると、気怠そうに左手をあげて「あー」と返事をしていたのを思い出す。
そっか、苗字は青木くん、名前は、確か……善一郎くんだったと紗枝は自分の記憶を掬うように拾い上げた。
◇◇◇
しかしながら、今は夏休み期間中である。
そのことに気づき、紗枝はひそかに落胆した。
会いたいのに、会えない。だけど、会いたい。紗枝はいてもたってもいられなくなった。
それから、紗枝はタロウの散歩を母親に勝手でて、青木と遭遇した周辺を、そのまま散歩コースとした。そして、一週間程たった頃、道路沿いの美容室で、従業員として働く青木くんを偶然にも発見したのだ。
丁寧に、丁寧に、床に落ちた髪の毛をほうきで集めて掃いている。時には、白いニトリル手袋をして店長らしき人の隣でヘアカラーのお手伝いをしたり、ドライヤーをかけていた。タロウの眉間を愛おしそうに撫でたあの指が、お客さんの髪を混ぜる。
「……いいなぁ」
その大きい手の平に触れてみたいと紗枝は中々働く青木から目が離せなかった。
あの指に触ってみたいし、あの指で触られてみたい。今まで思いつきもしなかったような、ふしだらなことを考えている自分に気づき顔中に血液が集まるのを感じた。
お客さんとして、お店に行こう。
見ているだけじゃ満足できない。今まで知らなかった自分の貪欲さに紗枝は驚く。どちらかというと、自分は色恋沙汰には興味が薄いほうであったのに。
青木くん、ちゃんといた……。
一呼吸して、勇気を出して紗枝は青木の勤める美容室の扉をあけた。
からん。
扉についている小さなベルの音が鳴り、床掃除をしていた青木がこちらを振り向く。こうしてみると目つきは悪いが、顔の造作が良い……というか、よく見ると分かるが、あまり見ないくらいめちゃくちゃイケメンな気がする。可愛いというよりは、ワイルドな部類の美青年だなぁと紗枝は、ちょっとドギマギした。
「13時半から予約していた鈴木です」
そう伝えると、青木くんは「確認しますので、少々お待ちください」と、予約表らしきものを確認し、バッグヤードから店長を連れてきた。校則で染髪は認められていないので、カットとブローのみ予約している。自分の前髪が丁寧に切り添えられている間も紗枝は、彼を凝視していた。ふと、掃除が終わったのだろうか、青木くんが頭をあげた。
(やばいっ……)
鏡越しに目があった。そして、一瞬動きを止める青木に紗枝は見ていて悪かったと言わんばかりに、ちょっとだけ頭を下げる。そうすると、青木はふっと気の抜けたように口角を上げ、バックヤードへ片づけにいってしまった。
(なに……今の。……かっこいい。ひたすら尊い)
「大丈夫ですか? 空調あつかったかな」
そう店長さんに言われ、鏡をみると自分の顔が赤く染まっているのに気づいた。「い、え、大丈夫……です」と紗枝は慌てて首を横にふる。
今回の美容室訪問で、もちろん青木くんが紗枝の髪をカットしてくれることはなかったが、ブローの時、ヘルプで傍に来てくれた。髪の間に青木くんの冷たい大きな指が入るのが気持ちが良い。指の感覚に集中する。はぁ~いい、と紗枝は思う。毎日美容室にきたいくらいだが、髪の毛が伸びるペースには限界があるし、何より学生のため財布の中身が寂しくなってしまう。
家に帰って、髪を洗う時、大きな指の腹を思い出す。もっと触れてもらいたいと思う自分はハレンチな気がした。泡を落として、トリートメントをし、髪を乾かし、パジャマを身にまとい、自室のベットでごろんとする。
電気を消して目を閉じると青木のくすっと小さく笑った顔を思い出された。あまりの、可愛さに紗枝は幸せな微睡の中、布団をぎゅーっと抱きしめた。枕に顔を死なない程度にうずめて悶える。
(尊い、尊い、かわいぃーー!)
あと三日で夏休みが終わる。学校でも仲良くなりたいな。そう思った。
◇◇◇
早起きして、タロウの散歩を終え、身支度をし、高校へ向かう。
雲一つない気持ちいい快晴である。早朝だからか空気も澄んでいるような気がする。
今まで、何も考えずに入室していた教室も、この先に青木くんがいると思うとどうしようもないくらい心臓がバクバクした。
(いた……!)
だが、話しかけるどころではない、青木くんは机に顔を押し付けグゥーグゥー寝ている。普段から眠そうなのに、思いのほか、早く学校にきているのだなぁと思う。
何て話しかけよう……、そうだ、タロウを捕まえてくれたお礼だ。それに、美容室トークでも盛り上がることが可能だろう。よし、話しかけようと、紗枝は自分を奮い立たせた。
それなのに、授業中以外の青木くんは、相変わらず机に突っ伏して寝ているか、近くの男子に話しかけられても、気怠そうに返事をするだけだ。つまりは普段接触のない私が話しかけるような隙が全然ないのである。あと、私の勇気も思ったよりなかったようだ……。残念である。度胸がっ! 度胸ぐぁあ!!!!
行動力があると自分を過信していたことに今更気づく。だって仕方ない。普段教室で話しかけたこともないのに話しかけて、彼にそっけない態度を返されたら心が死んでしまう。
そんなこんなで終礼の鐘がなってしまい、青木くんはひょいとバックを背中に下げ、教室からそそくさと出て行ってしまう。それを見て、慌てて荷物を持ち追いかける。親友の楓ちゃんに「もう帰っちゃうの?」と言われたので、「もう帰っちゃいます!」と伝えて、廊下を走る。ちなみに、廊下は走っちゃいけないことはもちろん知ってる。
青木くん。足が長いからか、歩くスピードも早い。
紗枝は小走りで、歩いている青木くんを追う。今日話しかけないと、明日も話しかけることができないような気がした。玄関から出そうな青木くんを、上履きを履き替えずに追う。
「あ、の、あお、青木くん!!」
そう話しかけると、青木くんがこちらをやや驚いた表情で振り向く。
その後、首を傾げて不思議そうにしている青木くんもとても素敵と紗枝はうっとりとする。
「えっと、青木くん。この間は……うちの犬を捕まえてくれてありがとう、あとは美容室でお礼言えなくてごめんなさい」そういうと、青木くんは「あ、あの時の……」と低い声で、思い出したというように、ぼそっと呟いている。
そして、「上履き……」と紗枝の足元に目線を落とす。「あ、は、履き替えるの忘れてた」と紗枝が恥じらって言うと、目の前の彼は、またしてもくすっと小さく笑った。
何、その表情……! 犯罪レベル、可愛い。いや、かっこいい! 心臓死ぬ! 紗枝は暴走しそうな胸を抑える。
「――ちゃんと話聞くから、履き替えてきたら?」そう言われて、紗枝は我に返り、俊足で玄関へ戻る。
(ハァ……ハァ……かっこよかった)
ということは……青木くんと、一緒に帰ることができるってこと? やったぁと浮き立つ足を抑えつつ、紗枝はローファーにそそくさと履き替え、上履きを下駄箱にしまう。
スカートを翻すように、急いで青木くんの元へ戻ると、彼が道の端で腕を組みながら、紗枝を待っている様子が見えた。
――立っているときは姿勢がいいんだ。とか、自分を待ってくれているのが、ただひたすら嬉しくて、しばらく遠目からじっくり観察したい気持ちに襲われる。もちろん、急ぐけれど。
「お待たせしました」というと、青木くんは「おー」と返事をした。あ。いつものやつだ、と紗枝はちょっと気怠そうな「おー」に喜ぶ。そっけない返事ではあるが、顔を見る限り、そこまで不機嫌ではなさそうなので安心する。歩き出す青木の横に並び紗枝はトボトボ歩く。
もしかして、私に歩幅、合わせてくれてる?
心なしか、さっきよりゆっくり歩いてくれているような気が。何気ない気遣い。うすうす気づいていたが、青木くんって、すっごく落ち着いているよね。紗枝は優しさに感謝しつつも、青木くんの存在をちょっと遠く感じる。
「青木くん、美容室長いの?」紗枝は、無難な話題を取り出すことにした。
「……えっと、美容師目指してて、半年前くらいからお世話になってる」
ほうほう。それなら、半年前から通いたかった。
「かっこいいね。私、夢とか……その、まだ分からなくて」
そう紗枝が自分を恥じるようにいうと、青木は紗枝の髪の毛にぽんっと手を置きながら、「それが普通じゃね」と優しく微笑んだ。
な、なんだ。その眩しい笑顔は……!! 威力がすごい! 当たり前だが、紗枝の心はきゅんきゅんが止まらなくなってる。しかし、近い。案外、距離感がない人かもしれないな。彼。
「――いつか、カットもカラーも上手にできるようになりたいんだ」
そう前をしっかり見据えながら話す姿もカッコいい。
ついつい見蕩れていると「えっと、また鈴木さんも美容室来いよな」、そうにこやかに顔を覗き込んでくる。ふいうちすぎるっ!
ドキドキしていることがバレないように「いつ、出勤しているの?」と慌ててきくと、土日祝日と、金曜日と教えてもらうことができた。思わぬ収穫である。
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