8話

 颯太の腕を肩に担いだまま、クインは森の中を必死に駆ける。月明かりしか光源のない森の中では、人一人担いだまま駆けるのは危険でしかなく、何度も樹の根っこや隆起した地面に足を捕られ転びそうになった。

 自分を閉じ込めていた王城の姿が木々の隙間から見えたから、そこに向けてひたすら走る。肺や喉が痛くなるほどに走ったことなどないクインの息はすでに切れ、足元もおぼつかないほどに苦しそうに喘いでも、必死に、足は止めず。

 ついにもつれた足が樹の幹に捕らわれ、二人は土の上に転がった。クインは地面に擦れた頬を気にする素振りもなく、共に倒れた颯太に向き直る。


「ご、ごめんね! 大丈夫!?」

「平気平気……それより、そっちは大丈夫? 頭からこけてたけど……」


 ヘラヘラと笑いながら、颯太が逆にクインを気遣う。だが、その笑顔に浮かぶ脂汗に、痛みで引きつった口元は、人付き合いの少ないクインですら見逃せない。


「……横になって。ここで、治療してみせるから」

「ダメだって。君は早く逃げた方がいい。俺ならほら、あいつらには見えないんだし」

「それじゃああなたは死んでしまうでしょう!?」


 決して深くはない傷からは今もなお、血は流れ続けている。放っておけば確実に死は颯太に飛びかかるだろう。颯太を置いて逃げる選択など、クインには初めから用意されていない。自分一人だけ助かればいいのだったら、もっと前に裏切るチャンスはあったのだから。


「痛いと思うけど……うん、絶対に痛いと思うけど、我慢してね」

「え――いぃぃ!?」


 再度、脇腹に短刀を差し込まれたような痛みに悲鳴を上げる颯太。クインの細い指が傷口に触れたかと思えば、そのまま傷を開くように差し込まれていくのだから当然だ。


「痛い痛い痛い! え!? 何してんの!?」

「ごめん、ちょっと静かにして。痛いと思うけど、ゆっくり、心を穏やかにして」

「だいぶ無茶言うね!」

「――命じる」


 颯太の泣き言は無視して、クインの両目が閉じられる。


「緩く、ゆっくりと――固まれ」


 囁くように紡がれた、クインの命令。その言葉に従うように、颯太の傷口から溢れていた血液がゆっくりと凝固する。


「ごめんね……傷を塞ぐことはできないから。こうして応急処置のようなことしかできないけど」

「ふ、塞げないんだ……」


 これ以上血液を失うことはなくなった、とはいえ、痛みは依然として颯太にズキズキと襲い掛かり、声は引きつってしまう。


「あなたの肉体はあなたの物だもの。魔導でも、あなた自身の体をどうにかすることはできなくて……」

「……生き物は直接操作できないってことか……それなら、昼間見たあの花は……?」


 クインが子どもたちを喜ばせようと行使してみせた、魔導による奇跡。蕾すらつけていなかった植物が大輪を咲かせ、子どもたちと笑い合う光景は記憶に新しい。


「あの花は、すでに命が失われていたから。残った栄養を全部、花を咲かせることだけに回したの。あなたには同じことはできないし、今だって、これでもう大丈夫なわけじゃないわ」


 傷口から溢れる血液を固めただけで痛みはある。言ってしまえば瘡蓋によって血がこれ以上溢れることがないだけで、少し身動きをすれば簡単に傷は開く。安静にしていられる状況でない以上、依然として問題は解決していない。

 血を流し過ぎたのか、横になっている体勢なのに眩暈のような感覚がなくならない。起き上がり、逃げなければ追っ手はすぐにでも二人に追いつき、殺しにかかるだろう。


「……ごめんなさい」


 現状をどうにかしようと模索する颯太に、クインの謝罪が突き刺さる。

 なぜ。なぜ、彼女が表情を歪ませ、心からの謝罪を向けてくるのか。


「私があなたに、外に出たいなんて言わなければ、こんなことにはならなかった」

「そんなこと――」

「本当は、ただお話ができるだけで嬉しかったの。ゴーストなんて言われていても、私と同じような髪と瞳の色をしていて、私の辛さや、境遇をわかってくれる人がいてくれるだけで、私は十分嬉しかった」


 涙が滲んだ目を向け、後悔を言葉にしているのか。


「外に出て、本当に、本当に楽しかった……けれど、それであなたが傷ついてしまうのは、やっぱり、嫌だな」


 不器用に、後悔で歪んだ表情を無理矢理に隠した笑み。緩んだ目元から溢れる涙がなくても、それはあまりにも不恰好な笑顔で。


「……私があの人たちを引きつけるから、あなたはその間に、ゆっくりでいいから逃げて。聖水の匂いなら、たぶんもう土や血の匂いでわからないから、きっと大丈夫」

「それじゃあ、君はどうなるんだよ……!」

「うまく引きつけて、城まで逃げられば殺されはしないと思うの……たぶん、だけど。教会の人間だって言ってたし、城の中ならそこまで自由にはできないはず」


 そう口にして、どうにか微笑んでみせるクインを颯太は睨みつけるように見つめる。そんなのは希望的観測に過ぎず、震える手足が成功の可能性を感じさせない。


「ダメだ。そんなの――」


 声を上げ、起き上がろうとした颯太の脇腹が鋭く痛む。開きかけた傷が、颯太の言動を許さない。

 これまでの人生、怪我のない人生だったわけではない。転び、擦りむいた膝の傷など数えるのも馬鹿らしい。普通の日本で生きているだけで、傷などいくつも創ってきた。

 けれど、命に直結する傷は、痛みは経験がない。

 でもそんなものは目の前の少女だって同じだ。それこそ颯太よりも痛みに、恐怖には慣れない生活を送ってきたのだ。疎まれて産まれ、幽閉されてきた少女にそんな苦痛は受ける機会がなかった。

 そんな機会さえ、なかったのだ。


「……ありがとうね。ソータ」


 名前を呼び、謝罪ではなく感謝を口にする。


「あなたが見せてくれた外はとっても楽しくて。城の庭園から見る空よりもずっと広くて、綺麗だったよ」


 そんな、当たり前のことをようやく知れたかのように。願いが叶ったからもう満足だと言わんばかりに。笑顔で言ってクインは駆け出す。

 颯太を、置いて。颯太を逃がすために。

 颯太が連れ出した少女が、颯太を逃がすために。


「……なんだよ、それ」


 残された颯太から漏れる声は、苦渋に満ちていて。


「なんなんだよ、それ……!」


 理不尽なことはこの世界に来てからいくらでもあった。そもそも、この世界に来たことが理不尽の中でも最たるものだ。姿が誰にも見えないなんて、そんなことは些事だ。なんの理由を告げられることなく単身放り出され、一ヶ月も放置された。

 そう、放置されてきたのだ。だから、自分で生きる意味を見つけようとした。何か、この世界に自分が来た理由が何かあるはずなんだと言い聞かせるように、自分にできることを探した。悪行を正し、善行を積もうと心がけた。そうすることで、自分がこの世界に来た意味を、意義を見出そうとした。

 そうしてやっと見つけた、颯太だけのこの世界で生きる意味が、今自分を置いて去っていく。

 颯太を助けるために。そんな、颯太にとって本末転倒にしかならない理由のために。


「ふざ、けんな……!」


 痛みを度外視して、振り絞るように颯太は吼える。身動きして開いた傷から血が流れる感覚も、無視して立ち上がる。

 一歩進むごとに傷が開くような痛みが走る。気が触れそうになる弱気を奥歯で噛み殺しクインが走って行った方向へ一歩、一歩ずつ進む。


 ――これまでたくさんの理不尽があった。颯太自身には何の落ち度もない、どうしようもない不条理があった。受け入れて、咀嚼して、飲み込まないとやっていけない現実があった。


 いくつの木々を抜けたのかすらわからない、痛みに精神を削られても、前に。そうして、やっと見つけた人影。

 逃げるクインの背に、今にも仮面の男の手が届きそうな光景。


 ――だからこそ。抗うことのできる事象に、蹂躙されたままでいる筋合いなんかない。


「風よ」


 颯太の中のマナが体外へと溢れ、言葉によって形を変える。


「――強く、弾けろ!」


 颯太の言葉を、想いを叶えるかのように収束した空気の塊が、クインに伸ばされた男の腕を弾いた。その反動に押されたクインは樹の根に足を捕られ、再度地面へと転がる。


「……勝手なこと、言うなよな」


 連なる樹の幹に体を預けながら、颯太は両足を引きずるように前へ進む。


「ソー……タ?」


 すでに傷は開ききっていて、体の中の血液が出ている感覚が心臓の鼓動と共に強く感じる。痛みなんてずっと脳髄を叩き続けて、自分でもどうやって足を前に出せているのかわからない。


「何勝手に覚悟決めて俺を逃がそうとしてんだよ……俺だけ逃げたって、意味がないんだって……!」


 少女の閉じられた世界だった王城の中。深夜の一室で交わされた、約束。

 世界を知らない女の子を、別の世界で生きてきた男の子が案内をするという、無謀にも思える口約束。


「俺は、君のためにこの世界に来たって、言っただろ……!」


 空気の読めないクインに一蹴された言葉であっても、颯太には紛れもない本心からの言葉。

 誰からも気づかれないで、無視されて。善行のつもりの行いでも、見えない何かの存在による仕業だと恐れられて。

 穢れた、悪しきゴーストの仕業だと、怯えられて。それでも、寂しくて心が折れそうになりながらも一ヶ月生き抜いて。

 たとえどれだけ傷つこうとも。やっと見つけてくれた、存在してくれてありがとうと言ってくれた女の子のために生きていくのだと。

 そんなお節介を、君のためだけにしていくのだと。


「俺の願いは、君の願いを叶えることだって、言っただろ!」


 颯太の言葉は、常人には届かない。再度クインへと伸ばされる手を颯太は再度風で弾き飛ばす。

 たとえその魔法の行使一つで、体中から何らかの力が抜けていようとも。ついにクインの傍までたどり着いた両足が崩れ、四つんばいの情けない姿になろうとも。

 颯太はクインの目を見つめ、言葉を止めない。


「君が外に出たいと言ってくれたから、俺はこうして、傷つくことだってできたんだ」


 傷つきたかった、痛みを感じたかったわけじゃない。

 傷つくにしても、なんにしても。理由が欲しかったのだ。誰かのために、何かのために。傷つくに値する理由が。


「俺が君の手を取ったんじゃない。君が俺の手を取ったんだ」


 始まりはクインではない。颯太が手助けをしたいと願ったからだ。自分勝手な、誰かのために何かをしたいだなんて願いの末に伸ばした手を、彼女が取ってくれた。


「だから今度は、君が手を伸ばしてくれるなら。俺は何度だってその手を取るから」


 閉じられた庭園で、見知らぬ青年に助けを求めたように。外に出たいと、得体も知れぬゴーストに求めたように。

 颯太の言葉を聞いていたクインの目に、涙が浮ぶ。恐怖や、痛みによるものでもあり。喜びや、嬉しさによるものでもある涙が。


「――けて」


 それは、一度クインがすでに投げかけた言葉。

 閉じられた城内の庭園で、この世界で初めて時に投げかけられた、初めての願い。


「助けて……!」


 再度耳にした願いは、あの頃よりもずっと痛切なもので。


「――任せろ」


 痛みに気が触れそうになる颯太の心を、これ以上なく奮い立たせる。

 傷は依然として痛みを颯太にぶつけてきても、そんなものは奥歯で噛み殺した。

 一ヶ月待ち望み続けてきたその言葉は、颯太の心に芯となって在り続ける。

 油断なく包囲の輪を狭めようとする仮面の男に向けて、颯太の視線が走る。全員に襲い掛かられては、颯太にだってどうしようもない。そもそもどれだけ痛みを無視したところで、体の機能がすでに大立ち回りを許してくれないのだ

 一歩前に進むことすら全力を出すしかない颯太にできることは、自身の体内のマナを変換し、相手にぶつけることだけ。


「頼むぜ異世界超常現象……できなかったら恨むからな」


 魔法という超常現象を知ってから考えてはいたが、「もしできなかったらどうしようと」不安になってついぞ試す機会がなかった。

 魔法とは、体内のマナを外に放ち、しかるべき形に変える技法。体外に溢れたマナは長時間形を保てず、すぐに空気中に霧散する。だからこそ瞬間的にしか使えず、颯太のように風を破裂させたり、市井では着火目的の小さな火を起こすぐらいにしか使えない。

 だが、その一瞬だけあれぱいい。たった一瞬だけ、周囲に撒ければそれでいい。


「――声よ」


 自然と、颯太の手が自身の喉に触れる。震える喉仏の振動を感じ、体外に漏れ始めるマナに形を与えるべく、言葉を放つ。

 イメージは容易だ。何故なら、それは毎日こなしてきたことで、特別意識することでもなくこなしてきたこと。


「届け――!」


 なんて、どこの世界に生きていたって日常茶飯事なのだから。

 目には見えないが、自身の体内から漏れるマナの質が変わったことを感じ、颯太は大きく息を吸って。


『それ以上、近寄るな』


 武器を手に距離を詰めようとする男たちに向け、低く威圧的に言い放った。


「っ! な、なんだ、今の声は!」


 これまで一言も発することもなく、黙々と攻撃をしかけてきた戦闘員が、露骨なまでに怯えだす。それも当然だろう。この闇夜に飲まれた森の中には、そんな声を放つ者など姿形も見えないのだから。


「なっ、なんだというのです! 突然、声が……!」

「だ、誰だ!」


 戦闘員たちの後方にいたフィリスにも、颯太の声は届いていた。瞬時に混乱に陥った面々に向け、颯太は再度口を開く。


『近づくな、と言っている』


 意識せずとも、痛みや魔法を行使する集中力に意識が持っていかれて自然と声は低く、くぐもったように聞こえていた。思わぬ作用に助けられ、戦闘員たちが後ずさる。

 今の颯太に、彼らを退けられるほどの実力はない。魔法の行使による風の破裂だって、相手を驚かせるだけであって襲撃を終わらせるほどではない。いくら声で遠ざけようとも解決には至らない。

 決定的に。何かを用いて決定的に、相手の戦意を削ぐしかない。


「ソータ……」


 颯太の姿は、誰がどう見たって満身創痍のボロボロで、意識を保っているのがやっとだ。なんとか立ち上がる二本の足に力はなく、少し押せば容易に倒れ、二度と起き上がれはしないだろう。

 だが、その姿は見えない。この場においてクイン以外に、それでもと立ち続ける颯太の姿は見えない。

 姿が見えないことで苦労してきたが、この時ばかりは好都合だと、颯太は笑う。

 傷口を押さえた右手には、自身の血がべっとりとついていた。その自分でも見たことのない血の赤さと量に眩暈を感じながら、一歩、また一歩と颯太は足を進める。

 戦闘員の中の一人、不気味な仮面に皹が入った者がいた。なぜ一人だけ仮面に亀裂が入っているのか考えて、思い至る。あいつが、自分の腹に短刀を突き立てた奴だと。破れかぶれで放った拳が割った跡なのだと。

 そいつだけ、手には何も持たずにいた。素手のままクインを取り押さえようとしていたのか、突然存在感を露にした颯太に警戒しながらも、ジリジリとクインに向けて距離を詰める。あの短刀は、どこにいったのだろうか。なぜ素手でいるのか。別の武器はないのか。

 なぜ、あの短刀を持っていないのか。

 たとえ血に塗れようとも、再度突き立てることはできるのだから、捨てるに値する理由にはならないのに――


「――風、よ」


 掠れた声で呼びかけ、クインに近づこうとする男の足元で空気を爆ぜる。何気なくできるようになった魔法の行使も、今の状態では集中に集中を重ねることでなんとか行使できた。

 転倒する仮面の男と同様に、颯太の足から力が抜け、地面に手をついた。


『……去らないと言うのなら』


 歯を食い縛り、もうすでに痛みを痛みとして認識できる度合いを越した傷口に触れ、更に血液を自分の手に擦り付け。


『おまえの腕を、もらっていく』


 倒れた男の腕に、自分の血を塗った。


「――あ、ああ……」


 クイン以外、誰からも視認できない颯太の肉体。彼が身につけた衣服ですら、この世界の生き物は可視できない。

 それならば、彼の体に流れる血液も同様に目には見えず。


「腕、腕……が……っ!」


 血が塗りたくられた腕を見て、男が呻き声を上げる。颯太から見れば、血に塗れた自分の腕を見てパニックに陥っているようにしか見えないが。


「俺の腕がっ、ないっ……!」


 颯太の血が塗られた箇所だけが視認できなくなった男はうろたえながら立ち上がり、被っていた仮面を剥いだ。男の表情には恐怖だけが色濃くこびりつき、口元は引きつりくぐもった呻き声を上げるのみ。


「な、なんで……!」


 なくなった――見えなくなった自身の腕に空いた手が触れる。見えない何か、粘性の何かが触れ、またその箇所も目には映らなくなる。触れれば触れるほど、自分の体が減っていくその感覚は、簡単に人間の心を壊した。

 元より、悪しき穢れたゴーストを滅するための部隊である以上、そのゴーストに対する嫌悪感は市井の人間よりもずっと深く、濃い。強い嫌悪感と殺意は、簡単に恐怖へと裏返る。


「た、助け、助けてくれ!」

「くっ――来るなっ!」

「俺の腕が、腕がぁ!」


 仲間の腕が、ゴーストに奪われた。そうとしか見えない光景による恐怖は、簡単に浸透する。助けを求める仲間を手にした剣を振りかざし遠ざける、混乱の図式。


「落ち着きなさい! 腕を一本捕られたのがなんだと言うのです! あなたたちの恨みはその程度ですか!」


 後方でフィリスが激を飛ばすも、戦闘員に広まった混乱は簡単には治まらない


「あー……そこまで嫌われると、傷つくなぁ、ほんと」


 意図的に軽口を零して、颯太は薄く笑った。口ではそう言っておきながら、颯太の内心はもう少しも傷ついてなどいない。

 この一ヶ月、どれだけ恐れられ、疎まれてきたか。今更こんなことで萎えるような精神は持ち合わせてはいない。

 着の身着のまま、異世界に放り出された。持ち合わせた武器は見えない体と、知らずに手にした簡単に振りまける恐怖のみだ。

 その武器を持って、たった一人の女の子を助けると誓った。心に決めた。

 一度決めるまでは長々と悩んでも、一度決めたらもう迷わないし、挫けない。どれだけの痛みが体を蝕んでも。どれだけの理不尽が襲い掛かっても反感を持って立ち向かう。

 それが、水際颯太の人間性だ。それだけが、平凡な男の子が立ち上がるための骨子だ。


「さて……今のうちに逃げようか」


 肝心の戦闘員たちが恐怖に怯えたまま、混乱している状況を逃すわけにはいかない。クインへと向き直り、颯太が笑って呼びかけるも、その笑顔はどこか薄ら寒い。思わずクインが駆け寄りその肩を支えるほどに、颯太から生気というものが欠けていた。

 ただでさえ浅くはない刺し傷に、小規模とはいえ何度も魔法を行使したことによる、体内のマナの枯渇。衰弱していく要素が重なっている中での限界を超えた肉体の酷使。依然として気力は漲っていようとも、傍から見れば満身創痍でしかない。

 その姿を。あまりにも無様でも、限界を超えてまで自分を守ろうとしてくれた少年の姿を見て、クインの目は自然と潤む。クインにしか見えない、懸命な姿。

 だが、それを支えるクインの姿は、この場の誰にも見えていて。

 いち早く混乱から回復した戦闘員の一人が剣を振り上げる光景が、潤んだ視界の中に映っていた。


「ソータっ!」


 魔導の行使は間に合わない。クインは自分がそう守られたように、身を挺してでも守ろうとして――


「いくら深夜でも、城の敷地の中で遊ぶには、些か賑やかに過ぎるな」


 銀色の篭手が、迫り来る凶刃を受け止めていた。

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