第14羽
足を踏み入れたその場所は、先ほどまでと同じような広間になっていた。
広い以外は特段目を引くような点もない。やはり横幅は二十メートルほど。
奥行きもまだまだ先が続いているようで、百メートルくらい進んでいると思うが終着点は見えてこない。
先ほどまでの広間と違うのは、ところどころに突起が見えるくらいだろう。
球体を真っ二つにしたような、半球状の突起があちこちにある。
「なんすかね? あれ?」
「気のせいでしょうか? だんだん増えてきてる気がします」
確かにラーラの言うとおり、広間の奥へ行くにしたがって、少しずつ突起が増えている気がした。
最初はまばらだった突起も、今ではあちこちに見かける事ができる。
「止まって」
先頭を歩いていたフォルスが立ち止まって俺たちを手で制す。
「レビィ。何か……、聞こえないか?」
そう言われた俺は、耳に意識を集中させて音を拾い集めようとする。
カサリ。
確かに音がした。
「何か……、聞こえるな。紙を丸めた時みたいな音が」
俺の耳にはそう聞こえた。
それを聞いてラーラとエンジも耳に手をあてて、辺りの様子をうかがっていた。
カサリ。カサリ。
やはり聞こえる。気のせいじゃない。
「聞こえるっす」
「聞こえますね」
二人も音に気がついたようだ。
当然最初に気づいたフォルスは言うまでもない。
「音が増えてる気が――」
「レビさん! あの突起、動いてます!」
俺の言葉をさえぎったラーラが指さすその先、そこには例の半球状突起があった。
ラーラの指摘でよくよく見てみると、その突起と床との境目――半球状の縁――が動いている。
いや、蠢いている。縁にそって棒状の小さな物体がもぞもぞと蠢いていたのだ。
鳥肌が立った。
あれ、多分足だよな。
日本で見られるものに例えると、フナムシとかムカデとかダンゴムシとか、ああいう類いの足だよな。
でも本数は圧倒的にこっちの方が多そうだ。
ムカデって漢字で書くと『百足』なんだが、必ずしも百本の足があるわけじゃないらしい。
実際百本以上の足を持っているのもいるらしいが、単純に数が多いってことで『百』という数字があてがわれたとか何とか。まあ俺もそこまで詳しくないが。
っと、そんな事は今どうでも良い。
はっきりと言えるのは、目の前にいるこの半球状の虫っぽいやつ――甲虫とでも呼ぼうか――の方が明らかに足の数多いだろ、ってことだな。
ぱっと見だけでも二、三百本ありそうだ。半球状の縁部分だけでだぞ?
隠れた部分に足があるのかはわからないが、正直知りたくもないな。
カブトガニひっくり返して見た時のおぞましさにも余裕で勝てそうな気配がするよ。
あんた知ってる? カブトガニ。
え? それぐらい知ってるって? 食べた事はないがな……って?
ええ!? 食べるの、あれ!? つーか、食べて良いの!? 天然記念物とかじゃないの!?
「囲まれてる!」
おっと、今はそれどころじゃなかった。
フォルスの声を受けて、俺は周囲を見回した。
床の上だけじゃない。
よく見れば天井にも無数の突起、いや甲虫モンスターが張り付いている。
「うじょうじょ居るっすね」
「ああ、うじょうじょだな」
「うん、うじょうじょいるね」
「はい、うに……。……うょ、うにょ……?」
約一名、噛んだチビッ子がいた。
「どうするんっすか?」
「どうするって、そりゃお前……」
「この数はちょっとね……」
「うぞぉ……? うぎょ……?」
仲間との距離を縮めながら後ずさりする。
諦めの悪いツインテールが未だに無駄な努力を続けながらではあったが。
「いったん後退しよう!」
フォルスの指示に俺とエンジが了解の返事をする。残った一名は……。
「う……じょ、う、じょいます」
何やってんだか。
「無駄なところでがんばるなよ! もうそれどうでも良いって!」
達成感を顔に浮かべたラーラへ突っ込んだ後、俺は百八十度向きを変えると走り出した。
俺の後ろから三人も追ってくる。
最初に逃げ出すとか主人公にあるまじき行為だって?
しょうがねえだろ。もともと足の速さが全然違うんだから。
ほら、見てみろよ。今エンジが俺を追い抜いていった。
あー、ラーラにも軽く追い越された。
フォルスは……、わざとしんがりについて俺をカバーしてくれてる。
さすがだ、ナイスイケメン。
ありがたいけど、なんか自分が情けなくなってくるぜ。
後方からは数えるのもうんざりするほどに増えた甲虫モンスターが、ぞろぞろと追いかけてくる。
さっきは床と同じ色だったのに、今はテッカテカの焦げ茶色に変化していた。
「保護色だったのかよ……」
思わずうめく。
「フォルスさん! どこまで逃げるっすか!?」
前方にはこの部屋の出口が近付いている。
そこを抜ければ仕掛けのあった広間。
そしてさらに進めば狭い通路が続くエリアに戻るだろう。
「通路のところまで戻ろう! 数が多い! 囲まれるとまずい!」
最後尾からフォルスが叫ぶ。
当然の判断だろう。
今や俺たちを追いかけてくる甲虫の群れは床を埋め尽くしている。
接敵面を狭くして、数量差による不利を少しでも減らそうとするのは当然だ。
幸いだったのは甲虫の歩みが非常に遅い事。
その迫ってくる速度は、人間がゆっくりと散歩する程度だった。
だから走ってさえいれば囲まれる心配はないだろう。
このスピードなら振り切る事が出来るかもしれない。
振り切れなくても通路まで戻れば数の不利を多少軽減できる。
そう考えていると、不意に頭の中心を針で刺されたような痛みが走った。
まただ。
またあの嫌な予感だ。
人骨モンスターの脅威を予知した時と同じだった。
何があると言うんだ?
既に俺たちは危険にさらされている。
今さら嫌な予感がしたところで、何が変わるというのか?
どうせなら甲虫モンスターの危険を予知できれば良かったが、そこでは予感はしなかった。
ということは、追われている今の状態からさらに悪化するというのだろうか?
確かにあの数で囲まれるのは非常にまずい。
だからこそ囲まれないように狭い場所へと退いているのだが……。
ん?
囲まれる?
狭い場所?
通路?
………………まさか。
「フォルス! 通路まで、戻るのは、まずいかも、しれない! この部屋の、入口の、向こうで、迎え撃とう!」
「なしてっすか!? 通路の方が、まだ戦いやすい、っすよ!」
エンジが反論する。
「杞憂かも、しれんが、通路との、出入口が、ふさがってる、かもしれない! そうなると、広い、スペースで、囲まれ、ちまう!」
息が上がってきた。大量に酸素を吸い込むその合間に単語を吐き出すといったふうに、どうしても途切れ途切れの話し方になってしまう。
「わかった! レビィの言うとおり、この部屋の入口で迎え撃とう!」
同じ距離を走ってるのに、どうしてこいつは息が上がってないんだろう?
くそっ、基礎体力にも開きがありすぎる。
そうこうするうちに入口が近付いてきた。
あそこを抜ければさっきの広間だ。
「ラーラ! 僕が通ったら、入口を岩で塞いで!」
「わかりました!」
岩で塞ぐことができれば、さしあたっての危険を回避できる。
いずれこの先に進まなくてはならないとしても、体勢を整える時間が稼げるのは大きい。
エンジ、ラーラ、俺、フォルスの順に入口を通過する。
フォルスが通り抜けた時、既にラーラは魔法の詠唱を始めていた。
今のところ甲虫モンスターはまだ追いついてきていない。
俺は乱れた息を整えながら、入口を凝視していた。
やがてざわざわとした不快な音が次第に大きくなり、奴らが姿を現し始める。
岩で通路を封じるのは、間に合わないかもしれない。
「ラーラ!」
叫んでも意味はないのだが、それでも俺は叫ばずにはいられなかった。
その直後。
「ロックウォール!」
ラーラの魔法が発動する。
縦二メートルの入口を塞ぐように岩の壁が現れた。
だが発動が一歩遅かったのか、それとも壁の強度が足りなかったのか、入口を塞いだはずの岩壁中央にヒビが入る。
見る見るうちにヒビが大きくなり、次の瞬間、岩壁の一部が崩れた。
壁の中央に五十センチほどの穴が空く。
「来るよ!」
フォルスの警告と同時に、空いた穴からから甲虫モンスターがこちら側へ侵入してくる。
「エンジ! 水際で食い止めるよ!」
「了解っす!」
前衛ふたりが武器を手に立ち向かう。
素早く踏み込んだフォルスが斧を振りかぶる。
重力による加速を得た刃が、一直線に半球体の敵へ向かって突き立てられた。
厚み二センチの鉄板をも軽く切り裂くその打撃により、瞬間的に背中から潰された甲虫モンスターはそれきり動かなくなる。
その勢いでフォルスは次々と甲虫モンスターの脳天(?)を叩き割っていく。
彼が斧を振り下ろす度に、無残な姿をさらした甲虫が足もとに増えていった。
エンジの方も、思ったより善戦しているようだ。
見た目は硬そうな甲殻だが、意外に強度はないらしい。
両手の小剣を振りまわし、次々と甲虫モンスターを突き刺していった。
「レビィ! 斧よりも剣の方が良さそうだ! 換えを頼む!」
「おっけー!」
フォルスが武器の交換を伝えてきた。
予備の武器は俺の荷物にある。
通常なら権利を移譲する事で瞬間的に武装の変更が可能なのだが、人骨モンスター戦でここではそれが出来ない事がわかっている。
じゃあどうするか?
簡単な話だ、原始的な方法で渡すしかない。
問題はその隙を作れるかという事だが……。
「ラーラ! あの穴の真ん中に貫通力がある攻撃魔法を一発頼む!」
「わかりました!」
ラーラが詠唱に入る。
「フォルス! エンジ! 合図したら射線を開けてくれ!」
「わかった!」
「ラジャっす!」
詠唱を続けるラーラの様子を注視する。
正直詠唱の中身はよくわからない。
だがラーラともそれなりに長いつきあいだ。
一緒にダンジョンへ潜った事も一度や二度ではない。
だから声の調子やその視線、振る舞いから詠唱終了のタイミングはなんとなくわかる。
ラーラの視線が目標となる一点を射抜き、その詠唱する声が少し高くなる。
そろそろだ。
「いくぞ! 避けろ!」
俺の声を合図にして、前衛ふたりがラーラから出入口へと向かう中央の射線をあける。
「ファイアランス!」
フォルス達が避けたスペースを突っ切って、槍状の太い炎が走り抜けた。
その通過点に居た甲虫モンスターが軒並み黒焦げになる。
炎はそのまま入口に密集していた敵を貫き、一瞬ではあるがそこにポッカリと穴が空く。
「背番号十七なめんなよ!」
俺はあらかじめ用意していた火炎球をひとつ握ると、上半身を横に倒し、腕を床スレスレの軌道で振り抜いた。
俺の手を離れた火炎球は見事に穴へと吸い込まれ、甲虫モンスターが密集して居るであろう入口の向こう側へ消えていった。
開いていた穴はすぐさま新しい甲虫によって埋められる。
穴が埋まる寸前、その奥で赤く揺れる炎が立ち上っているのを俺は見た。
入口へ密集した甲虫たちが逆光に照らされ、奥で発生している炎の強さを物語る。
どれほどの効果があったのかは推測するしかないが、心なしか入口から侵入してくる甲虫の勢いが弱くなったようだ。
「フォルス! 今のうちに剣を!」
フォルスの両刃剣を取り出した俺が声をかける。
「エンジ! 少しの間頼む!」
「あんまし、保たないっすよ!」
フォルスはエンジに前衛の維持を頼むと、俺の方へ駆けよってきた。
すぐさま俺が剣を手渡す。斧を足もとに投げ捨て、剣を受け取ったフォルスは反転してエンジの横へと戻っていった。
「レビィ! さっきのは良かった! 続けてくれ!」
前衛に戻ったフォルスから指示が飛ぶ。
「了解! ラーラ! もういっちょ頼むぜ!」
その後、ラーラの攻撃魔法で密集した甲虫の群れに穴を穿ち、そこへ俺が火炎球をねじ込むという攻撃を幾度となく続ける。
一体何匹居るのかと、うんざりする暇も無く押し寄せる甲虫たち。
フォルスやエンジも数え切れない甲虫を切り捨てているが、一匹ずつしか仕留められないのでは埒があかない。
結局決め手となったのはラーラと俺の連係攻撃だった。
「やっと終わりか……」
「つ、疲れたっす……」
全員疲れ果てていた。
前衛で戦い続けたふたりはもちろん、魔法を連発していたラーラもへたり込んでいる。
俺はというと、火炎球を投げたり時々前衛が仕留め損ねた甲虫を槍で突いたりしてたのだが、……まあどう
わかってはいたけど、やっぱ戦闘になると足手まとい感がハンパないわ。
くっ! 紙よ! どうしてあなたは俺にチートを授けてくれなかったのだ!?
え? トイレの中じゃあるまいに、神じゃ無くて紙に祈るようなやつには加護なんて授けられないだろうって?
あんた結構細かいなあ。ただの誤変換じゃねえか。
確立と確率の誤字とか気になるタイプか?
そんなんじゃあ眉間にシワが増えるぞ?
余計なお世話?
ま、そりゃそうか。
「少し……、休もうか?」
ひとり落ち込む俺をよそに、フォルスが誰にともなく言う。
もちろんそれに反対する者はいなかった。
さすがに甲虫の死体が床いっぱいに広がった場所では休む気になれず、俺たちは少し離れた場所で休息を取る事にした。
ラーラが魔法で作り出した水を使い、喉を潤し、武器や防具についた甲虫の体液を洗い流す。
「レビィ、さっきの戦闘で使った火炎球は全部で五つだっけ?」
「あの最中で数えてたのかよ。えーと……、そうだな。手元にはあと二つしかないや。氷結球は五つあるけど。……ずいぶん使っちまったな」
「仕方ありませんよ。あの数が相手です。むしろ火炎球五つで撃退できたのは運が良かったです」
「ラーラの言うとおりだ。僕とエンジであの数を相手にするのはきっと無理だったと思う」
「でも、この先もあんなのがいっぱい出てくるんっすかね?」
エンジのつぶやきに、重苦しい空気が流れた。
正直あんな大量の敵と戦うのはせいぜいあと一回がいいところだろう。
この先どれくらい会敵するかわからないが、未来図が明るい色のインクで描かれているとはとうてい思えない。
そんな沈んだ空気を振り払うように、ラーラが話題を変える。
「それはそうと、レビさん。通路が塞がっているかも、というのはどういうことですか?」
「僕もそれは気になった」
「確かにそうっす」
さっきはとっさに俺の判断を受け入れてくれた三人だが、やはり疑問は残ったままらしい。
「まあ、俺も確信が持ててるわけじゃないけどな」
と俺は自分の考えを述べる。
「この広間がわずかに傾いている、ってのはわかってるよな?」
俺の言葉に三人がうなずく。
「傾いているのは良いとして、その基点はどこか? ってのが問題だ」
「……ああ、そういうことか」
イケメンはこれだけで理解できたらしい。さすがだ。
「えーと、どういうことっすか?」
「つまりな。広間の入口が基点になっているんなら問題はない。入口側はそのまま動かず、出口側の床だけが下がって影響を受けるだろう」
「だけどもし広間の中央付近が基点になっているとしたら? その場合はおそらく広間の床全体が、中央を支点にした天秤のように動くはず……、だね?」
フォルスが俺の言葉を引き継いで説明する。言葉の最後に問いかけを受けた俺は、頭を縦に振って肯定する。
「そうすると……、出口に変化が現れたと同時に入口側の壁にも何らかの変化が発生する、ということですか?」
ようやく腑に落ちたという顔をしたラーラへ、俺は人さし指を向ける。
「そういうことさ」
「もし気づかずに通路へ逃げようとしていたら……。本来あるはずの入口が消えていて、この広間の中でさっきの大群に囲まれていたかもしれない。考えたくはないけれどね」
浮かない顔でフォルスが言った。
「まあ、ただの考えすぎかもしれないけどな。一休みしたら後で確認してみようぜ」
その後、短い休息を取った俺たちは広間の入口――最初に通路から広間に入ってきた場所――へと足を運ぶ。
その場所で目にしたのは、俺の推論を裏付ける光景だった。
「あらあら。レビさんの予測通りというわけですね」
通路と広間をつなぐ入口となっていた空間は、ネズミ一匹通る隙間も無くぴっちりと岩壁で塞がれ、もはや俺たちの進む道がひとつしか残されていないということを無慈悲に突きつけていた。
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