第128羽

 『夏祭り会場での聖球起動実験計画および起動時に周囲へ及ぼす影響の考察』


 何気なく開いた資料に記述されていたのは、思ってもみなかったタイトルだ。


「な、んだこれ……?」


 起動実験?

 夏祭り会場?

 夏祭りって、この前の騒動か?


 資料の冒頭部分にはご丁寧にも日付が書いてある。その日付が示しているのは今年の夏。


「レビさん、これって……」


 のぞき込んだラーラも、俺と同じ考えに行き着いたようだ。


 今年の夏祭りで起きた騒動はまだ記憶に新しい。

 コンテストの最中、突然魔力が消失し、魔法具が機能を停止した事件だ。ティアの機転により事なきを得たが、一歩間違えば大惨事になりかねなかった。

 あの事件は昨今さっこん頻発ひんぱつしている魔力暴走事件のひとつとして扱われているが、今のところは原因も不明のままとされている。


 聖球というのが何なのかは知らない。

 しかし俺はフォルスやアヤから取り扱い注意の物騒な球体について聞かされたばかりだ。もしこの聖球とやらがその物騒な球体と同じ物であるなら、この資料を書いた人間は夏祭りに騒動を起こした最有力容疑者ということになる。


「兄貴、なんか騒がしくなってきたっすよ」


「見張りが倒れているのに気付かれたようです。ゆっくりしてはいられません。先生、急ぎましょう」


 エンジとティアが外の状況を知らせてくれる。


 とうとう気付かれたか。思ったよりも早かったな。

 とりあえず今は、捕らえられているであろう子供を助け出すのが最優先。資料のことについては後で考えよう。


 問題は子供がどこにいるのか、だ。ここまで確認した部屋に子供は見当たらなかった。一体どこに閉じこめられているのだろうか?


 俺はまぶたを閉じて考える。


 聴覚に意識を集中すれば、離れた場所からかすかに耳へ届く怒鳴り声。鼻をつくのは部屋に充満するカビ臭さを含んだ空気の匂い。考えごとをするには邪魔以外の何者でもない。


 いつものように、ひとつひとつ無駄なものを切り放していく。

 余計な音を排除し、不要な匂いを取り除き、意識を肉体の呪縛から解放して分離させていけば、やがて体の芯から広がってくる心地よい無感覚。

 何ひとつ自分を束縛する物のないまっさらな世界。あるのは俺という自我と、それを証明する思考だけ。


 例えるなら白く澄み切った世界。余計な物も、足りない物もない完璧な白。それでいてまどろみにも似た快適さ。

 いつまでもこの感覚に身をゆだねられたらどんなにすばらしいことか。


 しかし今はそれも許されない。なすべき事があるからだ。


 まず最優先すべきはユリアちゃんの保護だろう。

 さて、肝心のユリアちゃんはどこにいる?


 この拠点、元は自然災害発生時の緊急避難場所か……。ああ、阿部芳則よしのりの提言で十八代前の国王が作らせたものだったな。アレは良い為政者だった。

 結局使われることなく、その存在も忘れられて久しいが、こんな形で活用されることになろうとは……。阿部芳則が知ったなら、きっと頭を抱えて「どうしてこうなった!」とでも叫ぶのだろう。


 拠点全体に散らばっている部屋の数は三十。そのうち七つは中を確認済みだ。おそらく残る二十三のうちにユリアちゃんが閉じこめられている。


 もともとヤツらもユリアちゃんをさらおうと思っていたわけじゃない。しかし偶然拠点に迷い込んできた子供を放っておくわけにもいかない。結果として秘密保持のため、捕らえざるを得なかったというわけだ。


 ユリアちゃんが放り込まれたのは…………、あそこか。研究室の奥にある仮眠室だな。


 ヤツらの人数は合計で十八人。見張りのふたりはローゼの唄で当分目覚めないから残りは十六人か。

 少ないな? ……そうか。トーレたちが学都へ遠征しているから、その分人数が減っているんだな。

 …………トーレって誰だ?


 まあいい。

 幸い大半の人間が入口方向へ移動しているが、それでも研究室には四人ほど残っている。あの四人ならこのメンバーで難なく無力化できるだろう。


 手早くユリアちゃんを保護して反対側の出口から――って、予備出入口は塞がってんのかよ。

 仕方ない。ユリアちゃんを連れた状態での戦いはできるだけ避けたいが、最後は強行突破するしかなさそうだ。


 まったく、やっかいなことだ。話して分かる相手じゃないし、かといってこいつらもある意味被害者だしな。あまり痛めつけたくはない。

 どこのどいつだよ? こいつらに疑似ぎじ中核の作り方を教えたのは?


 ――ちっ、アイツか。


 アイツはアイツなりの考えでやってるんだろうが、まさか直に接触までしているとは……。

 一体何を考えているんだか。さすがにアイツの考えは俺にも読めん。


 とりあえず、アイツの関与が分かるものを持ち帰っておくか。

 ご丁寧にこの研究室を使っている責任者が、日誌に記録してくれている。


 日誌は机から一番近い棚の三段目左端。この日誌と……、あとは来訪者の記録帳、出納すいとう帳くらいか? 拠点の責任者が使っている部屋だけあって、必要な書類が一通りそろっているのは手間が省けて良かった。


 問題はこれらの資料を誰に託すかだが……。

 可能なら武田アヤへ渡すのが一番だろう。この周辺にいる使いの中でもっとも接触が容易だ。


 しかし、その場合アイツに気取られる心配があるか。ならどうやって――。


「幸い相手の注意は入口へ向いています。当分こちらに戻ってくることはなさそうですから、その間にこちら側の残った部屋を確認しましょう」


 向けられたティアの声で、本棚から資料を抜き取っていた最中の俺は、ふと我に返る。


 あれ? 何の話だっけ?


 ……ああ、そうだ。ユリアちゃんが居る場所だな。

 このあたりに残っている部屋の数は多くない。今のうちにさっさと残った部屋を確認するべきだろう。本来ならそうするべきなんだが……。


「なあ。このあたりの捜索は切り上げて、もう一方のエリアを先に探さないか?」


「え? 何言ってるんすか、兄貴。向こうのエリアには人がいるって、あねさんも言ってたじゃないっすか」


 今俺たちがいるエリアには人の気配がほとんどない。逆に捜索を後回しにしたエリアでは、ティアの斥候によって数人の人影が確認されていた。


「ああ、それは分かってる。でも多分ユリアちゃんは向こうに閉じこめられてるんじゃないかと思うんだ。入口に人が集まっているなら、向こうのエリアも今は手薄になってるはずだろ? 今がチャンスじゃないか?」


 こちら側のエリアにユリアちゃんがいない場合、必然的に向こうのエリアへ戦闘覚悟で突入することになるだろう。だが今は入口へ相手の注意が引きつけられている。どうせ突入しなければならないのなら、人数の減った今のうちに強行すべきだ。


「でも、まだとなりの部屋とか確認してないっすよ?」


「多分こっちのエリアにユリアちゃんはいない」


「レビさんレビさん。その根拠は何ですか?」


「勘だ」


「勘っすかー……」


 エンジとラーラが納得したような、それでいて複雑そうな表情を浮かべた。


 普通なら「ただの勘なんて根拠になるかー!」と総ツッコミを受けてもおかしくないところだ。しかしこういったシチュエーションにおける俺の勘が冴えまくることは、ふたりもよくわかっている。だから面と向かって反論しづらいのも仕方がないことだろう。


「分かりました。先生がそうおっしゃるなら、向こうのエリアを優先しましょう。確かにこれまで見てきた部屋は、子供を閉じこめるのに向いていませんでした。おそらくこのエリアにある部屋は、似たような使われ方をしているのでしょう」


 こちらのエリアで確認した部屋はいずれも研究室や資料室など、おそらくここの住人にとっては他者に足を踏み入れられたくないであろう場所だった。例え小さな子供であっても、大事な物が置いてある場所に留め置くのは抵抗があるはずだ。


「ではすぐに移動しましょう。今は見張りの方へ注意が行っているでしょうが、いずれ戻ってくるはずです」


 ティアの言葉に全員が頷く。


 俺たちは調べ残した部屋を放置して、すぐさま移動を開始した。もちろん俺は部屋で入手した資料を脇に抱えたままでだ。


「レビさんレビさん。それ、持って来たんですか?」


 俺の後ろを小走りでついてくるラーラが不思議そうに訊ねてきた。


「ん? ああ、なんかちょっと気になってな」


 『夏祭り会場での聖球起動実験計画および起動時に周囲へ及ぼす影響の考察』なんてタイトルを見てしまったら、どうしても気になっちまう。

 今はゆっくりと目を通す暇などないが、中身を調べるのは後からでもできるだろう。適当に本棚から抜き取った資料でどれだけの情報が得られるかはわからないけど、とりあえず脇に抱えても邪魔にならない量を持ってきた。


「ティア。向かう先に人影は?」


 使い魔を斥候に飛ばしながら、俺たちを先導するティアへ声をかける。


「大半は入口の方へ行っていますが、四人ほどは残っているようです。強襲しますか?」


「そうだな。この期に及んでひっそりと行動する意味はもうないだろう。相手が混乱しているうちに先手を取ろう」


「では、私が最初に突入します」


「わかった。エンジ、お前はティアに続いて飛び込んでくれ。ラーラは後方から援護を、ユキは後方を警戒しながらルイの守りを頼む」


「わかったっす」


「わかりました」


「にゃー」


「ンー」


 入口との分岐点を過ぎ、俺たちは拠点の奥へと向けて駆け抜ける。

 ひとたび強行すると決めたら今度は時間との勝負だ。入口へ向かったヤツらが戻ってくるまでには勝負をつけておく必要があるだろう。


「あの部屋です」


 先頭を走るティアが魔法で作り出した氷塊を五つ放ち、通路の突き当たりにある扉を破壊する。一瞬で木製の扉がみじんに砕け散った。


 前もって決めておいた段取りに従いティアが真っ先に部屋の中へ突入すると、その後にエンジが続く。


「な、なんだ!?」


「誰だ!?」


 突然の出来事に、中にいた四人の男は状況判断が追いついていないようだ。

 立ち尽くす彼らの狼狽などお構いなしに、銀髪少女が拳大の氷を四つ生みだして全員の腹に向けて放った。


「ぐふぁ!」


 氷塊は狙いたがわず四人の腹に命中。たまらず全員が腹を抱えてうずくまる。


 やわらかい腹部を鈍器で殴られたようなものだからな。きっと胃袋がひっくり返るような痛みを感じているのだろう。

 当然ティアは手加減をしている。あの娘が本気で氷塊を放っていたら、今頃四人の胴体にはポッカリと大きな風穴が空いているはずだ。


「ぐ……、き、キサマらぁ……」


 おっと、ひとりだけ痛みに耐えながらも立ち上がろうとしているヤツがいた。

 当たりが浅かったか、それとも元々頑丈な体なのか。どっちにしてもまともには動けまい。


「姐さんのおかげで、オレやることほとんどないっすね」


 ティアに続いて部屋へ突っ込んでいったエンジが男の後ろに回り込み、腕を使って首を締め上げる。


「あ……、が……」


 腹の痛みでろくに抵抗もできず、数秒で男は気を失った。


「バインド!」


 すかさずラーラが四人を魔力のツタで拘束する。


 この間、約十五秒。すばらしい連携である。――俺は何もしてないけどな。


「よし! 手分けして探すぞ! ルイとユキは見張りだ! 他の人間が戻ってきたらすぐに鳴いて知らせろよ!」


「にゃ!」


「ンー!」


 突入した部屋は、我が家のリビングより少し大きいくらいの広さだった。いくつもの机が並べられ、その上には様々な物体が整然と並べられている。

 書類、ガラスのビーカー、観察用の道具らしきもの、そして桜色のつややかな球体――。


「って……、疑似中核か!?」


 ということは、やはりさっきの資料に書いてあった『聖球』は疑似中核のことだったんだな。夏祭りでの起動実験――、あの魔力暴走事件はこいつらの仕業だったということか。アヤから話は聞いていたが、まさか本当に人為的な事件だったとは……。


 おっと、今はそれよりユリアちゃんの保護が優先だ。


 あれ? なんで俺はユリアちゃんが捕らえられている前提で考えているんだ?

 ユリアちゃんがここに居るとは限らないって、来たときは思っていたはずなのに……?


「いかんいかん。考えるのは後だ」


 俺は頭を振り払って、部屋をぐるりと見回す。壁際にはずらりと棚が並べられ、何に使うのか分からない材料が納められていた。


 棚の間を埋めるようにところどころ木製の扉が見える。ティアたちはそのいくつかを開き、中を確認している最中のようだ。

 俺も捜索に加わるべく、部屋の奥に近い扉のノブをつかみ、おもむろに回して押してみる。


「開かねえな」


 今度は引いてみた。


「やっぱだめか」


 ガタガタと音を立てて何かが引っかかる音。要するに鍵がかかっている状態だ。


「ティア! すまんがここ破ってくれるか!?」


 俺には扉を蹴破る力も解錠するスキルもない。一秒を争うこの状況で悠長に他の手段を考えている暇はないだろう。

 こういうときは、確実かつ手早く扉を破壊できる人間に頼むのが一番である。


「はい。少し下がっていてください、先生」


 ティアは俺を下がらせると、魔法の詠唱もそこそこに氷の刃を作り出し、蝶番ちょうつがいを切り落とした。

 支えを失った扉は、少し押してやるだけでその機能を失う。バタンと音を立てて倒れた扉の向こう側、小さな部屋の中に並んだベッドの上に人影が見える。


「明かりを」


 ティアが扉のすぐそばに付いていた魔光照のスイッチを押すと、天井の明かりが灯って部屋全体を照らした。


 ベッドの端に腰掛けていた人影は小さな女の子。まさに俺たちが探していた相手だ。

 女の子が目を大きく見開く。そして俺とティアの姿を見ると、安心したような、それでいて泣きそうな表情を浮かべた。


「ユリアちゃん! よかった、無事だったか!」

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