第26話 怨霊
髪を揺るがせ、怨霊は立ち上がった。藍色の目を細め、唇の両端を持ち上げる。
「それに、早々にこっちの目的に気がつくとは、ね。さすが、村一番の才女と謳われたブロッサムだ」
フラウの姿で、怨霊は手を差し伸べてきた。間に入ったサンディが、身を低くして唸り続けた。横で、バードも素手で身構える。
本来のブロムの間合いまで怨霊が迫った。身を縮めていたサンディが床を蹴る。
ギラリとフラウの目に殺気が過った。長いスカートの裾が、ふわりと翻る。飛びかかる砂色の獣を、しなやかな脚で蹴り飛ばした。
短い悲鳴をあげ、サンディの体は金属の瓦礫の山にぶつかり、けたたましい音をたてた。
ブロムは辛うじて踏みとどまったが、バードは重心を落とした。怨霊もその動きを察知し、ニタリと笑う。白い腕が振り上げられた。
咄嗟にブロムはバードの前に出た。腕を広げ、肩でバードを押しやる。か細いフラウの腕とは思えぬ強力な右フックが、ブロムの鼻先を掠めた。
フラウの口から、哄笑が響いた。
「魂狩りに堕ちても、優等生だね」
「やめて。フラウの肉体で、そのようなこと」
昔の口調に戻っていた。懇願するブロムを、怨霊は冷ややかな眼差しで見下ろした。
「へぇ。てっきり、やめろって、命令されるかと思ったよ」
細める目に、厭らしさが込められた。
「ブロムさん」
ブロムに押され、尻餅をついていたバードに、後ろから腕を掴まれた。心持ち引かれる。下がれというのか。怨霊をグランと思って気弱な発言をしたブロムを、庇うつもりか。だが、ブロムに、新米魂狩りに守られる気はさらさらなかった。
逆に、ブロムはバードを睨みつけた。
「素手では、怨霊どころか最弱な悪霊も相手できん」
低く諭す。彼も、頭では分かっているはずだ。でも、と反論しようとするのを制した。
「取り戻すんだ」
魂狩りから奪った武器は、船内のどこかにあるはずだ。取り戻さないことには、フラウを解放させることもできない。
幸か不幸か、悪霊と違って怨霊には言葉が通じる。未練が膨らみ、どこまで届くか不明だが、温情も欠けらくらい残ってはいやしないか。
変わり果てても、元がグランであるなら、フラウの肉体を痛めつけることも、他の魂狩りの命を危険にさらすことも、させたくない。
ブロムは、真っ直ぐ怨霊を見据えた。
「あなたの一番の未練は、なんなの」
フラウの眉が、片方跳ね上がった。聞いてどうすると言わんばかりの怨霊に、ブロムは続けた。
「確かに研究は失敗した。その原因も、まだ分かっていない。だけどそれは、最初から覚悟してたはずだよ」
話しかけながら、脳内では武器が隠されていそうな場所を考え続けた。天井などが崩壊し、見通しが良くなった部分もあれば、瓦礫が山となって死角になっている場所もある。だが、魔石の力を利用しようとしているなら、どこかきちんとした場所にまとめてある可能性が高い。
少なくとも、グランはそういう性格だった。
「あなたが提唱した仮説は、後輩に受け継がれた。今では、立派に実用化されている。怨霊なら、情報も掴んでいるでしょ。現在惑星間輸送機に使用されているエンジンに」
「グランシステム、だろ」
楽しそうなフラウの顔で、怨霊は苦々しく言い捨てた。
声に含まれる棘に、ブロムはビクリと身を震わせた。冷たい汗が背筋を流れる。
若くして散った、将来有望な学者。世間はグランを、そう讃えた。斬新な着目点、仮説段階ではあったが、完成度の高い論文。グランが遺した全てが高く評価され、早すぎた死は惜しまれた。
それでもやはり、自らの手で完成できなかった未練があったのではないか。そう考えて、十年近く、彼の魂が浄められるのを見届けたくて魂狩りを続けた。
良くも悪くも、ここで念願が叶う。武器がない今、少しでも怨霊を宥め、時間を稼ぎたい。
だが、持ち出した話題は、逆に怨霊の怨みを増幅させてしまった。何故なのか、ブロムには分からない。
瓦礫の山から脱したサンディが駆け寄り、ブロムの脚に寄り添った。四つ脚を踏ん張り、再度いつでも飛び掛かれるよう、身構えた。
冷ややかに、フラウは腕を組んだ。開いた手の指を、ゆっくり折っていく。
「人気、功績、名誉、そして、女」
「何のことだ」
自然と変わった口調に、怨霊がニタリと笑う。
「横取りされたものさ。グランの奴に、ね」
「お前は」
グランではない。
魂狩りも、魂や悪霊の気配を察することができても、その魂の生前の身元を判別することは難しい。浄めた魂を固定した魔石を解析にかけ、初めて年齢と性別、遺伝子の観点から推測される出身地が割り出される。
墜落した事故機、魔石を扱う知識から、目の前の怨霊がグランだと信じ込んでいたブロムは、狼狽えた。
彼でなければ、誰だったのか。
研究者は、他にも同乗していた。誰もが、人工魔石の持つ可能性に熱い眼差しを注いでいた。実験を成功させた暁に、社会的名誉を得る期待を露骨に語っていた学生もいた。だが、ブロムを気安くブロッサムと呼ぶ者は少なかった。
記憶を辿るブロムに、青い炎が襲いかかった。踊りかかったサンディの牙を掻い潜り、振り払うバードの腕をすり抜けて、ブロムの体に纏わりつく。肉体を傷つける力もない、弱い悪霊だ。炎の形をとっているが、熱さは感じない。だが、負の感情の塊がブロムの精神を蝕んだ。怨霊には挑みかかろうという気力が萎え、強大な力の前に、なす術もなく打ちのめされる己の姿しか思い浮かばない。
霞む目で、ブロムはフラウの姿を見上げた。怨霊として力をつけた上に、他の悪霊も操れるのか。アカデミー爆発事故で吸い取られた魂も、おそらくは怨霊の意のままに操られているのだろう。
その場に膝をついたブロムを、歯軋りするバードが後ろから支えた。サンディがさらに身を寄せ、懐に腹をつけた。彼らが触れている箇所だけに、かろうじて温もりを感じた。
深く、荒く呼吸をして、ブロムは左脇を押さえた。古傷が痛む。
「お前は、誰だ」
呻くブロムを、フラウの藍色の瞳が、嘲るように見下した。
(#novelber 26日目お題:寄り添う)
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