異世界もんじゃよ

雨の降るかつての戦場

 かつて、世界を揺るがす大戦があった場所。そこは、かつて大森林があり、様々な草木が生い茂り、山から雪解け水が流れる、それはそれは美しい自然だった。


 だが、草木も生えない永遠の大地には、その面影は全く存在しない。


 そもそも、本当にそこに豊かな自然があったのかも疑わしい。


 その時代を知る、古くから生きる長寿の種族は嘆いていた。


 ああ、もう我らの知る自然は無いのだと。あそこはもう、枯れ果てた〝死の大地〟のみが広がっているのだと。


 かつての大森林、かつての戦場。


 現在は死の大地。


 戦場の名残を残すように、無数の武器が地面に突き立てられ、未だ消えぬ炎と氷は、更に乱れた魔素が生み出す磁場嵐は、如何に苛烈であったかを物語る。


 魔素の磁場嵐の影響で、ここには魔物は生み出されない。だが、同時に生命は存在できない。その証拠に、ここには精霊が棲みつかないのだ。


 ここは終わった世界の一部。死して停滞した世界の一部。


 故に、ここには矛盾を孕んだ〝特異点〟が生まれやすい。



 仮面のような外殻を被り、その身に金属質のオーロラ色の紋様を描く甲殻を持つ、灰色の獣。


 様々な生物を模していながら、似て非なるもの。


 〝死の大地〟でしか生きられず、終わりを迎え、停滞したからこそ生まれたもの。


 それは死した大地の奥底に棲む、とある精霊の結晶。抗いの証。


 その身を魔素に冒されながらも、世界に対して、運命に対して。


――――――神に対して、抗うもの。


 彼の精霊の願いはたった一つ。


 この地の停滞を溶かす事。死ではなく、命が育まれる大地となる事。


 この地が再び、数多の生命が住まう大自然を芽吹かせる事。



 彼の精霊は抗った。存分に足掻き、模索し、行動した。



 その結果、生まれたのは悲しき生き物。自らが変質したが故に生まれた眷属。


 ひたすらに、大自然を芽吹かせる為に己の生命を膨張させていくだけの、怪物。


 精霊は、既に精霊などではなかった。新たな種族、新たな生命を生み出した、生み出してしまった事で、その存在が昇華されてしまった。


 神に近しく、否、同等と言っても良い存在。


 神でありながら肉体を持つ者。受肉した精霊が変質し、更に成長を遂げて霊格を昇華した者。



 仮面の如く外殻を被り、金属質のオーロラ色の紋様を描く甲殻を持ち、漆黒の肌と灰色の毛皮を持つ亜神。



 狼か狐のような耳と尻尾を持ち、鹿に似た仮面の如く甲殻を被り。


 手足は毛皮に覆われ、鎧のように甲殻を纏う。


 精霊であった頃の名残か、その胸には銀色の炎が燃ゆる結晶が埋め込まれている。


 〝死の大地〟と半ば同化し、それ故に神の領域へと至った存在。



 琥珀の瞳を瞬かせ、その亜神は悲しみに顔を歪める。



 精霊であった頃の〝真名〟と亜神としての〝神名〟、二つの名を持つ者。



 その真名を〝銀月の霊獣イシルディン〟。


 その神名を〝乖天獣レドゥラ〟



 彼の亜神は待ち望む。愚かなる自らを終わらせてくれる存在を。


 世界に反し、抗ったが故に変異した己を殺す存在を。



 しかし、そんな存在は現れぬ。


 そんな事、彼自身が一番に分かっていた。



 哀れみからか、同情か。神々の真意は分からぬが、自分が放置されている事に。


 当然だ。〝死の大地〟はそこに在れど、誰も近づけやしない。


 

 〝死の大地〟は停滞した世界の一部。そして、生まれた眷属もまた、〝死の大地〟の一部。



 ああ、なぜ。ワタシの願いを聞き入れてくれぬのか。



 ……………いや、違う。これは、罰か。



 理不尽に抗おうと足掻き、その末に自らの存在を変異させてしまった事の。


 天命とは異なる、新たなる生命を不遜にも生み出した事への、報いか。



 ならば甘んじて受けよう。それが罰というのなら。


 ワタシは、ここに居続ける。ここで、永遠に眠り続ける。



 子等と共にあろう。この〝死の大地〟と呼ばれた、切り取られた世界の一部で。


 その永久の生涯を迎えよう。



 そうして、亜神は一滴の涙を零す。心の底では諦めていようと、しかして望まずにはいられない事を、彼は求め続ける。



 いつか、この生涯を終わらせる者が現れますように。


 我が子等の来世が、豊かな世界で生きられる生命を平等に与えられますように。


 願わくば、この〝死の大地〟が再び大自然で溢れますように。




 多くの願いを口にする。そうせざるを得ないが為に。


 出なければ――――――――己への憤怒で、我が身を焼いてしまいそうだったから。






◊◊◊◊◊






 見つめるは、灰色の獣が闊歩する〝死の大地〟………。


 世界を隔てるように、銀色に輝くオーロラの如く壁が、天へと伸びている。


 ここに来る者を拒む壁。それは、〝死の大地〟が広がらぬようにという、どこかの神様の懸念の現れか。



『ああ、そうだとしたら、何とも優しき神様だこと』



 停滞が広がる訳でも無かろうに、分かっていても気遣わずにはいられないのだろう。だから、こんな壁があるのだ。


 この境界、壊すのは簡単そうだが、それでは駄目だな。それは、これを創った神を侮辱する行為だ。



『しかし、あちらには用事がある。どうしようか………?』



 ああ、そうだ。わざわざ壁を越える必要は無かったな。いやはや、我ながら間抜けなものだ。


 隔てられているのは大地のみ、ならば空間を飛び越えれば良かったのだ。



 身に纏う着物の裾を揺らして、彼女は空に向けて指で円を描く。


 それだけで、彼女の目の前には空間の穴が空き、大地を隔てる銀色の壁の向こう側にも、同じような穴が出現した。



『ほいっと』



 彼女は穴の中へと躊躇なく飛び込む。一瞬だけ、暗い紫に似た輝きのある闇が視界を支配したが――――――すぐに視界は移り変わる。


 赤銅色の大地。枯れ果て、罅割れた地面。


 周囲を見渡せば、赤と紫と黒炭色に濁った嵐が吹き荒れ、赤紫の火花が散った磁場嵐が。


 更には、奇妙な仮面のような外殻を被り、不思議な甲殻を纏った灰色の獣の姿が。



『ほうほう、聞いた通りの光景だ。これは面白い』



 穴に向けて、指を縦に振り下ろす。それだけで、空間に開いた穴は閉じた。



 さてさて、会いに行くとしようか。精霊にしてはとんでもない事をやり遂げ、中途半端な所で諦めた、大馬鹿物の神の下に。




 そして彼女は歩き出す。おや、目の錯覚だろうか。彼女の所だけ、まるで雨が降っているみたいだ。


 暗い色の光が、彼女の周囲にだけ降り注いでいる。だが、光は地面に触れる寸前に消えている。


 なんとも不思議な光景だったが、彼女はそんなことを気にせず、目的地まで歩んでいく。





・・・

・・・・・

・・・・・・・





『おお、見つけた見つけた。ここが引きこもりの神が棲んでいる大地か』



 着物の裾を揺らして、彼女はからからと笑う。ここまでの道中、何度か灰色の獣に遭遇したが……………いやはや、賢い。


 彼女がどのような存在なのか、理解しているのかいないのかは不明だが、その存在が無害である事と、絶対的な上位者である事だけは分かっているのだろう。


 灰色の獣は、誰も彼女の行く先を邪魔しなかった。


 ただ、遠くから見るだけであったが、そんな光景も彼女にとっては新鮮で。


 たいへん楽しい道のりだった。



 彼女はそこを見下ろした。赤銅色の大地の中で、一際大きな縦穴が。


 都市一つ、簡単に入る規模の巨大な穴だ。見下ろせば、そこには深淵が果てしなく続いている。


 その縦穴の奥底に、彼の亜神はいるのだろう。



『どんな面をしてるのか、ついでに拝んでやるか。ここから話しかけるのも、何だかつまらんしな』



 そう言って、彼女は躊躇なく縦穴へと飛び込んだ。自殺行為だ。生きていられる筈がない。しかし――――――彼女は恐らく無事であろう。



 彼女は長時間もの間、この〝死の大地〟に存在し続けている。だが、彼女の存在が揺らぐ事はない。


 〝死の大地〟は停滞した世界。灰色の獣以外が立ち入れば、たちまち存在を徐々に分解されるというのに。


 だからこそ、確信して言える。彼女がこの程度の縦穴に飛び込んだ所で、彼女が死ぬ訳がない。


 なぜなら、彼女もまた受肉した存在。神の領域にいる生命。


 亜神と呼ばれる者なのだから。






・・・

・・・・・

・・・・・・・





 深い、深い、大地の底。鏡面のように磨かれた不思議な鉱石で出来た地層。


 そこが、彼の亜神が眠るところだ。


 そこに無遠慮に何者かが降りてきた。



『やあ』



 どこかの暗闇に向けて、女性は手を振る。


 奇妙な女だ。狐を模したお面を被り、頭からは鬼の角と獣の耳を生やしている。


 着ている服はまともなものだ。紅葉と白い花が詩集された、何とも見事な着物だ。その臀部の所には、耳と同じようにふっくらとした獣の尻尾が生えていたが。


 恐らく、人ではないだろう。同時、精霊や魔人、霊獣という訳でもない。


 魔物の中でも、それぞれの種の頂点たる〝王獣〟の擬態か?



 彼の灰色の亜神は、困惑と疑問に慌てふためく事なく、冷静に目の前の女性について観察し、考察する。


 だが、限りなく正解に近い………だが、あり得ないと断じる答えは持っていた。


 気さくな様子でこちらに向かって手を振る女に向かって、灰色の亜神はため息を吐く。



『………あなたは、何者だ』



 お面の女性が見つめる暗闇から、透き通った笛の音のような声が響く。お面の女性は、その声を聞いて僅かに驚いたように両手を叩く。



『一応、性格は男だって聞いてたけど、意外と奇麗な声をしてるんだね』



 からからとお面の女性は笑う。しかし、それとは正反対に、灰色の亜神は不機嫌そうに顔を歪める。



『………もう一度、聞こう。あなたは、何者だ』


『そんなの、とっくに分かっている癖に』


『………ふぅ。異界の神が、ワタシに何の用だ』


『あっはっは、やっぱり気づいてた』



 からからと笑うお面の女性―――――否、こことは別の世界の女神は、真っすぐに灰色の亜神を射抜いている。


 それに動じる事なく、灰色の亜神は落ち着いた様子で姿を現した。



 暗闇が晴れる。鏡面の如く鉱石の一部が、青白い輝きを放った。



『………生憎とワタシは身体を縮小化する術を失っているが故、見下ろすような形になる事を許して欲しい』


『別に、そんな小さい事は気にしないよ』


『………感謝する』



 灰色の亜神は頭を下げて感謝の意を示す。異界の女神は、それを片手を振って答えた。



『………それで、異界の神がここへと何用で来訪したのか』


『ああ、それね。簡単な話だよ』


『………?』


『君、私の世界の神にならないかい?』



 灰色の亜神は絶句した。なぜ、どうして。頭の中では次々と言葉が浮かんでくるのに、口からそれが出てこない。


 それほどまでに、灰色の亜神が受けた衝撃は強すぎた。


 別世界の神が、わざわざ足を運んで自分の世界へと勧誘に来たのだ。


 そんなの、驚く以前に衝撃が強すぎて全身が固まるのは、無理の無いこと。


 例えるならば、平社員に過ぎない自分に大企業の社長がわざわざ足を運んで、自分をヘッドハンティングに来るようなものだ。


 それほどまでに、異界の女神が口にした事はあり得ない事だった。



『ちなみに、この世界の神々には許可は貰ってるし、君さえ良ければ私の世界は何時でも君を迎えられるよ?』


『………本気、なのだな』


『当たり前じゃないか』



 灰色の亜神は、片手で顔を覆って天を仰ぐ。一体、どうしてこの女神は……。



『君がこの世界にいても〝死の大地〟は復活できないよ?』


『!?………なぜ、断言できる』


『簡単さ。神々以前にこの世界自体が〝死の大地〟を復活できるような余力が無いからだよ。君は神になってから若いし、知らないだろうけど。そもそも神になった事が偶然みたいなものだからね』


『………』


『まあ、しょうがないよ。知らなくても当然だ。この世界は既に縮小している。僅かでも寿命を延ばすためにね。この大地がこんな風になった原因があっただろう?あれ、あの戦争が元凶だよ。

 世界ってのは、生き物みたいなもんだからね。当然、寿命もある。でも、それが早まってしまったは元凶はあの戦争。数多の神に迫る者達が争った結果、古い世界である、この世界は耐えられなかった。

 ようは、この大地は切り捨てられたも同然なのさ』


『………ああ………』



 灰色の亜神は、今度こそ涙を流した。ならば、自分が今までやって来た事は、無駄であったのか………。この大地は、もう二度と再生する事は無いのか、と。


 灰色の亜神が涙を流している事に、異界の女神は内心で『無理もない』と呟いた。


 彼は、ただあの大自然を愛していた。その自然に住まう生命を愛していた。


 それだけの事なのに。


 哀れに思った。掬い取ろうと思った。こんなの、あまりにも悲しすぎる、と。



『だから私が来たんだよ』



 灰色の亜神が、未だ顔から涙を流しながら、異界の女神を真っすぐと見る。



『………この大地は、蘇るのか』


『ああ』


『………我が眷属は、永劫をこの大地で生きていかなくても、いいのか』


『ああ』


『………名も知らぬ異界の女神よ、感謝する。あなたの伸ばした手を、ワタシは掴もう』


『そうか、それは良かったよ』



 異界の女神は、にっこりと、人間臭い笑みを浮かべる。その顔が、女神らしくないとはいえ、彼女らしいと思えた。


 短い時間の付き合いとはいえ、灰色の亜神はそれを良く理解できた。



『そういえば、名乗っていなかったね。私は【ガルディア】という世界で、主神を務めている。〝虹陽神アルティナ〟だ。君は?』


『………ワタシには、二つの名がある。一つ目は精霊としての真名〝銀月の霊獣イシルディン〟、亜神としての神名は〝乖天獣レドゥラ〟』


『では、私は君を〝レドゥラ〟と呼ぼう。これからよろしくね』


『………ああ、これから宜しくお願い申し上げる。我が敬愛せし主神よ』


『かたいなー………まあいっか。それが君の良さなんだろうしね』



 灰色の亜神は片膝をつき、胸に手を当てて、軽く頭を下げる。


 こうして、二柱の神は出会った。



 灰色の亜神が守って来た〝死の大地〟は、並みの大陸よりも大きかった為、異世界【ガルディア】の裏側に〝異界〟として存在する事となった。


 異世界【ガルディア】の周囲を回る衛星であり異界。


 その異界は、後にこう呼ばれる事となる。


 【乖理境界アドラ】と……………。




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