第28話 霜降り

 

「用事を作って立ち寄るようにする、とは言っていたけど、こんなにすぐに用事を作って帰れるものなのかしら??」

 律儀と言ったら良いのか、仕事ができると言ったら良いのか、定期的に立ち寄る用事を取り付けて颯爽とホルトス村に帰って行ったホッパーは、帰村のたびに成長している。モイラより年下なのにすぐに有言実行するその背中は、すでに一回り大きく見えた。

 ホッパー曰く、エストスには本好きな商人がいて、その男がたいそう高値で買ってくれたから、いらない本があれば売って欲しいのだという。また、レイス村には童話が好きな少年がいて、新しい童話を聞かせて欲しいのだとか。二件の商談をうまく繋ぐにはモイラの協力が必要だというので、モイラは半信半疑のまま彼の依頼を承諾してしまった。

「とりあえずアタシは、ホッパーが次に仕事に行くまでに、売っても良い童話を選別して、且つ読み聞かせをする時間を作れば良いんだわ。あと、エストスの商人に売る用の、いらない本も用意すればいいのね!」

「一気に仕事が増えやがったなぁ? まぁでも、金儲けが出来るってんなら良いじゃねぇか!」

「ふふふ、そうなの! これって結構良い話かも?」

 家門の鍵を閉める合間に、足下にやってきたゴールデンの言葉を拾って、ごもっともだと頷いた。お金は必要だが、やりたくない事はやりたくない。本に関わることなら何だって楽しいモイラにとって、かなり良い話ではあった。何より、新しい本を購入できる機会が巡ってくるのはとても嬉しい。

 モイラはゴールデンの手を借りながら、早速作業に取りかかった。リビングにある本はすべて実家から持ってきた本だから、売るも買うも自由である。モイラは読み終えた童話の中から、なるべく毛色が違う2冊を選び、他には恋愛小説を1冊、伝記を2冊、計5冊をホッパーに売ることにした。

 本を取り出せば棚に隙間が出来るので、ホッパーから「飯代」として貰った2冊の童話を差し替える。ふとその背表紙を見てみると、見たことも無い言語が並んでいることに気付いた。

「んん?? 何処の言葉かしら?」

 ネズミが這った様な長い長い綴りに、意図しないところに点が付いている。ページを捲っても同様で、大陸で使われる共通語とはまるで違う言語で書かれた本だった。

「これはアタシじゃ読めないし、こういうの貰うと困っちゃうなぁ……」

 モイラは苦笑しながら次の一冊を開くと、また同じ言語で書かれていた。もしやと思い、笛吹き男と一緒に貰った一冊を引っ張り出すと、これもまた違う言語……。

「う~~ん、言語が違う本は断るようにしようかしら……」

 何が書かれているのか気にはなるが、読めないのでは意味が無い。モイラが頭を悩ませていると、本のタイトルを下から見上げていたゴールデンが「お前さんよう、」と声をかけてきた。

「主様の本棚の中にも、同じ言語の本があったぜい? 辞書もあるんじゃねぇか?」

「辞書ぉ?」

 もっぱら掃除中の塔の中を思い出し、モイラは眉間に皺を寄せて考えた。壁一面に本が埋まっているあの書斎なら、確かに辞書はありそうだ。とはいえ、辞書片手に太刀打ちできるのかは不安であった。

「まぁでも、単語の意味が取れればどうにかなるかしら? やってみなくちゃわからないわよね!」

 苦労はするだろうが、これで読めるようになったら儲けものである。モイラは言語の違う一冊の童話を抱えたまま、ゴールデンと共に塔に向かうことにした。



 日ごと量を決めて虫干しと棚の拭き掃除をしているが、本周りの掃除はまだまだ半分も終わらない。焦ることでもないのでまったりやっているが、こんなに量が多いといつ終わるのかと気が遠くなる。とはいえ、モイラは絶望よりもたくさんの本に囲まれる幸福が勝るので、毎日せっせと作業を進めていた。おかげで長男坊の本棚の使い方がなんとなく分かってきた。

「このタイプの言語の棚は……そうそう、これね!」

 モイラは目的の棚から辞書を見つけ出し手に取った。長男坊の几帳面さがにじみ出るように、背表紙の羅列はどれも文字の語順を守っており、実用的な内容のものほど、左側に寄せて配置してある。なんとなくモイラは、長男坊は左利きだったのかと思っていた。

 すっかり掃除を終えてある文机の椅子を引き、モイラは童話と辞書を並べて開いた。子供の童話というだけあって一文が短いのが救いである。

「うー……ん?」

 救われたのもそのくらいで、モイラはすぐに首を傾げる事になった。辞書を使おうにも、頭文字すらどう発音すればいいか分からないし、どこに何の文字があったか忘れてしまう。童話一つ翻訳するのに一体いつまで掛かるのか予想もできなかった。

「無理無理、初心者には無理だよぉ」

「諦めるのが早ぇよう! 少しは勉強する姿勢を持ったらどうでい!?」

「勉強って言い方やめてよ、アタシは自主的に学習をしているんだから!」

 勉強といわれると、母を思い出してしまう。強制的にやらされているのではなく、モイラがそうしたいと思うからするのだ。ゴールデンもその点は納得したようで、やれやれと肩を竦めた。

「俺様も手伝ってやんよ! こっちのビューローを開けな! 手紙用のペンとか紙があるだろい」

 ゴールデンはビューローの上に飛び乗り、蓋を留めた金具をガジガジと囓り始めた。表面的に掃除はしたが中を開けたことが無かったので、金具は埃を噛んで開けづらい。ゴールデンの歯を借りながら留め具を思い切り引っ張ると、蓋が開いて中から大量の紙類が飛び出してきた。

「うわぁ!」

「あああああ、紙の雪崩じゃねぇか……」

 ついでに埃の煙も立ち上がる。モイラは咳き込みながら埃を払い、撒き散らかした上に埃の霜が降った紙類を拾い始めた。小さなカードに便せんに、紙を幾重も束ねたものもある。水平に開いた蓋は作業台になるので、その上はゴールデンがせっせと整えてくれた。

「あれ?」

 床に落ちた紙の束を拾った時、モイラは見覚えがある文字を見つけた。今し方解読を試みた、ミミズが這ったようなあの綴りだ。何枚かページを捲ってみると、モイラは瞼を見開いた。

「ご、ご、ごーるでん!! ちょっと見て!」

 頭に埃をつけたまま机の上から顔を出したゴールデンに紙面を見せると、円らな瞼をかっぴらいて飛び跳ねた。

「こ、こいつは、主様の書き置きじゃねぇかい!!」

 紙一面に並んでいるのはあの異国の文字であったが、その上に共通語のルビが振ってあった。ネズミが這うような筆記体の文字も、一文字一文字区切って書いてあると読み取りやすく、語順が整っているので辞書も引きやすい。何ページにも渡って書いてあるのは、例文を訳したものや文法を解読した試し書きのようなもの、語学を学んだものの足跡だった。

「ご長男って、異国の言葉も話せたの?」

 必死に学んだ学習の記録を目の前にして、ゴールデンもまたポカンと口を開けていた。

「俺様が塔を施錠した後、主様はこの塔に入ってねぇもんよ。何してたかなんてわからねぇやい」

「ああそうか……」

 扉の記憶を思い出せば納得のいく話だ。とにかくモイラはビューローに入っていた紙類を調べることにした。とりあえず紙類の束を根こそぎ取り出してみると、台の奥、左右に本が積んであった。

 右に2冊、左に3冊。異国の本も共通語も含まれていたが、左右の本で違うのは、右に積まれた2冊の本には紙が挟まっていることだ。裏表紙で蓋をするように一枚だけ、ページからはみ出していた。

「……左の3冊には、挟まってない……。どうして右にだけ、挟んであるの?」

 左の本をハラハラと捲ってみても、特出する変化は見られない。モイラは意を決して右に積まれた一冊を手に取り、表紙の埃を払った。『貴族と変革』と書かれたタイトルが読み取れる。それだけで難解な学術書という雰囲気が漂ってくるが、ページを捲ってみると、中扉には『バルリオス家の繁栄と衰退』と書かれていた。特定の家柄が出てくると、表題が噛み砕かれた分、とっつき易くなった。

 そのまま読み進めようとも思ったが、難しい文章は中々に頭を使うので、モイラは先に挟まれていた紙の方を抜き取った。厚手の白い紙に、育ちの良さがにじみ出るような流暢な文字が並んでいる。びっしり書き込まれた文章の書き出しを読んだ時、モイラは呆気にとられた。



『私はこの本の主人公が嫌いだ』



「…………え?」

 美しい筆記体から繰り出される子供のような文句に、モイラは脳の処理が追いつかない。これをご長男が書いたのかと思うと、これまでのイメージが崩れてしまいそうで、読み進めるには勇気が要るようだった。

 あれこれと悩んだ後、モイラは紙と本を胸に抱え大きく息を吸い込んだ。

「よし! 明日の読書はこの子に決定! この本を最後まで読んでからじゃないと、この紙に書いてあることは分からないと思うわ!!」

「おお! 読書魂に火が付いたじゃねぇかい!」

 文机の上で散らばった紙類を整理していたゴールデンが飛び跳ねた。見直したと言わんばかりににんまり笑い、モイラの肩に飛び乗ってくる。

「ご長男の書き置きのおかげで翻訳できる可能性も出てきたし、あのビューローの上で何の作業をされていたのかも気になっちゃったしね」

 なにより、本に挟んだあの紙の内容が気になるのだ。一体、何の意味があって紙を挟んだのか、興味がある。けれど、まずは本を読まなければ、長男と同じ土台に立つことはできない。

 モイラは明日の楽しみを抱いたまま、家に戻ることにした。螺旋階段の始まりを通り過ぎる時、ふとその果てを見上げた。真っ暗な塔の天井から、呼びかけられたような気がした。

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