運命の赤い糸

かずシ

第1話

 十二歳の誕生日。

 満開の桜がきれいに咲いていた今日、僕は恋に落ちた。

 でも、これはクラスのみんながヒソヒソ声で話すような淡く儚い初恋の話なんかじゃない。僕には確信がある。僕は将来あの人と結ばれるんだ、と。

 僕は大きく深呼吸をすると、ベッドの中で再度寝返りをうった。

 春の夜。静かすぎて、心臓の音がやけに大きく聞こえる。

 気がつくと僕はまたあの人の顔を思い出していた。

 明日からまた学校がはじまるんだから、もう眠らなきゃ。そう思い目をギュッと閉じた僕は今日の出来事をもう一度、思い返すことにした。


 昨日の夜、ある夢を見たことがすべてのはじまりだ。

 それは、奇妙な夢だった。たくさんの鳥居が空に浮かんでいる。そして僕も宙に浮き、その鳥居たちをくぐるようにビュンビュン飛び回っているのだ。

 不思議なことに僕はそれが夢であることを確信していた。夢だと自覚できる夢を見ている時、その内容を自在に操れる、という噂を聞いたことがある。僕は試しに目を閉じると、いつも願っていることを強く念じ、叫んだ。

「なんでもいい。とにかく、何か特別な力を持ちたい!」

 目を開けると、僕は宙に浮いたまま、一つの鳥居の前にとまっていた。その鳥居は突然赤く光り、淡い光の玉を宙に放出する。光の玉は幽霊のように僕の周りをフワフワ漂うと、急加速して僕の胸の中に飛びこんだ。

 と、次の瞬間、凄い衝撃を感じて、僕はベッドの上で弾むように飛び跳ねた。ハッと気づくと目の前には見慣れた天井が見える。

 せっかくの誕生日になんて変な夢を見たんだろう。

 じっとりとかいた汗を拭こうと、手を顔に当てる。ふと、右手の小指に何か見慣れないものが見えた。

 それは、赤い毛糸、だった。結び目もないのにしっかりと小指に巻き付いている。

 なんだ、これ。眠い目をこすりながら、糸の先を目で追ってみてギョッとした。糸はまるで実在しないかのように、部屋の壁を貫通していたのだ。思わず糸に触れようとしたが、僕の手はまるで雲をつかんだかのようにすり抜ける。

 ほっぺをつねろうと右手を顔に近づけた時、一階から聞きなれた母さんの声が聞こえた。

「朝ごはんできたわよー。早く降りてらっしゃい」

 僕はキツネにつままれたような気分で、朝食を食べに下の階に降りて行った。


 台所で両親を見て、僕はまた驚いた。二人とも小指の先に一本の赤い糸が巻き付いているのだ。両親はお互い強く結びつけられているようにその糸でつながっている。

 もしかして、夢の中で僕は特別な力を得たんじゃないだろうか。

 運命の赤い糸。聞いたことがある。将来結ばれる男女は赤い糸でつながっているんだ。

 でも、運命の赤い糸が見える力、かぁ。確かにすごい力だけど、どうせ特別な力をくれるなら漫画のヒーローみたいにもっとかっこいいのがよかったな。僕は心の中で神様に文句を言った。

 

 その日の昼、僕は自分の赤い糸が誰につながっているか確かめに行くことにした。

 自分の赤い糸を辿って大通りをのんびりと歩いていく。

 あっ、あのカップル、仲良さそうに歩いているけど、赤い糸がつながってない。へぇー、ってことは結局別れちゃうのか。あっ、あそこにいるカップルはちゃんとつながってる。感心、感心。

 こうやって、人の将来が見えるってのは案外楽しいものだ。将来は占い師にでもなろうかな。きっと大金を稼げるぞ。

 と、そんなことを考えている時だった。突然、僕の赤い糸が、その伸びている方向を変えた。

 あっ、近いぞ。相手は逆方向に動いてるんだ。とっさに大通りの向かいにある歩道を見てみたがそれらしき人はいない。そのかわり、赤い糸は今さっきすれ違った車に向かって続いていた。

 あの車の中に僕が将来結ばれる相手がいるのか。遠目からその車を眺めていると、近くのアパートの駐車場に入っていく。僕はドキドキしながらその車の後を追った。


 アパートの門の入口に立った時、ちょうど車の主が降りてくるところだった。

 反射的に門の裏側に隠れてしまう。僕は大きく深呼吸をすると、半身を門に隠したまま、遠目からその人を見つめた。

 それは、若い女性だった。若いと言っても僕よりずっと年上だ。大学生か、働きはじめの女性だろう。そして、びっくりするほど美しかった。

 後ろのドアから僕と同じ年頃の女の子が出てくると思っていた僕は面食らった。その車には、その人一人しか乗っていなかったのだ。

 動揺した僕は、つい、また門の裏側に隠れる。あんなに年上の女性、それもとびきり美人の女性と将来結ばれるなんて。不思議な感覚にとらわれ、しばらくボーっとしてしまう。

 少し経って気を取り直した僕は、また遠目からその人を眺めた。どうやら部屋に入っていくらしく、共用廊下を一人歩いている。赤い糸はその人を指し示すように廊下の壁を貫いていた。

 決まりだ。あの人が運命の相手に違いない。

 と、同時になんだか恥ずかしさに似た感覚が全身を覆う。顔が真っ赤に染まっていくのが自分でもわかる。なんだか自分が自分じゃないみたいにフワフワしている。

 僕はどうしていいか分からず、来た道に向かって走り出した。


 それから、どうやって家に帰ったのか、覚えていない。

 誕生日のささやかなパーティも、それまでずっと欲しかったプレゼントも、なんだか夢の中の出来事のように霧がかかっている。衝撃的な出来事だった。

 僕は今日の出来事を思い出し終わると、枕元の時計へ目をやった。時刻は午前零時をまわっている。明日から学校なのに、色々考えているうちに夜更かししてしまった。本当にもう眠らなきゃ。始業式から遅刻するわけにはいかないもんな。

 それに、僕がウジウジ考えていたって、あの人と結ばれることはすでに決まっていることなのだ。そう考えるとなんだか心強くて、安心できるような気がした。


 翌日、目を覚まして僕は驚いた。昨日、あんなにはっきりと見えていた赤い糸が全く見えなくなってしまったのだ。

 最初は自分の運命が狂って、僕の赤い糸だけがなくなったのかと思った。しかし、朝、両親の小指をまじまじと見てみても、また、通学路で道行く人々を眺めても、その人たちについているはずの赤い糸は最初から存在しなかったかのように影も形もない。

 せっかく特別な力を得ることができたのに、どうやらこれは一日限定の力だったらしい。神様もケチくさいことをするものだ。僕は心の中で神様にまた文句を言った。


 

 一学期の始業式。運命の時は意外にもその日のうちに訪れた。

 校長先生の長い話がやっと終わり、新任の先生の紹介がはじまるのを寝ぼけまなこで見つめていた時のこと。

 一人目の先生が登場した時、僕の全身に稲妻が走った。

「あっ」

 思わず、小さく声が漏れる。そこには、昨日見た例のあの人が立っていたのだ。例のあの人、つまり、その先生は今年から教師になり、三年生を受け持つことになった、とたどたどしく自己紹介した。

 やっぱり昨日の出来事は本当だったんだ。昨日のあの人が新任の先生だなんて、偶然にしちゃ出来過ぎてるもんな。卒業までのこの一年の内に何かが起こるに違いない。

 様々な妄想が頭の中を駆け巡る。もしかすると、あの先生が僕のことを意識するのは今日かもしれないのだ。そう思うとドキドキがとまらなかった。


 しかし、そんな僕の期待とは裏腹に、始業式が終わってから数週間、先生と知り合いになることは出来なかった。

 それもそのはず、先生の担当は三年生。学年の違う僕が先生と知り合うチャンスなんて全然巡ってこなかったのだ。

 僕はやきもきしながら先生と知り合う運命の日を待っていた。

 そんなある日。同級生と昼休みに鬼ごっこをしていた時のこと。僕は同級生の一人を追って学校の廊下を走り回っていた。

 同級生を捕まえようと手を伸ばしかけたその時、僕が待ち望んでいた、あの声が廊下にこだまする。

「こらっ。廊下を走っちゃだめでしょう」

 僕の体は金縛りにあったように硬直する。

 僕は同級生を追うのをやめ、声のした方向をゆっくり振り返る。そこには例の先生が立っていた。

「あ、あの、す、すいません」

「何年生なの?」

 先生は僕に近づいて僕の名札を確認する。

「六年生じゃない。最上級生にもなって、廊下を走るなんて。危ないでしょう」

「そ、その、ごめんなさい」

 緊張して先生の顔を見ることができない。顔が真っ赤になっているのが自分でもよく分かった。

「もう、話をする時はちゃんと相手の顔をみなさい。あなたは先生の足と会話をしているの?」

「い、いや、そういうわけでは……」

 こんな出会い方をするなんて、まったく予想してなかった。妄想の中ではもっとロマンチックな出会いをしていたのに。なんだかかっこ悪くて、自分が情けなくなってくる。

「全く、あなたは最上級生なんだから、下級生のお手本にならないと。最上級生らしく下級生の子と遊んであげるとか、図書室で本を読むとか、お昼休みはそういう風に使うものよ」

 先生の言葉にハッとする。かっこ悪い出会いだったけど、やっぱり今日が先生と知り合う運命の日だったんだ。お説教を受けながら、僕の頭の中にある案が浮かんだ。

「あ、あの、じゃあ、たまに先生のクラスに行って遊んでもいいですか?」

 先生は驚いたように一拍間を置く。しかし、すぐに笑みが混じった声で言った。

「そうね。それでこそ最上級生よ。男の子なんだから年下の子や女の子を守ってあげないといけないわ。ほら、ちゃんと顔をあげなさい」

 上手くいった。僕は内心ホッとした。僕は、うつむいた顔を少しだけあげる。

「もう、今度は先生のお腹と話すつもりなの?」

 先生はあきれたように声を出して笑った。その笑い声を聞きながら僕は心にこう誓う。

 下級生だけじゃないさ、将来は運命の人を守ってあげる男になるんだ、と。そして、きっとそうなる、という予感めいた確信もあった。


 それから一学期が終わるまで、僕はちょくちょく先生の教室に遊びに行った。

 最初の方こそ照れてしまい上手く話せなかったが、他の先生と比べ年齢が近いということもあり、すぐに仲良くなることができた。

 しかし、それはあくまで先生と生徒の関係の上で、ということだ。どうにも恋愛に発展するような感じはしない。しかし、まぁ、いずれにしても、この一年何か恋愛関係に発展するような大きなきっかけがあるというのは間違いないのだ。

 事態を楽観的に考えながら、先生との日々を過ごしているうちに、あっという間に一学期は終わり、夏休みに入った。夏休みの間はもちろん先生に会うことはできない。また先生と会うことを待ち焦がれながら、僕は小学生最後の夏休みを送った。


 そして、待ちに待った二学期がはじまった。

 これで先生の教室にまた通うことができる。そう思い、僕は早速、最初の昼休みに先生の教室の前まで行った。しかし、ドアの前まで来て、少し立ちどまる。人間というものは、よく通っていた場所にしばらく行かないでおくと、再度行くとき少し勇気がいるらしい。

 僕もご多分に漏れずドアを開けて教室に入るのをためらってしまう。

 結局、その日は昼休みが終わるまで先生の教室に入ることはできなかった。

 しかし、先生と一度仲良くなったことで確信を深めていた僕は、気を取り直してまた運命の日を待つことにした。


 二学期がはじまってから二カ月経った時、運命の日は突然やって来た。

 その日、日直をしていた僕は放課後に学級日誌を担任に提出するため職員室を訪れた。

 日誌を提出し帰ろうとする僕の耳に、慌てた教頭先生の声が聞こえてきたのだ。

「それでは、そうとう危ないんですね。分かりました。すぐに病院へ向かいます」

 その話に少し興味を覚えた僕は、教頭先生の前を歩くスピードを少し抑える。

 すると、僕の耳に衝撃的な一言が聞こえてきた。僕の、運命の、あの、先生が、危篤?

 いや、そんなはずはない。先生は僕と将来結ばれるのだ。こんなところで亡くなるはずがない。

 と、すれば、だ。もしかしたら、これが先生との仲が恋愛関係に発展する、そのきっかけかもしれない。

 僕はいてもたってもいられず、電話を置いた教頭先生の前へ行くと、必死に頭を下げた。

「あの、先生が危篤って本当ですか? お願いします。僕も連れていって下さい。先生が心配なんです」

 最初はダメだ、と言っていた教頭先生も、僕の熱意に折れたのか、しぶしぶ僕のお願いを受け入れた。


 最初に病室に着いたとき、先生はベッドの中で眠っていた。

 となりで一人の男性がうなだれながら座っている。教頭はその男の人に声をかける。

「あの、私は小学校で教頭をやっている者ですが……」

 男は教頭の方を向き、力なく答える。

「あぁ、では彼女の職場の。そうですか」

 今にも泣きだしそうな声だった。なんだか雰囲気が重苦しくて、僕は何も言葉を発することができない。これじゃあ、まるで。いや、そんなはずはない。僕は自分の頭に浮かんでくる最悪の考えを必死に否定した。男は僕の方を見ると教頭先生に向かって尋ねる。

「えっと、その子は?」

「あぁ、彼は彼女の生徒の一人ですよ。先生が心配で、どうしても来たいと言ってきかないものですから」

「あぁ、そうですか」

 その男は僕の方に目を向けると、力なく笑顔を作った。

「きみの先生は最後まで頑張ったんだよ。僕は彼女と結婚できたことを誇りに思う」

 えっ、この人は何を言ってるんだろう。先生は将来、僕と結ばれるんだ。結婚って、どういうことだ。それに、そんな言い方では、まるで。

「せ、先生はどうなったんですか」

 時計の音が大きく聞こえるその部屋で、男は力なく首をふった。


 病室の静寂をやぶったのは、医師たちだった。頭が真っ白になって何も考えられなくなっていた僕は、突然の物音にハッとする。医師たちは男の前に立つと、胸を張ってこう言った。

「産まれたお子さんはなんとか命をとりとめました。もう、安心ですよ」

「そうですか。ありがとうございます」

 やっと笑顔を見せた男を見つめながら、僕は何が起きているのか必死に頭の中を整理していた。

 医師たちは続ける。

「お子さんのお顔、見に行かれますか?」

「はい、お願いします」

 男はすっくと立ちあがると、教頭先生の方を向き、軽く頭を下げる。

「それでは、私は失礼します」

 教頭先生も黙って男にお辞儀を返した。

「あ、あの、産まれた子供って、先生の子供ってこと、ですか」

 やっと状況が飲みこめてきた僕の口から出たのは思いもよらない言葉だった。

「あの、僕も見に行っていいですか」


 先生の子供は可愛らしい女の子だった。

 僕は赤ちゃんから目を離さずに、となりにいる男に声をかける。

「あの、僕、たまに遊びに行ってもいいですか」

「あぁ、そうだね。この子も母親がいなくてさみしいだろうから、そうしてくれると助かるよ」

 男の声からはその男が嬉しいのか、悲しいのか、判断できなかった。

 その子を見つめながら僕は心に誓う。

 この子を一生かけて守ってみせる、と。そして、きっとそうなる、という予感めいた確信もあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

運命の赤い糸 かずシ @kazushi1016

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ