かぞえてみよう

中内イヌ



 小学四年生の佑香ゆうかは、いつも家が近所の幼なじみ四人と一緒に下校していた。佑香たちの家は山間の集落であるため、小学校から長い道のりを歩いて帰らなければならない。


 田んぼの畦道を真っすぐに抜けると、徐々に傾斜のきつくなる山道を歩きながら、佑香たちはじゃれ合い、にぎやかに帰ることが多かった。


 そうでもしなければ、車さえ滅多に通らない通学路はあまりにも長くて寂しい。


 この日も四人はわいわいと話しながら、山道にさしかかっていた。道路の片側の斜面には濃い緑が生い茂り、木の枝の先が道路に垂れ下がらんばかりだ。夏の暑いこの時期には、蝉の鳴き声が幾重にも重なり響き渡っている。


「なあ、知ってるか?」


 四人の中でひと際大きな身体をしている五年生の宏樹ひろきが、不意に足を止め斜面の方を指さす。


 その時に吹いた生温い風が、周囲の草木をざわりと揺らした。


「ほら、ここ」


 なんだろうと見やると、低学年の陽菜ひなあきらも佑香を真似て姿勢を低くする。三人は揺れる木々の隙間から、朽ちかけた石段のようなものを認めた。


 石段は苔むした上に草木の緑で覆われているため、ぱっと見では目立たない。毎日この道を通っている佑香も、はじめて気づいたほど。


ひろちゃん、これって?」


「じいちゃんが話してたんだ。昔、あの上には小さなお社があったってさ。でも、じいちゃんが生まれる少し前、この辺りで土砂崩れがあって、お社も鳥居も崩れちゃったんだ。それで、石段だけが残されたらしいぞ」


「ふーん」


 なんとなく石段の方を眺めていると、宏樹は急に声をひそめて言う。


「……でさ、面白いのはここからなんだけど」


「な、なに?」


「じいちゃんたちが子供の頃、この石段に纏わる噂があったんだと」


「噂?」


「一番上までのぼる間に、正しく石段の数を数えることができたら、なんでも願い事が叶うんだってさ」


「ふふ、なんだか都市伝説みたい。都市じゃなくてド田舎だけどね。じゃあ宏ちゃんが、やってみてよ。この前、スマホが欲しいって言ってたじゃん」


「ばーか、なんでも叶うのに、そんな普通なことなんて願うかよ」


「じゃあ、なにを願うの?」


「そうだな……たとえば、プロ野球の選手になりたいとか」


「ふーん、それを願えば、宏ちゃんは小学生なのにプロになれるんだ」


「常識的に無理だろ、そんなの」


 こんな突飛な話をしておいて、常識なんて言葉を使う宏樹のことが、佑香は可笑しかった。


「なぁんだ。叶わないじゃん」


「将来的にプロのなれることが、確約されるんじゃね?」


「なにそれ? 今すぐわかることにしてよ」


 佑香が言うと、宏樹は面倒そうに顔を歪めた。


「うるせーなぁ。もういいよ」


 宏樹は早々に話を切り上げ、行ってしまおうとしている。


「ねえ、のぼらないの?」


「今度な」


 普段から威張っている宏樹が珍しく弱気なので、佑香はついつい煽りたくなった。


「宏ちゃん、意外と意気地がないんだ」


「なんだとぉ」


 宏樹は足を止め、佑香をじろりと睨みつけた。


「じいちゃんの話だと、子供の頃に友達と何度か試したけど、結局は誰一人願いを叶えられなかったって」


「つまり、インチキだからでしょ」


「そうじゃなくて、石段を最後まで数えられなかったんだ」


「どうして?」


「これには一つ条件があって、のぼる途中で一度でも振り向いたら駄目なんだと」


「そんなの簡単だと思うけどな」


「それが、じいちゃんは何度やっても必ず振り向いてしまうって言ってた。そして一度でも振り向いたら、取り返しのつかないことになるとも」


「取り返しのつかないことって?」


「し、しらねーよ。そこまで聞いてねーし」


 宏樹は、どうもはっきりしない。少し考えた後で、佑香は言った。


「私がやってみようか」


「は?」


「石段を数えればいいんだよね」


「お、おい」


 宏樹たちが不安そうに見つめる中、佑香は颯爽と斜面の方へ。道路わきの枝木をかき分け木陰へ入ると、ひんやりとした空気と独特な樹木の香りを感じる。


 周辺はそれほど草木に覆われているわけでもなく、佑香は土を踏みしめ進み難なく石段の前へ立つことができた。


「佑香……本気か?」


 後ろからついてきた宏樹が、そう声をかける。


「別に、平気だよ」


 事も無げに言うと、下から石段を仰いだ。左右に林立する木々が邪魔で、一番上まで見通すことはできない。だが、石段の造り自体は意外にしっかりしているようで、見る限り崩れてのぼれないような箇所はなかった。


 佑香は歳の割には、現実的で少し大人びている。さっきの宏樹の話も、まるで信じてはいなかった。だから挑戦する動機は、いつも偉そうな宏樹の鼻を明かしたいから。佑香はそのように、勝気な性格でもあった。


「じゃあ、行ってくるね」


 後ろに立つ宏樹と、道路のところから窺っている陽菜と晃に告げ、佑香は前を向いた。のぼりはじめたら、後ろを振り向くわけにはいかない。一応、条件ルールは守るつもりだ。


 いち、にい、さん――心の中で数を刻みながら、佑香が石段を昇りはじめると。


「いいか、佑香! 絶対に振り向いたら駄目だからな!」


 すぐ背後から宏樹の声がして、佑香は思わず肩すくめた。石段は傾斜も急で、苔むしているため滑りやすい。


「言われなくても、わかってるから」


 後ろを向かないように気をつけながら言うと、気を取り直し石段をのぼる。すると、区切りとなる十段目で一旦足を止めた時だった。


「なあ、佑香」


 またすぐ後ろから声をかけられ、佑香はビクリとした。


「もう……なんで、宏ちゃんがついてくるの?」


 睨みつけてやりたいが、振り返るわけにはいかない。


「上まで昇ったら、どんな願いをするんだよ?」


 そういえば決めてなかった。佑香は立ち止まったまま、暫く考えを巡らせる。


「……」


 風に揺れる木々に囲まれた石段には、僅かな零れ日さえ射すことはない。四方から響く蝉の声は、精神を圧迫するかのようだ。そんな中で、すぐには思いつきそうもない。


 まあ、いいか。どうせ、信じてないし。佑香は思い直し、次の段に足を運んだ。


 ――二十三、二十四、二十五、二十六。


 一歩ずつのぼりながら石段を数えていると、またしても。


「おーい、佑香」


 すぐ後ろからの声に、佑香はいら立った。


「なんなの! 邪魔しないで!」


「違う違う。ホントに用があるんだよ。いいから、こっちを見てくれ」


 そっか。宏ちゃんは、私が先に願いを叶えてしまうのが悔しいんだ。


 佑香はそう思い、ため息をついた。


「そんな見え見えの手には、ひっかからないからね」


 相手にせず、先を急ぐことにする。そうして五十段目を超えた辺りで。


「おい! 佑香ってば!」


 また後ろから、宏樹に呼ばれた。いい加減にしてほしかったが、言い返すと石段の数を忘れそうになる。


 この時点で、佑香は確信した。話はでたらめ。最初から、宏樹に担がれていたのだろう。何度も振り向かせようとする、その態度がなによりの証拠だ。


 それでも、佑香はのぼるのを止めない。何度、邪魔をされても決して振り向くまいと心に命じた。願い事なんてどうでもいいが、せっかくここまで来たのだから、一番上まで辿り着きたかった。


 その後も、宏樹の邪魔は執拗に続く。


「なあ、頼むからさ。こっちを向けよぉ」


 もう足を止める気もないし、聞く耳も持たない。そのつもり、だったが。


「うわああっ、大変だ! 陽菜と晃がっ!」


 佑香は最早、いら立ちを通り越して怒りを覚えた。ふざけて邪魔するだけならともかく、まだ小さい陽菜や晃の名前まで出して、こちらの動揺を誘おうだなんて。


 絶対、なにがあっても振り向いてやるもんか。そう思った矢先のことである。


 キキーッ! ——グシャァ!


 佑香の耳に届いたのは、車の激しいブレーキ音と、なにかが潰されるような不快な音だった。


「えっ……!?」


 瞬間、身体を強張らせた佑香の中で、嫌な予感が膨らんでいた。


「ひ、宏ちゃん……どうかしたの?」


 後ろにいるはずの宏樹に聞くが、返事はない。


「ね、ねえ……?」


 やかましかった蝉の鳴き声さえ止み、辺りはまさに深閑としている。その沈黙に耐え兼ね、佑香はゆっくりと、ついに後ろを振り返った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る