第十一話:鈴華園~After that~


崇爛城の後宮――内廷の正門・黄竜門きりゅうもん正面、三高宮さんこうきゅうが縦に建ち並ぶ一番奥、高華宮こうかきゅうは皇后・夜条風華やじょうふうか愛馨あいしんが居住する正宮だ。前庭は全面石畳、守護獣像の石獅子が左右対称に設置されている。宝珠ほうじゅかさ、透かし彫りが施された火袋ひぶくろうけはしら地輪じりん、台座上に反花そりばなが刻まれた8.5尺ある華麗な立灯籠は圧巻だ。


 とりの下刻、寒い夜空の下、高華宮の冷たい石畳に両膝を突く女官がいた。彼女は柔らかい青みの紫、クロッカスの女房装束に、団子状に結った髪には色味の薄いベビーピンクのダリアと中小の橙、白、黄緑の愛らしいマムの髪飾りをしている。


 はん杏林きょうりんだ。彼女の後方に宦官の長官・髭を蓄えた太監たいかん、後宮の賞罰しょうばつを担う警防総官けいぼうそうかん、軍将官・軍将若人進ぐんしょうわこうどしん・夜条風華煌侃、他宦官数名がいた。


 侍女数人を傍に仕える皇后は杏林の御前に立っており、杏林が仕える咲濱さきひんが彼女の隣で、目と口と鼻、バランスの整った顔を歪めていた。


ひとりの上位階級女官が皇后の右手を支える。皇后は手入れされた細い眉を顰め、静まる空間のなか口火を切った。いつもの穏やかさは微塵とない。


 「――麗優淑を襲った宦官三名は、貴女アナタの指示で動いたと自白したわ。藩杏林」


 「皇后様、いわれのない濡れ衣でございます!! でたらめにございます! わたくしは何の計らいも……ッ、関係もございません!」


 杏林の蛮声ばんせいが夜空を突き抜ける。


 「夜条風華侍衛が縁談を承諾した下級女官、麗優淑が目障り、麗優淑が憎い、麗優淑を殺したい、宦官が貴女アナタの零した繰言くりごとを事細かに憶えていたわ。貴女アナタの恋の成就は優淑に阻まれた、優淑に私怨を抱いたのでしょう」


 「宦官如きの戯言ざれごとを鵜呑みになさらないで下さい! 宦官は罪を逃れるためわたくしめを陥れているのでございます! 疑いを私にかける大それた芝居ッ、濡れ衣でございます!!」


 平伏し、杏林は反論した。絶えず流れる大粒の涙を石畳が吸い込んだ。


 「……大監」


 皇后に促され、樺茶かばちゃの長衣の胸元に拳を当て大監が発言する。力が入った語尾は歯切れがいい。


 「――ハッ! 鈴華園、純舞門じゅんぶもんで目撃された不審者の一報は、藩杏林に受けたと門番が断言致しました。加え、捕らえた三名が事実を申す証拠――麗優淑を手渡す手筈であった崇爛城外に、証言通り、武装し潜んでおりました他宦官三名を発見、警防総官が連行致しました。みな、藩杏林に多額の金銭を貰い麗優淑暗殺を決行した、こう供述致しております」


 「虚誕きょたんだわ!! 噓八百よ!! 大監様もっとよくお調べになって下さい!! 信じてはなりません!!」


 大監に噛み付く杏林は鬼の形相だ。半狂乱に喚く杏林と異なり、彼女のあるじ、咲濱は反省の意を唱えた。


 「皇后様、わたくしの監督不行き届きでありました。看過できぬ問題でございます、申し訳ございません」


 咲濱は真ん中分けの長い黒髪に、レース編みの付け襟が美しい青竹色あおたけいろの長衣を身に纏っている。妃に次ぐ地位の咲濱、杏林を見下ろす視線は棘々しい。


 「私情を挟んだ思い立っての行動は予測が難しいわ」


 ゆっくり首を振る皇后は、罪を認めない杏林に溜息を吐いた。本人の弁解は飾られた嘘、浮いては沈む譎詐けっさ、言い訳を守る嘘は後宮にあってはならい。


 皇后は明らかな真実を選んだ。


 「――藩杏林は嫉妬に駆られ、麗優淑を殺める画策をした。大監、十五回打ち、酷背舎こくはいしゃに入れなさい」


 罪人を断罪する。大監は帯を締め、命令に従った。


 「ハッ!!」


 「嫌です! ご容赦を! 皇后様、私は無実でございます! 咲濱様! 咲濱様お助け下さい!! 咲濱様!!」


 酷背舎は罪を犯した女官、宦官がいく労役場だ。時に過酷な肉体労働を強いられる。


 名を呼ばれても咲濱は素知らぬふりだ。咲濱は皇后に頭を下げた。


 「皇后様、わたくしはこれで失礼を」


 「ええ」


 相槌を打つ皇后に再度膝を折り、咲濱は侍女達と共に足早に立ち去る。大監と警防総官、宦官も職務を果たすべく、奇声を発す杏林を引き摺り夜の後宮に消えていった。残るは、事の顛末を見届けた煌侃だ。


 皇后は深呼吸を浅くし、一拍後、煌侃に感謝する。


 「煌侃、貴方アナタがいて優淑は助かったわ。礼を言います。無事で何よりですが、さぞ優淑も心を痛めているでしょう」


 「突然の事態に困惑しておりましたが、下手人は裁かれました。皇后の下された処断に優淑も一安心でしょう」


 煌侃も又、安堵していた。優淑が再び命を狙われずに済むからだ。


 「此度こたびの原因は貴方アナタの縁談……、母上に経緯は聞きました。貴方と優淑は家の格が違うわね。でも頑固な貴方が優淑を潔く諦めると思いません。初恋は不思議と忘れられないわ、優淑以外なら貴方アナタは誰も娶らず、一生独身を貫く覚悟なのでしょう」


 「……皇后様、私は」


 お見通しの見解である。煌侃が主張しようとした瞬間、相好そうごうを崩す皇后が右手で静止した。


 「結論を急がないで勘違いよ煌侃、私は母上に喜ばしい縁談と伝えたの」


 「皇后様……」


 皇后の賛成は大きい。夜条風華家で影響力の強い皇后に否認されれば、どんな形であれ縁談は見送られたであろう。


 「夜条風華家を貴方の代で潰せないでしょう? えんが煩かったのよ。それに優淑は私の大切な息子を身を挺して救ってくれた、ひとりの母の立場として計り知れない恩がある。優淑が貴方アナタに嫁ぐ意思を固めた以上、私は早急に縁談を取り纏めなくてはなりません。待ち望んでいた吉報は私から陛下にお届けするわ」


 冒頭が皇后の本音に違いない。されど煌侃にとって理想的な展開だ。


 「皇后様の深い御慈悲、有難く存じます」


 「そろそろの刻の正刻せいこくです。当直じゃない貴方アナタは禁足の時間よ、下がりなさい」


 二十時以降は禁足だ。後宮は当直の侍衛や宦官を除き、許可なく出歩けない。


 「――

 

 迅速果断な対応で一件の幕が下りる。皇后の指示に煌侃は腰を低く後退り、高華宮を後にしたのだった。

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