第16話 「一体いつになったら、僕は奏人くんのことを息子と呼んでもいいだろうか?」






 日が沈んで西の空が茜色に染まっているころ、奏人は楓との約束通り徒歩10 秒の距離にあるお隣さんへと足を運んでいた。



ーーピンポーン……



「はいはーい」



 板一枚隔てた向こう側から可愛らしい声が聞こえてきて、目の前の扉がガチャッと音を立てて開く。



「いらっしゃい、お兄ちゃん!」


「おじゃまします」



 学校が終わって、今日は研究会に行かずに近くのショッピングモールに足を運んでから帰宅。


 制服から私服に着替えて楓の家へと足を運んでいた。



「お母さーん、奏人お兄ちゃん来たよ〜」


「あらあら、いらっしゃい。奏人くん、うちに上がるのは少し久々ね」


「そう、ですね。確か最後にお邪魔したのは春休み前ですから」


「高校二年生になってまた一段とカッコよくなったんじゃない? 学校でもモテるでしょ?」


「いえそんなことは……」


「あらそうなの? 今時の女子高生は見る目がないのね……」



 ……こう、何ていうか。


 身内的な視点から見た評価って気恥ずかしくなって返答に困る。


 しかも定期的に同じような話題を振ってくるから余計にだ。



「楓はちゃんと奏人くんのこと、捕まえておくのよ」


「うん、もちろんそのつもり!」



 ……。


 これも毎度のことだけど、そう言った手合いの話を本人の目の前でされても苦笑いしかできないよ?


 あまり深く考えていなさそうな楓はともかく、この話題をする時の仁美さんは何を考えているか分からない笑顔になるから余計に……


 だから返し手としては別の話題を提供することが必須である。



「あ、仁美さん。今日の弁当もとても美味しかったです。ほんとに助かってます」


「あぁ、いいのいいの、私も作り甲斐があって嬉しいから。男の子だといっぱい食べてくれるからついつい張り切っちゃうわ」



 そうすることで仁美さんは少し怖い笑顔から、普段のポワポワした柔和な雰囲気に戻ってくれる。



「あと、チーズケーキも買ってきたのでよかったらどうぞ」


「あらあら、まあまあ! もう、気にしなくていいのに! ほんと、よくできた子なんだから! あなた〜、奏人くんがお土産にチーズケーキを買ってきてくれたわよ」


「ああ、それはよかったな」



 リビングの方から男の人の声が聞こえてくる。


 楓の父親である智和さんだ。



「じゃあもうすぐで料理完成するからリビングでくつろいでて頂戴。今晩は自信作ばかりだから期待しててね」


「楽しみにしてます」


「あっお母さん、わたしも手伝う!」


「そうね〜、じゃあ……」



 那須野家母娘が台所に入っていったので、リビングへと足を運ぶ。



「やあ奏人君。しばらくぶりだね」


「ご無沙汰してます、智和さん」



 智和さんは和室造りのリビングに定位置で座布団を敷いて座り、新聞に落としていた目を上にあげて声をかけてくれた。


 母娘同様、優しげな雰囲気を纏っていてとても接しやすい人だ。


 向かい側に座ると、机に置かれていた新しい湯呑みを取って急須からお茶を注いでくれる。



「あ、すみません。ありがとうございます」


「いやいや、それより受験では楓がお世話になったね。奏人君が家庭教師をしてくれたお陰で進学することができた」


「いえ、合格は楓のひたむきな頑張りがあってこそですから」


「そう評してくれるのは、楓の父親としてとても喜ばしいよ」



 お茶の湯気で黒縁の眼鏡を少し曇らせながら、智和さんはニッコリと微笑んでくれる。


 ほんと、この家の人はみんな良い人だよな。


 普段一人で過ごすことが多いおれにとっては、この人たちと過ごす家族のような時間はとても心温まる。


 奏人はほっこりとしながら、差し出されていた湯呑みをとって緑茶をすすった。



「ところで奏人くん」


「ずずっ……何でしょうか?」


「一体いつになったら、僕は奏人くんのことを息子と呼んでもいいだろうか?」


「ぶふっ……」



 智和さんの発言に奏人は危うくお茶を吹き出しそうになる。



「な、何を言って……?」


「いや、昔から楓は口を開けば『奏人お兄ちゃんが』、『奏人お兄ちゃんがね』とった具合でね」


「は、はぁ……」


「それこそ『大きくなったらお父さんと結婚するの〜』ってセリフが小学校低学年の頃には『奏人お兄ちゃんと結婚するの〜』とあっという間に変わってしまって……」


「それは……なんだかすみません」


「ここのところさらにその頻度が増えて、それどころか最近は妻まで一緒になって楽しそうに語るものだから。もしや僕が知らないだけで、楓と奏人くんはできてるのではと」


「できてません。できてませんから」


「まだ高校生の身だ。しっかりと線引きはしといておくれよ。その、……特にあっち方面のことは……」


「だからできてませんってば! それと何をさり気なく渡そうとしてるんですか!」


「男としての先達からの贈り物ゴムだ」


「仮にも娘の彼氏と思い込んでる相手にソレ送りますか?!」


「僕は奏人君になら安心して楓を任せられるっ……うぅっ、楓が嫁に……」


「楓はまだ高校生ですから! 勝手に想像して涙ぐむのもやめてくださいよ!」


「どうしたの、お兄ちゃん? そんな大きな声出して」


「あっ、楓」



 咄嗟に机の上に差し出されていたソレを、手にとって楓の目の届かないところに隠す。



「な、何でもないよ?」


「そう? それよりご飯の準備できたから机の上に運ぶね」


「お、おう、おれも手伝うわ」



 そーっとソレをポケットに突っ込んでから席を立ち、台所へと向かう。


 智和さんがあんなことを言い出すなんて。


 ……普段この家で行われてる楓と仁美さんの会話が勘違いに走らせたようだが、一体何を話していたらそんな結論に至るのだろうか……


 そんな男間の波乱はともかく、仁美さんが用意してくれた料理はとても豪華で美味しかったとお伝えしておく。





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