初恋初愛

福(ぷく)

第一話:噂の天女

 累歴るいれき1765年、崇天厳すうてんごん帝国ていこく東に位置する帝都崇泰すうたい。1760年に最高司令官合意のもと隣国と交わされた休戦協定により戦争行為、あらゆる武力行為が停止、平和条約の締結はされていないものの帝国には平和な日常が訪れていた。


 皇宮おうきゅうとしてその一族が移住すると共に政治も執り行われる崇爛城すうらんじょうは、南北の長さ201メートル、東西822メートル、高さ15メートルの城壁に囲まれていて藍色瓦の屋根と朱色の壁がシンボルとなっている。


 その帝国に君臨する第五代皇帝・獅龍帝しりゅうてい伊武千万いぶせんばん陽瑛ようえいは、1760年――皇位継承法の原型が定められた伊武千万の血を引いており、宗教を絡めた他国との間に生じる利害の不一致、耕地こうちを巡っての争いに他国侵略する覇権国との対立、それら様々な原因を物理的な方法――他国が望む代替になるものを提供する形で解決した。帝国に平和が訪れたのもひとえに彼の仁徳のなせる業であり、一時的にも血の流れない時代が訪れ民は彼を称賛したのだった。


 ――そんな帝国に今日もまた、誰にも等しい太陽が降り注がれる。


 「寄ってって下さいなそこの奥様!」


 「さあさあ! いらっしゃい! これはね、隣国から取り寄せた希少な布だよ!」


 「今朝獲れたばかりの新鮮な魚! 早い者勝ちだ!」


 多方面から声が行き交う賑やかなこの帝都・崇泰内地すうたいないちは、複数の大寺院だいじいん、上位階級住居、活気溢れる市場がある。


 「おっとごめんよ!」


 「邪魔だ邪魔だ!! 他所あっちを通りな!!」


 「テメエどこ見てやがる!! 気を付けやがれってんだ!」


 ここは崇泰内地の中心市街地、朝夕を問わず人出の多い場所だ。荷車、馬車、牛車も通っており、怒号が飛ぶ小さないざこざも日常茶飯事だ。


 「今日も何とか売れてよかった」


 そうした光景を横目に根曲竹ねまがりだけでざっくりと編まれた空の籠を持ち、満足気に立ち上がるひとりの女――優淑うしゅく


 優淑は自分で作ったハンカチーフや髪飾り、婦人用の肩掛けなど、貴族を対象に売り捌き生計を立てている。優淑の作る品々はレースや刺繍が繊細に施されていて評判が高い。


 「ちょっと寄り道して帰ろう」


 まだうまこくだ。優淑は一本に結んだ三つ編みを折り畳み、リボンで縛った髪を整えると、軽くなった籠を抱えたまま草履を履き直し、人込みの中へと入っていく。


 「見ろ、天女だ。今日はこっちにいたみたいだぞ」


 「おお、相変わらず綺麗だな」


 通りすがる男達が周囲に聞こえないほどの小声で話す。視線の先には優淑がいた。両耳の耳飾り、藤の花が風で揺れている。


 「今日はもう終わりか?」


 「お前、ちょっと喋りかけてこい!」


 優淑は質素な赤香あかこうの小袖に身を包んでいる。ぱっちりとした目、適度に手入れされた眉、お人形のような長くボリュームがある睫毛、きゅっと上がっている口角に美姿勢を保つ細い体、透き通った肌は陶器の如く白く雰囲気は儚い。内地で働く者、よく訪れる者達は、その容姿端麗な姿から優淑のことを天女と呼んでいた。


 無論、本人は知らぬ存ぜぬである。


 「どうして今日はこんなに人が多いのかしら」


 先程からすれ違いざまに、肩と肩がぶつかる。優淑は動きずらさから少し脇道に逸れた。


 一息つき、人の流れを眺める。


 「ふう……」


 と同時に、とある少年の男の子が視野に入った。灰色の長袍チャンパオを着ている彼はきょろきょろ辺りを見回しており、大人とぶつかって体勢を崩そうがお構いなしにどこか足早だ。それが優淑の目にはとても危なく映った。


 案の定、最悪な展開が訪れる。


 「あ――」


 ガシャンガシャンといやな鈍い音が耳に届いた。農場の荷馬車だ。


 「通るよ通るよ! どいたどいた!」


 荷馬車を引く馬の手綱を握る男性が乱暴に進んでくる。喧騒けんそうの崇泰内地、加え、少年の彼は別の方向を向いていて荷馬車に全く気づいていない。


 それどころかドンっと大柄の男性にぶつかった拍子に、少年の細い体がいとも簡単に荷馬車の前に弾き出されてしまった。


 「――ッ!!」


 一瞬に縮まる両者の距離に優淑は堪らず駆け出し、少年に体当たりするように突っ込むと、彼の体をしっかり自分の腕の中に閉じ込め、反対側の地面へと雪崩れ込んだ。

 

 「あぶねえだろ!」と怒鳴り、荷馬車は止まらず走り去る。周囲も一瞬は転がる二人にざわつき足を止めたものの、すぐさま見て見ぬふりをして通り過ぎた。


 時が止まる感覚から目覚め、ハッと優淑が腕の中にいる少年を覗き込んだ。


 眉間に皺が寄っているけれど大した怪我はなさそうだ。優淑は少年を支えながら上半身を起こし、早鐘を打つ心臓を落ち着かせるように息を吸い言い放った。


 「死ぬところだったわよ!」


 いきり立つ優淑に少年はパチパチ瞼を瞬かせる。状況を把握しようとしているらしい。


 「しっかり前を向いて歩きなさい! アナタに万一があれば一番悲しむのはご両親なのよ!」


 凄い剣幕でまくし立てる優淑に、少年はようやく言葉を発した。


 「……すまない」


 とても弱々しい声で、事態の深刻さを理解したようだった。優淑は反省の色を示す少年に眉尻を下げ、一先ずお互い無事であった結果に安堵する。


 「はあ……、もう、……よかった」


 とため息を吐き、継いで問いかけた。


 「痛いところはない? 立てる?」


 「ああ、問題ない」


 そう答えて頷き、少年が自ら身を起そうとしたときだった。


 「――皇太子こうたいし!!」


 崇爛城すうらんじょう侍衛じえい達が駆け寄ってきた。荒々しく軍剣ぐんけんを揺らす侍衛達の鬼気迫る表情に、優淑は驚きと不安でいっぱいになる。


 そんな混乱の最中にいる優淑を他所よそに、深緋こきあけの立襟型軍服を身に纏う、ひとりの侍衛が少年の前でこうべを垂れ片膝を突いた。確か深緋の軍服は、兵軍省へいぐんしょうの高級武官から選抜された官吏かんり――軍将官ぐんしょうかん朝服ちょうふくだ。バンド部分が月桂樹ローリエに囲まれた兵軍省専用独自の帽章の官帽かんぼうまで被っている、間違いない。


 「皇太子が崇爛城におられないと子侍官しじかん達が探しておられたので、もしやまた・・内地に出られたのではと、我々侍衛も共に探しに参った次第でございます。お怪我はございませんか」


 皇太子は無論、子侍官と聞き、ダブルパンチに優淑が真っ青になる。子侍官は皇太子専属の侍衛だと既知の事実だ。


 「夜条風華やじょうふうか煌侃こうかん、今しがた荷馬車に轢かれる危ういところをここにいる女子おなごに助けてもらった」


 冷静な口調で端的に述べる皇太子の目線が侍衛から優淑に移り、自然とその場にいる者達の目が一点に注がれた。


 瞬時に優淑は顔を下げる。


 「……あの」


 まるでいけない罪を犯してしまったかのように縮こまる優淑、座っていては失礼と思いぎこちなく立ち上がった。けれど地面に打ち付けた体が悲鳴を上げ、更に痛む足に耐えられず前のめりに倒れ込んでしまう。


 「あ――」


 「――ッ!」


 覚悟した衝撃が優淑を襲ってこない。間一髪、膝を着いていた侍衛――煌侃こうかんが咄嗟に優淑の体を受け止めていたのだ。


 「――ッ、すみません」


 優淑は息を呑み、困惑した面持ちの顔を上げる。至近距離で非常に目鼻立ちの整った煌侃と視線がぶつかった。


 一筋の日差しが眉目秀麗びもくしゅうれいな煌侃と、容貌が優れた優淑を明るく照らし出す。煌侃の色素の薄い茶色い瞳が自分に覆い被さった優淑を捉える。


 「…………ッ、気を付けてくれ」


 見惚れていましたと言わんばかりの動揺だ。数秒の沈黙を破り、顔を背けた煌侃が優淑の体を乱暴に押し退けた。


 「謝ったのに……」


 優淑の小さい呟きは空気に溶け、その場の誰にも聞こえない。


 二人は各々、衣服についた砂埃を祓う。煌侃は眉を顰める優淑を一瞥し、皇太子に提言した。


 「皇太子、私は陛下に皇太子のご無事と事の詳細をご報告せねばなりません。この女子おなごを陛下のおられる崇爛城へ同行させても宜しいでしょうか」


 「身を挺して私の命を救ってくれた女子おなごだ。崇爛城にて傷の手当を、終わり次第、父上には私からお目通り願おう」


 「――


 あれよあれよと即断即決する。瞬きを忘れた優淑は煌侃の横顔を見つめ、ただ茫然と佇んでいた。


 「――では皇太子」


 後ろに控えていた別の侍衛達が促すように道を開け、皇太子の安全を確保しながら誘導し去って行く。遠ざかる背中に優淑はすべて夢だったのではと思考展開させる。


 そんな放心状態の優淑をちらり覗き見、ひとりの侍衛がそっと煌侃に耳打ちした。


 「煌侃、この子さ、内地で噂の天女だよ」


 「天女……?」


 「ん、日々鍛錬しかしないお前なら知らないよな。内地じゃ美人で有名なんだよこの子、珍しくってかお前が女を食い入るように見てるの初めてみたな」


 「……フォン、誤解を招く言い方はやめろ。崇爛城に戻るぞ」


 「はいはい」


 語気を強め睨む煌侃に侍衛は適当な相槌で返す。その間、魂が抜けている優淑は依然と現実を受け止めきれていなかった。

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