3話

「……自業自得とはいえ、えらい目にあったな」


 突如奴隷市場を混乱と火炎に包んだ大規模火災から時間が経ち、時刻は夜遅く。颯太は以前よりクインが借り受けている宿屋の浴場にて(勝手に)煤に汚れた体を洗ってきていた。

 脱走した奴隷による、人為的な火災。奴隷市場の全域にまで火の手が回る大事件の余波は凄まじく、クインが倒れる颯太を引ずってその場を去ることすら容易なほどの混乱に見舞われていた。

 そもそも、奴隷市場を覆うテントが全焼するほどの火災よりも、突然『川の流れが変わってテントの上空に流れ、そのまま降り注いだ』などという超常現象の方が目撃者が多く、城下町の話題は半ばそっちに持っていかれていた。

 自前の着たきり雀と半ばなりかけている服を着て、宿の一室に戻ると、その超常現象を引き起こした本人はムスッとした顔で颯太を迎えた。


「お疲れ様、でいいのかな。あんな無茶したソータを素直に労うのも、なんだか複雑だけれど」

「……まぁ、なんだ。労わなくてもいいけど。自業自得だし。無事を喜んでくれるだけで充分だよ」

「それならずっと喜んでるわ」


 サラリと善意を言葉でぶつけてくるクインの言動を、未だ颯太は慣れない。純粋無垢、とまでいかないけれど充分に素直な性格をしているクインが不機嫌な理由はただ一つ。颯太が自身の限界を超えて、自分の命を度外視してまで救助活動を続けたことだ。

 怪我はなかったとはいえ、クインの魔導が間に合わなければ確実に焼け死んでいた以上、クインと交わした約束が守れたとは言い難い。そのことに、クインは不満げな心情を露にしていたのだ。


「……もう、あんな無茶はしないでね。あなたの行いは立派だと思ってるけど、それで死んじゃったら悲しいわ」

「うん……そこは、反省してるよ」


 まだ水気を含んだ頭を掻き、颯太は俯く。命の危機はこれで二度目だ。慣れていたわけでも麻痺していたわけでもない。颯太だって、限界を見極めて、逃げなければならない時はたとえ残った奴隷がいても見捨てるつもりではあった。

 でも、目が合ってしまったから、見捨てるという選択肢はどこかへ吹き飛んでしまっていた。


「……えっと、見えて、るんだよね」


 宿の一室。そこに備え付けられた椅子に腰掛ける少女と目が合った颯太は声をかけた。


「はい。見えて、います」


 颯太の目を見つめ、颯太から発せられた質問に答える。

 そもそも、なぜ奴隷として市場の檻に入れられていた彼女が、颯太やクインと行動を共にしているのか。

 火事や災害時などの緊急事態による奴隷の檻の開放は、義務として定められている。だが、解放とは違う。あくまで一時的な措置であり、その後は奴隷による自主的な出頭が義務付けられていた。当然これ幸いと逃げ出せばその分罪は重くなるし、今回の騒動でもほぼ全ての奴隷は騒ぎが治まった後、市場を運営していた従業員の下へ帰ってきている。

 颯太が最後に助けた少女の奴隷も、同様に従業員の下へと戻すつもりだった。クインの秘匿性を度外視した魔導による消火活動で大騒ぎする中。クインは颯太を安静になれる場所まで運んだ後、少女を従業員の前に連れて行った。

 そして、告げられた一言。


「こんな奴隷は知らない」


 運営している市場が完全燃焼した事案に追われているとはいえ、しっかりと少女の姿形を視認した従業員に嘘を吐いている素振りはなかった。混乱したクインは疲労困憊ながらも立ち歩けるようになった颯太を連れて、借りていた宿に戻って休憩を取り、今に至る。


「色々聞きたいことはあるけど、まぁ、なんだ。まずは自己紹介をしようか」


 いつかの夜。颯太はクインに向けてそうしたように、少女に右手を差し出した。


「俺は水際颯太。色々説明しようと思えば長くなっちゃうから割愛するけど、この世界の人間じゃなくて……まぁ、俗に言う、ゴースト、って奴なんだと思う」


 隠し通せるものでもなく、颯太は開き直って自分がゴーストであることを告げた。恐れられ、話にならない可能性もあったが、少女の反応は予想していたどの反応とはかけ離れていて。


「ゴースト……って、なんですか?」


 首を傾げ、大層可愛らしく疑問を浮かべた表情で、颯太が差し出した手を握り返しながら、問いかけた。


「……これ第一関門突破、ってことにしていいのかな?」

「いいんじゃ……ないかしら」


 恐れられるよりはずっと感じの良い反応ではある。街で通常に生きていればどうしたって耳にする機会のあるゴーストの存在だが、未だ知れぬ彼女の境遇から鑑みるに、もしかしたらそういうことを知る機会がなかったのかもしれない。

 見た目は幼く、本来ならば親の庇護の元、健やかに育とうとする年齢の子どもにしか見えない。奴隷として身を堕とした経緯など、想像もしたくないほどに無垢な姿をした少女。

 通常の人間とは違う点など、頭の上にある猫科の耳だけだ。颯太には見慣れていないものでも、この世界ではありふれた亜人の特徴でしかないし、特異な点は見た目だけなら何一つとしてない。

 とりあえずゴーストのことは後回しにして、クインが颯太と同様に右手を差し出した。


「私はクインセル……いえ、クインよ。よろしくね」


 自分の本名を告げることなく、クインは少女に向けて笑顔を浮かべる。二度と城には戻れず、存在を消された彼女が名乗れる名前ではないからだ。その笑顔の裏に隠された感情に、どうしても颯太は気づいてしまうが、本人が隠そうとしているものを暴くつもりもない。


「よ、よろしくお願いします」


 同性による安心感からか、颯太の時よりは緊張の薄れた反応で、少女はクインの手を握り返す。


「それで、あなたの名前は?」


 だがその緊張は、クインの質問によってあからさまにぶり返した。


「えっと、その……」


 告げられない理由がある、と。少女の表情が何よりも雄弁に語る。


「……答えられないなら、無理に言わなくたっていいわ。でも、私たちがあなたをなんて呼べばいいのか、それだけは、教えてもらえる?」


 颯太は知らなかったが、亜人や獣人にとって、自分の名前は神聖なものであり、容易に明かさないという不文律がある。人種が一緒くたに暮らすこの王国ではすでに多少廃れ始めている文化ではあるが、別の国ではその慣習が強く残っていたりするため、クインも無理に聞き出そうというつもりはなかった。優しく微笑むクインの後ろで、「え、なんで教えてくれないの?」と不思議そうにしている颯太も、空気を読んで質問を口には出さずにいた。

 クインの譲歩した質問に、少女は目を伏せ、数秒悩んだ末に。


「……リアと呼んでください」


 か細い声で、あからさまな偽名を伝えた。


「ええ、よろしくね。リア」


 偽りの名前であることはクインも百も承知のことだ。少しも笑顔を曇らせることなく握手を終えて、クインは奴隷の少女、リアの手を離した。名前に関してそれ以上の追求がないことに安心したのか、リアの表情からも緊張が解れたのが見て取れる。


「それで、悪いのだけれど。いくつかあなたに質問をしたいのいいかしら」

「はい。僕で、答えられることなら……」


 クインを信頼することを決めたのか、リアは薄っすらと笑顔を浮かべた。その姿は頭上にある猫の耳も相まって、飼い慣らされて安心する猫科を思わせる愛らしい笑みだったが。


「あなた、普通の亜人じゃないでしょ?」


 クインのド直球にもほどがある質問に、リアの耳が驚かされた猫のように総毛立っていた。というより、リアの体が物理的に跳ねていた。

 跳び上がった勢いそのまま、部屋の隅へと逃げていく様はどこからどう見ても猫である。もう颯太の記憶の中にしかない、動物の面白おかしい映像を流すテレビ番組で見た光景そのままで、意外なところから郷愁を覚える颯太だが今はそれどころではない。


「……もうちょいさ、外堀埋めていくように聞けなかった?」

「だ、だって一番気になるところから聞かないと落ち着かないのだもの!」


 クイン自身やってしまったという自覚はあるのか、涙目になって言い訳染みたことを口にする。どちらにせよ聞かなければならないことだったとはいえ、一発目からぶちこみ過ぎだった。

 クインの質問で完全に警戒心を取り戻したのか、またしても颯太のメモリーの中に残っている、怯えた子猫のような様相で部屋の隅にいるリア。非常に愛らしくはあるが、同時に罪悪感を覚える光景にクインは続けて質問をすることができず、颯太にバトンタッチ。


「えっと……ちょっとぶしつけな質問になっちゃったけど。俺たちは別に君に危害を加えようとか、捕まえようなんて考えてないんだよ。ただ、話を聞きたいだけなんだ」

「……話を、ですか」

「うん。どうして俺が、ゴーストが見えるのかを知りたいんだ」


 距離感を保ったまま、颯太はゴーストという存在について説明をした。

 災厄の前触れ。悪しき元凶の発端。理からの異端者など。自分から自分に対しての悪評について説明するのも心中複雑ではあったが、包み隠さず丁寧にリアへと伝えていく。自分がこの世界の住人ではないことに加え、住人全てから恐れられ、疎まれていること。

 そしてクインのことも何一つ隠すことなく説明をした。隠された王族の血筋であることや、命を追われ、城を追放されたことも。

 今現在に至るまでの経緯を丸ごと聞かされたリアは、ゆっくりと壁から背を離し、颯太たちに近づく。


「……その全てを、信用しろと言うのですか?」

「しろ、なんて命令をするつもりはないよ。して欲しい、ってだけだ」

「……いえ、信じます。あの火災の中、僕を助けようとしてくれたあなたを信じないわけにはいきません」


 少女らしからぬ堅苦しい言葉を並べ、リアは自分が元々座っていた椅子に腰掛け直す。


「その……確かに僕は、普通の亜人ではありません。それがゴースト……ソータさんが見える理由なのか、僕にもわかりませんが……」

「普通の亜人じゃない、って言うけども。見た目は……まぁ、普通の亜人だよね」


 颯太も一ヶ月ひたすら王国内を放浪してきた経験があり、その中で亜人などいくらでも見かけてきた。人間と獣人の混血である亜人には、様々な特徴はあれど共通しているのは人の体に獣人としての要素が加わった姿をしていることだ。リアの見た目のように、人の体に獣の耳だったり、尻尾だったり、顔つきが獣人染みていたりと個人差はあれど、大体がそのような特徴を持つ。

 リアの見た目で亜人の特徴として表れているのは、頭上にピョコンと乗っかった猫耳ぐらいだ。リアの感情と連動しているのか、驚いたり疑問を顔に浮かべる時などにヒョコヒョコと揺れるのが非常に愛らしい。颯太は家の近くに住んでいた野良猫の存在を思い出し、またしてもひょんなところから郷愁を感じてしまう。


「僕の母は、普通の人間です。この王国の領内にありますが、遠く離れた村で育ち……そこで、生贄として捧げられました」


 生贄。などという生々しい単語が突然出てきて、思わず颯太とクインは顔をしかめる。


「その村では昔から一匹の獣を信仰していて、母は、その獣の供物として捧げられました。ですが、母は食べられることはなく、僕を産んで」


 獣姦とかレベル高いな異世界……と思いつつも口にはせずにげんなりとする颯太。

 亜人が存在する世界で何を今更、などと思い直すが、どちらにせよ異世界の文化にはまだまだ慣れない。


「僕も母から聞いた話なので、どこまで本当なのかはわかりません。ただ、母からはあなたは神様の子なのだと言われていました」

「……それで、そのお母様は?」


 想像がついているのか、クインが伺うように問いかける。


「……山火事に追われ、死にました。その後、僕はこの一帯を旅して回る行商人に拾われて生活をしていて。でも、その行商人の人たちとは、はぐれてしまって……」

「それで、奴隷に?」


 この王国に流れ着き、罪を犯してしまったのだろうか。


「え? いえ、僕は奴隷じゃありませんけど」


 あまりにもサラリと口にするリア。

「え、そうなの?」

「はい。えっと、あそこにいれば、とりあえずご飯がもらえたので……」

「君意外といい根性してるね」


 奴隷市場の管理運営状況の杜撰さとか、言いたいことは山ほどあるが颯太はぐっと堪えてそれだけ言った。今はそれよりも解消したい謎がある。


「それで君は、どうして、あの火事で自分から逃げなかったんだ?」

「それは……」

「君なら……あの檻に入っていた魔物なら、自分で檻を壊して逃げることだってできたはずだ」


 落ち着いた今になって、冷静になって考えてみれば、いくら火に巻かれていようとも奴隷市場での檻の配置ぐらい思い出せる。

 逃げ遅れた者がいないかと走り回り、リアを見つけた。そこで助けを求められて、助けた。それはいい。そのことに後悔なんて更々ない。

 だが、リアが閉じ込められていた。檻あの檻に元々入っていたのは――


「君は普通の亜人とは違う、獣人と人間の子どもとは違うと言った。別に、逃げられたはずだろ!って責めるつもりは全然ないんだ。ただ、君のことを知りたいだけで」


 颯太にとって、リアは思ってもいなかったところから見つけた初めての手がかりだ。

 颯太の問いかけにリアは顔を俯かせる。答えられないのか、答えたくないのか。どちらにせよ思い悩む素振りを見せるも、膝に置かれた手が、ぎゅっと握り締められて、


「確かに、あの檻の中にいた魔物は、僕です」


 吐き出すように、そう口にした。


「でも。僕は魔物じゃありません。そういう姿にも成れるってだけで」

「そういう姿に、成れる?」


 颯太のオウム返しに、リアは顔を上げて頷いた。


「どうしてそんなことができるのか。僕にもわかりません。ただ昔から、自分で自分の姿を変えることができました。母は、父の力を受け継いでいると言っていて。今のこの姿も、生前の母の姿を幼くして、亜人のように耳を生やしてみているだけです。本当の僕の姿なんて、もう、ずっと前からわからなくて」

「それは、魔法? それとも、魔導?」


 クインへと向き直り、颯太がそう問いかける。


「いえ、魔導でもそんなことはできないわ。形を似せることはできるかもしれないけど、それで動いたり、そのものの特性までは再現できないはず。ソータが見た魔物だって、本当に檻を曲げられそうなほどの力があったのでしょう?」


 物体や生物に宿るマナを直接操り、導くことのできる魔導。クインが奴隷市場で起きた火災を消火した時のように、川の水の流れを変えたりと、基本的にあくまでその物体や生命ができることを、内部のマナを操ることによって意のままにすることぐらいしかできない。

 颯太からしてみれば、魔導も充分途轍もない技術だとは思っているが、リアの話はまた別方向に途轍もない。


「でも尚更、君が逃げ出せなかったのがわからないな。あのまま魔物の姿で、檻をぶっ壊して逃げることだって」

「……火が、苦手なのです」


 小さな膝の上でリアの手が、更に震えるほどに握られる。


「そっか。お母様を、火事で……」


 クインの沈痛な面持ちの呟きに、リアは無言で頷いた。

 唯一の肉親を失った経緯を思い出して、颯太は自分の考えの至らなさに気づく。見た目だけならひたすらに凶暴な魔物に成れるとはいえ、中身は年端もいかない女の子だ。トラウマにすらなりかねない経験と同様の展開に怯え、本来の能力を発揮できなくてもおかしくない。


「それで、変身……って言い方で正しいかわからないけど。変身が解けて、ってことか……」

「ねぇ、ちょっと体に触らせてもらってもいいかしら」

「えっ? は、はい」


 唐突過ぎるクインの提案に、驚きながらもリアは了承した。クインはそっとリアへと手を伸ばし、手から腕、肩、頭などを順番に触れていく。


「本当だ……すごい、この子の体、本当にマナで作られてるみたいになってる。なんて濃密なマナなのかしら……普通の生き物じゃ考えられないぐらいの濃度……でも、マナの量だけの問題なら、私でもマナさえあれば可能ってことになっちゃうし……あ、耳も手触りがすごく気持ちいい」


 魔導を扱える者として、触れただけで対象のマナを読み取れるのか。驚きながらリアの体に触れていくクイン。


「あ、あの、クインさん? く、くすぐったいのですが」

「わぁ……すごく、気持ちいい……」

「クイン? ちょっと? 目とか表情とか手つきとか怖いんだけど大丈夫?」


 マナの気配そっちのけでリアの猫耳の手触りを堪能するクインの肩を、颯太は真顔で叩いた。


「ソータ、私、猫に触ったの初めて!」

「落ち着け。それは猫じゃない。リアっていう一人の女の子だから。初めての感動で全てが許されるわけじゃないからな」


 クインが城から追放されてからの二週間。療養していた颯太の看病をしながら、定期的に街に出ては、色々な初めてを経験しては嬉しそうに颯太に報告をしていた。楽しそうで何よりではあるが、時と場合を考えてもらいたい。


「なあ、君があの檻の中に入ってた魔物だっていうのなら、どうして最初、俺のことを気づかないフリをしていたんだ?」


 奴隷市場を適当に歩き回っていた時のことだ。隠されるように置かれていた檻の中で、魔物の姿となっていたリアに近づき、心底驚かされた。あの時のリアの反応は、颯太の姿を認しているというよりも、気配で何かが近かているのを察知しているかのような反応だった。


「えっと、それ、いつの話ですか?」


 困惑の感情を露にして、颯太に問い返すリア。予想していなかった反応に、颯太は慌てて口を開く。


「ほら。火事が起こる前、君が入っていた檻に近づいていったろ? あの時、俺に向かって吼えたり飛び掛ろうとしてたじゃないか」

「……僕がソータさんと会ったのは、火事が起きてからが初めてだと思います」


 リアの予想もしていなかった返答に、颯太の表情が固まる。


「確かに、僕が魔物の姿で檻の中に入っていた時、何かが近づいてくるような気配がして、その威麻みたいなことをしましたが……」

「……その時は、俺の姿が見えなかった?」


 申し訳なさそうに頷くリアを見て、颯太は片手で顔面を覆う。

 どういうことだ。なぜその時には颯太の姿は視認されずに、今はこうして会話もできるのか。その違いはなんだ。マナの枯渇? 体力の消耗? それならばなぜ、今はこうして会話も視認もできるのか。それとも、リア側に何か要因があるのか――


「あの、僕が……何か?」


 そこまで考えて、颯太は頭を振って思考を取りやめる。


「いや、なんでもないよ。リアは何も悪くない」


 クインの場合、ゴーストの血縁という理由があった。ゴーストの血を継いでいるからこそ、同じゴーストである颯太の姿が見えるものだと思っていた。ならば、なぜリアにも颯太を視認することができているのか。火事が起こる前、檻の中から颯太を視認できなかったのはなぜなのか。

 疑問は尽きないが、今すぐに答えが出るとも思えないし、目の前の少女を放置したまま悩むことでもない。

 一人で悩むのをやめて、颯太はリアと目線を合わせるために低くしていた姿勢を起こし、体を伸ばす。相変わらずマナも枯渇し、体もどこか気だるさが残っていた。


「とりあえず。何かご飯でも食べようか。食べられないものってある?」

「なんでも食べられます。あまり好き嫌いなど言っていられる環境でもなかったですし……」

「……ちなみになんだけどさ。あの奴隷市場にいる頃って、何食べてたの?」

「……その、生肉を、ドンと置かれて。いえ、辛くはなかったですよ? 僕、食べ物もその時の姿によって変わりますし」

「…………今日は、おいしい物を食べようね」


 優しい声色と目でリアの頭に手を置くクイン。その反応に何か勘違いされていることに気づいたのか、リアが慌てて口を開く。


「い、いえっ! 本当に大丈夫でしたから! 僕これでも亜人ですし! 人間よりずっと消化器官は強いっていうか……生肉は生肉でけっこうおいしいですし。クイン、さん? あの、耳、触られるのくすぐったいのですが……」


 またしてもリアの猫耳の手触りに心奪われ始めたクインを見て、颯太は深々とため息を吐いた。

 

 旅に出る準備をするために行った奴隷市場で見つけた、普通ではない亜人の少女。


 王族の隠された忌み子であるクインに負けず劣らず、面倒で根の深い問題を抱えた事態を招いていることを、まだ誰も気づいてはいなかった。

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