9話
「ここは我が騎士団が警護する城の敷地であり、おまえが刃を向けた者は……例えその身が呪われていようとも、我らが全霊を持って守護すると誓った姫君だ。その意味が、わかるか?」
クインの前に立つ銀色の鎧。宵闇の中であろうと、僅かな月明かりを反射し輝くその鎧を身に包む、この王国の最大規模の戦闘集団の長。
リークテッド騎士団長――アルフレルドは眼光を鋭く、守護する対象に刃を向けた不届き者を睨みつける。
「……アルフレルド?」
「随分と早くお帰りでしたね。クインセル様」
驚いて目をパチパチと見開くクインに向け、アルフレルドは微笑んでみせた。突然の乱入者に驚いているのもあるが、クイン自身、こうしてアルフレルドに話しかけられるのは初めてなのだ。城で目を合っても無視されるし、言葉を交わしたことなどない。今まで交流がなかった大人が今、自分を守るために立っている。
「どう、して……」
「先ほど言ったでしょう。あなたは、我らが全霊を持って守護すると誓った者だと」
明確な目に見える敵として現れたアルフレルドに、戦闘員たちの間に違う緊張感が走っていた。
腰につけた剣の柄に手を伸ばす騎士団長を、戦闘員たちは油断なく取り囲もうとにじり寄る。
大国リークテッドが有する騎士団。王国の守護を任された歴史ある戦闘集団ではあるが、ここ数十年目立った成果などない。成果を上げる機会、戦争がないのだから当たり前だ。
形骸化された格式と規律のみを掲げる、実践的とは言えない部隊。その部隊の長であるアルフレルドを前にしても、戦闘員たちに緊張はあれど恐れはない。ただ一人、颯太の血液を腕に塗られた者だけが未だ恐慌状態から立ち直れてはいないが、残りの三人はそれぞれの武器の切っ先をアルフレルドに向けた。
「……ふむ。舐められたものだな。力を誇示する機会に恵まれないというのは、好ましいことだと思っていたが」
剣の柄を握り締め、一息に抜き放つ。朧げな月の光を反射した剣の切っ先を目前の敵の一人に向ける。
「お互い時間はないだろう。かかってくるがいい。おまえたちのような不埒者にも、私は騎士として振舞おう」
格式と規律の体現かのように立つアルフレルドの、その堂々とした振る舞いは、目に見えぬ厄災を滅ぼすという大義の元結成された教会の戦闘員たちの神経を逆撫でした。
大した実績もないまま、王国内にて外敵もほぼいないというのに守護をしているなどと嘯き、『埃のついた誇りある鎧たち』などと揶揄されることの多い騎士団。たとえその長である者であろうと、厄災を滅ぼすべく訓練を積んできた我々が遅れを取るはずもない。それが教会の戦闘員たちの総意だ。
仮面に隠れた顔には殺意を滾らせ、一人の戦闘員が音もなく一歩踏み出す。
「
そして――その踏み出した速度の倍以上の勢いで、吹き飛んで行った。
「確かに、我々騎士団には活躍の場などない。街には自警団がいるし、外の魔物には狩猟者などの専用の戦闘員がいる。我々が出向く戦いの場など、ない方が正しい在り方だ」
刃を立て、剣の腹で真正面から振り抜いた。それだけで、鍛えた肉体を持つ成人男性が横に飛んで行くなどありえない。膂力によるものか、何か魔法、マナを用いた超常現象なのか。それすらわからないほどの何らかの力の行使。
「だからこそ。いざ正しくない事態が生起したのならば、直ちにそれを正すための力が求められるのだよ。そのために、我らは研鑽を止めない。ひたすらに礼節と規律を持って、自己を高めていくのだ」
組織の在り方を語りながら、アルフレルドの持つ剣は唸りを上げて振り抜かれる。鋼鉄の塊が戦闘員を吹き飛ばし、交戦とすら呼べない圧倒的なまでの一方通行の末。
たった三度。そのたった三つの軌跡を鋼鉄の刃が描いただけで、勝敗は決していた。
「お怪我はありませんか、クインセル様」
「え? あ、うん。私は特に……って、ソータ!?」
クイン自身、打ち身や擦り傷などいくつもあるが、それよりも重傷の者を思い出して、慌てて支えたままの颯太を地面に横たえた。
「良かった……急展開で、忘れられたままなのかと思った……」
「ご、ごめんね! 今もう一度傷を塞ぐから!」
謝りながら再度傷口に容赦なく自分の指を突っ込むクイン。当然、すでにドバドバと溢れ出ていたアドレナリンやら気力やら何やらで奮い立っていた颯太の精神は底をついていたが、また再燃した痛みに無様にも悲鳴を上げる。
「そこに、ゴーストがいるのですね」
颯太の悲鳴が終わるまでの間に、魔導による傷の応急処置を終えたクインに向けてアルフレルドが問いかける。
問いかけと同時に、剣の切っ先を向けて。
「……ええ。いるわ」
クインは、その切っ先と颯太の間に入り込む。
「なぜ、その者を庇うのですか?」
「彼は何も悪いことなんてしてないからよ」
「我が国の姫君を攫った、としても?」
「攫われたのではないわ。攫ってもらったのよ。合意の上だわ」
「あなたの母君を襲い、心を壊したゴーストかもしれないのに」
「ソータが私のお父さんなわけがないわ。私よりも幼い顔してるのに、これでもし私のお父さんだったらびっくりよ」
「……もう二度と、城へは戻れないとしてもですか?」
未来に焦点を当てた質問に、少しだけクインは言葉を詰まらせて。
「構わないわ」
自分を守ると言ってくれた騎士を捨てる覚悟を決め、
「彼は私を助けるために、やって来てくれたのだもの」
自分を守ると言ってくれた男の子の頭に、そっと触れた。
「……さっきから、俺置いてけぼりなくせに……聞いてるとめっちゃ気恥ずかしいことばっか言ってないですかね……」
ただでさえ血が少なくなって辛いのだから、あまり顔に血を集めてしまうようなことを言わないで欲しい。
アルフレルドは深々とため息を吐き、剣を鞘に収めた。苦笑にも見える笑みを浮かべて、背後へと向き直る。
「だ、そうだ。どうする?」
向き直った先、侍女フィリスへと向けて飄々と質問する。
「……どうも何も。手詰まりです」
表情に落胆の感情を見せることすらなく、淡々と口にするフィリス。
「手先はあなたに倒され、私自身に戦闘能力はありません。たとえあなたがこの場を去ろうとも、お嬢様の魔導に身を裂かれるのが末路でありましょう」
「……そんなこと、しないわ」
「まだあなたは勘違いをしているのかもしれませんね。私は、あなたを殺そうとしたのですよ?」
これまでの日々を否定し、あなたを亡き者にしようとしたのだとフィリスはわざわざ自分の行いを言葉にする。
「……うん。それは、うん。ショック、だったけど」
母代わりだと思っていた人物からの突然の殺意。簡単に受け入れられることじゃないし、受け入れたところで、悲しみが薄れるわけじゃない。
「それでも……それでもやっぱり。私はあなたが好きだもの」
そう、笑顔で言ってのけるクインを、フィリスは目を見開いて見つめた。あまり感情を表に出さない侍女の、色々な表情を今日だけでたくさん見てしまった、と。クインは内心で喜んでみせる。
「あなたのお母様への忠誠心は知っていたし、ゴーストを恨んでいることも、わかってた。でも、それでも、ゴーストの血を引く私をここまで育ててくれたのだもの」
「……だから、先ほども言ったでありましょう。あなたはゴーストをおびき出すための餌として――」
「そのおかげで、私はソータに会えたのだから」
フィリスの言葉を、笑顔と感謝で遮ってみせるクイン。
たとえ恨みや復讐のために始まった関係でも、今この瞬間に辿り着けたのならば、それはそれで構わないと。
「恩を仇で返してしまって、ごめんなさい。それでも、私は生きるわ。望まれなかったとしても、産まれてきてしまったのだもの。それはもう、仕方ないし。だったら、幸せにならないと、産んでくれたお母様にそれこそ申し訳が立たないわ」
開き直り、あっけらかんと口にしてみせる。その自分なりの答えに、ゴーストへと恨みで殺人さえも厭わなかった侍女がどんな反応をするのか、颯太は気が気でなかった、が。
クインの答えを聞いたフィリスは、激昂するでもなく、ただ目を瞑り、クインの言葉を反芻しているかのように静かに立っていた。
一秒、二秒と時間が流れる。風が木の葉を揺らしざわめく音が周囲に満ち、鳴り止むまでの間の沈黙。
そして、ゆっくりとフィリスが目を開いた。
「……この森で、私があなたに言った言葉の中に、偽りは一つもありません」
恨みも、殺意も。これまでクインと共にしてきた生活を、否定する言葉の数々を肯定する。
「ですが……この日が来なければいいとも、思っていました」
微塵も声を震わせることなく、感情を表に出さずに、そう、口にした。
その言葉の真意を込められた想いを感じ取り……どうしたって、颯太の表情は痛み以外の何かで歪む。
フィリスは深々と一礼する。それは彼女が、クインの部屋から退出する時にする、毎日見続けた動作そのもので。
それ以上何を告げるでもなく、フィリスは振り返り、去って行く。
その後ろ姿が見えなくなるまで、クインは目を逸らすことはなかった。
「……私から、彼女の真意について言及できることはそう多くはありません。ですが、ゴーストを憎む気持ちと、あなたのことを想う気持ちは、きっと、相反していても」
「いいわ、アルフレルド。わかって、いるから」
裏切られたし、殺されかけた。そのことに対する恨みも、悲しさはあるが。それでも、クインの中にだってそれと相反する感情を持ち合わせている。
「助けてくれて、ありがとう。アルフレルド」
「礼には及びません。誓いのとおりの行いをしたまでです……ですが。それも、ここまでとなります」
突き放す物言いに、クインは下げた頭を上げ、騎士の顔を見る。
「王と王妃の間に、ご子息が御産まれになりました。王の血を継ぐ、正当な王族の誕生となります」
王と王妃の、正式な子どもの誕生。
クインセル・フィン・リークテッドという、隠匿された穢れた血を引く子ではない、正当な王族の血筋。その存在は、国を挙げて大々的に報告されるだろう。
「……そう。私は、本当の本当に、予備でしかなかったものね」
「どの道、この城にあなたの居場所はなくなる予定でした」
淡々と残酷な事実を告げるアルフレルドに対するクインの表情は、どこか晴れやかそうにも見えた。
「……喜ばしいことよ。私は、ずっと望んでいたもの」
自分という存在が、用済みになること。表に出る予定などない、保険がいらなくなる未来をずっと望んでいた。
自分を産んだことで心を壊した母が、正しく喜べるような未来を、ずっと、あの庭園や狭い部屋の中で望んでいたのだ。
クインの言葉に、アルフレルドは特に言葉を返すことはしなかった。ただ目を瞑り、彼女の気持ちを受け止めた。
次に目を開いた時には、またアルフレルドは騎士として、力強い眼差しを颯太に向ける。
「なればこそ。ゴースト。私は貴様に問わねばならない」
アルフレルドの眼光が颯太を射抜く。目と目が合ったわけでもないのに、颯太の姿は視認できていないはずなのに、騎士の威圧は満身創痍の颯太を捕らえて離さない。
「たとえ城を離れようと、彼女は我々が命を賭して守ると誓った者だ。ゴーストよ。貴様に、その誓いを継ぐ覚悟があるか」
重い、重圧すら感じるほどの言葉。傷は未だに痛んで仕方がないというのに、容赦なく浴びせてくる騎士団長に、颯太はか細いながらも返答してみせる。
「……え、それ、伝えるの? 私が、そのまま?」
狼狽し、頬を赤く染め始めたクインを、アルフレルドは訝しげに目を細める。
「えっ、と――最初からそのつもりだ馬鹿野郎、だって……」
命を賭して君を守る、その言外の気持ちをクイン自身が代弁する。冷静に考えれば颯太も赤面どころじゃ済まない台詞のはずなのだか、痛みと出てくるのが遅かったアルフレルドへの文句で頭が一杯になって気づいていない。伝えたクインも、突然の宣言を自分で再度口にするためか顔を真っ赤にしていた。
「……ふむ、まぁ、言い返せないな」
覚悟の是非を説いた騎士は、薄く笑う。予想していたよりも力強く、剽軽な答えに多少面を食らっても、得たい答えは得たのだ。
現に颯太は、すでに命を賭してクインを守っている。アルフレルドには見えないが、決して浅くはない傷を負いながらも、必死で。今こうして頬を染めているクインが、この場にいることが何よりの答えであり、証明だ。
「ここでお待ちになってください。ゴーストに効き目があるかわかりませんが、信頼できる者に治療させましょう」
「……いいの?」
「馬鹿野郎なりに、感謝をしているのですよ。穢れたゴーストであろうとも、あなたには敬意と、感謝を。そして、クインセル・フィン・リークテッド……いえ、クイン様」
アルフレルドは胸に手を当て、深く頭を下げる。
「どうか、お幸せに」
そう短く告げ、騎士も侍女と同様に、去って行った。
深夜の森には静寂が戻り、ようやく二人の体から緊張が抜けきる。颯太を支えていたクインの膝からも力が抜け、二人は森の地面に腰を下ろした。
「……怪我は、どう?」
「まぁ……痛いけど。うん、生きてるよ。大丈夫」
これまでに一度も経験のないことばかりだ。刃物を持った人間との大立ち回りに、脇腹を刺される大怪我。傷は塞がれているとはいえ、依然として痛みを発している。涙が出そうなくらいに辛いし、苦しい。血を失い過ぎたのか、ただの疲れによるものか判断がつかない倦怠感が、全身に万遍なく広がって、もう動き回れる気がしなかった。
「……また、あなたに助けてもらっちゃったね」
横たわる颯太の顔を真上から見下ろし、クインがそう礼を言う。
今にも目から零れそうな涙が、颯太の顔に落ちる前に、クインはその涙を拭った。
「――ごめんね。ちょっとだけ、ちょっとだけでいいから、泣かせてくれる?」
泣いている女の子の前で弱音を漏らしたくはないから。颯太は痛みをグッと堪えて、頷いた。
「……覚悟してたし、そうなるようにって、望んでいたし、さっき、自分でもそれでいいって言ったのに」
拭ったそばから溢れようとする涙は、クインが瞼を閉じた瞬間に、一滴だけ颯太の頬に落ちる。
「――私、本当に、いらなくなっちゃった」
忌み子であろうとも、王権のただ一人の継承者だった。故に、疎まれようとも、恐れられようとも。誰もが守り、秘匿されてきた。
限られた、たった一人だけの繋がりであろうとも、庇護されてきたのだ。
そして今、クインにはその庇護はない。ずっと傍にあった一人だけとの繋がりも、殺意を持って絶たれた。
「望んで、今ここにいるはずなのに……どうせ、望まなくても、こうなってたんだなって思うと……なんだか、悲しくて」
両手で覆った顔の下には、どれだけの涙が流れているのか。時折聞こえる嗚咽が、上ずった声が、彼女の涙を証明している。
「せっかく、あなたに助けてもらってここにいるのに……ごめんね。泣いて、ごめんね……」
「……謝らなくたっていいよ」
何も悪いことなんてしてないのだから、謝られたって困るのは颯太の方だ。
「君がいなかったら、俺は一人だったし……俺がいたから、君はこれからだって一人じゃない。とりあえずはまぁ、それで、いいんじゃないかな」
泣くな、とは言わないが、せめて謝らないで欲しい。
そう懇願するように、颯太は痛みをごまかし、歪んだ笑みを浮かべる。
「君だって、さっき言っただろ? 仕方がないし、幸せにならないと、申し訳が立たないって」
全てを全て、簡単に割り切れるわけがないけれど。
しなくていい謝罪も、感じなくてもいい罪悪感など、早々に捨て去ってしまえばいい。
「君が嫌じゃなければ、俺は君のために生きるからさ」
「……嫌だって、言ったら?」
「ええそこでそういう意地悪言う? って、大げさに驚いてみるよ」
痛む脇腹を押さえて、颯太が朗らかに口にする。その笑顔を見て、クインもようやく笑顔を作る。
お節介で底抜けに善人なゴーストは、泣いている誰かの存在を許せない。原因が、誰にもどうしようもないのなら尚更だ。
「お互い、色々とわからないことばかりだけどさ」
自分にもわからないし、どうしようもない理由で放り出された二人は。そんな不遇を感じさせない笑顔で向かい合う。
「一緒に、世界を見て回ろうよ。君のこの、綺麗な髪と瞳と同じ色をした誰かが、きっといるから」
ゆっくりと差し出された手を、ジッとクインは見つめ、手に取った。
「ええ、お願い」
土に、血に汚れた手が繋ぎ合う。
「ちゃんとエスコートしてね。私の、お節介なゴーストさん」
森の木々を揺らす夜風は、互いの黒い髪も揺らす。黒い瞳は、お互いの黒い瞳を映していて。
誰にも気づかれなかった少年と、誰にでも無視されてきた少女。
お互いが気づいて、お互いが助けたいと思っていた二人が旅立とうとする夜に相応しい、静かな夜だった。
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