第9話 降嫁

  総理官邸では、長身でブルドッグ顔の日虎総理が、太った身体を重そうに運んで来た虻島官房長官と密かに話をしていた。

「華子が襲われたニュースを見たが、仕損じたようだな」

 日虎が、蛇のような眼を虻島に向けた。

「ですが、華子の乗った車を破壊するなど、かなり派手にやってくれたようです。精神的なダメージは多分に与えられたと思います。こちらが本気だという事も分かったでしょう」

「問題はこれからだ。警察を抱き込んでいるとはいえ、日本で事を起こす時は慎重にやらねばならん。もうすぐ華子の結婚式だ。それが終われば奴らも参院選に向けて動き出すだろう。早急に片をつけないと大変な事になる。一気に仕留めるんだ。いいな!」

「はっ!」 

 日虎の目が異様に光り、虻島は太った身体を竦めた。



 五月の良き日、華子と京吾の結婚式が東京帝国ホテルで行われた。

 国の改革を目指す二人は、結婚式にお金をかけないつもりだったのだが、両陛下の顔を潰す訳にもいかないという京吾の父の意見もあって、結局、参加者は、皇室、政財界など数百人に膨らみ、そこそこの結婚式となったのである。日虎総理にも招待状を出したが姿は無く、娘婿が代理で参加していた。

 披露宴では、幾分緊張気味な京吾とは対照的に、華子は終始笑顔を振りまいていた。

 参加者の祝辞では、日虎総理に気を使ってか、華子の政界進出に触れる者は一人もおらず、当たり障りのない話に終始した。


 天皇皇后両陛下は、一人娘の華子の幸せそうな笑顔を目を細めて見ていて、華子の最後の挨拶では、感極まって涙を流した。それは、我が娘に襲い掛かるであろう、苦難の前途を憂いての涙でもあったのだが、その心中を知る者は華子と京吾しかいなかった。


 心配していた日虎の襲撃も無く、式は滞りなく終了して、二人は京吾の実家の新居へと向かった。


 京吾の実家に着くと、古かった離れは改装されて立派な新居となっていた。間取りは、寝室、応接室、居間、台所の2LDKで、小さくても二人にとっては最高の城となった。


 母屋の京吾の両親に挨拶した後、部屋に戻った華子が居住いを正し、三つ指をついて京吾に頭を下げた。

「京吾さん、今日から宜しくお願い致します」

「華子さん、偽装なんですから、そんな挨拶までしなくても……」

 慌てて正座した京吾が、怪訝な顔で言った。

「いえ、私にとっては、偽装も本物もありません。皇籍を失い降嫁した私の居場所は、もう此処にしかないのです」

「……そうでしたね。此方こそよろしくお願いします。この先、どのような形になろうとも、貴女を護ると約束します」

「ありがとう、そう言って頂けると安心ですわ」

  

 その後、二人は普段着に着替えて、居間で寛いだ。

「華子さん、今日はお疲れさまでした。こうして一緒に暮らすとなると何か照れますね」

「直ぐに慣れますわ。気を使いすぎても、ぎくしゃくして身が持ちませんから、お互い普通にしましょう」

「そうですね。ざっくばらんにいきますか」 

 京吾は何を思ったのか華子の隣に座ると、いきなりキスを迫って来た。

「えっ?」

「夫婦なんですからキスぐらいするでしょ?」

 キスを迫る京吾に、華子は彼の顔を手で押さえて逃れようとする。

「やめて、何、その顔」

 口をとんがらせて迫る京吾のしぐさが可笑しくて、華子は声を上げて笑い出した。

「何だよ、せっかくのラブシーンが台無しだよ」

 華子の笑い声が止まらない。


 その夜、二人は寝室に入った。ベッドはシングルベッドを二台並べて置いてあった。

「この家は防犯設備が整っていますから、不審者が侵入する事は無いと思いますが、念のため窓側は僕が使います。いいですか?」

「分かりました。……もう少しベッドの間隔を開けてほしいんだけど」

 華子が言いにくそうに言った。すると、京吾は、人一人通れるほどの間隔をあけてくれた。

 二人は、互いのベッドに入り消灯した。

 華子は、昼間、キスを迫って来た京吾のことだから、もしかしたらベッドに入って来るかも知れないと警戒していた。だが、何時まで経ってもその気配は無く、その内、京吾の寝息が聞こえて来て、華子は安心して眠りについた。


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