第九話:夜条風華円
陽敬宮の開けた応接間は扉がない。
カーテンの開閉は客人次第になる。普段は大抵、開いているが、今日は昌映の指示で閉められていた。
立体的な織柄の陰影が空間を美しく彩るカーテンの手前に侍女が数人待機しており、閉ざされた内側にいる者は陽敬宮の主・昌映と、彼女の手紙で馳せ参じた男の客人、この二人だ。
男と昌映は、向かい合う形で座っていた。
「陽敬宮の
「
「左様でしたか。こちらの湯呑も流石、趣味が宜しいですね」
澄み渡る清明な淡い青の、
「そうそう、崇爛城お抱え窯元の作による
湯呑の感想で思い出した昌映が頬に手を添え、「すっかりだったわ」と独り言ちた。男は湯呑を傍の机に置き、座面に対し骨盤を垂直に立てる。
「常々のお気遣い恐れ入ります。茜音も案じておりましたが体調は
「陽敬宮は静かで休まるわ、こちらに移って多少は改善したのよ。
昌映は自分を
「いえいえ、私は何も。姉上の慈悲と陛下の御取り計らいに、私は畏敬の念を抱くばかりですよ」
そう謙遜するこの男の名前は獅龍帝の
円は、地方行政を含め、軍・土木・衛生諸々の帝内行政を担う、内務府大臣だ。とても忙しい身であるが、日程を
「相変わらず謙虚ね、円」
「母上に
「多忙の中、今日は迷惑をかけたわね」
昌映は胸元で扇子を仰ぎ、承知の上で呼び出した非礼を詫びた。息子の仕事の邪魔をしたい母親はいない。
「母上の手紙、拝読致しました」
「ええ」
「煌侃に良き縁談があるとか」
円が今日、陽敬宮に訪れた理由だ。円が本題を切り出し、昌映が滑らかなに首肯する。
「ええ」
「母上、煌侃は縁談が嫌いです。母上もご存知でしょう」
「重々にね。あの子が私を最後の砦に何度、頼ってきたか」
煌侃は縁談を断るに際して、交渉、要望、譲歩、で相手側の理解が得られないとき、昌映に知恵を借りに来ていた。今後の関係性も視野に波風立てずに断りたい煌侃の理想は尤もで、昌映も相談を受ける度、煌侃の縁談に頭を悩ませていた。
「煌侃は私に似て頑固な子です。一度決めたら考えを改めぬ性分、
しかし円が示す指摘に昌映は落ち着いた様子だ。昌映はお茶で口内を潤わせ、一泊置き、口火を切った。
「煌侃自らが望む相手ならどうかしら?」
円の憂いを断つ予想だにしない吉報だ。つい声を張り上げてしまう。
「煌侃に想い人がいるのですかっ!?」
「……円、はしたないですよ」
「ゴホッゴホ……、申し訳ありません。いやはや、驚きの余り……」
円は口元に指先を押し当て、恥ずかし気な面持ちで自分の
「――で、
「第一皇太子が崇泰内地で荷馬車に轢かれかけた
質問を質問で返された。先の見えない話だが円は記憶を辿り答える。
「第一皇太子――ええ、はい。助けた女子の栄誉を称え、陛下が褒美とし崇爛城の女官に迎え入れた、こう
「皇后様が陛下の褒美を辞退する女子を大層お気に召して、ここ陽敬宮に仕えさせたいとご要望なさったのよ」
「姉上が? まさか母上――」
昌映がした補足の解説に、察しのいい円は瞠目した。息を呑み二の句が継げない。
「
円の代わりに昌映が「
「確か第一皇太子を助けた
「ええ。麗家は格が低いわ」
円の想定外の部分は
――にも拘わらず、だ。
「よいのですか母上は」
「
「母上、私は
「親孝行の子供二人に恵まれて私も幸せよ。煌侃も夜条風華家の跡取りらしく立派に成長したわ、これ以上縁談事で親不孝にさせてはいけないでしょう」
煌侃の複雑な心情と、円の立場を気遣う助言だ。上位階級の狭い貴族世界、縁談を断り続ければいつか支障が出兼ねない。
「ご迷惑を掛け誠、相済みません」
「興味のない貴族の
「――昌映様、優淑が戻りました」
昌映が矢継ぎ早に褒め称えていた、そこへ丁度、侍女が
「優淑、こちらに」
「失礼致します」
昌映の命に従い、優淑が中へ入った。
「こちら私の息子、円よ」
「挨拶が遅れご容赦下さい。麗優淑と申します」
膝を折る単純な仕草が芸術に思える。円は一瞬呆け、我に返るや否や苦笑した。息子の
「初めまして、素敵な
夜条風華家の家紋、梅の花に直感が働いた。円は目敏い。
「……はい」
「本人同士の想いが通ずるならば、母上、私は快く賛同します。頂いた縁談は
円は格差婚に偏見がなく、むしろ永遠に煌侃の婚儀はないと諦めかけていただけに又と無い機会、万々歳だ。妻の茜音は孫が欲しかったため号泣するに相違ない。
「……縁談?」
露知らずはやはり優淑だった。
「母上、恩に着ります」
「愛馨ね、残るは」
着々と進む会話に優淑は置いてけぼりだ。
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