素直になれないお年頃

百川 凛

第1話


「あっ」


 思わず出てしまった私の声に反応して、バス停のベンチに座っていた男子生徒が顔を上げた。私と目が合うと、せっかく綺麗に整っている顔を歪めて眉間にぐぐっとシワを寄せる。


 同じクラスの窪田くぼた稚空ちあきくん。


 成績優秀、品行方正、眉目秀麗というモテ男を代表する四文字熟語を制覇している彼は、まさに非の打ち所のない完璧男子だ。しかも、それらを鼻にかけることなくみんなに分け隔てなく優しく接してくれるという奇跡のような性格。物腰が柔らかく紳士的な言動から女子に絶大な人気を誇り、男子からは羨望と信頼を得ているという校内では知らぬ者はいない有名人。


 そんな聖人君子のようなパーフェクトボーイに唯一嫌われている女子がいる。杉江すぎえ菜緒なお。……何を隠そうこの私だ。


 ……最初は自分の勘違いかと思った。交わらない視線、繋がらない会話、そっけない態度。それらはただ単に私が話しかけたタイミングが悪かっただけなんだろう、と。今思うとなんて浅はかな考えだったんだろう。窪田くんは私の事が嫌いだから、分かりやすくあんな態度を取っていただけなのに。


 バス停に私たち以外の姿はない。このまま無視するのも何となく悪いので、とりあえずへらりと愛想笑いを浮かべる。窪田くんは眉間にシワを寄せたままふいと顔をそらした。……ですよねぇ。残念ながら今ではだいぶ慣れてしまった彼の塩対応に内心で溜息をつく。

 彼の姿を見つけた時、どうして声を上げてしまったのだろうか。あれさえなければ陰に隠れて大人しくバスを待つっていう方法があったのに。自分の行動を後悔しつつ、せめてもの気遣いで彼と一番離れたベンチの端に腰を下ろす。お互いの心の安泰のためである。私も余計な傷を負いたくないしね。


 ポケットからスマホを取り出して時間を確認すると、バスが来るまであと五分ほどだった。ああ……地獄の五分間の始まりだ。





 ──彼が私の事を嫌いなのだと確信したのは、先生から預かった窪田くん宛てのプリントを手渡した時の事だ。その日、職員室で担任に頼まれごとをされた私はイケメンに堂々と話しかけられるなんて役得だなぁと足取り軽く教室へ向かった。そして、友達と楽しそうに話していた彼にドキドキしながら声をかけた。しかし、窪田くんは私と目が合った瞬間眉間にシワを寄せ口を真一文字に結んだものすごい不機嫌そうな顔になったのだ。……えっ、窪田くんのこんな顔、今まで見たことない。


 私は動揺しながらも「これ、先生に頼まれたんだけど……」とプリントを手渡す。窪田くんは見た事のない不機嫌顔のままぼそりと「……どーも」と形だけのお礼を言って、私の手から奪い取るようにプリントを受け取った。明らかにいつもと違う態度に、周りも私も驚きを隠せない。一緒に喋っていた彼の友達も「お、おい稚空……どーした?」と困惑した様子だ。しかし、張本人の窪田くんは「なんのこと?」とすっとぼけている。私は何が起きたのかよくわからなかったが、とにかくここにいるのはまずいと思い、慌ててその場を去ったのだった。


 あれ? もしかして私……窪田くんに嫌われてる? そういえば皆が見ているという彼の笑顔を、私は正面から見たことがない。人の手助けを率先して行っている彼に、何かを手伝ってもらったことがない。過去を遡っていくと、心当たりばかりが思い浮かぶ。そう思ったのは私だけではないらしい。


 この日から私はある意味有名になった。心優しい窪田くんに唯一嫌われているという、完全なるマイナスの意味で。


 そして、とどめを刺されたのはこないだ行われた席替えだ。


 厳正なる抽選の結果、私と窪田くんはなんと隣の席になってしまった。私はまたあんな態度を取られたらどうしようという不安と、もしかしたらこれをきっかけに少しは仲良くなれるかもしれないという期待が混ざった複雑な気持ちで机の移動を始めた。先に移動を終えていたらしい窪田くんは私が隣だと気付いた瞬間サッと顔色を変えた。そしてあろうことか、後ろに座っていた彼の友人である山本くんと席を交換したのである。


 正直、とてもショックだった。そんなに私が嫌いなのかと、完膚なきまでに心を砕かれた瞬間だ。


 新しく隣になった山本くんからは本当に申し訳なさそうな顔で「あの、稚空は杉江さんのこと嫌ってるわけじゃないんだけど……ごめんね」と謝られたが、その言い訳は苦しすぎるものだった。私は泣きたくなる気持ちを堪えて曖昧な笑みを浮かべる。山本くんには申し訳ないが、そのフォローは私を余計惨めにするだけだった。


 一体何をやらかしたら聖人君子な窪田くんにあんなに嫌われるの? というのがみんなの疑問なのだが、そんなことは私が一番知りたい。私、窪田くんに何かした? そんなに話した事もないんだけど……。まぁいい。これから一切関わるつもりはないし、関わりさえ持たなければお互い嫌な気持ちにならなくて済むだろう。来年はクラス替えもあるし、そうすれば顔も合わせなくて良くなるし……と半ば開き直っていたのだが、まさかこんな所で出会ってしまうなんて完全に予想外だ。神様は随分と意地が悪いらしい。





 はぁ、と数えきれない溜息を内心でつく。


 とりあえずスマホを弄りながらどうやってこの地獄の時間を乗り越えようかと考えていると、左側から痛いほどの視線を感じた。そっちにいるのは言わずもがな窪田くん一人しかいない。……なんで?


 窪田くんからの押し潰されそうな圧に耐えられなくなった私はチラリと様子を伺う。しかし、彼は目が合いそうになるとばっと音がしそうなほどの勢いで顔をそらした。えええ……。


 気にしたら負けだと自分に言い聞かせてスマホを弄りだすと、再び突き刺さる視線。いや……だからなんで? 私、気を使って一番離れたところにいるよね? 同じ空間にいるのがそんなに嫌なの? ちょっとくらい我慢してよ! 今度は怒りを込めて窪田くんをチラリと見ると、さっきと同じように勢い良く顔をそらされた。ああもうっ……なんなのよ!! 堪忍袋の緒が切れた。


「ちょっと窪田くん!」


 私の大声に窪田くんの体はびくりと跳ね上がる。


「さっきからチラチラこっち見て何なの? 何か言いたいことがあるならハッキリ言ってよ!!」


 日頃の鬱憤を晴らすかのように、私の口は止まらなかった。だって、悲しかったのだ。私にだけあんなあからさまな態度。しかも密かに憧れてた男の子にされているのだ。傷付かないわけないじゃない。


「私にだけ明らかに冷たいし睨んでくるし周りからも色々言われるし……こ、こないだの席替えだってそう! 私窪田くんに何かした!? いくらなんでもひどすぎるんじゃない!?」


 あ、ヤバイ。視界がゆらゆらと滲んでいる。怒りながら泣くなんて小学生みたいだ。


「別に私が嫌いならそれでいいよ!? 私だってそんな事する人嫌いだか、」

「ち、違う!!」


 窪田くんは立ち上がり、焦ったように叫んだ。それから少し考えるように俯いて、話を続ける。


「態度については……悪いと思ってる。でも、杉江さんを前にするとどうしても緊張して上手く喋れないんだ。席替えも、その……杉江さんの隣だと集中出来ないっていうか、ドキドキしすぎて生きていけないから仕方なく代わってもらったっていうか」


 いや、ちょっと何言ってるか分かんないんですけど。もごもごと言い訳めいたものを並べる窪田くんに対して、私の眉間にシワが寄る。


「……どういう事?」


 窪田くんが小さく息を吸って、吐く。私たちの待つバス停に、ゆっくりと走って来た緑色のバスが止まった。


「……好きなんだ」

「は?」


 プシュー、という音と共に大きな扉が開く。


「杉江さんのこと。嫌いじゃなくて好きなんだ」

「は?」

「去年、入学式で見て、一目惚れで……。素直になれなくてごめん。これからはその……気をつけるから。だから、」


 窪田くんは私を真っ直ぐに見つめ、消え入りそうな声で言った。


「……嫌いにならないで」


 顔を赤くさせた窪田くんは逃げるようにバスに乗り込んだ。私の目と口はだらしなく開きっぱなしだ。脳が考える事を拒否しているのか、上手く言葉が出て来ない。


 再びプシュー、という音がしてドアが閉まると、窪田くんを乗せたバスは静かに走り出した。私は見事な間抜けヅラのまま、小さくなっていくバスを見送った。


 ……え。


 ……ええ?


 ……えええー?


 嘘でしょ? 何今の……夢? 妄想? っていうかそれより。



「バス……乗り遅れた」



 はぁ、と私は深い深い溜息をついた。


 次のバスが来るまでまだずいぶん時間がある。仕方ない。その間、頬の熱を冷ましながら頭の中を整理していよう。


 私の心臓はさっきからドキドキとせわしなく動いている。でも……そっか。窪田くんの今までの塩対応はただの照れ隠しだったのか。なんだそっか、そうなのかぁ。そう考えるとなんだか彼が可愛く思えてきて、自然と顔がニヤけてしまう。さっきまであんなに怒ってあんなに傷付いてたのに、我ながら現金なやつだ。


 どうやら完璧男子の弱点は好きな女の子に冷たくしちゃう所だったらしい。明日、もし私からおはようって声をかけたらどんな反応するんだろう。そんな事を考えながら、私は最近流行りの恋愛ソングでも聴こうと、スマホで検索を始めた。





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