繋がる世界

藤吉郎

1 異世界

 阿良田 雄星は書斎のドアを開いた。暗がりの中から、埃っぽくじめっとした空気と、紙とインクの古びた匂いが漂ってきて、彼は顔をしかめた。彼も、彼の家族も、ここに入ることはほとんどない。掃除に入ることもまずないので、こうなってしまうのも仕方のないことだ。とはいえ、このままでは良くないのは確かだから、たまには換気くらいはした方がいいのかもしれない。彼は腕を伸ばして壁面のスイッチを押した。パチンと音がして、照明灯が数回ほど明滅したのち、白い光を投射して、室内を明るく照らした。その部屋は八畳ほどの広さがあって、机や書棚や何やらが、朝の通勤電車を思わせるほどに所狭しと並んでいた。彼はカニ歩きをするようにしてテーブルを回り込み、机の前に立って見下ろした。小さいながらも頑丈そうな木製机の表面は傷だらけで、木目の綺麗な木枠の写真立ての隣に、数冊の分厚い本が山のように積み上げられ、ボールペンやハサミやペーパーナイフがぎゅうぎゅうに詰め込まれたペン立てが、所在なさげに鎮座して、卓上ランプが項垂れるように頭を垂れていた。

 彼は写真立てを手に取った。年齢も人種も様々な、白衣を着た研究者と思しき男女が数名、何かの大きな装置の前に立って、楽しそうに笑みを浮かべて並んでいた。その集合写真の中心には、主任研究員である彼の父親と、その同僚であり妻でもある女性が並んで立って、やはり、満面の笑みを浮かべていた。誰もが皆、有意義で、満足そうに見えた。雄星は、写真立てを元に戻すと、振り向いて、天井に届きそうなほどの高さの書棚を眺めた。書籍の多くは英語で書かれており、化学や物理学、相対性理論などの、聞いただけで頭の痛くなりそうなものばかりだ。中でも多かったのが、時空移動に関する本だ。彼も、父親の意向もあって、大学では理系を専攻していたから、これらの内容についてある程度は理解していたが、実のところ、あまり興味がなかった。

 遊星はくるりと向き直り、数歩進んでテーブルに歩み寄ると、屈み込んで新聞を手に取った。一年程前の古い新聞だ。その一面には、時空移動の研究中に事故があり、主任研究員が忽然と姿を消した、と書いてある。研究室には、他の研究員や彼の妻もいたが、その瞬間を目撃した者はなく、気づいたときには姿はなかったのだと言う。まさに、掻き消えた、という状況だったらしい。

 事故後、彼女はここに閉じこもり、記事に目を落としては、おんおんと涙に暮れた。遊星も父親を失ったわけで、当然悲しく、胸は苦しかったが、最愛の夫を亡くした母の胸中を思うと、張り裂けそうでたまらなく、不安で仕方がなかった。いつもの強い母の姿は影も形もなく、まるで萎んでしまった風船のようで、そのまま消えていなくなってしまうのではないかとさえ思えた。しかし、やがて、涙が枯れ果てたのか、それともショックから立ち直ったのか、ともかくも、彼女は白衣を身に纏うと研究を再開した。そんな母の姿に、無理などしていないだろうかと少し心配にもなったが、それでも、元気を取り戻したように見えて、彼は安堵に胸を撫で下ろしたのだった。

 遊星は新聞を元に戻すと、出口に向かい戸口に立って、一度振り向いて室内を眺めてから、明かりを消してドアを閉めた。

 居間に入ると、ちょうど、母親が食卓に料理を並べ終えたところだった。手製のものもあるが、ほとんどは出来合いのものばかりだ。事故後、彼女は時間があるとき以外はほとんど料理をすることはなく、多くの時間を研究所で過ごしていた。

「おはよう」

 雄星は挨拶した。

「おはよう。今日は大学?」

 阿良田 正美はそう言いながら、糸巻き巻きをするようにしてエプロンを束ねた。

「講義をいくつか受けてから、夜までバイト」

「そう。あまり遅くならないようにね」

 彼女は母親の顔で言って、丸めたエプロンをカゴへと投げ入れた。

「うん。わかってる」

「道正の事よろしくね。食べ終わったら、お皿はそのままで構わないから」

 彼女は鞄を肩に掛けた。

「大丈夫、ちゃんと片づけておくよ」

 母親は息子をハグした。彼女の方が小さいので、背伸びをしなければならなかった。母親に抱き付かれるなど、彼は恥ずかしかったのだが、事故以降、これが彼女の日課であった。だからされるがままに任せていた。

「それじゃ、いってきます」

「いってらっしゃい」

 雄星は母親を笑顔で送り出した。次に会えるのは何日後だろうか。

 ほどなく、階段を降りてくる足音がした。弟が起きてきたのだ。雄星は居間のドアを開けた。ちょうど、目の前を通り過ぎていくところだった。

「道正! また学校をさぼるつもりか?」

 弟は学生服は着ていなかった。代わりに、派手な様子の服を着て、ジャラジャラと音のする物を腰のあたりからぶら下げていた。邪魔ではないのかな、と言う程度には思いはするものの、もちろん、個人の趣味だからそれをとやかく言うつもりはない。ただ、彼は高校生で学業が本分であるわけだから、学校に行かないと言うのは、ひとこと言わないではいられなかった。

「うるさいな! どうしようと俺の勝手だろ!」

 道正は振り返り、挑む目つきで答えた。

「勝手ってなんだよ!」雄星は怒りの目つきを返した。「行かせてもらってる分際で!」

 道正はむっとして「行ったって無駄なんだよ!」

「なんでだよ!」

 弟は、その言葉を一度飲み込んでから、静かに吐き出した。

「研究所に入るのは兄さんだろ。俺は入れないんだ。父さんがそう言ってるんだから」

「父さんはもういないんだ。それに、俺にはそのつもりはないよ」

「父さんが望んだことを無視するつもりかよ!」

 道正は肩を怒らせた。

「別にそんなつもりはないけど……」

「だったらなんでだよ! 選ばれておきながらさ!」

 弟は腹立たしげに言葉をぶつけた。

 雄星は答えなかった。彼が研究所に入るつもりがないのは、興味がなかった、と言うのもあるが、自分の将来は自分で決めたかった、というのが本当のところだ。しかし、それを言えば強い反発を受けるに違いない。

 兄が何も言わないので、道正はこう付け加えた。

「母さんだって反対してるんだ」

「母さんには母さんの考えがあるんだよ。ともかく、学校には行かなくちゃだめだ」

「行くつもりはないね」

 道正はぷいとそっぽを向いた。

「お前……。いい加減にしろよ」

 声が震えて、雄星は苛立ちが頂点に達した。

 その時だ。奇妙なことが起こった。その声の震えにリンクするかのように、彼らを隔てる空間のある一点が、ゆらりと揺らめき始めたのだ。遊星は、目がおかしくなったのかと思って、ゴシゴシと目をこすってみた。しかし、それは依然としてそこにあって、消えるどころか湧き上がるように、だんだんと広がって大きくなっていく。そして、間もなく彼らを包み込んだ。天井や壁や床がゼリーみたいに波打って、気分がなんだかざわざわとして、自分の体が自分のものではないような、なんとも言い表せない奇妙な感覚に捕らわれた。遊星は、どうにも嫌な予感がして、弟の手を掴もうとして腕を伸ばした。ところが、どんなに腕を伸ばしても、目の前にその姿は見えるのに、手は空を掴むばかりで、彼の体に触れる事すらできなかった。そのうちに、周囲の空間が色を失って、漆黒の闇が彼らを覆い始めた。それはその姿をすぼめながら、揺らぎが始まったその一点へと向かって包囲を狭めていき、やがてバスケットボールほどの大きさとなった。その穴の向こうに、弟の顔が見えて、遊星は彼を助けようとして、その穴の中へと腕を突っ込んだ。しかし、腕を上げた感覚はあるものの、穴の向こうに腕はなく、その先端にあるはずの手からはなにも感じ取ることはできなかった。暗黒はゆっくりとだがしかし確実に狭まっていき、やがて完全に弟を飲み込んだ。そして間もなく、雄星もまた、暗闇に包まれた。


 一分か、或いは一時間か、それとも一日か。どのくらい、そこにいたのか彼にはわからなかった。そもそも、時間という概念があったのかすら定かでない。その空間の中、実際にそれが空間と呼べるものなのか判然としないが、ともかくも、ただ暗いと言うだけの冥暗に囲まれる中、存在認識だけがそこにはあった。そうして、その暗闇の中で漂っていると、どこからともなく、針穴ほどの小さな白い点が現れた。それは迫りくるようにどんどんと大きくなって、やがて空間全体を覆いつくした。そして、それが、風に吹き飛ばされでもしたかのように、瞬時にして掻き消えると、目の前には、赤茶けた見慣れぬ大地が広がっていた。

 雄星は辺りをぐるりと見回した。土ぼこり舞う、岩と土の広がる大地。そのずっと先には、テーブルのような形をした台地が見えた。青い空にはうっすらとした雲が浮かんで、熱風がまとわりつくようにゆるりと吹いて、日差しは天高く、刺すように降り注いでくる。いつだったか、テレビとか写真とかで、こういう光景を見たことがある。確か、世界的に有名な観光地ではなかったか。彼はそこには行ったことがなかったから、この光景がそれなのだと断定はできなかったが、他には思い当たる場所がない。しかし、観光地であるはずが、観光客は誰一人もいないので、或いは似たような別の場所なのだろうかと、そう思った。いずれにしても、自宅にいたはずの自分が、どうしてこのような場所にいるのか。そして、そばにいたはずの弟の姿も見当たらない。もしかしたら夢でも見ているのだろうかと、彼はほっぺをつねってみたが、夢から覚めることはなく、ただ赤く痕が残るだけだった。

 そうこうしているうちに、遠くから、どどどどっ、という地鳴りにも似た音が聞こえてきた。その音のした方を振り向くと、台地の端から端までを埋め尽くすように、もくもくと湧き上がる土煙が見えた。それは空へと高く立ち上り、轟音を響かせながら近づいてくる。雄星は、何が起きているのだろうかと目を凝らした。すると、その煙の中に、陽を受けて輝く銀色の鎧を纏った人馬の姿が見えた。それは相当な圧力を持って迫ってきて、百メートルほど離れた所で停止した。地を蹴る音は止み、土煙は静かに地へと降りた。

 ほどなく、一群が進み出て、片膝立てになると銃を構え射撃を始めた。すると返礼とばかりに、その反対側からも銃が放たれて、銃弾というにはどうにも様子がおかしかったが、光の筋が空を埋め尽くさんばかりに飛び交った。双方から喚声が沸き起こり、辺りは異様な雰囲気に包まれた。どうやら彼は、戦争の現場に出くわしてしまったらしい。雄星は身の危険を感じて、咄嗟に地面に伏せて、頭を両手で覆った。

 するとしばらくして、声が聞こえた。

「ちょっとあなた! そこで何してるの?」

 雄星は頭を上げてその声の方を振り向いた。同じくらいの年ごろの女性が、少し離れた場所に腰を下ろして、彼の様子を窺いながら、敵へと向けて銃を放っていた。雄星は、状況を完全には飲み込めておらず、また、呆気にとられたというのもあって答えることができなかった。その様子に、仕方がない、と感じたのか、彼女は片耳を手で覆うと、どこかに向かって「民間人を発見しました。…………了解しました」と言った。そして、中腰になりながら彼の方へとそろそろと歩いてきた。

「あなたを保護します。ゆっくりと立ち上がって、姿勢は低く。いいですね?」

 雄星は頷いて、女性に言われた通りにしようと腰を浮かしかけた。その次の瞬間、敵兵の放った銃弾と思しきなにかが彼女の右肩を貫いて、女性は悲鳴にも似た呻き声を上げて地面に倒れた。彼は唖然としつつも急いで駆け寄ると、彼女のその傷口を確めた。幸いなことに出血は少なかったが、撃たれた部分は焼けたようにただれ、彼女はとても痛そうに顔をしかめていた。彼は考える間もなく腕を伸ばして彼女の銃を手に取った。自分を助けようとして敵に撃たれたわけだから、自分がなんとかして守らなければと、咄嗟にそう思ったのだ。

 雄星は彼女を背に隠して銃を構えると、どこの誰ともわからぬ相手に銃口を向けた。銃の姿形は近未来的な不思議な造形をしていたが、撃ち方は兼がね同じようで、引き金を引くと光が勢いよく飛び出して、ものすごいスピードで向こうへと飛んでいった。まさに、SF映画で見るような光景だ。始めこそ、うまく狙いを定めることができなかったものの、次第に慣れてくると、むしろ容易に扱うことができるようになって、彼は次々と敵を撃ち倒し、背後の友軍の兵士たちよりも多くの戦果を上げた。すると、それに臆したかは定かでないものの、ともかくも、敵からの攻撃が次第に弱くなっていき、やがてぱたりと止んだ。ほどなく、赤茶けた大地の向こうに見える、敵軍の黒い帯はどんどんと細くなっていき、終いには完全に見えなくなった。

 雄星は銃を投げ捨てて振り向いた。女性は落ち着きを取り戻してはいたものの、まだ痛みは消えていないらしく、すこし蒼白な顔をしていた。そこに、男性の兵士が駆けてきた。

「ご無事ですか?」

 女性を助け起こしながら、兵士が言った。その口振りと顔つきから、そこまで心配しているわけではなさそうだった。

「ええ、大丈夫よ。でも、すごく痛い」

 彼女は強がりを見せつつも、つい本音を漏らした。

「ですから、あれほどおよし下さいと申し上げましたのに」兵士はやれやれと顔をしかめた。「ともかく、すぐに手当てを」

 兵士はそう言って、女性に肩を貸してどこかへと連れていった。

 少し呆気にとられた様子でそれを眺めていると、鎧姿の男性が、馬と思しき何かに乗ってやってきて、じっくりと雄星を見つめたのち言った。

「殿下を助けてくれたこと、礼を申す」

 彼は頭を垂れた。

「殿下?」

「そなたが助けた女性のことだ」

「ええ、ああ。殿下、ですか……。いえ、礼を言わなきゃいけないのは僕の方です。怪我をしたのは僕のせいですから。彼女は大丈夫なんですか?」

「じゃじゃ馬だからな。少しくらい、お灸をすえてやった方がよかろう」男性はそう言って愉快そうに笑った。そして、その笑顔を向けつつ「ところで、見たところこちらの人間ではないな?」

「こちら?」

 雄星は目を白黒とさせて男性を見つめた。

「いや、無理もない」男性はさもありなんと頷いた。「ともかく、こんなところにいてもどのみち死ぬだけだ。どうだ? 我々と来るか?」

 遊星は辺りを見回した。男性の言う通り、植物も生えていないようなこの荒涼とした大地に残っても、いずれはただ干からびて埃っぽい土と同化してしまうのが落ちだろう。それに、いろいろと聞きたいこともある。

「わかりました。一緒に行きます」

「よろしい」

 男性は丸太みたいな腕を伸ばした。雄星がその腕に捕まると、彼は片腕で軽々と引き上げて、自身の後ろに乗せた。

「さてと、では、引き上げるとするか」

 男性はぼやくように言って馬首を巡らせた。その、なんだかよくわからない馬のような乗り物は、ひひんと鳴くこともなく、くるりと向きを変えて、ざっざと土を蹴って歩き始めた。彼は本物の馬には乗ったことはないが、しかし、酷く乗り心地が良くなくて、目的地に到着した頃には、どうにも気分が悪くなってしまった。

 彼らがやってきたのは本陣、つまり、指揮官が指揮を執る場所だ。既に撤退の準備は完了しており、あとは出発を待つだけとなっていた。

「隊長!」兵士がやってきて馬上の人物に敬礼した。「いつでも出発できます!」

「うむ。殿下の様子は?」

「相変わらず……」兵士は言いかけて咳払いし「特に大事なく、治療を終えられて、今は出発をお待ちになっておられます」

「そうか、相変わらずか。それはなによりだ」

 隊長は破顔した。

 兵士は顔を赤くしてどぎまぎとしつつ、馬上の、隊長の背に控える青年を怪訝そうに見つめた。その視線に気が付いて、隊長は言った。

「彼を王都に連れて行く。済まないが、馬車まで案内してやってくれるか」

「はっ! かしこまりました!」

 兵士は屹立して敬礼した。

 隊長は振り向いて、苦笑を浮かべて言った。

「彼について行ってくれ。馬車は乗り心地がいいぞ」

「はい」雄星は、人心地がついた気分で返事をして、続けて尋ねた。「あなたは平気なのですか?」

「もう、慣れているからな。さて、王都でまた会おう」

 隊長は雄星を馬から降ろすと、隊列の先頭に立つつもりなのだろう。先の方へと馬を走らせた。

 馬車と呼ばれるそれは、例の馬が引いているので、確かに馬車には違いがなかったが、歴史の教科書などで見るような、大きな車輪はついていないので、馬車と呼んでいいかは大いに疑問が残る。その、車輪がついているはずの客室の部分は、どうやってか知らないが、地面から数十センチ上に浮かんでおり、御者はなく、それを馬が一頭で引く形となっていた。馬車というものは、車輪のついたものを馬が引くわけだから、ガタゴトと上下に揺れて、乗りづらそうであることは想像に辛くはないが、こうして地面から浮き上がっているのをみると、確かにこれなら、乗り心地は良さそうだ。

「さあ、こちらにどうぞ。そこから上がってください」

 兵士が言った。客室の真ん中にドアがあり、そこから階段が降りていた。中には既に先客がいるようだが、彼にはそれよりも気になっていることがあって、雄星は口を開きかけた。それを兵士は遮った。

「ああ、私もあまり詳しくないんで、聞かれても答えられませんよ。中の方なら答えられると思います。ただ、失礼のないようにお願いします」

 すると、中の人物が言った。

「大丈夫ですよ。ちょっとの事なら気にしませんから。さあ、お乗りください」

 さあどうぞ、と兵士はお辞儀をする。

 雄星が乗り込むと、階段は外されて扉が閉じられた。

「どうぞ。そこに座ってください」

 女性は正面を指さした。彼女の左隣には、監視するような目つきの、女性よりは少し年配の女性が腰かけていた。二人とも、戦場には似つかわしくない、綺麗な衣装を身に纏っている。以前、特別ななにかがあった時、母親が着ていた、キモノと呼ばれるものとよく似ていた。

 雄星は言われた通りに腰かけた。平べったいクッションは少し硬いが、それほど悪くもない。

 まもなく、馬車は動き出した。車輪がないお蔭で、エレベーターみたいにスムーズだ。窓の外の景色がゆっくりと流れていくのを見やって、次に彼は女性へと視線を向けて尋ねた。

「肩の怪我は大丈夫ですか?」

「ええ。もうすっかり良くなりました。あなたには感謝しなければいけませんね」

 女性はそう言ってニコッと微笑んだ。可愛い笑顔だ。クラスにいたなら、男子の注目の的になることは間違いない。そんな考えを見透かされたか、隣の女性にキッと睨まれて、雄星は咳ばらいをして話題を変えた。

「馬車を引いてるあれなんですが、馬、でいいんですか?」

「ええ。そう呼んでいます。あんな形でなくても良いのですが、陛下がこれがよいと言うことで、作らせたのです」

「陛下?」

「この国の王様ですよ。国王陛下」

 雄星が暮らす国に国王は存在しないが、あるところには、国王と呼ばれ、巨万の富を有した者がいる。そうした者なら、金に物を言わせて、こんな酔狂な物を作っても不思議はない。

「作らせた、と言いましたけど、あれって、生き物じゃないですよね?」

「ええ」女性はくすっと笑って「その通りです。機械でできているんですよ。よくできているでしょう?」彼女はそこで神妙な顔つきになり「ただ、乗り心地が良くないのはいただけません。改善の余地がまだありそうですね」

 それに関しては至極同意とばかりに頷いて、雄星は更に尋ねた。

「さっきの、あの銃撃戦はなんなんです?」

 女性は表情を曇らせた。

「私たちはヤナ国の人間ですが、先ほど戦っていた相手はラント国の軍隊です。彼らの国は多民族国家で、彼らは、自分たちこそが最も優れた民族なのだ、という考えのもと、他民族を迫害していて、それから逃れようと、たくさんの人たちが、私たちの国に逃げてきています。でも、ラント国は、彼らは自分の国の国民で、逃げるなど許せない行為だ、我が国に返せ、と言って、攻撃してくるのです」そこで女性の顔つきがキッと引き締まる。「確かに、彼らはラント国の国民です。ですが、迫害から逃れるために、危険を冒してまで助けを求めてきているのですから、それを、はい、わかりました、と言って追い返すわけにはいきません。ですから、私たちは、ラント国から彼らを護る為に、こうして戦っているのです」

「ヤナ国、ラント国というのは何です? 僕の知る限り、そんな国は存在しません」

「ええ、それはそうでしょう」女性は小さく頷いて「存在しないのも当然です」と困惑顔で隣の女性と見合ってから、視線を戻して続けた。「ここは、あなたのいた世界とは異なる世界です。あなた方の言うところの、異世界、と呼ばれるところですね。もっとも、私たちにとっては、あなた方の世界こそが、異世界ということになりますが」

「異世界?」遊星は丸く目を剥いて「まさか、本当に?」

「ええ、本当です。嘘はついていませんよ。既にあなたは、あなたの世界との違いを目の当たりにしているはずです。それがなによりの証拠です」

「確かにそうですね。……機械の馬に宙に浮かぶ馬車。どれも僕のいた世界にはないものです。夢を見ているわけでもなさそうですから、疑いの余地はなさそうですね」

「そうでしょう?」」

 女性はにこりと微笑んだ。

「でも、僕はいったいどうやってこちらに?」

「時折、こちらの世界とそちらの世界が繋がることがあり、そちらの世界から人がやってくることがあるのです」

「家にいたとき、急に空間が歪んで、その後、真っ暗闇に包まれて、気が付いたらあの場所にいました」

「それが、世界が繋がる時に起きる事象でしょう」

「あれって、なんなんです?」

「それは私にもわかりません」女性は頭を振った。「科学長官に聞いた方がいいでしょう」

 わかりました、と雄星は頷いて「ともかく、その、何かよくわからないものが起きて、僕はこちらの世界にやってきた、ということですね?」

 女性は頷いて「そう言うことになりますね」

「僕以外にも、こちらにやってきた人はいるんですか?」

「何人かはいます。すべては把握しきれていませんが。様子が私たちとは異なるので、見ればすぐにそれとわかります。ちなみに、国王陛下もあなたのように異世界からやってきた人間ですよ」

 雄星は目を丸くして「この国の王様が? 異世界からやってきて、今は国王に?」

「ええ。話せば長くなりますが」

「そう言えば、あなたは殿下と呼ばれていましたね」

「はい。ご推察の通り、国王の娘です」女性は笑みをこぼした。「じゃじゃ馬ですが」

「殿下!」隣の女性が慌てて声を上げた。「ご自分のことをそんな風に言うものではありません!」

「そう? みんな言っていますよ。ねえ」

 殿下はそう言って雄星に同意を求めたが、どう答えていいやら、彼は困り果てて頭を掻いた。

 そのことが功を奏したのかは定かでないが、彼はあることを思い出して尋ねた。

「先ほど、僕がこちらに来た時の話をしましたけど、そのとき、弟も一緒だったんです」

「私があなたを見つけたときは、あなた一人でしたよ。他には誰もいませんでした」

「僕と同じように、こちらの世界に来ている、と言うことはないでしょうか」

「ないとは言い切れませんが、私には、正確にはお答えできません。申し訳ありません」雄星の気持ちを慮って、王女は詫び、続けて言った。「ですが、科学長官なら、なにか分かるかもしれません。王宮に着いたら、聞いてみるといいでしょう」

「わかりました。そうします」

 雄星はため息をついた。

「きっと大丈夫ですよ。生きている限り、可能性は捨てないことです。ところで、まだお名前を伺っていませんでしたね」

 遊星は平たいクッションの上で背筋を伸ばした。

「阿良田 雄星と言います」

「私はカミラ・オワリーです。カミラと呼んでください」

 お付きの女性が咳ばらいをした。国王の娘ともあろう者が、どこの馬の骨ともわからない者に、敬称を使わず呼び捨てにさせるなど、言語道断だからだ。

「いいではありませんか」殿下は反論した。「誰もがみんな畏まってばかり。たまには気軽に御付き合いしたいのです」

「殿下は一国の王女なのですから、畏まるのは当然です。例え異世界人といえど、例外はありません」

 毅然とした態度で女性は異議を申し立てた。

「あなたの言うことはもっともかもしれませんが、私がそうしたいのです。父上だって、お前の好きなようにしていいと言ってくださっています。それに、年の近い異性の方と、もっとお近づきになりたいのです。周りにいるのは女の子ばかりなんですから。それで、雄星って呼んでいいかしら?」

「え? ええ。それは構いませんけど」

「それじゃ、よろしくね。雄星」

 カミラは幾分、開けっ広げな様子で手を差し出した。

「あ、はい。殿下」

 雄星はそう言って手を握り返した。が、殿下が笑顔のまま首を傾げるので、その意図を理解して、彼は躊躇しつつも言った。

「よ、よろしく。カミラ」

「はい。よろしく」

 お付きの女性は盛大にため息をついて、そっぽを向くように窓から外を眺めた。声にも顔にも出してはいなかったが、こう思っていたはずだ。この、じゃじゃ馬め、と。


 ヤナ国の王都は、海かと思えるほどに大きな湖の、その中央にあるそれまた大きな島にあった。島の周囲はぐるりと断崖になっていて、それに沿う形で防壁が巡らされており、王宮と街はその防壁によって固く守られていた。島へと続く道は湖畔から伸びる橋があるだけなので、本当に天然の要塞と言ってよい。防壁に遮られ、王宮やその街並みを外から眺め見ることはできなかったが、少なくとも、その規模がかなりのものであろうことは容易に想像がついた。

 橋は二車線ほどの幅があり、美しい装飾の施された欄干が島まで伸びて、街灯と思しき柱が首を垂れるようにして、規則正しく等間隔に並んでいた。その橋の上を、隊列は隊長を先頭に、馬車を中央に配して進んで行く。出迎えに来たのか、灰色の滑らかな肌の大きな魚が、隊列の後を追うように湖面を飛び跳ねていた。

「ほら、あそこが王宮よ。見て」

 馬車の窓から優雅に泳ぐ魚を眺めていると、カミラが言った。

 雄星は顔を上げ、彼女が指さす先に視線を向けた。防壁のその向こう、一本の棘のような尖塔が高々と頭を出していた。防壁自体にかなりの高さがあるので、尖塔は相当な高さがあることが窺える。尖塔の先端は球体になっていて、定期的にピカッと光を放っていた。

「あの光っているところが?」

「そう。あの下が、私たちがこれから向かう王宮よ」

「あの光ってるのは?」

「そうね。あなたの世界で言うところの、電気、と呼ぶものかしら。ああして定期的に光を放つことで、エネルギーを放出しているの。そして、それを受け取ることで、部屋の中を明るくしたり、熱を発生させたりできるわ。この馬車もそうよ」

「隊長が乗ってる馬も?」

「ええ。もっとも、エネルギーが届く範囲にも限界があるから、そうした馬にはエネルギーを貯めておける装置が付いてるわ。ええと、あちらの言葉でなんて言うんだっけ?」

 カミラは隣のお付きに尋ねたが、彼女は、どうだったかしら、という顔で首を傾げた。

「バッテリー、かな?」

 雄星が助け舟を出した。

「ああ、そう。それよ、それ」

 カミラは、テストの問題が解けたときみたいに華やいだ顔になった。お付きの女性は、思い出せなかっただけよ、と言う様子で小さく頷いていた。カミラは続けた。

「エネルギーが届かない場所ではバッテリーに貯めたものを使って、使い切ったら新しいものに交換するの。エネルギーの届く範囲なら、バッテリーに貯めることもできるわ」

 なるほど、と雄星は頷いた。このエネルギーが、電気と同じ性質のものもかはわからないが、ともかく、利用方法や目的については概ね同じようだ。もっとも、雄星のいた世界では、それは物理的な方法で運ぶしかなく、万が一、それが寸断されれば生活に大きな支障が出る。それが、このように空間を利用して送電できるというのは、災害時にもその影響を受けにくく、そうした状況下においても、人々の大きな助けとなるだろう。もっとも、その発生源を破壊されてしまえば、送電がストップしてしまうのはどちらの世界でも同じだ。

 隊列は断崖の袂に到着した。そこには、五メートル程度の高さのトンネルがあって、金属製の頑丈そうな門扉が左右に開かれて、その左右に兵士が一人ずつ立って辺りに目を光らせていた。トンネル内は明かりが灯されていて、やんわりと明るく、赤い梁と柱が等間隔に並び、壁も天井も雪のように白く、どことなく幻想的な印象を受ける。彼らが近づくと、警備兵は姿勢を正して屹立し、部隊の帰還に敬意を表した。隊列は何本か枝分かれする道を過ぎてさらに奥へと進み、やがて大きな空間へと到着した。

 そこは島の地下にあたる部分だが、天井は見上げるほどに高く、そこに大小さまざまな建物が並んでいた。ちらほらと兵士たちの姿が見えるので、おそらくは軍事的な場所だろう。隊列はその広場の中央付近で停止し、縦横に規則正しく整列して命令を待った。まもなく、隊長が解散を命ずると、彼らは皆、やれやれと肩の荷が下りたような顔つきになって、建物の方へと歩いて行った。

 ほどなく、外からガタゴトと物音が聞こえてきて、馬車の客室の扉が開いて、隊長が顔をのぞかせた。階段を挟んだ反対側には兵士が屹立している。

「殿下。到着いたしました」

 隊長が恭しくお辞儀をして言った。

「では、参りましょうか。雄星殿」

「えっ? あ、はい」

 雄星は、カミラの口調が突然変わったので驚いた。王女様のそれに戻っていたからだ。もっとも、隊長の前であのような口の利き方をするわけにはいかないから、それに配慮するのは当然だろう。

 全員が降りると、兵士は馬車をどこかへと引いて行った。これが本物の馬なら、飼い葉や水を与えてやるところだが、この馬にはそれも必要ない。とはいえ、機械ではあるわけだから、メンテナンスは必要だ。

 遊星とカミラ、隊長の三人は、お付きの女性の先導に従って、広場の一角へとやってきた。壁には両開きの扉があって、その隣には、緑色の丸いボタンが一つついていた。女性はそのボタンを押した。すると扉が開いて小部屋が現れた。確かに小部屋と呼んでいい広さがあるが、想像していたのとはだいぶ違っていたから、雄星はびっくりして目を丸くした。というのも、小部屋は腰のあたりまでの高さの手摺に囲まれていて、その向こうは窓も扉もないただの壁で、件の馬車と同じく、空中にふわりと浮かんでいたからだ。

 女性とカミラはなんの躊躇もなく乗り込んだ。慣れているのだろうから当然だ。しかし、雄星は戸惑った。見たこともないところに足を踏み入れるのは勇気がいる。

「どうした? 乗らないのか? お前の所にはこういうのはないのか?」

 隊長が怪訝そうに言った。

 カミラと女性がくすくすと笑っている。やがてカミラは言った。

「自動昇降機ですよ。それならわかるでしょう」

 なるほど、とひとまず頷いて、雄星は乗り込んだ。

 あとに隊長が続き、扉が閉まって、それは静かに登っていった。彼のいた世界では、箱の上下にワイヤーが付いていて、それでもって移動するが、これにはそんなものは見当たらない。そもそも天井などなく、小さな舞台が迫り上がっていくような形だ。それで、いったい、どんな仕組みになっているのだろうかと、手摺から顔を出すようにして下を覗こうとした。そのとき、隊長が言った。

「気を付けろ。鼻を削がれるぞ」

 雄星は慌てて首をひっこめた。すると、カミラがやはりくすくすと笑って言った。

「トナミ。そんな風に驚かすようなことを言ってはいけませんよ」彼女は雄星に視線を向けて「彼の言うようなことは起きませんから安心してください。ただ、落ちたらどうなるかはわかりませんが」

 たしかに、落ちたらただでは済まないだろう。が、のっぺらぼうになるようなことはないとわかって少しは安心した。そうしてホッと胸を撫で下ろすと、からかわれたことが急に腹立たしくなって、彼は抗議の眼差しでトナミを睨んだ。しかし、彼は、ちらりと雄星を見はしたものの、意に介した様子もなく、何食わぬ顔でまっすぐ前を向いた。

 まもなく、昇降機は停止して、扉がゆっくりと開いた。扉が開くと同時に、眩しい光と街の喧騒がなだれ込んできて、眼前に広がる景色に雄星は目を瞠った。街を彩る家々は彼の世界で言うところの和洋折衷と言ったところで、行き交う人々の服装も様々な様式の衣装で飾られて、まさに異国情緒たっぷりと言った風情だ。そんな人々の顔には太陽のような笑顔が浮かんでおり、そこかしこで上がる歓声は、この街が大いに賑わっていることを如実に表していた。

「なにを突っ立ってる。早く外に出ないか」

 トナミに言われて、雄星は慌てて昇降機を降りた。そのために、昇降機の縁に足を引っかけてしまい、思わずよろけてしまった。

「そんなに驚きましたか?」

 カミラが笑みを湛えつつ聞いた。

「ええ。本当に異世界に来たんだなって、実感が持てますね」

 雄星は答えて、辺りをきょろきょろと見回した。

「本当は、直接王宮にも行けるのですが、まずはあなたに、街の様子を見てほしかったのです。この国の様子を知るのに最も良い場所ですから。では、行きましょう」

 カミラが先頭に立って歩き出す。

 街は本当に賑わっていて、がやがやと騒がしく、雑踏と呼ぶのが相応しいくらいに足の踏み場もないほどだった。雄星も、そうした場所があちらの世界にもあることは知っているし、行ったこともあるが、人の数はそこまでではないものの、人々の放つ熱気はそれ以上と言って良かった。

「おや、殿下。お帰りなさい」

 露店の店主が、一行に気が付いて声を掛けてきた。恭しさは欠片もなく、だいぶ気軽な様子だ。きっとお付きの女性が怒るだろう、と思ったが、にこにこと笑みを浮かべており怒り出す様子は見られない。自分の時とはだいぶ違うな、と雄星は思ったが、下々の者に目くじらを立てるなど、品の高い者にあるまじき行為などするわけにはいかないから、そうした振りをしているのだろうと、彼は勝手に考えた。

「またやんちゃをしに行きなさったんですかい?」

 その露店で買い物中の男性が振り向いて、さもありなん、という顔つきで言った。さすがにこれはに怒るだろうと思ったが、やはりその様子はなく、カミラなどはむしろ、親しげに微笑んでこう答えた。

「ええ。あなたのお子様は、こんな風にやんちゃに育たないよう、注意してくださいね」

「それはどうですかね」男性は困ったように言ったが、表情はそうでもないことを物語っていた。「みんな、あなたの真似をしたがるんですよ。おかげで、うちの子はみんな、やんちゃに育ってます」

 カミラはわざとらしくハッとした様子になって「それはいけませんね。それでは皆さんお困りでしょうから、私も少しはお淑やかにならなければ」と本当に困った顔つきをして見せて、頬に手を当て小首を傾げた。

「いやいや」向かいの露店の店主が言った。「それでは殿下らしくない。いまのままでいてくれなくちゃ」

「まったくその通りだ」

 どこからかそう声が言って、あちこちからもやんやと声が上がった。

 この出来事の最中、トナミとお付きの女性は苦虫を噛み砕いたような顔をしていたが、カミラの方は上機嫌で、ずっと笑っていた。彼らは店主たちに別れを告げると、再び歩き出した。

 街路を歩いて行く間中、万事がこんな調子だった。

「ずいぶんと人気があるんですね」

 雄星は言った。

「陛下のお蔭です。国民のことを第一に考えて政を行ってくれています。そのことに対する人々の思いが、こうして現れているのでしょう」

「でも」雄星はお付きの女性をちらりと見やり「彼女の言葉を借りるなら、畏まるのが普通でしょうけど」

「私はじゃじゃ馬ですから、多少のことは気にしませんよ。それに、ああして親しくしてくれるのは、私もすごく嬉しいのです」

 カミラはそう答えて、華やかにほほ笑んだ。本心からそう思っているという顔だ。

 そんな風に、笑顔を振りまきながら街路を歩いて、ようやく王宮に到着した。彼らは門兵の挨拶を受けて……いつものことだからか彼らも特に驚いた様子は見せない……中へと進んだ。前庭はそこが草原かと思えるほどに広く、最も奥まったところに三階建ての王宮の建物があって、その中心から例の尖塔が高々と聳えるように伸びていた。前庭の中央には大きな噴水があり、リズムを刻むようにして大なり小なり水を吹き上げていて、迷路のような生け垣がそれらをぐるりと取り囲む中、針のような樹木が点々と生えていた。石造りの王宮の建物は極めて美しく、日差しを受けて眩しく輝いており、そこかしこに施された装飾の数々はいずれも見事なものだった。彼らは階段を上って建物へと入り、廊下を奥へと進んで行った。

 やがて、大きな扉の前へとやってきた。そのサイズが際立っているほかには、これといった飾りのない、シンプルな構造の扉だ。

「ここが王の間です」

 カミラが言った。

「では、私はここに控えておりますので」

 トナミがお辞儀をして言った。

「報告は良いのですか?」

「それは後で良いでしょう。まずは、彼を御引き合わせになった方がよろしいかと」

「そうですね」カミラは頷いて「では、参りましょうか」と、お付きの女性とトナミをそこに残し、扉を開いて中へと入った。

 事前に、彼らが到着したことは報告してあったのだろう。国王や官僚の面々は既に集まっており、彼らが入ってくると一斉に注目した。

「陛下」

 玉座の前まで進んだところで、カミラは恭しくお辞儀をした。平素、こういうことをする習慣にない雄星は、雰囲気に呑まれていたと言うのもあって、少しばかり戸惑いを見せていたが、さすがに、同じようにした方が良いのだろうと気が付いて、慌てて頭を垂れた。

「今回は怪我をしたそうだな」

 王が言った。少し甲高いが、威圧感のある声だ。しかし、その根底には優しさも垣間見える。

「傷の方はもうなんともありませんので、ご心配には及びません」

 カミラはつんと澄ました様子で答えた。国王を前にして、さすがと言うべきかもしれないが、相手は父親だから、遠慮がないのも当然かもしれない。

 国王はため息をついて「好きにして良いとは言ったが、だからと言って、周りの者に迷惑をかけて良いというものではないぞ」とたしなめた。

「それに関しては返す言葉もありません。でもそのおかげで、新たな異世界人を見つけました」

 カミラはそう言って背後を振り向き、雄星を指し示した。

 国王の、刺すような視線が向けられた。畏怖を感じる目だ。雄星のいる世界では、なかなか感じることのない感覚だ。彼はそのプレッシャーに、思わず目を逸らしそうになるが、初対面の印象として良くないし、なにより失礼に当たるだろうからと、なんとかその圧力に耐え抜いて王を見つめ返した。

「名を雄星と言います」

 カミラが紹介した。雄星はお辞儀をした。

「よく来たな。私がこのヤナ国の王だ。この度は我が娘を救ってくれたそうだな。礼を申す」

「い、いえ。体が勝手に動いただけです」

 思わずどもりそうになりながらも、なんとか答えた。

「そうか」王はにこりと微笑んだ。「ところで、そなたも異世界人だそうだな。どの時代から来たのかな?」

「……時代、ですか?」

 雄星は戸惑った。というのも、何々時代、という呼び方は、過去の歴史のある一点に対しての、後の世の人がその時点を指し示す呼び名だから、現代についての呼称はまだない。だから代わりにこう答えた。

「そうですね。僕のいた時代では、自動車と言う乗り物が走っています。四つの車輪のついた馬車と思ってもらえればいいです。もっとも、馬が引いてはいません。エンジンと呼ぶものが動力源になっていて、それで自動で走ります。それと、空を飛ぶ飛行機と言うものもあります。そこに荷物を載せて遠くに運んだり、人を乗せて遠くの国へ旅行に行ったりします。あと、インターネットと言うものがあって、コンピュータで情報をやり取りしたりできます」

「ふむふむ、なるほど。それは興味深いな」王は目を輝かせた。「特に、その、インターネットとかいうものは」

 彼はかなり好奇心旺盛なようだ。王は続けて言った。

「実はな、私もそなたと同じく異世界の人間でな」

「はい。カミ……殿下より聞いています」

「そうか」と王は軽く笑って続けた。「私がいた時代は戦いに明け暮れていてな。身内同士の争い、隣国との諍いと、身を休める暇もなかった。それでも、私は天下統一へと向けて諸国と戦いを繰り返し、あともう少しでそれを成し遂げようかというところまで来た。そんなときだ。仕方のないことではあるのだが、信頼を寄せていた配下に裏切られ、追い詰められた私は腹を切るしかなくなった。そう覚悟を決めたときだ。気が付くと私はこちらの世界にいたのだ」

 王は悲しそうではあるが、一方で、覚悟を決めてもいたかのような、そんな表情を浮かべた。彼は続けて言った。

「そうだ。この者も紹介しておこう。イカリ」

「はい」

 イカリと呼ばれた人物は、玉座から最も近い場所に立っており、恰幅の良い、大柄な男だった。彼は雄星へと向き直り、にこにこと微笑みながら、野太い声で自己紹介した。

「イカリ・ゴシマと申します。よろしくお願い致します」

 イカリは丁寧にお辞儀をした。

「あ、はい。よろしくお願いします」

 イカリがあまりに腰が低いので少し驚いきつつ、雄星も丁寧にお辞儀を返した。

「この者も異世界人でな」王が言った。「参議というのをやってもらっている。初めて聞く名だが、この者がそう呼んでほしいと言うのだ。そなたはいつの時代から来たのだったかな?」

「陛下がおられた時代からだいぶ後のことですね。私は、刀を振り回す時代が終わって、新たな時代へと向けて、粉骨砕身、取り組んでいたところでした。私がいた頃は車や飛行機と言うものはまだありませんでしたが、なるほど、のちの世ではそういうものも発明されたわけですか。ふむ。頑張った甲斐があったと言うものです」

 イカリは感慨深げに目を細めた。

「あなたはどうやってこちらに?」

 雄星が尋ねた。

「それは、なかなか言いずらいことではあるのですが、少し、行き違いが御座いまして。それでまあ、政府に対して、反旗を翻すことになったのです。始めは、我々もうまく戦ってはいたのですが、最新の装備を備えた政府軍が相手です。仲間は一人二人と減っていき、やがては我らの命も風前の灯となりました。そして、もはやこれまでと覚悟を決めた時、気づくとこちらの世界におりました」

 イカリはそう語って、様々な感情の入り混じった表情を浮かべた。

「二人とも、辛い思いをしたんですね」

「まあ、な。だが、そのお陰で、そなたの時代が豊かで、平和であるならその甲斐もあったというものだ。どうかな?」

「はい。その通りになっています」

「なら、良い」

 イカリが同意と頷いた。

「それにしても、本当に、僕以外にも異世界から来た人がいるんですね」

「数はそれほど多くはないがな」

 王が答えた。

「僕たちはみんな、同じ世界から来ているんでしょうか」

「ふむ。そのあたりは科学長官に聞く方がよかろう。フアン」

「はい」

 フアンは一歩進みでて、王にお辞儀をすると、雄星に向かって言った。

「雄星殿が感じた通りで間違いではありません。事実、こちらにやってくる異世界人はいずれも、同じ世界の人々ばかりです。いわゆる異世界というものは、おそらく他にもいくつかあるのでしょうが、こちらに繋がるのはあなた方の世界だけのようなのです」

「その、繋がる、という話ですけど、僕がこちらにやってくるとき、空間が変な風にぐにゃりとなって、気づいたらこちらにいました。殿下の話では、二つの世界が繋がるときに起きる現象だろう、ということですが」

「ええ。殿下のおっしゃる通りでしょう。例えるなら、異なる世界の、異なる時間に開いた穴、とでも申せばよいでしょうか。その穴を通ることで、あちらからこちらへと、異世界人がやってくるわけですが、その穴が、いつ、どこで、どのようにして起きるのかはわかっていません。唯一、わかっていることと言えば、異世界からこちらの世界へと来ることができるのみであり、こちらから異世界へは行けない、ということです」

「どうしてそう言いきれるんです?」

「こちらの世界から異世界へと誰かが行った、という話は聞いたことがありません。そちらの世界でもそうでしょうが、突然、誰かが姿を消したりしたら、大騒ぎになるでしょう」そこでフアンは両腕を広げて「それに、このような姿の者がそちらの世界に行ったなら、何らかの記録が残るはずです。そうしたことを聞いたことはありますか?」

「いえ。ありません」

 雄星は首を振る。

「そうでしょう。ですから、一方通行と考えるのが妥当でしょう」

「では、戻れない、と言うことですか……」

「少なくとも今の段階では。しかし、将来、何らかの方法が見つかるかも知れません」

「だと、いいんですが」

 遊星は溜息を漏らす。

「可能性を捨ててはいけません。科学技術というものは日進月歩です。そう言うのでしたね? いつか必ず見つかりますよ」

 遊星は微笑んで「ええ、そうですね」と頷いた。

「他に、何か聞きたいことは御座いますか?」

「ええ。その現象が起きたとき、僕は弟と一緒にいたんですが、弟もこちらに来ているでしょうか」

「彼を見つけたとき、彼一人きりでした」

 カミラが情報を補足した。

 フアンは頷いて答える。

「この世界の別の場所、或いはこことは別の世界に行っている、ということはあるかもしれません。ですが、先ほども申したように、そちらの世界と繋がるのはこちらの世界のみですから、おそらくは、前者の可能性が高いと考えます。とはいえ、世界は広いものです。見つけ出すのは容易ではないでしょう」

 雄星は肩を落とし、項垂れた。

「大丈夫よ。必ず見つかるわ」カミラは遊星の肩に手を置いて「前にも言ったけど、あなたたちはすごく目立つから、見かけたという話があればすぐに広まるわ。そういう情報が入ったら必ず教えるから」と請け合った。

 遊星は顔を上げ「ありがとう」と礼を述べ「そう言ってもらえると心強いよ」と微笑んだ。

「さて、ともかくだ」王が割って入る。「そなたは客人であるし、娘を救ってくれた恩人でもある。ひとまずは、ゆっくりと体を休め、その上で、考えを整理するがよかろう。どうかな?」

 雄星はしばし思案したのち、顔を上げ「そうですね。そうします」と頷いた。

「うむ。その方が、娘も喜ぶだろう。なにせ、この通りのじゃじゃ馬だからな。ほとほと、他の者は手を焼いておるのだ。そなたならうまく乗りこなせよう」

「父上! 酷い言いようではありませんか!」カミラが噛みついた。「実の娘に向かってじゃじゃ馬とは、なんですか!」

「周りの者は皆、そう思っておるし、そなたも自分でそう言っておるそうではないか」

「それは……皆がそう言うからです」

「わかっておるなら、なにも目くじらを立てることもあるまい。なあ?」

 王はそう言って、官僚や近習の者達の反応を確かめた。誰もが、必死で笑いをこらえていた。カミラはぷいとそっぽを向いた。王は満面に笑みを浮かべて言った。

「さて、そなたには部屋を用意させよう。今宵はゆるりと休むがよい」

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