第149羽

 どれくらい歩いただろうか。どこまでも続くかと思われた横穴は次第に通路といった感じの作りへ姿を変えはじめる。その変化に気付いたのと同じタイミングで通路の先にも明らかな変化が現れた。


「扉か」


 口に出して確認するまでもなく、通路とその先を隔てるのは金属製の扉。

 人の手によって設置されたものではあるが、一体どれくらい放置されていたのだろうか。見るからにあちこちさびだらけで元の色がわからないほどだ。


「ど、どうします……?」

「ちょっと静かにしててくれ」


 強烈な鉄の匂いがする扉へと片耳をあてて目を閉じる。扉の向こうからは物音ひとつ聞こえてこない。


「大丈夫、……かな?」


 できるだけ音を立てないように扉を開け……って固いな。ドアノブも完全に錆ついてピクリともしねえ。なんだこれ。扉に見せかけたただの壁なんじゃねえのか?


「ふんっ! うおりゃ! くそおっ!」


 しばらく奮闘してみたが、俺ひとり汗だくになっただけで扉は一ミリも動かない。


「お父様、私がやってみましょうか?」

「…………頼む」


 なんというか、大の男が華奢な女の子に力仕事を代わってもらうのは少々情けない。だがこのクロ子という娘、見た目からは信じられないほどの怪力を持っている。くだらないプライドはその辺の暗がりに熨斗のし付きで放り投げて、ここは現実的な選択肢を取ることにしよう。


「てやっ」


 気の抜けたかけ声と共にクロ子が両手を突き出す。

 パキンと蝶番ちょうつがいが折れる音に続いて、まるで壁と同化していたかに見えた扉が小さな掌に押されて倒れていった。途中で何かに突っかかったらしく、まるでジャンプ台のように斜めの状態で止まったが、人ひとりが通るには十分な隙間が空いた。


「さあ、どうぞお父様」

「…………ああ、ありがとよ」


 複雑な感情を胸の中に抑え込み、俺はあまり深く考えないことにした。

 しばらく時間をおいて慎重に扉の向こうへと足を踏み入れる。斜めに倒れた扉をそのまま踏み、坂を上る要領で進んで行くと周囲を見回す。


 進んだ先は雑多に物が積み重ねられた空間だった。


「明らかに人の出入りがある場所だな、これ」


 見たこともないガラクタが積み上げられ、ろくな明かりもないその場所を果たして部屋と呼んで良いのか判断しかねる。だが少なくとも床やガラクタにかかっている埃の量を考えれば、これまで通ってきた通路のように長い間放置されていた場所ではないらしい。


「なんだかゴミ捨て場っぽく見えますけど……」


 パルノが自信なさげな様子で口にした。

 あながち間違いじゃないだろう。何かの道具やら書類やらが雑然と重なり山となっているこの状況を『在庫置き場』や『作業場』と言い張るのは無理がある。不要物をとりあえずまとめて詰めこんでおいたという風にしか見えない。


「確かにゴミ捨て場っぽいな」


 もっともこの敷地全体がゴミ処理場なんだから、ある意味見える範囲全てゴミ捨て場と言っても良いんだが。

 ぐるりと周囲を見渡してゴミらしきガラクタばかりであることを確認していると、俺たちが侵入した場所とは反対側の壁に扉が見えた。


「もうひとつ扉があるぞ」


 こちらは木製扉のようだ。見たところ朽ち果てているわけでもなく、蝶番にも多少錆が浮いているものの普通に開閉できそうだった。


 木製扉の方からだと俺たちが入ってきた扉はガラクタの山に埋もれて見える。倒れた扉が引っかかったのは近くに積んであったガラクタだったらしい。ガラクタがもっと重い物だったら扉を押し開けるのももう少し苦労したかもしれないな。クロ子が。

 いや、クロ子なら少々ガラクタが引っかかったとしても強引に押しのけるかもしれないが……。


「特に変わった物はなさそう、か」


 放置されているガラクタを軽く見て回ったが、これといって不審な物はない。しかしそもそもゴミ処理場の地下にこんな部屋があること自体、十分に怪しい状況であることは確かだろう。先ほどの通路だけならともかく、この部屋は明らかに最近人が出入りした気配があるのだから。

 木製扉に頭の片側をつけて先ほどと同じように耳をすませる。何も聞こえてこないのを確認した上でドアノブに手をかけた。

 扉には鍵もかかっておらず、あっさりと開く。俺はほんのわずかだけ扉を開いて外の様子を窺った。


「誰も……、いないな」


 誰にともなくつぶやく。


 隙間からのぞいた扉の向こうは通路になっていた。薄暗くはあるが、申し訳程度に明かりが壁へぶら下がっている。一般家庭でも使われている魔光照まこうしょうだ。今さら確信することでもないが、現在進行形で誰かがこの地下施設を使っている事は間違いない。


「お父様、どうしますか?」


 クロ子が後ろから俺の判断を仰いでくる。彼女が問いかけているのはつまりこのまま調査を続けるか、それともここで引き返すかということだ。


 この先は今までと違ってこの地下施設を使っている人間と出くわす可能性がある。

 俺とパルノが引き受けた仕事は調査であって不審者を制圧する事ではない。無理をする必要もないだろう。現時点で調査を終え、地下に不審な施設があったことを伝えれば最低限の役目は果たせるはずだ。


 ただまあ、「地下に不審な施設を発見しました」ってだけではちょっと成果として弱いのも確かである。調査の目的は『異常に魔力が濃くなっている原因の究明』だ。この施設は怪しいが、異常な魔力の原因がここにあるのかという意味では何もわかっていない。


「ティアが一緒なら使い魔で偵察してもらえるんだが……」


 俺もパルノも潜入技術なんぞ身につけていないんだ。この施設に今何人の人間がいるのかわからないが、スニークミッションを求められても俺たちには応えようがない。

 とはいえさすがに魔力酔いするとわかっていてティアを連れてくるのは気が引けたしな。こうなるとわかっていればまた違った判断を下したのかもしれないが、それを今さら言っても仕方がない。


「ティアさんのことだから、レバルトさんの事が心配で後ろからついて来てたりして」


 さらりと届いたパルノの言葉。

 あり得そうな話だと思ってしまった俺は反射的に後ろをふり向く。キョロキョロとガラクタ置き場を見回すが、さすがにティアの姿はない。


 パルノとクロ子が何とも言えない表情で俺に視線を向けてくる。

 なんだよおい。言いたいことがあるならはっきり言えよ。


「…………いない人間のことを考えても仕方ない」


 クロ子はどうせ俺についてくるんだろうが、貧弱なパルノを危険な目に遭わせるのはちょっと気が引ける。


「もう少し情報を集めたいから先に進もうと思うんだが、怖かったらお前は先に戻ってもいいぞ」


 パルノは何度か後ろと俺の顔を交互に見て逡巡していたが、ひとりきりで先ほどの暗い通路を戻るのも気が進まないのだろう。おどおどしながらも俺たちと同行することを選んだ。


 俺たちは通路に出るとできるだけ音を立てないように、かつ周囲の音を聞き逃さないよう無言で歩いて行く。

 通路の左右には小部屋が連なっていたが、そのどれもが扉のない部屋だった。


 正直助かる。いくら扉越しに聞き耳を立てたとしても、部屋の中でいつも声や音がしているとは限らないのだ。誰もいないと思って扉を開いたら黙って本を読んでいた人間とご対面、なんてことはできれば避けたい。

 もちろんその分、いざというとき俺たちの隠れる場所が限られてしまうというデメリットはある。この施設にいる人間がどんなやつらなのかは知らないが、可能であれば遭遇する前に何らかの成果を手に入れてさっさと引き上げたいところだ。


 なんか、以前もこういうのあったな。えーと、あれは行方不明のユリアちゃんを探して自然公園で『偽りの世界』のアジトに潜入したときか。そういえばあれも結果的には魔力異常絡みだったよな。疑似中核ぎじちゅうかくの研究とかやってたみたいだし。


 まさかここもあいつらのアジトとかじゃねえよな? もう少し慎重に行くべきだっただろうか……?

 少し後悔しはじめた俺のソデをクイクイッとクロ子が引っぱる。


「お父様、月明かりが『誰か近づいて来ている』と言ってますよ」


 クロ子が真剣な声でささやく。


「マジかよ」


 俺の端末に憑依しているローザには、こちらが呼びかけない限りメッセージを送ってこないようきつく言いつけてある。ローザから俺への意思伝達は個人端末へのメッセージという形になるため、その都度端末の着信音が鳴ってしまうからだ。潜入中にそんなことをされたらたまったもんじゃないからな。

 だがクロ子はわざわざ俺の端末を介さなくても直接ローザと会話ができる。この点だけ考えてもクロ子を連れてきた甲斐があったというものだ。ちなみに俺同様パルノにもローザは見えないし声も聞こえない。『なんかそこにいる』程度の感じがするだけらしい。


 俺たちはガラクタ置き場を出てから目についた部屋を順番に調べていた。今は三つ目となる部屋を調べているところだ。

 どうやらこの部屋は更衣室として使われているらしく、入口から見て左右の壁に高さ二メートルほどのロッカーが並び、中央には長いすがふたつほど並べられている。

 近づいて来ている人間の目的地がこの部屋かどうかはわからないが、そもそも廊下と部屋を仕切る扉がついていないのだ。前を通りがかっただけでも俺たちの姿は丸見えになってしまうだろう。


「まずいな、隠れろ」


 俺は部屋の隅に素早く駆け寄ると、使われていないであろう空のロッカーへと身体を滑り込ませる。


「ちょっ、お前ら」


 ロッカーの扉を閉める前に、なぜかパルノとクロ子までもが同じロッカーへと入ってくる。


「他のロッカーがいくらでもあるだろうが」


 なんでわざわざ三人で同じロッカーに入らないといかんのだ。


「だ、だって空いたロッカーがどこかわかんなくて……」

「お父様と別の場所に身を潜めるなどと私の矜持きょうじが許しませんもの」


 パルノの言い分はまだ理解できる。だがクロ子、お前はこんな時に何を言っているんだ?


 だが今さらこいつらをロッカーから叩き出すのは無理だ。通路を歩く足音がはっきりと聞こえてくる。


「仕方ねえな」


 外を覗けるように背中から入った俺と違い、パルノとクロ子はロッカーの扉側に背中を向けている。つまりふたりと俺は向き合うようにロッカー内で立っているのだ。

 ロッカーとしてはかなり大きめのサイズだがさすがに人間が三人隠れるとなれば狭い。密着した身体はふたりの柔らかさを否が応にも伝えてくる。


「おい、あんまりくっつくな」

「ロ、ロッカーの扉が開きそうなんですよぉ」


 俺の左胸にあたる部分から上目づかいでパルノが弱々しく主張する。その少し下、左脇腹に見た目よりも大きいふたつの膨らみが押しつけられていた。


 ふわあ、ぷりっぷりの柔らかさがすごいですパルノさん。


 潰れた風船のようなそれが俺の理性をきりきり舞いにするが、なんとか根性で耐える。


「あぁ、お父様の匂い……」


 右側ではクロ子がまた聞き捨てならないセリフを吐いている。


「変態っぽいからやめろ」


 そんな注意もどこ吹く風。クロ子は俺の右胸に顔をうずめてくんかくんかと匂いを嗅いでいた。

 パルノと違い見た目通りのささやかな、それでもラーラよりははるかにしっかりとしたボリュームの胸が俺の右脇腹に張り付いている。


 ち、小さくとも立派な物をお持ちで……。


 クロ子のツインヒルはそこそこ優秀な攻撃力を発揮し、俺の右サイドへ強かにダメージを与えてくる。思いもよらぬ打撃を左右から受け、俺の煩悩ぼんのう翻弄ほんろうされっぱなしだ。


「レ、レバルトさん……。動かないでください……」

「動いてねえよ。そもそもこの状態でどうやって動けってんだよ」


 ひとりだけなら余裕のあったロッカー内部も三人入ればぎゅうぎゅう詰めだ。首から下はとうに動かず、満員電車の中状態。

 パルノとクロ子のゼロ距離射撃はなお継続中だ。なぜか俺の足は四本の足に挟まれている。右からクロ子の左足、俺の右足、クロ子の右足と来て、パルノの左足、俺の左足、パルノの右足という並びのまま押し寿司かよってくらい紙一枚入る隙間もない。


 ちょっ……、ってことは俺の太ももに押しつけられているこの感触はふたりの股間――――おっとそれまでだ。それ以上想像すると俺の中央テントが展開しちまう。


「ふぇぇ……。は、恥ずかしすぎます……」


 いやいや。お前は覚えていないだろうけど、以前俺の家に泊まったとき一晩中俺の身体にしがみついていたんだぞ。あの時の密着度も今と比べとそう遜色そんしょくないはずだ。

 おっと、それはひとまず置いておこう。足音だけじゃなく話し声まで聞こえてきた。


「静かに。音を立てるなよ」


 パルノは恥ずかしさで顔を真っ赤にしているが、さすがに状況が状況だとわかっているのだろう。泣きそうな顔でコクリと頷くとそのまま口を閉じた。

 ハアハアと変態的な息づかいだったクロ子も大人しくなった。って、最初から大人しくしておけよ。


 そうこうしているうちに声と足音が近付いてくる。

 やがてその音は魔力の明かりと共に俺たちのいる部屋へと入ってきた。

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