初恋初愛
福(ぷく)
第一話:噂の天女
その帝国に君臨する第五代皇帝・
――そんな帝国に今日もまた、誰にも等しい太陽が降り注がれる。
「寄ってって下さいなそこの奥様!」
「さあさあ! いらっしゃい! これはね、隣国から取り寄せた希少な布だよ!」
「今朝獲れたばかりの新鮮な魚! 早い者勝ちだ!」
多方面から声が行き交う賑やかなこの帝都・
「おっとごめんよ!」
「邪魔だ邪魔だ!!
「テメエどこ見てやがる!! 気を付けやがれってんだ!」
ここは崇泰内地の中心市街地、朝夕を問わず人出の多い場所だ。荷車、馬車、牛車も通っており、怒号が飛ぶ小さないざこざも日常茶飯事だ。
「今日も何とか売れてよかった」
そうした光景を横目に
優淑は自分で作ったハンカチーフや髪飾り、婦人用の肩掛けなど、貴族を対象に売り捌き生計を立てている。優淑の作る品々はレースや刺繍が繊細に施されていて評判が高い。
「ちょっと寄り道して帰ろう」
まだ
「見ろ、天女だ。今日はこっちにいたみたいだぞ」
「おお、相変わらず綺麗だな」
通りすがる男達が周囲に聞こえないほどの小声で話す。視線の先には優淑がいた。両耳の耳飾り、藤の花が風で揺れている。
「今日はもう終わりか?」
「お前、ちょっと喋りかけてこい!」
優淑は質素な
無論、本人は知らぬ存ぜぬである。
「どうして今日はこんなに人が多いのかしら」
先程からすれ違いざまに、肩と肩がぶつかる。優淑は動きずらさから少し脇道に逸れた。
一息つき、人の流れを眺める。
「ふう……」
と同時に、とある少年の男の子が視野に入った。灰色の
案の定、最悪な展開が訪れる。
「あ――」
ガシャンガシャンと
「通るよ通るよ! どいたどいた!」
荷馬車を引く馬の手綱を握る男性が乱暴に進んでくる。
それどころかドンっと大柄の男性にぶつかった拍子に、少年の細い体がいとも簡単に荷馬車の前に弾き出されてしまった。
「――ッ!!」
一瞬に縮まる両者の距離に優淑は堪らず駆け出し、少年に体当たりするように突っ込むと、彼の体をしっかり自分の腕の中に閉じ込め、反対側の地面へと雪崩れ込んだ。
「
時が止まる感覚から目覚め、ハッと優淑が腕の中にいる少年を覗き込んだ。
眉間に皺が寄っているけれど大した怪我はなさそうだ。優淑は少年を支えながら上半身を起こし、早鐘を打つ心臓を落ち着かせるように息を吸い言い放った。
「死ぬところだったわよ!」
いきり立つ優淑に少年はパチパチ瞼を瞬かせる。状況を把握しようとしているらしい。
「しっかり前を向いて歩きなさい! アナタに万一があれば一番悲しむのはご両親なのよ!」
凄い剣幕で
「……すまない」
とても弱々しい声で、事態の深刻さを理解したようだった。優淑は反省の色を示す少年に眉尻を下げ、一先ずお互い無事であった結果に安堵する。
「はあ……、もう、……よかった」
とため息を吐き、継いで問いかけた。
「痛いところはない? 立てる?」
「ああ、問題ない」
そう答えて頷き、少年が自ら身を起そうとしたときだった。
「――
そんな混乱の最中にいる優淑を
「皇太子が崇爛城におられないと
皇太子は無論、子侍官と聞き、ダブルパンチに優淑が真っ青になる。子侍官は皇太子専属の侍衛だと既知の事実だ。
「
冷静な口調で端的に述べる皇太子の目線が侍衛から優淑に移り、自然とその場にいる者達の目が一点に注がれた。
瞬時に優淑は顔を下げる。
「……あの」
まるでいけない罪を犯してしまったかのように縮こまる優淑、座っていては失礼と思いぎこちなく立ち上がった。けれど地面に打ち付けた体が悲鳴を上げ、更に痛む足に耐えられず前のめりに倒れ込んでしまう。
「あ――」
「――ッ!」
覚悟した衝撃が優淑を襲ってこない。間一髪、膝を着いていた侍衛――
「――ッ、すみません」
優淑は息を呑み、困惑した面持ちの顔を上げる。至近距離で非常に目鼻立ちの整った煌侃と視線がぶつかった。
一筋の日差しが
「…………ッ、気を付けてくれ」
見惚れていましたと言わんばかりの動揺だ。数秒の沈黙を破り、顔を背けた煌侃が優淑の体を乱暴に押し退けた。
「謝ったのに……」
優淑の小さい呟きは空気に溶け、その場の誰にも聞こえない。
二人は各々、衣服についた砂埃を祓う。煌侃は眉を顰める優淑を一瞥し、皇太子に提言した。
「皇太子、私は陛下に皇太子のご無事と事の詳細をご報告せねばなりません。この
「身を挺して私の命を救ってくれた
「――
あれよあれよと即断即決する。瞬きを忘れた優淑は煌侃の横顔を見つめ、ただ茫然と佇んでいた。
「――では皇太子」
後ろに控えていた別の侍衛達が促すように道を開け、皇太子の安全を確保しながら誘導し去って行く。遠ざかる背中に優淑はすべて夢だったのではと思考展開させる。
そんな放心状態の優淑をちらり覗き見、ひとりの侍衛がそっと煌侃に耳打ちした。
「煌侃、この子さ、内地で噂の天女だよ」
「天女……?」
「ん、日々鍛錬しかしないお前なら知らないよな。内地じゃ美人で有名なんだよこの子、珍しくってかお前が女を食い入るように見てるの初めてみたな」
「……フォン、誤解を招く言い方はやめろ。崇爛城に戻るぞ」
「はいはい」
語気を強め睨む煌侃に侍衛は適当な相槌で返す。その間、魂が抜けている優淑は依然と現実を受け止めきれていなかった。
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