第150羽

 俺たちのいる部屋へと入ってきた人間の姿を確認し、俺は少しだけ冷たい汗を感じる。

 やばかったな。隠れていなかったらお互い不幸な邂逅かいこうへと繋がるところだった。


 ロッカーの通気孔から部屋の中をのぞき見ると、若いふたりの男がそこにいた。ふたりとも灰色の長いローブを羽織はおっている。体つきは細く、少なくとも肉体言語で会話するようなタイプではない。

 周囲にはやたらと明るい光の球がいくつも浮かんでいる。よく見れば頭上にも光る球体が飛んでいた。


 なんだありゃ?

 パッと見、魔力を使ったただの明かりみたいだけど、ああも無駄に光らせる必要はあるんだろうか? いくら地下が薄暗いからって、ふたつみっつあれば十分明るくなるだろうに。ざっと数えただけでも十個以上の明かりが浮かんでいる。


 部屋に入った若い男たちはここに第三者がいるなどと思ってもいないのだろう。それぞれ別のロッカーを開けながら、警戒の様子もなく会話を続けていた。


「しかしすごいね、あの魔力結晶は」

「ああ。これだけの魔力を放出し続けるなんて、一体どういう仕組みなんだか」

「おかげで今まで縁の無かった上級魔法も使い放題だからね。こんな地下じゃなくてもっと開けた場所で思いっきり試してみたいけど、それができないのはちょっと残念かな」


 魔力結晶? また聞いたことのない言葉が出てきたぞ。

 若い男たちはローブを脱ぎロッカーの中にあるハンガーへとかける。ローブの下は普通に街中を歩いていてもおかしくない平凡な服装だ。


「だけど大丈夫なのかねえ?」

「なにがだい?」

「まだよくわからないことが多い代物だし、……何より出所がな」

「あー、そういうことか。まあ確かに出所は会長が連れてきたあのイケメンだって話だしね」

「なんかあのイケメン、胡散うさん臭い感じがするんだよ」

「俺もそれはちょっとわかるかな。実は会長自身、あのイケメンとは昔からの知り合いってわけじゃないらしいんだよ。彼を引き込もうとしたとき、幹部たちの間では結構揉めたらしいよ」

「イケメンで、金持ってて、あんな魔力結晶を作るノウハウまで持ってる。その上性格まで非の打ち所がない好青年とか、逆に怪しいって言ってるようなもんだよな」


 なんか根拠のない陰口たたきはじめたぞ。まあイケメンを敵視したくなるのは気持ち的にわからないでもないが。端から見ていると単なるひがみにしか聞こえないな。うん、俺も気をつけよう。


「だけどおかげでこれだけ研究が捗ってるんだから。気にくわない相手だとしても利用できるうちは利用すべきじゃない?」

「……そうだな。大事を成すためには小事をいちいち気にしている暇はない、か」

「高度魔法文明の夜明けという到達点はまだまだ遥か彼方だ。くだらないことに時間を費やすくらいなら、今は魔力結晶の改良に心血を注ぐべきだと思うよ」


 どうやらこいつらはシュレイダーたち『偽りの世界』とはまた別の集団みたいだな。暗躍しているという点では同じだけど。


「とりあえず今最優先の課題は腹を満たすことだな。さっさとメシ食いに行こうぜ」


 男たちはロッカーの扉を閉めると出口に向かって歩き出す。


「あっ。そういえば、研究室の鍵はかけた?」

「……忘れた」

「えーっ、また叱られるよ?」

「大丈夫だって。どうせこんなところに誰も来やしないし、メシ食ったらすぐ戻ってくるしな。他の連中は全員上のフロアだろ? 夕方まで降りてくる事もないだろうし、鍵のかけ忘れなんて誰も気付きゃしないよ」

「うーん、それもそうか」


 そんな事を話しながら若い男たちは部屋を出ていった。

 足音が完全に聞こえなくなるまでロッカーの中で待機した俺たちは、一分ほどしてようやく狭い箱から脱出する。


「ふぅ……。狭かった」

「あうあうあう……」


 圧迫感から解放されて息をついた俺の横で、トマトのように顔を赤くしたパルノが声にならない声を吐きだしていた。


「お前はそろそろ離れろ」

「いやん、お父様のいけずぅ」


 せっかく密着状態から抜け出したにもかかわらず、なおも俺に抱きついたままのクロ子を引きはがす。


「さてと。どうすっかね」


 パルノの顔色が多少ましになってきたので、これからのことについて話を切り出した。

 ましになったとはいえまだまだ赤いが、だからといってパルノが完全に復活するまでのんびり待ってやる余裕はない。


「ど、どうするって……、もう戻るんですよね?」


 ザ・挙動不審といった感じだったパルノが驚いた表情に変わる。


「まあそれでも良いんだがな。でも控えめに言って今はチャンスだってことわかってるか?」

「チャンス……ですか?」

「さっき盗み聞きした話、憶えてるか?」

「…………あんまり」


 再びパルノの顔が赤くなる。

 ああ、それどころじゃなかったってことか。


「あいつらはこう言ってた。『研究室の鍵をかけ忘れた』と。研究室って事は研究成果がそこにあるってことだ。書類や記録ももちろんあるだろう。俺たちが見聞きしただけじゃない、物的証拠がだ。しかもその研究室は今施錠されていないから出入りし放題ってことになる」

「で、でも研究室といってもどこにあるのかわかりませんよ?」

「その辺は手当たり次第に部屋をあたれば良い。幸い他の人間は全員別のフロアにいるらしいからな。さっきのふたりがメシを食いに出ている間、このフロアであいつらの仲間と出くわすことはないだろ」


 ロッカーの数から考えて、この施設にいる人間の数は思った以上に多そうだ。最大で三十人くらいはいるだろう。

 だが先ほどの話を聞いた限り、今このフロアには俺たち以外誰もいないということになる。

 あのふたりがメシを食うためにどこへ行ったのかはわからない。だがわざわざローブを脱いで一般人と同じ服装になるくらいなのだ。街中まで食べに行っている可能性は高い。たとえ地下施設を出て行ってなかったとしても、食事の時間分くらいは調査をする余裕があるだろう。

 そう言って説得するとパルノはしぶしぶと調査継続を受け入れた。


 眉を下げたパルノの表情に罪悪感が刺激された。自分がちょっと卑怯なことはこれでも自覚がある。

 実際俺が調査を続けると決めた以上、クロ子は当然ついてくるだろう。その場合パルノが俺と意見を異にして帰りたいと望むなら、ひとりでこれまでの道を戻るはめになる。気の弱いパルノにとっては選択の余地がない状況だろう。すまんな。

 心の中でパルノに謝りながら、俺は先頭に立って通路へと出る。

 もちろんフロアに誰もいないという予測に自信はあるが、だからといって無警戒になって良いというわけではない。


「ローザ、周囲の警戒は続けてくれ。何か気付いたらメッセージじゃなくてクロ子に直接伝えろ」

「わかったって言ってますよ、お父様」


 クロ子がローザの返事を代弁する。

 俺は前を向いたまま頷くと、できるだけ足音を立てないようゆっくり通路を歩きはじめた。

 部屋数は結構多いようだが、おそらく目的の研究室を見つけるのはそう難しいことではないだろう。なぜなら先ほどの若い男たちは『鍵をかけ忘れた』のだ。それはつまり施錠のできる扉が研究室にはついているということでもある。


 この地下施設、俺たちがロッカーに隠れた部屋もそうだったが、ほとんどの部屋に扉がついていない。おそらく重要な機密のある部屋やガラクタ置き場のように匂いを遮断する必要がある部屋にしか扉をつけていないのだろう。

 であれば、俺たちは扉のない部屋を全て無視して進めば良い。見つけた扉を片っ端から開いて、施錠されていなかったところが研究室なのではないだろうか。

 もしかしたら研究室以外にも鍵のかかっていない部屋があるかもしれないが、たとえ外れを引いたとしてもさほど気にすることはない。このフロアに今誰もいないのなら『扉を開けた途端に予期せぬ遭遇』という可能性もまずないだろうから。


 俺の楽観的な予測は的中した。

 結局通路から見えるのはどこもかしこも扉がついていない部屋ばかり。大して苦労することもなく見つけた扉に手をかけると、引っかかりもなくあっさりと開いた。


「研究室……っぽいな」


 部屋に入った俺は中を見渡してつぶやく。

 壁には書籍やファイリングされた資料が並べられているし、いくつか並んだ机の上にはなんに使うのか分からない器機が雑然と置いてある。

 その中で俺の目を引いたのは見覚えのある形と色の物体だった。


「おいおい……」


 まさかここでも見つけることになるとは思わなかったそれは、台座の上に置かれた球体。ソフトボール大のつややかな表面は桜色に染まっている。


疑似中核ぎじちゅうかくじゃねえか」


 ユリアちゃん救出の時『偽りの世界』の信者が使用し、学都ではシュレイダーの手に収まっていた。完全な形の物を見るのはこれが三回目。夏祭りの際に持ち帰った破片状態の物も含めれば四回目だ。

 まさかこんなところでまた出会うことになるとは思っていなかった。よほど俺はこいつに縁があるらしいな。ちっとも嬉しくねえけど。


 ただ、少なくともこれで異常事態の原因ははっきりした。まず間違いなく疑似中核によって引き起こされたものだろう。

 ここに潜んでいるやつらは『偽りの世界』と別の集団なんだろうが、疑似中核を使ってコソコソ何かを企んでいることに変わりはない。アヤの話だと国も極秘裏に研究を進めているらしいし、他にも疑似中核を使って何かしでかそうと考えている連中がいてもおかしくはないだろう。


 どうりでカヌラ貝の値が高騰するはずだ。

 カヌラ貝がやたらと高く買い取られているとアルメさんから聞いたのはずいぶん前の話になる。最近では立体映信のニュースでもそれは報道されるほどになっていた。今じゃカヌラ貝一枚で千円近くまで値が上がっているらしい。くそっ、海の近くに住んでいれば仕事なんて放り出して潮干狩りへ行ったのに……。


「ぎじ、ちゅうかく? なんですかそれ?」


 ああ、そういえばパルノは疑似中核絡みの事件に巻き込まれたことはまだなかったな。


「説明は後でゆっくりしてやる。とりあえず今は証拠の確保が優先だ。クロ子、お前も探せ」

「あいさーです」


 きょとんとしたままのパルノを放置して俺は壁の棚に近寄ると、ファイリングされた資料の背表紙をざっと走り読みする。


「え、えーと……。レバルトさん、私はどうすれば?」

「パルノはその机に置いてある桜色の球体を確保しておいてくれ。割れないようにそこいらの布で包んでおけよ」


 資料の確保も大事だが、現物は何よりの証拠になる。

 調査報告するときには「何だかよくわかんないけど怪しそうなので持ってきた」とでもとぼけておいた方が良いだろうが、分かる人間があれを見ればただ事じゃないとすぐに判断してくれるだろう。


「お父様、これとかどうですか?」

「なんだ? えーと……、『魔力結晶の効果検証記録』?」


 パラパラと中をめくると、どうやら疑似中核の効果を検証した記録らしい。日付や場所、疑似中核のサイズや周囲へ与えた影響の度合いなどが時系列順に記されている。

 証拠としては十分に『怪しく見える』資料だろう。少なくとも『爆発』とか『負傷者』『暴走』『隠蔽』などという単語の頻出する書類が怪しく見えないわけがない。現物の疑似中核とあわせて報告すれば、当局も放っておくことはないはずだ。


「よし、証拠としては十分だろう。パルノ、そっちはちゃんと確保出来てるな?」

「は、はい。ここに」


 俺の指示通りパルノは机の上にあった疑似中核を布で包み両手で持っている。


「じゃあ長居は無用だ。さっきのやつらが戻ってくる前にさっさとガラクタ部屋から撤収するぞ」


 そう促して部屋を出ようとしたとき、慌てていたのかパルノの服が机の角に引っかかった。

 それ自体はよくあることだ。スティックタイプのドアノブに長袖が引っかかったり、Tシャツの裾が棒状のものに引っかかったりとかな。


「あ」


 パルノが引っかかりに反応し、その口から短く声がこぼれ落ちる。そこまではまだ良かった。問題はパルノの手が両方とも塞がっていたことだ。

 とっさに机や壁へ手をつくこともできず、パルノの小さな身体が少しバランスを崩しかける。その拍子に手元から疑似中核が滑り落ちそうになった。


「あわわっ」


 バランスを崩しながらも慌てて布に包んだ疑似中核をお手玉するパルノ。


「あやっ、やだっ、待って!」


 かろうじて疑似中核を床に落とさずすんだと思ったのも束の間。もはやパルノの態勢は修正不可能なほど崩れ去っていた。


「あわわわわわ!」


 ぐらりと倒れこんだ身体が行き着く先は資料で埋もれた棚のひとつ。


「あ痛っ!」


 両手が疑似中核で塞がったままのパルノはそのまま体当たりするかのように棚へと突っ込んだ。

 俺たちにとって不運だったのはパルノのぶつかった棚が壁ぎわのものでもなく、また床や天井に固定されている棚でもなかったことだ。いくら小柄なパルノの身体といえど、ショルダータックルのように勢いよくぶつかれば結構な衝撃が発生する。次の瞬間、パルノがぶつかった棚は大げさなくらいの大音量と共に埃を立てながら倒れていった。


「おまっ、ばかやろう!」


 音の逃げ場がない地下という閉鎖空間に俺たちは今いる。当然今の音は周辺一帯に響きわたっていることだろう。潜入行動中であることを考えると、この上ない大ポカであることは間違いない。


「お父様! 上のフロアから人がこちらに向かっていると、月明かりが言っています!」

「ですよね、ちくしょー!」


 そりゃあれだけの異常音が発生すれば、よほど能天気な人間じゃない限り様子くらい見に来るだろう。ましてやここの連中が人に言えない企みを持っているのなら、侵入者の存在を察知してやって来るのは間違いない。


「逃げるぞ! 急げ!」


 俺は転んだままのパルノを強引に立ち上がらせると、その腕を引っぱって出口のあるガラクタ部屋の方へと走り出す。

 だがどうやら遅かったようだ。


「侵入者だ! 捕らえろ!」


 部屋を出た俺の耳へ敵意に満ちた声が届いた。

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