The other possibilities
橘 紀里
Their another choice
1. 目眩
「だったら、ロイがついてきてくれればいいのに」
ほんの少しばかり恨みがましく上目遣いにそう言われ、一瞬息が止まった。そんな仕草にさえ動揺する自分に呆れてため息が漏れる。想いは伝えてしまった。だが、相手が誰を想っているかはわかっているつもりだったから、次は遠慮はしないとその程度で留めたのに。
こちらを見つめる青い瞳は、それでもなんの気負いもなく、彼が頷くことを疑ってもいないように見える。
「本当に俺でいいのか?」
「うん、ロイがいい」
あっさりと頷かれて、心臓がおかしな鼓動を打つ。本人は、その言葉に深い意味はないのだろうが、その言葉はあまりに不安定な彼の心を撃ち抜くのに十分だった。
「……わかったよ」
後ろで魔女が忍び笑う声がしたが、聞こえない振りをしてディルの背を押すと、外へと足を踏み出した。
久しぶりに足を踏み入れたその街は、以前訪れた時とほとんど変わっていないように見えた。その風景に、かつての自分の若さ故の奢りや呆れるほどの傲慢さを思い出して、我知らずため息が漏れる。
「迷惑だった?」
どこか沈んだ声に目を向ければ、こちらを見上げる青い瞳がわずかに揺れているように見えた。そうして目の前の相手が、常に何かを期待しては、それが得られなかった過去を持つことを思い出した。つまりは、何かを他者に期待することに、驚くほど慣れていないことを。
「そんなんじゃねえよ。あんたこそ、俺と二人きりになって本当にいいのか?」
「ロイはこの街に詳しいんでしょう?」
不思議そうに首を傾げるその様子に、もう一度ため息をつく。こちらの好意を何も疑っていないその無邪気な眼差しに、ほんのわずか苛立ちを感じる。どうにかしてこの想いをわからせてやりたいという目も眩むような欲望に自分でも驚いた。さすがに街中で手を出すほどに理性を失ってはいなかったけれど。
「もういいから、さっさと行くぞ」
「やっぱり、何か怒ってる?」
「怒ってるわけじゃねえよ。呆れてるんだよ」
何とか笑みを作ってそう言いながら頭を撫でてやると、安心したのかふわりと笑う。いつからだろうか、こんな風にためらいのない笑みを向けられるようになったのは。
「そんな笑顔、誰にでも振りまくんじゃねえぞ」
もう一つため息をついてからそう言いおいて、ひとまずは目的の店へと向かった。
一通り衣服や装備を扱う店を巡った後、結局最初に寄った古着屋で、外套と暖かそうな一揃いを購入した。手に入れた外套が気に入ったのか、すぐに羽織ってにこにこしている。
「暑くないのか?」
「平気。寒いの嫌いだし」
「そうなのか?」
「前にいたところは、部屋に暖炉なんかもなかったから寒くて。こんな暖かいのがあれば随分違っただろうけど」
ディルが育ったのは「祈りの家」だと聞いていた。冬の寒さの中、普通なら子供たちは身を寄せ合ってその寒さをしのぐが、孤児たちが集うそこは、ディルにとっては決して心休まる場所ではなかったのだろう。
「ロイの家は暖かくていいね」
「そうか?」
「うん。ご飯も美味しいし、きれいで、何より雰囲気があったかいよね。自分の家っていうのがあったら、こんな風なのかなって思った」
そう言う表情に陰りは見えない。はじめから家族や家を持たなかったディルにとっては、ただきっぱりとした諦めと、仄かな憧れがあるだけのようだった。だが、それこそがむしろ彼の心を抉った。ほとんど無意識に、その身体を抱き寄せる。
「なら、全部に片がついたら、また俺の家に来るか?」
「いいの?」
見上げてくる眼差しは驚きと、微かな期待を浮かべている。まだ、彼の真意には気づいてはいないようだったが。
「ああ、だが、今度は居候じゃなく——」
「いい雰囲気のところ悪いがね。いちゃいちゃするなら外でやってくれるかい?」
「……野暮だぞ、親父さん」
「俺としても邪魔したくはないがね、そんな美人さんが店の前で男に抱きすくめられてると、うちとしても怪しい目で見られちまうんだよ」
「怪しいって何だよ……」
肩をすくめる店主にため息をつくと、腕を解いて店を後にした。
先に店を出たディルの姿を目で追うと、何やら露店を覗き込んでいるようだった。赤毛の気の良さそうな店主が、その手を取り、何かの指輪をその指に嵌めようとしている。それを見た瞬間、ぞわりと背筋がそそけだった。慌てて駆け寄り、ディルの腕をとって引き寄せる。
「それに触るな」
「え?」
驚いたようにこちらを見上げたディルを胸の内に抱き込んだ彼に、店主も怪訝そうにこちらを見る。
「お嬢さんの連れかい? 別に呪いの品ってわけじゃないよ。こっちと合わせて同じ
そう言って示された大小二つの指輪には、確かに中心に小さな透明の結晶が嵌め込まれている。嫌な予感が的中していた。月晶石は魔力を増幅し、他の石と共鳴する。そうして、「盟約」を破った者の居場所を「狩人」たちに知らせるのだ。
「間一髪だったな」
「月晶石……そういえば、イングリッドも触れないようにって言ってたっけ」
「ああ、お嬢さん、魔力が散らばっちまう
「魔力が……散らばる?」
「月晶石は魔力に強く反応する石でね。あんまり強い力を持つ者だと、たまに暴走したり、本人にも思ってもみない反応がでることがあるらしい」
ごく稀で、よっぽど強い魔力の持ち主か、呪いをかけられた奴くらいなもんだろうがね、と露天商は事もなげに言ったが、その言葉にディルは無意識にか、左の手首を押さえた。
その仕草に心臓がずきりと痛んだ。今は包帯に隠れて見えないその刻印は、彼の罪の証だ。
だが、そんなことは露とも気づかぬ店主は、別の物を薦めてくる。
「月晶石がだめってんなら、このあたりはどうだい? ただの石だから安心しな」
店主の指し示すあたりには、様々な貴石が連ねられた腕輪や、金や銀の指輪が並べられている。ディルは物珍しそうにじっと見入っている。
「何か気になる物でもあるか?」
「これ、綺麗だね」
そう言って指さしたのは、縒り合わせた細い銀の鎖に、深い赤の石と、透き通るような青紫の水晶が通された腕飾りだった。手に取ってみたが、特におかしな予感はしない。そのままディルの左腕に通すと、思いの外ぴったりだった。
「いくらだ?」
店主に問いかけると、にんまり笑って、指を五本立てて見せる。
「高ぇよ」
「その様子じゃ、初めての贈り物だろう? 値切るなんて縁起が悪いよ」
そんな言葉を聞いたディルが慌てて外そうとする。その手を押さえて素直に言い値を払ってやる。
「ロイ、いいよ。自分で払う」
「お嬢さん、そりゃあ逆に酷ってもんだ。せっかくの好意だ。黙って受け取って、あとで口づけの一つでもしてやんな」
「おしゃべりがすぎるぞ」
戸惑う様子のディルに、店主を睨み付けたがどこ吹く風だ。
「毎度あり」
ニヤニヤ笑い続ける店主にため息をついて、ディルの背を押して店の前を離れた。
露店の前を離れてしばらく歩く。舗装された道にはいくつもの色硝子が嵌め込まれ、陽光を反射してきらきらと輝いている。それを見つけるたびに、ディルは物珍しそうに、おっかなびっくりと踏んでみている。
「そんなに怖がらなくても割れたりしねえよ」
「そうなの?」
「魔法で強化してあるからな」
「魔法って、凄いね」
「ある意味、魔力の無駄遣いだがな」
人の往来の多い道に繊細な硝子細工を埋め込むなど、道楽以外の何物でもない。魔法都市と呼ばれるのは、要は一般人には理解も及ばないような無駄な熱意と呆れるほどの研究欲を持った連中の集まりだと揶揄する意味合いも強かった。
途中で寄った街外れの酒場でグラスに入った酒を二つ買う。外に置かれた席に腰を落ち着けると、ディルにも座るよう椅子を示す。ディルは素直に座って、透き通った青い液体で満たされたグラスを手に取ると、物珍しそうに日にかざしている。
「何だか不思議な色だね。これも魔法?」
「どっちかっていうと薬草とか研究の類いだな。ただの果実酒に、色をつけているだけだ」
「甘いね。いくらでも飲めそう」
口をつけてそう笑った顔に、いつかの光景が思い出されて思わずため息をついた。
「俺が渡しといてなんだが、程々にしておけよ」
「わかってるよ。ロイのは? 見た目が違うだけで、中身は同じ?」
彼のグラスに入っているのは琥珀色の液体だ。昼から飲むような物ではないが、少しぐらい景気付けが必要な気分だったのだ、と自分に言い訳する。
「いいや、もっと強い酒だ。飲んでみるか?」
「うん」
手渡すと、素直に口をつける。それから思い切り顔をしかめた。そのままグラスを押し返してくる。
「苦いっていうか、辛いっていうか……ぴりぴりする」
「あんたにはまだ早そうだな」
含み笑った彼に、どこか不満げな表情を浮かべたが、口直しなのか自分のグラスに口をつけた後、左の手首に巻かれた腕飾りをじっと見つめている。少し腕を持ち上げると、日の光を反射してきらきらと輝く。それを見つめる目が柔らかく細められ、その口元がほころんでいるのに気づいて、心臓がどきりと跳ねた。
「気に入ったか?」
「うん、装飾品て初めてだし、それに——」
——あなたの色だ、とはにかむように笑う。
彼の髪と同じ暗赤色と、瞳と同じ青紫の。
その言葉に、ますます心臓が早鐘を打つ。やめてくれ、と心のどこかでもう一人の自分が呟いた。期待させてくれるな、と。
グラスを置いて席を立つ。このままだと、今は言うべきでない言葉を言ってしまいそうだった。急に身を翻した彼にディルが慌てたように立ち上がって追ってくる。
「ロイ……?」
後ろから腕を掴まれて、その顔を見下ろせば、戸惑いとどこか不安げな表情がこちらを見つめていた。そんな顔をさせたいわけではないのに。
「何か、気に触ることを言った……?」
心細げな響きを宿すその声に、あっさりと何かが焼き切れた。その腕を掴んで路地裏へと引き込む。その体を壁に押し付けて、深く口づけた。細く白い指が、驚いたように彼の胸元を掴む。構わず何度も口づけを繰り返すと、いつかのようにその体から力が抜けていく。脚の間に自分の脚を押し込んで抱き寄せ、さらに深く口づけると、甘い吐息が漏れた。
「頼むから、俺を煽るな」
身勝手な言葉だとは分かってはいたが、どうしても言わずにはいられなかった。案の定、目の前の潤んだ青い瞳は戸惑いを浮かべる。
「煽るって……」
「言っただろう。俺はあんたに惚れてる。あんたが誰を想おうと、それは変わらねえんだ。あんたがそうやって俺に笑いかけてくれるだけで、俺の弱い心はあんたを求めちまう」
言いながら、上衣の裾から手を滑り込ませる。まだ未分化のそこは、それでも女性らしいふくらみをもっている。驚いたように息を飲むその顔をあえて見つめて、それから首筋に唇を這わせる。
「あんたにこうやって触れたい。もっと言っちまえば、今すぐあんたを押し倒して抱きたい。そんな俺の欲望を、あんたは受け入れられるか?」
「ロイ……」
「無理だろう? なら、俺を惑わせるな。間違っても簡単に俺がいいなんて言うな」
こんな赤裸々な想いを突然ぶつけられて、この純粋な心の持ち主は、自分を蔑むだろうか。
触れていた手を離し、顔を上げると、だがひどく不思議そうな表情にぶつかった。先ほどの口づけのせいか、まだ瞳は潤んだままだったが、何かを考え込むようにその首は傾げられている。
「ディル?」
問いかけると、ディルは自分の唇にその白い指で触れ、それからこちらをまっすぐに見つめる。
「ロイは、そんな風に私のことが好きだったの?」
「……はあ?」
思わず呆れてそう聞き返せば、なぜか慌てたように手を振った。
「ええと、その惚れてる、とか、好き、ってあまりちゃんとそういうのを言われたことがないから……」
「俺が、こんな
「思わない……けど、でも前からわりと気軽にされてたような気もするし」
言われてみれば、からかいまじりのそれは、片手の指では足りない気もする。自業自得と言えば、それまでだが。
「興味のない相手に、するわけねえだろ?」
そう言ってやると、ディルはもう一度自分の唇に触れて、それから急にその顔が耳まで真っ赤に染まった。
それで、ようやく気づいた。今までまったく伝わっていなかったことに。
——そうして、今、ようやく伝わったことに。
その顎を捉えて、間近に視線を合わせる。微かに震える瞼に軽く唇で触れたが、拒む様子がないことに、
ややして、唇を離すと、伏せられた目元が朱に染まっている。それだけで、彼の男の部分ががっつりと反応した。
「あんたのそんな顔、たまんねえな」
「そんな顔って何⁉︎」
声は戸惑っていたが、それでも熱の残る瞳を見れば、ようやく
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