第27話 窮地
怨霊が微笑んだ。予想外に柔らかく、優しいフラウそのままの笑みに、ブロムは面食らった。誘うよう差し伸べられた手が、動けないブロムの頬を撫でた。
「正体を明かせば、この肉体をくれるかい?」
甘く、誘う言葉が、記憶の中のグランの声で再生される。青い炎に蝕まれた心に、細く密やかに食い込んでいく。
なおも言葉すら発せられないブロムに、怨霊は囁き続けた。
「そうすれば、フラウは解放される。他の魂狩りも必要ない。全く、これも何かの縁だね。俺とブロッサムは、やはりどこかで繋がりあっていたんだ。五百人以上もの魂狩りがいる中で、こんなに早く会えるなんて」
上腕が痛んだ。後ろからバードが、強く握っている。外套の懐で、サンディが後ずさりながら牙をむき出した。
彼らの反応を楽しむように、怨霊はさらにブロムへ顔を近づけた。菫色の髪が肩から溢れ、ブロムの目の前で揺れた。
「お前の知識があれば、完璧だよ。そうして未練が果たせれば、俺は自ずと浄められる。な? いいことずくめじゃないか」
「お前の、未練だと?」
乾いた喉から、ようやく声を絞り出せた。ドクドクと鼓動の雑音が響く頭で、研究室の仲間をひとりひとり思い出していく。微かに浮かんだ面影も、少し気を抜くと靄の彼方へ消え去ってしまう。さらに、フラウの口から紡がれる怨霊の言葉が、ブロムの思考を鈍らせていた。
それでも、懐の温もりが、腕の痛みが、魂狩りの使命を思い出させてくれた。
怨霊は、フラウの顔で笑う。暗く、恨みに満ちた笑みだった。
「あのシステムの提唱者が俺だったと、惑星中、いや、全宇宙に知らしめるのさ」
「そんなこと」
「まず手始めに、塩の荒野を沈める。なに、元から捨てられた半島だ。経済に被害は出ない。その上で、アナウンスするんだ。グランは、盗っ人だと」
「違う」
「違わないさ」
フラウの優しい顔からは想像もつかない醜い形相で、怨霊は唸った。
「研究テーマに悩んでいた奴に、人工魔石の話をしたのは俺だ。軽い雑談だったさ。それを、あいつはあたかも自分で思いついたように吹聴した。それに加えて、お前だ」
語気は荒くとも、ブロムの頬を包んだ両手は愛しさを込めて撫で回す。溢れ出す偏執ぶりに、ブロムの肌が粟立った。
「誰が声をかけても振り向かない。頑ななお前を振り向かせることができるのは、俺のはずだった。それが、アカデミーに出てみれば、どうだ。お前は奴と寄り添っていた。奴の毒に、侵されていた」
突如、フラウの指が首に回った。
ガル、と唸り、サンディが飛びかかる。細い腕の間を押し広げるよう体をねじ込み、腕に噛みついた。今まで悪霊に取り憑かれた肉体を傷つけることはなかったが、やむを得ないと判断したのか、怨霊の邪悪さに本能的に牙をむいたのか。フラウの白い腕に血が滲んだが、そうでなければブロムの喉は締められていた、あるいは首をへし折られていただろう。
怨霊の指が緩む。
その隙に、バードがブロムの外套を引っ張り、背後に庇った。青ざめながらも、場の空気を読まない発言は健在だった。
「ずいぶんな自意識過剰ですね、怨霊さん。一度、カウンセリングを受けた方がいいですよ」
怒りを露わにした怨霊が、腕のサンディを掴んで床に叩きつけた。悲鳴をあげることなく、素早く体を捻ったサンディの体が転がる。続けて腹を蹴られたバードの体がブロムの横に飛んできた。
「馬鹿が」
受け止めるにも、ブロムに力は残っていなかった。受け身をとったものの、したたかに背中を床に打ちつけたバードは呻き、すぐさま上体を起こそうと肘をつく。曲げた腕がブロムの上着を踏んで、不自然に滑った。
「何ですか、ポケットの中。めちゃ痛かったんですけど」
苦痛に満ちた顔で不満を漏らす。バードの間抜けな問いに、しかし、ブロムはそれの存在を思い出さされた。
魔石の手鏡だ。
これに映し出せば、怨霊が誰だったのか、判明する。
「珍しい品を持っているな」
目ざとく見つけた怨霊の手が伸びた。素早くかわし、ブロムは怨霊に鏡面を翳した。
小さな円に、グランではない青年の顔が映し出された。ブロムもよく知る顔だった。
「スカイ。お前が」
同郷の後輩だった。人懐っこいお調子者だったが、頭は良かった。ブロムに続き、アカデミーに進学した優秀な青年は、てっきりフラウに恋しているものと思っていた。
舌打ちをしたスカイの怨霊は、開き直って顔を歪めた。
「お前がダメなら、村一番の人気娘をと思ったけどな。無垢な顔をしながら、この女は」
おもむろに挙げた手で、フラウの白磁の肌へ爪を立てる。サンディに噛まれた傷から流れる血に、頬から伝う血が混じった。
「やめろ」
ブロムの悲痛な制止を楽しむように、スカイはフラウの肉体に傷を刻む。
「全て、お見通しだったよ。お前には分かるまい。女神の微笑みを湛えたまま、冷たくあしらわれる侮辱が」
高らかに笑うスカイの背後から、厚い布が被さった。外した外套を頭から被せたバードが、フラウの肉体を羽交い締めにした。
そのようなことをしたところで、怨霊の力に敵わない。だが、的確に関節を抑えられた怨霊は、しばらく動きを封じられた。
「探して」
短いバードの叫びに、ブロムはハッとした。武器を、取り戻さなければならない。怨霊がスカイであるなら、どこに隠すか。
船室内を見回したが、それらしきものは見当たらない。ガンガン痛む頭で必死に、スカイになったつもりで隠し場所を考えるが、思考が纏まらなかった。
怨霊が吠えた。バードが押さえる外套の内側に、青い光が溢れる。
「離れろ」
ブロムは叫んだ。が、わずかに遅く、バードは吹き飛ばされて、煤と塩の積もった床を滑った。二人の間にスカイが立つ。これで、バディとも引き離されてしまった。
「小癪な」
唸った怨霊の目は、すでにフラウのそれではなかった。眼球が青白く光り、チラチラと暗い炎が揺れている。額に青筋がたち、横に引いた唇から露出した歯の間を涎が流れる。
突き出された掌から、青い火球が放たれた。軌道を揺らしながら、他の誰かの魂だったものが勢いよく薄暗い船室を横切る。昏睡状態にあった魂狩りの男に吸い込まれた。
ムクリと起き上がった男は、熊のように両腕を上げ、吠えるとバードに襲いかかった。体の痛みに立ち上がるのが遅れたバードの両腕を後ろへ捩じ上げる。骨が軋んだ。言葉にならない苦痛が、食いしばったバードの歯の間から漏れ出る。
「やめろ。そいつを」
「ああ。安心しな。動きを封じるだけだ。痛めつける時間は、まだたっぷりある」
ゆったりと長い菫色の髪を揺らし、スカイは、ブロムへ歩み寄った。よろめきながらも足元に戻ったサンディがフサフサの毛をさらに膨らませて唸った。
「お前の気持ちひとつだ。あの若造も、フラウも」
剣が欲しい。剣さえあれば、怨霊の目論見を挫くことができる。言いなりになど、ならなくとも、全ての人と魂を救えるのに。
「さあ、どうする? ここに集めた魂狩りの連中とフラウを解放する代わりに、俺に協力するのか。それとも、人知れず幽霊船の中で引き裂かれるか」
指先を天井へ向けて立てたスカイの掌に、青い火球が生まれる。細く渦巻き、のたうつ形は蛇のようだ。
じり、とブロムは後ずさった。剣がなければ、ブロムはただの人に過ぎない。強い未練をさらに凝縮し、結晶化させた怨霊に対して、為す術はない。
歯向かうことができないとみて、スカイは卑下た勝ち誇った笑みを浮かべた。
スカイの手の中で伸び縮みしながら徐々に大きくなっていく火球が、じわじわとブロムに近づく。
顎を引き、ブロムは拳を握った。十年近く手に馴染んだ柄の感触を求めた。
手の内が熱くなる。
どこかから、白い光が差し込んだ。怨霊の動きに注意しながら、ブロムは光の出所を探った。上の方だ。
崩れ落ちた天井が、わずかに残っているところ。元は、船の操縦に携わるスタッフが詰めていた部屋だった。操縦士として乗り込んだスカイの席もあったはずだ。
追い詰められ、座り込むように見せかけ、ブロムは腰を下げた。サンディの耳に近付く。
「右手奥、階段」
小声で囁く。毛に覆われた三角の耳が、ピクリと動いた。
だが、怨霊に口の動きを気付かれた。一度眉を顰めた怨霊が口を歪める。
「見付かったようだな」
同時に、サンディは駆け出した。
「甘いな」
怨霊が掌を突き出した。青い火球が渦を巻き、瓦礫を巻き上げる。男に拘束されたまま、バードが身をすくめた。瓦礫はバードと男の体スレスレを横切り、サンディが向かう階段の入り口へ飛ぶと、けたたましく積み上がった。
唯一の道を塞がれた。
それでもサンディは、走るのをやめなかった。
(#novelber 27日目お題:外套)
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