第20冊 詩片『桜の贖罪/血の食材』
それは、人から人へと、無限に語られることで深まり続ける寓話。
曰く、桜が似合うほどに絶世の美女。
曰く、二つに裂けているが如き口を持つ狂えるモノ。
美と食欲。相反する矛盾でありながら、どこか近い概念を孕むモノ。そして、その飽くなき欲望は止まることのない狂気を内包する。
桜が美しいのはその下に埋まる物を養分としているからで、夜中にお腹が減るのは一体誰の食欲なのか。
今もまた、どこかで誰かのウワサに引き寄せられている。これもまた昔から伝えられていることだが、人の口に戸は立てられぬものなのだ……。
☆★☆★☆ ☆★☆★☆
深夜。誰もが寝静まり、人の営みの感じられない時間。昼間は生徒でにぎわう学園もその例に漏れず、夜勤の警備員が見回るのみ。
だから、本来ならこんな風景は生まれないはずだ。黒いセーラー服の少女が懐中電灯片手に、おっかなびっくり肝試し、なんて風景は。
『普段あんななのに、幽霊とかは怖いのね…』
「あっ、あったりまえでしょ!? 見えるもんならともかく、見えないなんて…」
『まあ気持ちはわかるけども。だからって、せっかく調査に来たのに震えてばかりもいられないでしょう』
そう。メリーは、“サクラノテガミ” の噂を調べに、夜の学園を訪れている真っ最中だった。ただの噂話なのか、実害があるのか確かめるためだ。平穏な日常を守るため。
「けどねぇ。なんで夜なのよ。別に昼間でも調べられたでしょ…」
『こういった怪異と呼ばれるようなモノは、暗闇においてこそ蠢くものよ。詩片となっていてもその点は変わらないはず。それにあの文言には、深夜の鐘とあったんだから』
道理ではある。正論でもある。けれど、怖いものは怖い。
やけに大きな音で靴音がコツコツと廊下に響く。昼よりもずっと長く続いているように見えるそこを延々と歩き続ける。曲がり角を過ぎたところで、急に何かにぶつかった。
「あだっ」
「きゃっ!」
ん?
自分のものではない甲高い声を不思議に思って懐中電灯を向けると、尻もちをついている人影があった。長身の女性のようである。その腰には、妙に薄汚れたエプロンを身に着けていた。
「大丈夫、アンタ」
「あたたた…。いえ、こっちこそごめんなさいね。あら、あなたはどなた?」
「アタシはメリー。そっちこそ誰よ。こんな時間に学校でなにしてんの?」
おまえが言うな感満載だが、実際問題、目の前の女性は生徒に見えない。普通に不審者だ。
「ジェミーよ。よろしく。普段は食堂のキッチンで働いてるんだけれど、ちょっと忘れ物をしちゃって」
「忘れ物か。オッケー。今はいろいろ危ないから、一緒について行ってあげるわ」
「あら心強い! ぜひお願いするわメリー。あなたのような美少女に同行してもらえるなんて嬉しいわ」
「美少女だなんて照れるじゃない。ほら、行くわよ!」
頭の中からなんとチョロいと文句が聞こえてくるが、無視無視。褒められて悪い気がする人間なんていない。
「だけど、メリーこそこんな所でなにをしているの?」
「あー…。あたしはあれよ、アレ。ちょっと噂話が気になってね。アンタも知ってるんじゃない? “サクラノテガミ” とかいう噂。食堂の掲示板に今日も貼られてたでしょ。その内容を確かめに来たのよ」
「へぇ。そう、なんだ、ね」
微妙に歯切れの悪い返答。だが気にせず、さっさと用事を済ませてしまおうと、食堂に足を踏み入れた。
だがキッチンに近づくよりも先に、異様で異常な光景が目に飛び込んできた。
「なによ、これ…」
無数の木の根っこのような触手が床を這いずり、数え切れないほどの人間が捕らわれている。怪我をしている者も少なくないようで、点々とする血痕がそれを物語る。
「見ちゃいましたか。あ、そうだ。ねぇ、わたし綺麗ですよね。ご飯、くれません…?」
緊急事態だからと後ろ手にジェミーを庇おうとした瞬間、ゾッとする声音。
『避けなさい、芽理!』
とっさに身を投げ出して床を転がる。ヒュンッと鋭い音。散った髪の毛が数本暗がりに吸い込まれる。
起き上がりざまに回し蹴りを放つも手応えがない。代わりにあったのは、何か不定形なモノに足首を掴まれる感覚。振りほどこうとするが尋常ならざる膂力で逆さに釣り上げられる。
「くそっ、放しなさいよ。てかなにこれ!」
『なぜ気づかなかったのかしら…。詩片反応よ…!』
「でしょうね!?」
一人でギャーギャーと騒いでいるように見えるメリーの奇行を、触手を操っている張本人、後ろに立っていたジェミーは黙って眺めていた。
「うるさいご飯ねえ」
「誰がご飯よ! てか、アンタがこれをやったの!?」
「そうよお。お腹が…お腹が空いて空いてすいてすいてすいてすいてすいてすいてすいてすいてすいてぇえええええええええええええ!!!」
「ぐっ」
唐突に凶暴さを発揮したジェミーに投げ飛ばされる。受け身を取り、食堂の机に着地。改めてジェミーの姿を見て、無意識につばを飲み込む。
首から上。頭が乗っているはずの彼女の肩には、今や肥大化した巨大な毛塊が鎮座している。正しくは顔すら覆う量の毛髪なのだろうか。その隙間からギョロリと赤い瞳をのぞかせていた。
『詩片とここまで融合しているなんて。いえ、融合じゃないの…?』
「なにゴチャゴチャ言ってんのよ。さっさと殴って正気に戻すわよ!」
『え、ええ』
蠢く触手の壁に対して臆せず突っ込む。右拳に宿すのは
「自分から来てくれるなんて、いい子ねええええええええ」
「なに!?」
ジェミーの髪が生き物のようにうねり、メリーの腕と体に巻き付く。関節が軋む嫌な音とともに締め上げられて身動きが取れない。それどころか、全身の力が抜けていく感覚に襲われる。
『力を奪われている…。この詩片の能力はエナジードレインなのね…!!』
「どれいん? ったく、妖怪みてーな技を…っ」
「すごいすごい! 美味しすぎるよあなた! なぁにこれぇ、も〜っとちょうだい!!」
「好き勝手、してんじゃねーわよ!!」
辛うじて自由が残っていた左手で髪の触手を掴んで引きちぎる。緩んだ拘束の隙をついて、ジェミーの後ろに回り込んでがら空きの背中に一撃を見舞った。
「ざ~んねん♪」
「っっつぅ、!?」
焼けるような痛みが腕に走る。拳を受け止めていたのは、触手でもなく腕や足でもなく、“口”、というよりは “
子どもの頃読んだ昔話を思い出す。夜中に食べ物を貪り喰らい、その食欲は枯れる事のない恨みの結晶。大きく裂けた口は、まるで蛇の顎と牙のようでもある。
「二口女かよ…!」
『それだけじゃないわ。芽理の記憶にある他の複数の寓話にも、類似の存在を見つけた。詩片って本当なんなのかしら…』
「あはははははは! このまま、美味しくいただいちゃうねぇ、メリーちゃああああああああんんんんんん!!」
「させっかよ」!」
多少ならメリーの体は傷つかない。強引に腕を引き抜きながらジェミーの脇腹にキック、間合いを作り出す。反動を使って宙返り。髪には髪。メリーも自身の
「いったぁあああい? 何するのよ、メリーちゃあああああああん」
「るっさい! クソ、コイツどうやったら倒せるのよ」
『わからないわ、この詩片は今までと何か違う…!』
何度攻撃を加えても手ごたえが薄い。触手に防がれているのもあるが、それ以上にジェミーの攻撃の方が苛烈すぎる。いつ手にしたのか、逆手に構えられた肉切り包丁からも
蠢動する触手の波の狭間、いつしか深夜の食堂に、紅の桜吹雪が舞いはじめていた。
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