彼と家電の指遊び

ふがふが

前編

俺は、困惑していた。

「人工皮膚を買ってほしい?」

オウム返しで聞き返すと、“それ”はアイスコーヒーをこちらに差し出し、ゆっくりとうなずいた。


蛇腹の腹部、鉄パイプの様な肢体、文字通りの鉄面皮。

いわゆる白物家電にあたるのだろう“それ”は、全面を肌色に塗るには、少々難のある外見だ。

机で読んでいたカタログから目を離して、“それ”の顔を見上げる。こちらを静かに見つめる顔からは、何の感情も見て取れなかった。


「お前の方からおねだりって、初めてじゃないか?何かあったのか?」

聞きつつ、差し出されたままのアイスコーヒーを受け取る。「ありがとう」


“それ”には、気づけば長いこと世話になっている。コーヒーを淹れるのも、この自室の掃除も“それ”任せだ。だから定期メンテも強化もケチらずやったのだが、それでは足りないと言うのだろうか。


「先日、思考ユニットを増設して頂いたばかりであることは承知しております」

と、“それ”から中性的な声が流れ出る。一呼吸置いて、

「ただ、外装が経年劣化を起こしておりまして」

と、曇り1つない頭部に照明を反射させ、のたまった。どこをどう見ても、まるで新品のような輝きだ。


“それ”はもう一呼吸置いて、

「……防水性能が低下しておりまして」

と、のたまった。さっきと言っていることが同じだ。そもそも、今朝は平気な顔、いや態度で皿を洗っていなかったか?


まだ何か言いたそうな“それ”を胡乱げに見る。思考ユニットを増設してから、逆にポンコツになっている気がする。本当にどうしたんだ。

「ちゃんと理由を言ってくれ……。お前がもう一人買えるくらい高いんだぞ、人工皮膚って」

どちらかというと、“それ”が安いだけだが。なお、情報源ソースはさっき見たカタログである。外見は微妙だが、今よりは人っぽくなるようだ。


ガキン、という金属音とともに、“それ”の手首から短い棒のようなものが飛び出した。

ため息を一つ。これも最近よく見る。取説いわく、「握力のパワーリミッターです」とのことだが、“それ”は今、何も持っていない。

理由は分らないが、やはりどこか壊れているかもしれない。また修理に出さねば。

俺が黙っていると、「承知しました。お話しします」と“それ”が頭を下げてきた。

とりあえず自供する気になったようだ。


「私たちが、いわゆる“まんねり化”という状態と思われますので」

おかしい、さっきより変なことを言い出した。


「最近、私の製造元のカタログをよく読んでおられますね?」

確かに、今まさに読んでいるところだ。だがそれがどうしたというのか。

「ああ、それで?」

「あなたが私の挙動や外見に慣れた、つまり“まんねり化”により、後継機の導入を検討していると予測しました。人工皮膚への換装により、トータルコストを抑えつつ状況の改善が可能です」


カタログを読んでいるのは、単に面白いからなのだが。……しかし、面白いと感じること自体が変なのかも?後継機たかいやつが欲しい気持ちもなくはないし、なんだか“それ”の言うことも一理ある気がしてきた。


なぜか化粧品メーカーの広告が挟まるカタログを閉じ、俺は“それ”と向き合った。

「まあ、お前がそこまで言うなら……」

しょうがない、買うか。そう呟いて、俺はコップを傾ける。


“それ”は、アイカメラのシャッターまぶたを半開きにした。

「ありがとうございます」

ついでとばかりに、「ぜいたくを言えば、味覚も欲しいところですが」などと言って、俺が飲んでいるコーヒーを見るが。

「……ふぅ。それは多分無理だな。諦めろ」


「それより腕のそれ、俺が戻してみていい?」

と、“それ”の腕から飛び出たままのパワーリミッターを指さした。

指で押し込んでいるのを何度か見たことがある。どうせ直すし、1回くらいやってみたい。


一瞬動きが止まったが、腕をこちらに差し出してくれた。腕をつかみ、飛び出た突起を指でゆっくり押し込んでみる。バチンと音を立てて、腕の中に収まった。うん、満足。

その様子をじっと見ていた“それ”は、あなたにはついていないのか、と聞いてきた。

「人間にはないな、ほれ」と、逆に自分の腕をぞんざいに突き出す。


プラスチックな、少しの冷たさを感じる。“それ”はおもむろに俺の手を取り、興味深そうに触り始めた。なでたり、つついたり、脈を計るようなそぶりを見せたり。

「脈拍、わかるのか?」

「いえ、現在の圧力センサーでは分かりません」ならなんでやった。


一通り触って満足したのか、“それ”は俺の腕を解放して一歩下がった。

「これで“まんねり”は改善したでしょうか?」

「腕をいじったぐらいで良くなるのか、それ?」

よくわからないが、今度のイメチェンで良くなることを祈ろう。


「さて」と、俺は立ち上がり、書類棚の方に足を向けた。

「保証書はどこにやったかな。他に何か必要なのはある?」

と聞くと、“それ”はまた良く分からないことを言い出した。

「人工皮膚は脆弱なため、表層保護のための塗料が必要です」

「おーけー、塗料だな……いや、本当に必要か?」

カタログには、そんなことは書いていなかった気がするんだが。

「塗装は、人間でいう服にあたるものであり、内部を保護する重要な部品です」

「……おーけー。服だな」


気を取り直して、保証書片手にネット注文。幸い服も一緒に買える様だが、カタカナ言葉を並べられても、まったくピンとこない。とりあえず一番安いセットで。

「って、ん?」

人工皮膚、新型が出ているようだ。画像がまだ準備中なのが少し怖いが、今まで長く世話になったメーカーだし、まあ多分これでも大丈夫だろう。

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