第36話 山吹・言霊
あの航空機事故から、3年の歳月が流れた7月。
ひとりの女性が、私の元を訪れて来た。
遺族会を通して、埼玉からこの地までやってきたその女性は、歳は私と同じくらいだろうか。ふくよかな体つきで、額からは大量の汗が流れていた。
早々に店を閉めて、女性を居間へと案内する。
彼女は仏壇に手を合わせると、にこやかに笑いながら話し始めた。
「本当にお忙しいのに、申し訳ありません」
「いえ、こちらこそわざわざ」
「長いんですか? こちらは」
「え?」
「あ、あの、立派な店構えだなあと思いまして」
「あ、いや、それほどでもないですよ、古めかしいだけです」
「そんなことはないですよ、老舗ですね」
「いやあ、お客も減る一方ですから」
私は笑ってみせた。
彼女も笑っていたが、お互いにつくり笑顔は得意ではないように感じた。
彼女は、仏壇に目をやると黙って汗を拭い始めた。
私は立ち上がって。
「あ、今、冷たいものでもお持ちします」
と、彼女に言った。
「いえ、あの、お構いなく」
遠慮する彼女の言葉を背に、私は麦茶と和菓子を差し出しながら話す。
「暑いでしょう。こっちは」
「はい。でも関東に比べたら過ごしやすそうですね」
彼女は一気に麦茶を飲み干すと、恥ずかしそうに俯いて、黙り込んでしまった。
そして僅かの沈黙の後、私の方から本題を切り出した。
「あの、今日は私にー」
「あ、あの、実は」
彼女はハンドバッグから、真っ白なハンカチーフに包まれた小箱を取り出した。
「こちらなんですけどね、お心当たりがないかと思いまして」
彼女は、そっと小箱を開けて私に差し出した。
中には、淡いピンク色の真綿が敷かれてあって、その上にブレスレットが置かれていた。
ピンクゴールドのチェーン。キラキラ光るダイヤモンド。
私は我が目を疑った。
妻に贈ったブレスレットが、私の目の前で輝きを放っている。
目頭が熱くなるのを感じながら、私は興奮気味に。
「あ、あの、どこでこれを」
「ああ、良かった!」
彼女は嗚咽を漏らし、ハンカチで顔を覆った。
私はブレスレットを手に取った。
声が聞こえる。
妻の声が、私の心の中で聞こえた。
「あたしの大切なお守りが出来ちゃった」
娘の声もした。
「いいなぁ」
私は、何度も何度も瞼を擦った。
とまらなかった。
熱い想いがとまらなかった。
「本当はもっと早くにお伺いしたかったんですけど、あたしもちょっとバタバタしてまして、本当にごめんなさい」
「いえ、そんな」
「申し訳なくて、こんなにも長い時間かかってしまって、本当にごめんなさい」
「いえ、逆にお礼を言わせてください。さ、顔を上げてください、お願いですから」
私は察した。
彼女も同じ境遇なのだということを。
「あたしの母も、同じ飛行機に乗っていたんです」
「お母様が、ですか?」
「はい、その母の左手に、このブレスレットが握りしめられていました」
「左手に?」
「はい」
女性は話し続けた。
「あたしの母は、窓際の席でしたから、もしかしたらその隣の方のものではないかと思いまして、座席番号を調べてもらったんです」
「ええ」
「そしたら、こちらの奥様の名前が」
「そうでしたか」
「でも不思議でした。母は左翼側の窓際でしたから、左手に見た事もないブレスレットを握りしめているなんて」
「ええ」
「だけどあたしの母はすごく人懐こい性格で、そこでわかったんです。奥様の隣の、通路側のお嬢さんと席を代わったんだなあって。そんな母ですから、ほんとに子供が大好きで」
「だから左手に」
「ええ。だけど何故母が、奥様のブレスレットをー」
私には分かっていた。
直感だった。
女性には、こう語りかけた。
「妻にとって、このブレスレットはお守りだったんです。気丈で優しい妻でしたから、隣のお母様と最後まで手を握り合っていたんでしょう。このお守りを強く握りしめながら、諦めなかったんだと思います。妻も娘も、お母様もきっとー」
「ありがとうございます」
「私の方こそ、ありがとうございます」
風に泣く風鈴が、優しく揺れはじめていた。
妻と娘と、久方振りに逢えた気がした。
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